2023年11月10日からAmazon Prime Videoで配信開始された「Pippa」は、第三次印パ戦争を題材にした戦争映画だ。第三次印パ戦争は主に東パーキスターン(現バングラデシュ)の独立運動を巡って印パ間で勃発した戦争であり、インドの完全勝利に終わったことから、愛国主義映画の題材になりやすい。今まで「Hindustan Ki Kasam」(1973年)、「Border」(1997年)、「1971」(2007年)、「The Ghazi Attack」(2017年)、「Raazi」(2018年)、「Romeo Akbar Walter」(2019年)、「Bhuj: The Pride of India」(2021年)などの映画が作られてきたが、特に近年になってその数が多くなっている。この「Pippa」もそのリストに加わることになる。「Pippa」は戦争当時、インド陸軍第45戦車連隊に所属していた軍人バルラーム・スィン・メヘターの自伝「The Burning Chaffees」(2016年)を原作としており、戦車戦中心に描かれる戦争映画なのが目新しい点だ。
監督は「Airlift」(2016年)などのラージャー・クリシュナ・メーナン。音楽監督はARレヘマーンである。キャストは、イシャーン・カッタル、ムルナール・タークル、プリヤーンシュ・パイニューリー、ソーニー・ラーズダーン、イナームルハク、チャンドラチュール・ラーイ、ソーハム・マジュムダール、カマル・サーダナー、アヌジ・スィン・ドゥハンなどである。
ちなみに題名の「Pippa」とはソビエト連邦製の水陸両用戦車PT-76の愛称である。水に浮かぶ様子が「Pippa=ギー(精油)の箱」に似ていることから、インド人兵士たちによってこの愛称が付けられた。第45戦車連隊に配備されていたのがこのPT-76であった。
バルラーム・スィン・メヘター(イシャーン・カッタル)は軍人一家に生まれた。父親と兄ラーム(プリヤーンシュ・パイニューリー)も軍人であった。妹のラーダー(ムルナール・タークル)は医学を学んでいた。一家は1947年の印パ分離独立時に西パーキスターン領となったラーワルピンディーから逃げてきた難民だったが、当時2歳だったバルラームは何も憶えていなかった。父親は第一次印パ戦争で殉死しており、母親(ソーニー・ラーズダーン)が女手一つで3人を育て上げた。 時は1971年。東パーキスターンではパーキスターン軍によるベンガル人の弾圧と虐殺が起こり、内戦状態にあった。多くの難民がインドに押し寄せていた。インドとパーキスターンは一触即発の状態にあった。 バルラームは第45戦車連隊に所属しており、水陸両用戦車PT-76に乗ることを誇りに思っていた。だが、反骨精神が強く、訓練中に命令違反を犯し、ペーパーワークをさせられていた。ラームは前線に召集され、東パーキスターンでレジスタンスを行うムクティ・バーヒニーと接触するために東パーキスターンに潜入する任務を遂行することになった。ラームはムハンマド・ナディーフを名乗り、ムクティ・バーヒニーの秘密基地に滞在する。ところがパーキスターン軍から襲撃を受け、ラームは捕虜になってしまう。パーキスターン軍は、東パーキスターンにインド人スパイが入り込んでいたことを宣伝に使おうとしていたが、ラームは口を割らず、拷問に耐え続けていた。 PT-76の改造で功績を上げたバルラームは前線に召集され、第45戦車部隊に復帰する。第45戦車部隊は第14パンジャーブ大隊と共に渡河し、東パーキスターン領のガリーブプルを占領する。そこでパーキスターン軍の戦車部隊と撃ち合いになり、全滅させる。しかしながら、隊長のチーフィー(チャンドラチュール・ラーイ)は殉死してしまう。一方、ラーダーは諜報機関C&Aのアニルバン・ムカルジー(ソーハム・マジュムダール)にスカウトされ、暗号解読係として勤務することになる。ラーダーは前線にいるバルラームと連絡を取り、ラームが行方不明になっていることを伝える。 1971年12月3日、第三次印パ戦争が開戦する。バルラームは、ブリンダーにインド人兵士の捕虜がいるとの情報を受けていた。第45戦車部隊は渡河してブリンダーの基地を攻撃する。バルラームの活躍によりブリンダー占領に成功し、ラームとも再会できた。ガリーブプルの戦いで戦功を上げたバルラームは英雄となる。
映画の冒頭ではアニメーションによって第三次印パ戦争に至るまでの二国間情勢が簡単に解説される。それが非常に分かりやすかった。1947年にインドとパーキスターンは分離独立するが、パーキスターンは、インドを挟んで西と東に分割された飛び地国家となった。それだけでも運営が困難だが、さらに状況を難しくさせたのが文化と人口の違いだった。パーキスターンはイスラーム教を拠り所として樹立した新国家だったものの、西パーキスターンと東パーキスターンでは文化が大きく異なり、言語も違った。さらに、東パーキスターンの方が人口が多い一方で、政治の実権は西パーキスターン人が握っていた。この危うい均衡が顕在化したのが1970年の総選挙だった。東パーキスターンの政治家ムジブル・レヘマーン率いるアワーミー連盟が勝利し、東パーキスターンの自治を要求した。ヤヒヤー・カーン大統領はムジブルを投獄して東パーキスターン人の弾圧を開始した。多くの難民がインドに押し寄せた一方、東パーキスターンに残った人々は武器を取って抵抗運動を繰り広げた。パーキスターン軍と東パーキスターン人の間に内戦が起こり、結果的にインドの介入を招くことになった。
