Jayeshbhai Jordaar

3.5
Jayeshbhai Jordaar

 女児堕胎はインド社会の大きな問題だ。家系の存続や持参金の問題などからインドでは男児が尊重され、技術の発達によって胎児の性別検査が可能になったことから、胎児が女児であることが分かると堕胎する悪習が横行するようになった。インドでは胎児の性別検査は禁止されているが、それでも闇で性別検査が行われ、女児の間引きも行われている。

 ヒンディー語映画でも女児堕胎はよく主題に取り上げられる。もっとも衝撃的なのは、女児の間引きをし過ぎて女性がいなくなったディストピアを描いた「Matrubhoomi」(2003年)である。あれから20年が過ぎたが、まだ状況は改善されたといえず、引き続き映画の主題にもなり続けている。2022年5月13日公開の「Jayeshbhai Jordaar」も、女児堕胎を中心的なテーマにした映画である。ヤシュラージ・フィルムスらしい娯楽映画の味付けではあるが、メッセージ性が明確な映画だ。

 プロデューサーはアーディティヤ・チョープラーと「Shuddh Desi Romance」(2013年)などのマニーシュ・シャルマー。監督はディヴィヤーング・タッカル。主にグジャラーティー語映画で俳優をしており、映画の監督はこれが初めてである。主演はランヴィール・スィン。「Bamfaad」(2020年)のシャーリニー・パーンデーイがヒロイン役であり、子役の新人ジヤー・ヴァイディヤがとてもいい味を出している。他に、ボーマン・イーラーニー、ラトナー・パータク・シャー、ディークシャー・ジョーシー、プニート・イッサールなどが出演している。

 題名の「Jayeshbhai Jordaar」とは、「ガツンといったれ、ジャエーシュ兄貴」みたいな意味である。

 舞台はグジャラート州の保守的なダヴァルギリ村。プルトヴィシュ・パテール(ボーマン・イラーニー)の家系が代々支配しており、その息子ジャエーシュ(ランヴィール・スィン)の妻ムドラー(シャーリニー・パーンデーイ)は跡継ぎの男児を産むように圧力を受けていた。最初に生まれたのは女の子で、スィッディー(ジヤー・ヴァイディヤ)といったが、既に9歳になっていた。その後もムドラーは何人も身籠もったが、違法な性別検査の結果、女児であったため、堕胎をさせられていた。ジャエーシュは、今回もムドラーのお腹にいる子供は女児だと勘付いた。だが、今回だけは産まれさせてあげたいと思っていた。

 ある日、ジャエーシュはムドラーとスィッディーを連れて逃げ出す。プルトヴィシュに追われるが、捕まりそうになると何かが起き、何とか逃げおおせていた。ジャエーシュが頼りにしていたのは、ハリヤーナー州ラードープルのサルパンチ(村長)アマルであった。ラードープルでは女児堕胎を繰り返したために女性がいなくなってしまい、男性たちは結婚相手がいなくて困っていた。ムドラーはSNSを使ってアマルに連絡を取る。

 ジャエーシュたちは様々な危機を乗り越えながらラードープルに向かっていたが、途中でムドラーが出血したため、取って返してグジャラート州の病院に駆け込む。そこでムドラーと子供は出産時に命を落としたことにしてもらい、ひとまずジャエーシュは家に戻る。だが、ムドラーが死んだと知ったプルトヴィシュはジャエーシュを再婚させようとする。ムドラーが産気づいたと知ったジャエーシュは結婚式から脱走し、病院へ向かう。プルトヴィシュは部下を連れて追ってくるが、ラードープルの村人たちがそれを防ぐ。さらに、ダヴァルギル村の女性たちもラードープルの村人たちに加勢する。おかげでムドラーは無事に女児を出産し、ディシャーと名付けられた。

 映画の主な舞台になっていたのはグジャラート州の村だが、その比較対象になっていたのはハリヤーナー州の村であった。男女比を見てみると、ハリヤーナー州では男性1,000人に対して女性900人以下と、インド最悪レベルである。それに比べるとグジャラート州の男女比は900を超えており、まだマシではあるが、インドの平均よりは低い。つまり、このまま女児堕胎を続けたら、グジャラート州の未来はハリヤーナー州になるということである。

