1971

3.0
1971
「1971」

 「1971」は、2007年3月9日公開のヒンディー語映画だ。インドで「1971」といえば、1971年の第三次印パ戦争を指す。東パーキスターンの独立運動に端を発したこの戦争はインドの完全勝利に終わり、結果としてバングラデシュが独立した。ただ、この映画は第三次印パ戦争そのものを題材にしたものではない。この戦争で捕虜となったインド軍兵士たちの物語である。

 監督はアムリト・サーガル。国民的人気TVドラマ「Ramayan」を製作・監督したラーマーナンド・サーガルの孫である。TVドラマ監督として活躍してきたが、長編映画の監督は今回が初である。プロデューサーはアムリト・サーガル監督の父親モーティー・サーガルであり、サーガル一族のホームプロダクションだ。

 キャストは、マノージ・バージペーイー、ラヴィ・キシャン、ピーユーシュ・ミシュラー、マーナヴ・カウル、ディーパク・ドーブリヤール、チッタランジャン・ギーリー、クムド・ミシュラー、ビクラムジート・カンワルパールなど。舞台劇などで活躍してきた渋い俳優が勢揃いしている。

 1977年、パーキスターンのチャクラーラー駐屯地にインド軍兵士の捕虜が50人以上集められた。スーラジ・スィン陸軍少佐(マノージ・バージペーイー)、カビール陸軍大尉(クムド・ミシュラー)、ジェイコブ陸軍大尉(ラヴィ・キシャン)、アハマド陸軍中尉(チッタランジャン・ギーリー)、ラーム空軍中尉(マーナヴ・カウル)、グルトゥー空軍中尉(ディーパク・ドーブリヤール)などである。彼らは1971年の第三次印パ戦争で捕虜となり、パーキスターン中の刑務所に収容されていたが、何らかの理由で一箇所に集められた。この駐屯地は山奥にあり、印パ国境近くに位置していることが分かる。

 ある日、シャクール・アクタル大佐(ビクラムジート・カンワルパール)はスーラジ少佐などに、もうすぐインドに帰すことを伝える。インド人捕虜たちはその知らせを聞いて喜ぶ。だが、スーラジ少佐は、パーキスターン政府が1971年の戦争で捕虜になったインド人兵士はもう国内にはいないと公表しており、現在赤十字が監査を行っていることを知る。また、パーキスターンではクーデターがあり、政権がズルフィカール・アリー・ブットーからズィヤーウル・ハクの軍政に移っていた。パーキスターン軍は、赤十字の監査をやり過ごすため、インド人兵士捕虜を僻地に集めていたのだった。パーキスターン側に、インド人捕虜を帰す気などなかった。

 そこでスーラジ・スィン少佐は、カビール大尉、ジェイコブ大尉、アハマド中尉、ラーム中尉、グルトゥー中尉と共に脱走計画を練り始める。決行日は8月14日のパーキスターン独立記念日だった。駐屯地では、ガザル歌手スルターナー・カートゥンによるコンサートが催されていた。この日までに彼らはパーキスターン軍兵士の軍服や爆弾などを用意した。

 爆弾が爆発しないなど、想定外のことが起こったものの、脱走計画はうまくいき、スーラジ・スィン少佐、カビール大尉、ジェイコブ大尉、ラーム中尉、グルトゥー中尉は、スルターナーを人質に取ってトラックを奪い、脱走する。アハマド中尉は自爆したため脱落した。彼らは途中にトラックを乗り捨て、民間のトラックをヒッチハイクして、パーキスターン領カシュミールの都市ムザッファラーバードまで辿り着く。一方、スルターナーは人権委員会のメンバーだったことがあり、本部にインド人兵士の捕虜がまだ国内にいることを報告する。

