Airlift

4.0
Airlift
「Airlift」

 1990年、イラクがクウェートに侵攻し、湾岸戦争に発展した。今から考えると、この事件は21世紀の国際社会及び日本に大きな影響を与えた。冷戦終結、パレスチナ問題の顕在化、アル・カーイダの台頭、原油価格の高騰、日本のバブル崩壊、自衛隊のPKO参加などなどである。

 クウェートをはじめとした中東各地に多数の出稼ぎ労働者を送っていたインドにとっても、イラクのクウェート侵攻と湾岸戦争は歴史の転換点となる一大事件であった。原油輸入国であるインドにとって原油価格の高騰は元から経済への打撃だったことに加え、中東地域で働く出稼ぎ労働者からの送金が途絶え、外貨準備高が急激に悪化した。インドの財政はデフォルト寸前まで追い込まれ、とうとう1991年7月24日、経済政策を大転換する。ナラスィンハ・ラーオ首相に抜擢された経済学者マンモーハン・スィン財相が、従来の社会主義的な計画経済から脱却し、市場原理と競争重視の資本主義型経済への移行を決定したのである。ピンチはチャンス、と言うが、湾岸戦争は正に21世紀のインド高度経済成長の引き金となった重大な出来事であった。

 イラクのクウェート侵攻時、クウェートには17万人のインド人が住んでいた。クウェートは外界から遮断され、彼らは取り残されてしまっていた。クウェート上空も複雑な状況にあり、インド空軍も動けなかった。このとき、クウェート在住のとあるインド人たちが人並み外れた尽力をし、イラク政府、インド政府、そして国営航空会社エアインディアを動かした。結果、1990年8月13日から10月11日まで、エアインディアが488回も飛行機を飛ばし、11万人以上の人間を空輸した。歴史上最大の「エアリフト」としてギネスブックにも登録されており、現在まで航空史に刻まれている。この知られざる偉業を映画化したのが、2016年1月22日公開の「Airlift」である。最近ヒンディー語映画で主流となっている、実話にもとづくドラマ映画だ。

 「Airlift」の監督はラージャー・クリシュナ・メーナン。過去に「Bas Yun Hi」(2003年)や「Barah Aana」(2009年)など、批評家受けする映画を撮っているが、メジャー作品がこれが初めてだ。作曲はアマール・マリクとアンキト・ティワーリー、作詞はクマール。キャストは、アクシャイ・クマール、ニムラト・カウル、イナームルハク、プーラブ・コーリー、プラカーシュ・ベーラーワーディー、クムド・ミシュラー、ファリヤーナー・ワズィールなど。

 1990年8月2日、イラク軍がクウェートに侵攻し、クウェート人を虐殺し始めた。インド大使館の職員は早々に脱出し、17万人のインド人がクウェートに取り残された。クウェート在住の実業家で、クウェート政府やイラク政府にも人脈を持つランジート・カティヤール(アクシャイ・クマール)は、妻のアムリター(ニムラト・カウル)の反対を押し切り、取り残されたインド人を無事にインドに送る届けることを決意する。

 偶然、クウェート侵攻したイラク軍を率いていたハラフ少佐(イナームルハク)はランジートと旧知の仲だった。ランジートはハラフ少佐から、学校にインド人のキャンプを造営する許可を得る。そこにはクウェート中からインド人が集まって来た。その中にイブラーヒーム(プーラブ・コーリー)というインド人青年もいた。彼は数日前に結婚したばかりだったが、妻と離れ離れになっていた。イブラーヒームはキャンプで匿われているクウェート人女性タスニーム(ファリヤーナー・ワズィール)を見つけ、彼女をそっと守るようになる。もし、インド人キャンプの中にクウェート人がいることがイラク軍に知れたら大変なことになるところだったが、ランジートは黙認する。

 ランジートは状況を打開するために、まずはインド本国の外務省に電話をする。何度も電話を掛け、ようやく話が通じた相手は湾岸地域担当ではないサンジーヴ・コーリー(クムド・ミシュラー)という書記官だった。コーリーはランジートの話を聞き、外相に掛け合おうとするが、なかなか色よい返事はもらえなかった。そこでランジートはバグダードまで行き、イラク駐在のインド大使に直接救援を頼む。しかし、こちらもうまく行かなかった。最後にランジートはイラク政府の外相と交渉する。外相は、間もなくクウェートの港に寄港する商船にインド人が乗ることを許可する。