 そのハリヤーナー州の架空の村ラードープルでは、遂に女性がいなくなってしまい、男性だらけになってしまった。「Matrubhoomi」に似た状況である。村から女性がいなくなってもっとも困る切実な問題は結婚相手がいないことである。ラードープルのサルパンチ(村長)は動画投稿サイトに自分の村の窮状を訴える動画をアップロードし、誰でもいいから女性に来て欲しいと懇願する。男尊女卑が進み過ぎて、女性に圧倒的な希少価値が出てしまったのである。

 一方、ジャエーシュの村では、まだ女性がいなくなるというところまでは行っていなかった。だが、それ故に男尊女卑の悪習が残っており、代々村を支配してきたサルパンチのプルトヴィシュが君臨していた。プルトヴィシュの凝り固まった価値観は、村落裁判に如実に表れていた。男性から嫌がらせを受ける少女が訴えを起こしたが、プルトヴィシュは、いい匂いのする石鹸を使って身体を洗う女性の方が悪いと一方的な裁定を下し、村での石鹸の販売を禁止してしまった。そのようなサルパンチが治める村であるため、女性たちの地位は限りなく低かった。

 物語の中心となるのは、ジャエーシュがムドラーのお腹にいる女児を何とか助けようとする過程である。ジャエーシュは父親に逆らえなかったが、ムドラーのことは非常に愛しており、とても妻思いの男性であった。そして、男児にこだわらないリベラルな考えを持っていた。ラードープルのことを知ったジャエーシュは、ラードープルに逃げて、そこで2人目の娘を産むことを計画していた。

 それに加えてジャエーシュが夢想していたのは、ムドラーとパッピー(キス)をすることであった。結婚生活9年に及ぶのにキスもしていないというのは変な話だが、ヤシュラージ・フィルムスはとにかく家族客向けの映画作りをするので、ヤシュラージらしいメルヘンチックなロマンス要素だと捉えればいいだろう。キスは映画の重要な伏線にもなっていた。

 主演のランヴィール・スィンにとってヤシュラージ・フィルムスは古巣である。彼のデビュー作「Band Baaja Baaraat」(2010年)はヤシュラージの製作であり、この「Jayeshbhai Jordaar」で6本目のコラボレーションになる。最近はマッチョな役柄を演じることも多かったランヴィールだが、今回は攻撃的なオーラを敢えて抑え、一転して父親の言いなりになっている弱々しい男性役を繊細に演じていた。この10年余りのキャリアの中で、どんな役でも演じられる幅の広い俳優に成長したことを見せ付けている。

 ムドラーを演じたシャーリニー・パーンデーイは、決して絶世の美人ではないが、キュート系の女優であり、ランヴィールとの相性も良かった。村の女性にしては育ちが良さそうなふっくらさが少し気にはなったが、いい女優である。

 この二人を超えるほどのインパクトを残していたのは、スィッディーを演じた子役女優ジヤー・ヴァイディヤだ。なぜか両親にため口だが、スマートフォンを使いこなすイマドキの子供だ。そして、頼りない父親に比べて肝が据わっており、ピンチにはとても頼りになる。今後が楽しみな女優だ。もちろん、ボーマン・イーラーニーやラトナー・パータク・シャーなども良かった。

 映画では、闇性別検査の実態がかなり生々しく描写されていたのが印象的だった。妊娠中期に超音波検査をすると医者ならば胎児の性別が分かるのだが、インドの法律では妊婦やその家族に性別を伝えてはいけないことになっている。だが、独特のコードがあり、それによって性別が知らされる。「Jayeshbhai Jordaar」では、医者が「ジャイ・シュリー・クリシュナ(クリシュナ万歳)」と言えば男児で、「ジャイ・マーター・ジー(女神万歳)」と言えば女児だと説明されていた。

 「Jayeshbhai Jordaar」は、インド社会の因習である女児堕胎に改めて切り込んだ社会派の娯楽映画だ。それのみならず、もっと広く、男女平等を訴える、現代らしい映画になっていた。ランヴィール・スィンらも好演していたが、残念ながら興行成績は期待通りのものになっていない。ただし、Amazon Prime Videoで配信されたことで好評に転じているようである。次第に映画館とOTTが分業化し、「Jayeshbhai Jordaar」のような映画は直接OTTで配信した方がいいという流れになるかもしれない。メッセージが明確な点、そして社会問題に取り組もうとする姿勢は正当に評価すべきであり、オススメできる映画だといえる。