Hum Do Hamare Do

4.0
「Hum Do Hamare Do」

 日本で「親ガチャ」と言葉が不気味な流行を見せている。「子供は親を選べない」、「人生は生まれる親で決まる不平等な運ゲーだ」という意味であろう。だが、2021年10月29日からDisney+ Hotstarで配信開始された「Hum Do Hamare Do」は、両親を自分で選ぶ孤児の物語である。

 題名の「Hum Do Hamare Do」とは、直訳すれば、「我々は2人、我々の子供も2人」という意味である。かつて人口増が貧困の主因とされた時代、インド政府は人口抑制のスローガンとしてこの標語を採用した。つまり、1夫婦につき子供は2人まで、という訳だ。人口抑制政策と言うと中国の一人っ子政策が有名だが、インドも1975年から77年までの非常事態宣言時代に「ナスバンディー」と呼ばれる断種政策を行い、特に貧困世帯の男性たちに強引に精管切除手術(パイプカット)を受けさせたことがあった。この期間、800万人以上の男性が手術を受けたとされる。

標語「Hum Do Hamare Do」ポスター

 だが、2021年の映画「Hum Do Hamare Do」は、「我々は2人、我々の親も2人」という意味で取るべきであろう。孤児だった主人公が、結婚をするために、自分の両親になってくれる人を探すことになるという物語だからだ。

 プロデューサーはディネーシュ・ヴィジャーン、監督は「Guzaarish」(2010年)などで助監督を務めたアビシェーク・ジャイン。グジャラーティー語映画を何本か撮っているが、ヒンディー語映画の監督はこれが初めてである。主演はラージクマール・ラーオとクリティ・サノン。他に、パレーシュ・ラーワル、ラトナー・パータク・シャー、アパールシャクティ・クラーナー、マヌ・リシ・チャッダー、プラーチー・シャー・パーンディヤー、マゼル・ヴャース、サーナンド・ヴァルマー、アーディティヤ・タールナチなどが出演している。

 舞台はチャンディーガル。ドルヴ(ラージクマール・ラーオ)は捨て子で、ダーバー(食堂)を経営する独身男性プルショーッタム・ミシュラー(パレーシュ・ラーワル)に拾われて働いていたが、ある日夜逃げし、その後は苦労して身を立てて、現在は実業家として成功していた。ドルヴはあるとき、アーンニャー(クリティ・サノン)という美女と出会い、恋に落ちる。二人は結婚することになる。

 ところがひとつ問題があった。アーンニャーの両親は彼女が幼い頃に事故で亡くなっており、叔父のサンジーヴ・メヘラー(マヌ・リシ・チャッダー)と叔母のルーパー(プラーチー・シャー・パーンディヤー)に育てられていた。アーンニャーは、温かい両親を持つ男性との結婚を夢見ていた。ドルヴはつい、両親がいると嘘を付いてしまっていた。

 ドルヴと親友シャンティー(アパールシャクティ・クラーナー)は急いでドルヴの両親になってくれる男性と女性を探し始める。まずは、結婚式に参列する親戚を斡旋するシャーディーラーム(サーナンド・ヴァルマー)に相談するが、両親を紹介して欲しいと頼まれたのは初めてで、頼りにならなかった。そこでドルヴは、かつての育ての親プルショーッタムを訪ねる。彼は既にダーバーを売却しており、シムラーの老人ホームにいた。プルショーッタムは気難しい性格で、ドルヴを追い払う。だが、プルショーッタムには若い頃から片思いをしていた女性ディープティー(ラトナー・パータク・シャー)がいた。ドルヴとシャンティーはディープティーを探し出し、協力を頼む。ディープティーの協力が得られたことで、プルショーッタムも乗り気になった。こうして、プルショーッタムとディープティーがドルヴの父親と母親になった。

 トラブルメーカーのプルショーッタムの言動に翻弄されながらも縁談は進み、ドルヴとアーンニャーの結婚式が行われることになる。しかし、式場に現れたシャーディーラームの介入によってプルショーッタムとディープティーがドルヴの両親でないことがばれてしまう。結婚は取り止めとなり、アーンニャーはかねてからお見合いをしていたサンケート(アーディティヤ・タールナチ)と結婚することになる。

