Joker

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 ヒンディー語映画界のスーパースター、シャールク・カーンは、コレオグラファーから映画監督に転身したファラー・カーンと共に「Main Hoon Na」(2004年)と「Om Shanti Om」(2007年)の2本を世に送り出し、どちらも大ヒットとなった。シャールク・カーンとファラー・カーンのゴールデンコンビは、今後も数々のヒット作を送り出してくれるだろうと期待されていたのだが、「Om Shanti Om」公開後にこの二人の不仲が報道されるようになり、とうとうファラー・カーンは監督第3作目の主演をアクシャイ・クマールに据え、「Tees Maar Khan」(2010年)を作った。だが、この映画は大コケしてしまった。

 どうやらシャールク・カーンとファラー・カーンの不仲の原因となったのは、ファラー・カーンの8歳年下の夫シリーシュ・クンダルの存在であった。シリーシュ・クンダルはフロップ作「Jaan-e-Mann」(2006年)の映画監督として知られている。シャールク・カーンが、シリーシュ・クンダルの映画に出演することを拒んだために、ファラー・カーンとの戦いが勃発してしまったとされている。後に仲直りしたと報道されているのだが、どうもまだシコリが残っている感じだ。

 このシリーシュ・クンダル、映画監督としてはどうもあまり才能がない人物のようである。シャールク・カーンが出演を断ったのも、どうやらそれが一番の理由のようで、プロとしては真っ当な判断だと言える。ファラー・カーンの方が圧倒的に才能もあるし業績もある。だが、彼女は妻として、健気に夫の肩を持っている。それが最近、彼女の才能やネットワークを束縛しているように思えてならない。シリーシュ・クンダルの新作「Joker」が今日(2012年8月31日)から公開されたが、公開前からその出来には疑問の声が上がっていた。主演は「Tees Maar Khan」と同様にアクシャイ・クマール、ヒロインはソーナークシー・スィナー。二人とも最近当たっている俳優である。シリーシュ・クンダルは汚名返上なるだろうか?

監督:シリーシュ・クンダル
制作:ロニー・スクリューワーラー、ファラー・カーン
音楽:GVプラカーシュ・クマール、ガウラヴ・ダーガーオンカル
歌詞:シリーシュ・クンダル
出演:アクシャイ・クマール、ソーナークシー・スィナー、シュレーヤス・タルパデー、ミニーシャー・ラーンバー、アスラーニー、サンジャイ・ミシュラー、ダルシャン・ジャリーワーラー、アレックス・オニール、チトラーンガダー・スィン(特別出演)、ファラー・カーン(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 パグラープルは、ウッタル・プラデーシュ州とマディヤ・プラデーシュ州とラージャスターン州の狭間に位置する村だった。まだインドが英国の植民地だった1946年、英国人高官が視察に訪れたのだが、この村にあった精神病院から精神病患者が大脱走し、大混乱となっていたため、視察が完了しなかった。そのためにパグラープルは地図に載ることはなく、どの州にも組み込まれなかった。

 所と時代が変わって現代の米国。アガスティヤ(アクシャイ・クマール)は宇宙人との交信を試みる科学者であった。だが、2年間何の手掛かりも得られず、資金提供をした企業から叱責を受けた。何とか1ヶ月だけ猶予をもらえたが、その短期間で成果が出せるか疑問であった。同時に、彼の父親が危篤だという連絡が彼の弟からあった。アガスティヤと同棲する恋人のディーヴァー(ソーナークシー・スィナー)は、彼と共にインドに行くことになる。

 アガスティヤはパグラープルの出身だった。アガスティヤはディーヴァーに村のこと、父のこと、弟のことなど全く話したことがなかった。だが、ディーヴァーは村について納得する。パグラープルの村人たちは皆どこかおかしいのである。アガスティヤの弟バッバン(シュレーヤス・タルパデー)は得体の知れない言葉をしゃべるし、教師(アスラーニー)は未だに第2次世界大戦が終わっていないと勘違いしているし、ラージャージー(サンジャイ・ミシュラー)は自分のことを王様だと思って生きている。アガスティヤの父親(ダルシャン・ジャリーワーラー)はパグラープルの村長であったが、病気というのは嘘で、単にアガスティヤを村に呼び戻すための言い訳に過ぎなかった。