 クウェートに戻ったランジートはインド人たちを港に連れて行こうとするが、寸前で船が寄港を禁止され、ドバイに針路変更を余儀なくされたことを知る。ランジートは、前々から文句ばかり言っていたジョージ(プラカーシュ・ベーラーワーディー)に詰め寄られるが、アムリターがランジートの気持ちを代弁し、彼を擁護する。

 ランジートは、今度は廃棄物輸送船がクウェートから出ることを知る。船長と掛け合い、500人のインド人の輸送を取り付ける。ただし、一人200ドルの料金を取った。キャンプの中で、200ドルを支払える者を選び、港に送った。この動きはハラフ少佐に知られるが、ランジートはサッダーム・フサイン大統領から密命を受けていると法螺を吹き、ハラフ少佐を黙らせることに成功する。500人のインド人を乗せた船は無事クウェートを出航する。

 もはや一刻も早くクウェートを脱出しないと、残りのインド人たちの命が危ないと考えたランジートは、彼らを連れてヨルダンまで1,000km以上の道のりを陸路で移動することを決断する。半ば無理矢理、外務省のコーリーに後方支援を頼み、ランジートたちは出発する。

 途中、チェックポストでランジートが殺されそうになる危機があったものの、何とか切り抜け、彼らはヨルダンに到着する。一方、インドではコーリーがエアインディアと交渉し、クウェートに飛行機を飛ばしてもらえることになった。エアインディアは488回も飛行機を飛ばし、インド人をボンベイまで空輸した。この際、イブラーヒームはクウェート人女性タスニームを自分の妻だと言って、臨時パスポートを発行させ、彼女の命を救った。

 先にも書いたが、この映画は1月22日公開である。1年の内で、1月26日の週と8月15日の週に封切られる映画には特徴がある。これらの日は、それぞれ共和国記念日(憲法発布の記念日)と独立記念日であり、両日ともインド全土が休日となるナショナルホリデーである。これらの週に公開される映画は、概して愛国主義的傾向が強く、インド人のアイデンティティーに訴えかける作品が多い。「Airlift」も正にその種の映画であった。

 基本的には実話に沿った物語であるが、いくつかフィクションも織り込まれていた。例えば、「Airlift」では、アクシャイ・クマール演じる主人公ランジートがほとんど孤軍奮闘してエアリフトを成功させたように描写されているが、実際にはマシュニー・マシューズやハルバジャン・スィン・ヴェーディーをはじめとして、現地で一財産を成した複数のインド人富豪たちが私財を投げ打って同胞を支援したようだ。特にマシュニー・マシューズは、トヨタの現地エージェントとして成功した人物であり、「トヨタ・サニー」の愛称で呼ばれていたと言うから、日本とも関係がありそうだ。他に、「Airlift」では1人のクウェート人女性が助けられていたが、これも映画を面白くするためのフィクションであろう。

 ランジートは結果的にクウェートに取り残されたインド人たちの救世主となったが、当初から全てのインド人を救おうとした訳ではなかった。当初、彼が責任を感じていた範囲は、自分の会社で働く従業員とその家族の無事な帰国ぐらいだった。彼は従業員とその家族を会社の建物に避難させる。だが、一度「ランジートなら何とかしてくれる」という噂が現地インド人社会に広まると、従業員の親戚や知り合いなどまで彼の会社に詰め掛ける。この辺りはいかにもインドらしい展開だ。

 当時、クウェートには17万人のインド人がいたとされるが、もちろん、その全員が全員、ランジートのような実業家ではなかった。そうであったら、自力でクウェートを脱出できただろう。クウェートに取り残され、ランジートを頼って来たのは、ほとんどが貧しい出稼ぎ労働者であった。彼らの多くは、中東での出稼ぎ労働を斡旋する会社に金を支払って渡航している。多くの場合、契約が終わるまで斡旋会社にパスポートを預けており、容易に帰国できる状況になかった。

