ヒンディー語映画界でSF映画が作られるようになり始めたのは「Koi… Mil Gaya」(2003年)辺りからであるが、SF映画の中でもロボット映画はそれほど果敢に開拓された分野ではない。「Love Story 2050」(2008年)に女性型ロボットが登場した後は、やはりタミル語映画「Robot」(2010年/邦題:ロボット)のインパクトが圧倒的で、ヒンディー語圏でも大いに話題になった。その後、「Ra.One」(2011年)があったが、それ以降、目立ったロボット映画は見当たらない。
2024年2月9日公開の「Teri Baaton Mein Aisa Uljha Jiya(君の話にこのように困らせられて生きた)」は久々のロボット映画である。プロデューサーはディネーシュ・ヴィジャーンなどで、業界の有力者であるが、監督はアミト・ジョーシーとアラーダナー・サーというコンビで新人である。主演はシャーヒド・カプールとクリティ・サノン。今回、クリティが女性型ロボットを演じる。
他に、ダルメーンドラ、ディンプル・カパーリヤー、ラーケーシュ・ベーディー、アヌバー・ファテープリー、アーシーシュ・ヴァルマーなどが出演している。また、ジャーンヴィー・カプールがカメオ出演している。
ちなみに題名は、インド系カナダ人歌手ラーガヴが2004年に発表して大ヒットした「Teri Baaton」の歌詞から取られている。映画中でもエンドロールでこのリメイク曲が使われている。当時の流行を知る者としてはとても懐かしい曲だ。
デリー出身、ムンバイー在住のロボット・エンジニア、アーリヤン・アグニホートリー(シャーヒド・カプール)は、米国に住む叔母ウルミラー・シュクラー(ディンプル・カパーリヤー)が経営するロボット会社のムンバイー支社で勤務していた。アーリヤンは独身で、家族から早く結婚するように圧力を掛けられていた。
ある日、アーリヤンはウルミラーに米国本社に呼ばれる。アーリヤンはウルミラーの自宅に宿泊するが、そこにはスィフラー(クリティ・サノン)という名の美しい女性が世話人をしていた。スィフラーは一風変わった女性で、アーリヤンは彼女に惹かれ、すぐに恋してしまう。そしてセックスもする。
翌朝、アーリヤンはウルミラーから、スィフラーは新開発のロボットであると告げられ、ショックを受ける。スィフラーに没入する前にアーリヤンは米国を去りムンバイーに戻る。だが、スィフラーのことがなかなか頭から離れなかった。スィフラーを忘れるため、アーリヤンは母親シャルミラー(アヌバー・ファテープリー)が持って来た縁談を受け入れ、結婚しようとするが、やはりダメだった。デリーで行われた婚約式から抜け出してムンバイーに戻り、ウルミラーに連絡して、スィフラーを「現地調査」と称してインドに送ってもらう。
アーリヤンは家族にスィフラーを結婚相手として紹介する。喜んだ家族はすぐに結婚式の準備を始める。インドにやって来たウルミラーはアーリヤンを止めようとするが、アーリヤンにとって既にスィフラーはなくてはならない存在になっていた。ウルミラーも無理にスィフラーを連れ帰ることはしなかった。ところがスィフラーは過電流によって故障し異常な行動を取り始める。スィフラーが人々に危害を加え、式場に火を付け始めたのを見て、アーリヤンは家族の前でスィフラーを殴って停止させる。
ラジニーカーント主演の「Robot」にも人間とロボットの恋愛が描かれていたが、基本的にはアクション映画だった。それに比べて「Teri Baaton Mein Aisa Uljha Jiya」はロボット・ラブコメであり、ヒンディー語映画では初のジャンルだといえる。
日本人はロボットを「友達」と描き、米国人はロボットを「脅威」として描くといわれる。ロボット映画には国民性が如実に表れそうだ。「Teri Baaton Mein Aisa Uljha Jiya」を観る限り、インド人はロボット映画をも恋愛映画にし、ロボットに踊りも踊らせてしまう。