 アガスティヤは、スポンサー企業から与えられた1ヶ月という貴重な時間を、父親や弟の嘘のために無駄にしてしまったために激怒し、夜中にディーヴァーを連れて村を出ようとする。だが、結局彼らを許し、村人たちの悩みを聞くことにする。

 パグラープルが直面していた大きな問題は近くに出来たダムであった。このダムのためにパグラープルの近くを流れる川が干上がってしまい、農業が出来ずにいた。アガスティヤはウッタル・プラデーシュ州、マディヤ・プラデーシュ州、ラージャスターン州の州首相に順に直談判するが、誰もパグラープルは自州にはないと言って責任逃れをする。そこでアガスティヤは別の手段を考えなくてはならなくなる。

 ふと彼はテレビで、ミステリーサークルのニュースを目にする。ひらめいたアガスティヤはパグラープルにもミステリーサークルを偽造し、それを無線で流す。たちまちの内にパグラープルに世界中からメディアが集まって来た。その中にはレポーターのニミシャー(ミニーシャー・ラーンバー)もいた。そのおかげでパグラープルは一気に潤う。ところが、米国でアガスティヤのライバルだったサイモン(アレックス・オニール)も来てしまう。サイモンは、ミステリーサークルが偽物だと言いふらす。パグラープルに集まったメディアは一気に帰途に就く。

 今度はアガスティヤは村人に宇宙人の変装をさせて登場させる。またもメディアがパグラープルに殺到する。地球への侵略者かもしれないということで、今度は軍隊までやって来る。サイモンは必死でその正体を暴こうとするが、アガスティヤは彼を拉致して閉じ込める。米国人が宇宙人に拉致されたことで、FBIまで出動して来て大事になる。

 世界中の注目を浴びたことで、パグラープルには3州の州首相が同時にやって来て、是非パグラープルを自分の州に組み込もうとする。アガスティヤは、村のために一番貢献した州政府の州に入ると宣言する。おかげで今まで電気もなかったパグラープルに電気と水道が来る。

 そろそろ潮時と見たアガスティヤは、サイモンを解放し、宇宙人の帰還を演出する。しかしサイモンの妨害によって宇宙人が村人であることがばれてしまう。アガスティヤは首謀者として逮捕される。バッバンは、アガスティヤが米国から持参した交信器を使って宇宙人に助けを求める。すると、本物の宇宙人が空飛ぶ円盤に乗ってやって来る。なんとバッバンがしゃべる意味不明の言葉を宇宙人もしゃべっていた。意思疎通が成り立ち、バッバンと宇宙人は親友となる。宇宙人が宇宙へ帰って行くが、お土産を置いて行く。そのお土産とは石油であった。昔からパグラープルには石油が産出すると言われていた。だが、誰も見つけられずにいた。今、パグラープルからは石油が噴出した。それに目の色を変えた3州の州首相は我先にとパグラープルを自州に組み込もうとするが、アガスティヤはそれらを全てはねのけ、どの州にも入らないと宣言する。

 もし国際ゲテモノ映画祭なるものがあったら、今年のインド代表はこの作品で決まりだろう。シリーシュ・クンダルというのは本当にどうしようもない映画監督であることが今はっきりした。「Joker」は本当にどうしようもない映画である。素人が作ったとしか思えない。狂人だらけの村を舞台にした映画だが、こっちまで狂人になりそうだった。

 舞台となったパグラープルとは「狂人の町」という意味で、1946年に精神病院から脱走した精神病患者たちが作った村である。題名の「Joker」とは、インドの地図から排除され、どの州にも属さないパグラープルの状態を示している。トランプの中でジョーカーはどの色にも属していないからである。しかし、ミステリーサークルが出現し、宇宙人が発見されたことで、パグラープルは正にトランプゲームを制するジョーカーのような立場となる。題名の付け方は面白いと思う。