また、当時アメリカ合衆国はパーキスターンと近い関係にあった。さらに、中国もインドに敵対的であった。このような国際情勢も第三次印パ戦争の展開に影響していた。現に第三次印パ戦争が勃発すると、米国は第7艦隊をベンガル湾に派遣し、インドを牽制しようとした。一方、ソビエト連邦はインドと近い関係にあった。映画の真の主役である水陸両用戦車PT-76もソ連製であり、開戦前に両国は共同訓練も行っていた。
この映画で初めて知ったのが、第三次印パ戦争開戦直前のインド陸軍の動きだ。この映画によると、実は宣戦布告をしてから東パーキスターン領に攻め入ったのではなく、その前から既に越境をしていたらしい。ガリーブプルの戦いの舞台ガリーブプルは東パーキスターン領にあったが、この戦いは開戦前の1971年11月20日に起こった。ただ、パーキスターン軍もインド領に向けて砲撃をしており、既に国境地帯では双方から小競り合いがけしかけられていたと見ることができる。
映画の焦点は、悪路を疾走し大河を悠々と渡るPT-76、愛称「ピッパー」の活躍と、それに乗り込むバルラームの勇猛果敢さにぶれずに当てられ続けており、そのシンプルさに好感が持てた。映画には浮わついた恋愛要素も一切排除されている。あるとしたらバルラームの「ピッパー」に対する深い愛情だけだ。ただし、恋愛の代わりに通底していたのが強い家族愛だ。ムルナール・タークルが演じるヒロイン、ラーダーもバルラームの妹であるし、しかも暗号解読専門家として戦争に関わる。兄ラームは敵地に侵入するスパイであり、捕虜となった彼を救うのがバルラームにとっての個人的なミッションになった。そして戦地に赴いた子供たちを案じる母親の存在。それらが戦争映画にうまく噛み合っていた。ただし、バルラーム自身の自伝を原作にしているため、バルラームの戦績に大きな事実誤認はないだろうが、ラームやラーダーの存在まで史実なのかは不明である。
戦車が登場するシーンは非常に迫力があった。どうやら製作チームは本物のPT-76を見つけたらしく、撮影にも利用したという。発見時は不動車の状態だったのを修理して走行できる状態にし、しかも現役時代にように水に浮くこともできた。操縦も現役の兵士がしたという。ただ、撮影最終日に故障して寿命を全うしたそうだ。まるでこの映画が最期の仕事だと分かっていたみたいだ。映画では何台ものPT-76が戦場を駆け巡るシーンがいくつも用意されている。それらのほとんどは映画撮影用に新たに実物に似せて作られたものだが、1台だけでも本物が使われているだけで臨場感が全く異なる。
バルラームを演じた主演イシャーン・カッタルは若手俳優の成長株であり、これまで「Dhadak」(2018年)や「Khaali Peeli」(2020年)などに出演してきた。まだ大ブレイクはしていないものの、着実に実績を積み重ねている。その妹ラーダーを演じたムルナール・タークルも人気急上昇中の若手女優で、「Super 30」(2019年/邦題:スーパー30 アーナンド先生の教室)で既に日本にも紹介されている。今回、決定的な見せ場はなかったものの、マイナスにはならない存在感だった。ラーム役のプリヤーンシュ・パイニューリーも「Rock On 2」(2016年)や「U-Turn」(2023年)に顔を出してきた俳優で、これから出番が増えていきそうだ。
ちなみに、インド映画では中央映画認証局(CBFC)の指導により、飲酒・喫煙シーンには必ず注意書きが入る。「飲酒は健康に有害です」などである。「Pippa」では、バルラームがロイヤルエンフィールドのバイクにノーヘルで乗っているシーンで、「二輪車に乗るときはヘルメットをかぶりましょう」という注意書きが出ていた。これは初めて見た。だんだんこの種の注意書きが増えていきそうで嫌な予感がする。
「Pippa」は、近年ヒンディー語映画界で流行している第三次印パ戦争モノの戦争映画だ。戦車を前面に押し出している点が他の戦争映画とは異なっており、目新しさがある。しかも、本物のPT-76をわざわざ修理して撮影に使用しているだけあって、迫力がある。余計な要素が切り捨てられ、戦車戦と家族愛に集中している点に好感が持てた。現在売り出し中の俳優たちを起用したフレッシュさも魅力であるし、巨匠ARレヘマーンが作曲しているのも豪華だ。OTTリリースの映画としては見応えがあり、オススメである。