 パーキスターン軍のビラール・マリク少佐(ピーユーシュ・ミシュラー)は、駐屯地から脱走した一団がインド人捕虜であることを知り、行き先はインドだと直感してムザッファラーバードに追っ手を差し向ける。脱走中に怪我をしたジェイコブ大尉は自ら命を絶って死ぬが、残りの4人はそれぞれムザッファラーバードを脱出し、国境へ向かう。だが、ラーム中尉も自爆を選び、カビール大尉も怪我をして雪山の中で命を落とす。一方、人権委員会や赤十字が現地入りするものの、ほとんど何もできなかった。

 残ったスーラジ・スィン少佐とグルトゥー中尉は雪山を徒歩で越え、インド領を目指す。だが、国境間近でアクタル大佐とマリク少佐に追いつかれ、スーラジ・スィン少佐は殺され、グルトゥー中尉も捕まってしまう。

 1971年の第三次印パ戦争はインドの完全勝利で終わったものの、この戦争で捕虜になったインド人兵士たちが今でもパーキスターンの刑務所に収容されているとされている。ジュネーヴ条約では、戦争中の捕虜は戦争終了後に解放されることになっており、もしそれが事実だとしたら、国際条約違反である。インド政府は、54人のインド人戦争捕虜(PoW)が今でもパーキスターンにいると主張している。「1971」は、インド人捕虜の問題を啓発するために作られたフィクション映画だ。

 時代設定は1977年、第三次印パ戦争から約6年が過ぎている。また、この年にはパーキスターンで政変があり、ズィヤーウル・ハク将軍がクーデターによって政権を奪取している。パーキスターンの刑務所に収容されていたとあるインド人捕虜が隙を見つけてインドの家族に向けて手紙を出し、それが宛先に届いたことで、インド人捕虜の存在が証明され、人権委員会や赤十字が監査を行うことになったことから、物語が始まる。パーキスターン軍は、国内の刑務所に分散して収容していたインド人捕虜たちを印パ国境近くのチャクラーラー駐屯地に集め、監査をやり過ごそうとした。

 チャクラーラー駐屯地には50人以上のインド人捕虜が集められた。中には1965年の第二次印パ戦争時の捕虜までいたが、過酷な監獄生活によって精神的に異常をきたしている者も多かった。赤十字がパーキスターンに留まっている間、捕虜たちが騒ぎを起こさないように、捕虜の釈放という嘘の情報で彼らをなだめることにしたのだった。しかし、その欺瞞に気付いた6人の兵士たちが脱走を試みる。誰か一人でもインドに辿り着けば、残りの捕虜の解放も実現できるという考えの下での、少数精鋭での脱走であった。

 チャクラーラー駐屯地は架空の地名だろうが、劇中に出てきた地図によると、イスラーマーバードとムザッファラーバードの間に位置していた。そこから彼らはムザッファラーバード経由で、バーラームーラー方面に抜けようとしていた。

 ただ、6人は次々に犠牲を払うことになる。一人、また一人と死んでいき、最後にはスーラジ・スィン少佐とグルトゥー中尉のみになった。そしてスーラジ・スィン少佐は死ぬ前に一瞬だけインドの土地に足を踏み入れるのだが、パーキスターン軍の軍服を着ていたためにインド軍から仲間だと思われず、その遺体はパーキスターン軍に引き取られてしまう。また、撃たれて怪我をしたグルトゥー中尉も捕まり、元いたムルターン刑務所に引き戻され、そのまま30年間過ごすことになる。

 現実世界でのインド人捕虜がインドに戻ってきていないため、「1971」も悲しいトーンで終わる。

 キャスティングされているのは、スター俳優ではないものの、演技に定評のある曲者俳優たちばかりだ。マノージ・バージペーイーが筆頭であるが、ラヴィ・キシャン、ディーパク・ドーブリヤール、マーナヴ・カウル、ピーユーシュ・ミシュラーなど、巧みな俳優たちの競演を楽しむことができる。

 「1971」は、第三次印パ戦争で捕虜になったインド人兵士たちの脱走劇である。インド政府は実際にパーキスターンにはまだ54人の捕虜が囚われたままだと主張している。この問題を映画化することで、国民を啓発し、パーキスターンへの圧力を強める目的がある。曲者俳優たちの競演が大きな見所である。


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