 もちろん、ランジートは無関係な者を追い返すこともできた。ランジート自身は妻子も抱えており、自分の家族のことも考えなくてはならなかった。だが、駐クウェートのインド大使館は、クウェートがイラクに併合されたことで、イラク国内に2ヶ所も大使館は要らないということになり、早々に閉鎖されてしまった。ランジートが見捨てたら、彼らが路頭に迷うことは目に見えていた。結局、ランジートは、自分たちだけ脱出しようとせかす妻の反対を押し切り、自分を頼って来たインド人全員を助けることにする。

 その後もランジートはいくつかの二者択一を迫られ、重大な決断をして行く。それは、どちらかが犠牲になる可能性のなるものだった。最初の決断は、家族優先か、従業員とその家族優先か、という選択であり、すぐにそれは、家族優先か、クウェートに取り残されたインド人全員か、という選択にまで拡大される。また、500人のみが先に脱出できることになったとき、200ドルを支払える人を優先した。この決断も難しいものだっただろう。最後に彼は、17万人のインド人の命を危険にさらしてまでクウェート人の母子を助けるべきか、という非常に困難な選択も迫られる。映画では、それらの選択全てで失敗をしていないのだが、幸運にも助けられたと言えるだろう。

 ランジートの物語は、そのような難しい選択の連続であったが、もうひとつ、「Airlift」の叙情を支える重要な要素となっていたのが、イブラーヒームの存在だ。彼はクウェート侵攻ではぐれしまった新妻シャズィーンを探していた。彼女の勤務する病院も訪れるが、見つからない。一旦は、インドに帰らず、クウェートに留まってシャズィーンを探すとランジートに伝えるが、説得され、インドに戻ることを決意する。一方、イブラーヒームはクウェート人女性タスニームとその赤子を匿っていた。ヨルダンに入国し、アンマンの空港でインドに渡航するに当たって臨時パスポートが発行されることになる。タスニームはヒンディー語は話せないため、素性がばれそうになる。それを助けたのがイブラーヒームであった。彼はタスニームを自分の妻だと言い、彼女のパスポートを発行させる。彼は、妻を失った代わりに、二人を救ったのだった。衝撃、動揺、悲しみの中でも、助け合いがあり、映画の隠し味となっていた。

 映画では、ランジートの活躍に加え、インド政府内にも親身になって動いた役人がいること、エアインディアの勇気ある決断があったことなどにも触れられており、緊急時に「インド政府は国民のために何もしない」訳ではないことが示されていた。そして、それをもって愛国主義的なメッセージが発信されていた。

 また、インドが今でも集合的トラウマとして抱える、1947年の印パ分離独立とも、多少のリンクをもって、このエアリフトが描写されていたことは、特筆すべきであろう。

 アクション、コメディー、ドラマなど、何でもこなせる男優に成長したアクシャイ・クマールは、今回シリアスな演技を余裕をもってこなせていた。アムリターを演じたニムラト・カウルは「The Lunchbox」(2013年)で一躍名を知られた女優だ。ランジートの足枷になっていたが、中盤からは彼を献身的に支える姿を健気に演じていた。

 ちなみに、ロケはアラブ首長国連邦(UAE)で行われたようである。言語は基本的にヒンディー語だが、クウェートが舞台であり、イラク軍も関わって来るため、アラビア語の台詞も散見された。特に、イナームルハク演じるハラフ少佐は、アラビア語訛りのヒンディー語という、今まであまり聞き慣れない言語をしゃべっていた。例えば、アラビア語にない音である「p」が「b」になったりしていた。アラブ人がヒンディー語をしゃべるとこんな訛り方をするのだろうか。

 「Airlift」は、ギネスブックにも登録されている史上最大のエアリフト(人員空輸)を映画化した、実話にもとづいたドラマ映画である。主演アクシャイ・クマールのシリアスな演技が魅力だ。緊急事態の中で、それぞれの立場にある人がどういう動きをしたのか、その中でいかに奇跡的に行動力のある人々のネットワークが形成され、最終的に10万人以上のエアリフトという大事業の成功につながったのか。もちろん、多くのフィクションも含まれているだろうが、臨場感ある映像と説得力のある脚本のおかげで、まるで当時の緊迫した空気の中に自分が身を置いているかのように、のめり込むことができる。興行的評価は「スーパーヒット」。決して、共和国記念日の愛国的熱情に乗っかっただけで成功した作品ではない。