この映画に登場するロボットは、人間と全く見分けの付かない女性型ロボットである。正式名称は「Super Intelligent Female Robot Automation(超知能女性型自律ロボット)」、その略が「SIFRA」で、それがそのまま名前になっていた。この単語は「0」も意味している。
外観にロボットらしいところはなく、きちんと体温もあれば、肌の柔らかさもある。人間と同じように食べ物を食べることもできる。驚くべきはセックスまでできてしまうことだ。一体どういう仕組みであろうか。受け答えに人間らしくないところもあるが、学習することでどんどん人間らしくなる。唯一の弱点はバッテリー駆動であることだ。毎日充電しないと動作が停止してしまう。充電は手首から行い、充電中は眉間が光る。眉間が光っている状態はまるでビンディーを付けているようであり、インドらしい。
独身貴族を謳歌していたロボット・エンジニアのアーリヤンがスィフラーに恋をしてしまうことから物語が始まる。最初はロボットと知らずにスィフラーと接し、ロボットと気付かずに恋をしてしまい、セックスまでしてしまう。スィフラーの開発社であり、ロボット会社の社長でもある叔母ウルミラーからスィフラーがロボットであると告げられた後は、スィフラーに冷たく当たるようになり、彼女を忘れるために距離を置くこともする。だが、どうしても彼女のことが忘れられず、スィフラーを呼び寄せ、彼女との結婚を強行することになる。
ヒンディー語映画界ではLGBTQがトピックとして流行しており、同性の恋愛が普通に映画になるようになった。「Chandigarh Kare Aashiqui」(2021年)ではトランスジェンダーとの恋愛が取り上げられなど、LGBTQに関わるあらゆる可能性が映画になりつつある。この「Teri Baaton Mein Aisa Uljha Jiya」は、人間とロボットの恋愛を取り上げた映画であり、一見するともう少し未来の物語のように見えるが、実際は過去のLGBTQ映画の延長線上にあると感じた。2018年にインドでは同性愛が合法化されたが、今後の争点は同性結婚になる。インドではまだ同性結婚は認められていない。その議論の地ならしとして、敢えて人間とロボットの結婚という荒唐無稽なストーリーを送り出したのではないかと感じる。
ラブコメ部分は楽しく鑑賞できた。是非このままハッピーな雰囲気で終わって欲しかったのだが、SF映画のお約束で、終盤にはテクノロジーの暴走が披露される。人間とロボットの結婚は映画の中でもまだまだ早かった。結局アーリヤンとスィフラーの結婚は実現しない。ただし、続編の予定があるようなので、「~2」でのハッピーエンドに期待したい。最後にジャーンヴィー・カプールがカメオ出演していたが、これは「~2」への布石なのかもしれない。「嫉妬」がほのめかされていたので、続編ではロボットの「嫉妬」がテーマになるのだろうか。
シャーヒド・カプールのコミカルな演技は久々に見た気がする。多才な俳優であり、シリアスな演技にも定評があるが、彼に一番似合うのはこのようなライトな演技だと感じる。いいキャスティングだった。今回ロボットを演じたクリティ・サノンは、今もっとも美しく、もっとも調子がいい女優だ。トリッキーな演技をうまくこなしていた。二人の相性も良く、ダンスシーンまで息がぴったりだった。
「Teri Baaton Mein Aisa Uljha Jiya」は、インド人がロボット映画を作るとこうなるという典型例だ。人間とロボットの恋愛がコミカルに描かれている。ロボット映画にも国民性が出るのは面白く、日本や米国と比較してみるのもいいだろう。ただし、意外にもハッピーエンディングではなく、少し期待を外された形での終幕になった。その点が気になったが、大部分は楽しく観られる娯楽映画である。興行的にも成功しており、観て損はない作品だ。