 しかし、サンケートは子供嫌いで、しかも結婚後は両親を老人ホームに入れようとしていた。家族を大事にしないサンケートと、アーンニャーのために家族を作ってくれたドルヴを比較し、彼女はドルヴを選ぶ。こうして再度、二人の結婚式が行われる。

 結婚という通過儀礼を題材にこれまでインド映画は数々の作品を送り出して来た。もう既にありとあらゆるストーリーが出し尽くされたかのように思えるときもある。だが、「Hum Do Hamare Do」を観て、まだ結婚を題材にこういう斬新な映画が作れるのかと感心してしまった。その発想の豊かさには脱帽である。

 物語のミソとなるのは、クリティ・サノン演じるヒロイン、アーンニャーが、温かい家族に憧れを持っており、ちゃんとした両親のいる男性との結婚を希望していたことであった。アーンニャーに恋してしまった主人公ドルヴは、孤児だったために家族がいなかった。そこで、偽の両親をこしらえようと奔走するのである。

 インド映画では、嘘を付いたり騙したりして何か目的を成し遂げようとするストーリーがとても多い。だが、その嘘は必ず途中で相手にばれることになり、物語の転機となる。「Hum Do Hamare Do」も完全にそのパターンに乗っかっていた。

 嘘の扱いにも複数のパターンがあるのだが、この映画では、誠意ある嘘は認めるべきとの結論に達していた。ドルヴは確かにアーンニャーに家族のことに関して嘘を付き、結婚までその嘘を明かそうとしなかった。だが、結婚後も温かい家族に囲まれていたいというアーンニャーの希望を、孤児として生まれたドルヴが普通には叶えてあげられるはずがなかった。そこで彼は両親を作り出した。それを詐欺と取るか、愛と取るかは人それぞれであるが、「Hum Do Hamare Do」のラストでは、代替の結婚相手サンケートとの価値観の比較から、ドルヴの行動はアーンニャーに対する愛情であるとされていた。

 ドルヴとアーンニャーの恋愛が映画のメインテーマであるが、それと平行して感動的だったのは、ドルヴの両親を演じたプルショーッタムとディープティーの恋愛である。この二人はかつて若い頃に駆け落ち結婚をしようとしたが、プルショーッタムが勇気を奮い起こせず、結婚は成就しなかった。ディープティーは別の男性と結婚し、プルショーッタムは後悔しながら生きて来た。そんな二人だったため、ドルヴの一途な恋愛を応援し、同時に彼の両親を演じることで、もしかしたらあり得た現在を噛み締めることになった。

 主演二人の演技も良かったのだが、「Hum Do Hamare Do」の最大の功労者は、プルショーッタムを演じたパレーシュ・ラーワルだ。彼がよく演じる役柄ではあるのだが、余計な言動によって無用なトラブルを巻き起こす人物で、ドルヴとアーンニャーの結婚を破談にしかけてしまう。その一挙手一投足が面白おかしくて爆笑せずにはいられない。相手役のラトナー・パータク・シャーも、奥ゆかしい中に芯のある女性を巧みに演じていた。

 元々デリーに住んでいたアーンニャーの両親は映画館の火災で亡くなっている。デリーにおいて映画館の火災と言えば、1997年のウプハール・シネマ火災事故が思い起こされる。ただ、年齢を計算するとマッチしないので、必ずしもウプハール・シネマのことを指しているわけではないだろう。ちなみに、ウプハール・シネマの火災事故は「Sixteen」(2013年)でも引用されていた。

 「Hum Do Hamare Do」は、両親を作り出そうとする孤児の物語で、笑いと涙がちょうどバランスよく配置された、上質の娯楽映画となっている。家族愛を前面に押し出した作品で、家族のお祭りであるディーワーリー週の公開にピッタリだ。万人にお勧めできる作品である。