 だが、ストーリーは滅茶苦茶だ。そもそもパグラープルの村人たちが主人公アガスティヤを米国から呼び戻したのは、近くに出来たダムの問題を解決するためだった。しかし、ダムの問題はすぐに忘れ去られてしまい、エンディングまでそのことに触れられることはない。アガスティヤは宇宙人との交信を試みる科学者であるが、この設定は「Koi… Mil Gaya」(2003年)と全く同じで、今頃なぜ二番煎じをしているのか疑問である。しかも最後には宇宙人が本当に現れるが、CG丸出しの陳腐なスタイルの宇宙人で失笑。パグラープルのセットも非常にチャチで、美的センスが全く感じられなかった。また、辺鄙な村に突如メディアが集まる様子は、「Peepli Live」(2010年)の真似としか考えられない。「Koi… Mil Gaya」と「Peepli Live」の劣化コピーのような映画であった。

 僕がこの映画で一番不快に感じたことは、村の「発展」の幼稚な定義づけである。ミステリーサークルが出現し、宇宙人が目撃されたことで、3州がパグラープルの領有権を主張し、競って村のインフラ投資を行う。電気がなかった村に電気が通るのはいい。水道がなかった村に水道が通るのもいい。だが、マクドナルドやコカコーラの看板を村中に設置して「発展」と名付けるのはいかがなものだろうか?多国籍企業の進出をもって「発展」としてしまっていいのだろうか?自給自足の生活を送って来た村を、一夜の内に都会のようにネオン輝く場所とすることで、「発展」させたことになるのだろうか?インドには確かにまだ電気の通っていない村がたくさんある。だが、このような状態を「発展」と名付けて映像化して見せ付けるのは、非常にグロテスクな行為だ。

 しかし、おそらくファラー・カーンが振り付けを担当したのだろう、ダンスシーンは非常に豪華であった。特にチトラーンガダー・スィンがアイテムガール出演する「Kaafirana」は前半のハイライトだ。この映画を完全なる失敗作に陥ることから唯一救っていたのは、間違いなくダンスシーンである。

 アクシャイ・クマールは最近「Housefull 2」(2012年)や「Rowdy Rathore」(2012年)など順調にヒット作を飛ばしており、かつての勢いを取り戻しつつある。だが、この「Joker」で再びダウンだ。彼自体の演技は悪くなかったが、このような失敗作に出演したことは、後々まで彼のキャリアの傷となるだろう。

 一方、ソーナークシー・スィナーは光っていた。劇中、そこまで重要な役割を果たす訳でもないのだが、肉厚感ある彼女の存在感は映画に花を添えていた。細身の女優が多い中で、彼女だけは異様にポッチャリしており、健康的な女性を好むインド人ファンの支持を受けている。「Dabangg」(2010年)、「Rowdy Rathore」とヒット作に恵まれており、スターとしてのオーラも出て来た。彼女にとっては、この映画への出演はマイナスにならないはずである。サブヒロインのミニーシャー・ラーンバーが細身であるため、より彼女の肉厚感が目立った。ミニーシャーはさらに目立たない役だった。

 他にシュレーヤス・タルパデー、ダルシャン・ジャリーワーラー、サンジャイ・ミシュラー、アスラーニーなどがパグラープルの狂った村人として出演している。彼らのぶっ飛んだ演技のおかげで、ハチャメチャなストーリーの中でも笑いはしっかりとあった。チトラーンガダー・スィンのダンスも良かった。

 音楽は主にGVプラカーシュ・クマール。彼はARレヘマーンの甥にあたる。ARレヘマーンはヒンドゥー教からイスラーム教に改宗したが、彼はヒンドゥー教徒のままのようである。レヘマーンほどの才能はないと思うが、ヒット曲を作れるだけの才能はあるだろう。ただ、「Joker」の中で一番ヒットしている「Kafirana」はガウラヴ・ダーガーオンカルの作曲である。

 「Joker」は、前に向かって進もうとしていたヒンディー語映画を後ろから膝カックンして転ばせるような、奇襲的駄作である。子供向け映画と割り切るならそれでもいいが、子供でもそんなに楽しめないのではないかと思う。シリーシュ・クンダルは監督業から足を洗うべきである。そしてファラー・カーンにもっと自由に映画を作らせるべきである。ゲテモノがどれだけゲテモノなのか確認したいという奇特な人以外は「Joker」は観ない方がいいだろう。