テストが終わって夏期休暇が始まり、鳥かごから解き放たれた鳥のように自由になって、直行した場所はもちろん映画館。2004年4月30日に公開され、現在大ヒット中の新作ヒンディー語映画「Main Hoon Na」を見たくてテスト中はかなりうずうずしていた。チケットは予約完売するほどの売れ行きで、それを見越して予め予約をしておいたため、めでたく今日観ることができた。PVRプリヤーで鑑賞した。
「Main Hoon Na」とは「僕がいるよ」という意味。監督は、ヒンディー語映画のミュージカルに革新を起こした女流コレオグラファー(振付師)、ファラー・カーン。監督第1作で、脚本と振り付けも担当している。音楽監督はアヌ・マリク。キャストは、シャールク・カーン、スシュミター・セーン、スニール・シェッティー、ナスィールッディーン・シャー、カビール・ベーディー、ザイド・カーン、アムリター・ラーオ、ボーマン・イーラーニー、キラン・ケール、サティーシュ・シャー、ビンドゥー、ムラリー・シャルマーなどである。
結論から先に言うと、今年上半期最大のヒット作と言っても過言ではないほど面白い。以下、かなり詳細なあらすじを結末まで書くが、もし映画を一から楽しみたかったら読まない方が賢明である。
インド軍のアマルジート・バクシー将軍(カビール・ベーディー)は、パーキスターンとの関係改善を図るミッション・ミラープを発案し、国会の承認も得ることができた。ミッション・ミラープとは、印パが分離独立した8月15日に、パーキスターン人の捕虜を国境で解放するというものだった。ところが彼のプロジェクト・ミラープに反対していたのが、元軍人のラーガヴァン(スニール・シェッティー)だった。ラーガヴァンは息子をパーキスターン人に殺されたことから、パーキスターンに異常な敵意を燃やしており、軍隊を解雇された後はテロリストとなって印パの関係改善を妨害することに命を燃やしてきた。ラーガヴァンはTV局でインタビューに答えていたアマルジート将軍を襲撃するが、将軍を身を張って助けたのは、コマンドー部隊隊長で彼の親友でもあったシェーカル・シャルマー(ナスィールッディーン・シャー)准将だった。同じ部隊に所属していたシェーカルの息子のラーム・プラサード・シャルマー少佐(シャールク・カーン)は逃げるラーガヴァンを追いかけるが、父親が重傷であったため、深追いすることができなかった。父親は死ぬ間際にラームに、今まで隠してきた真実を語る。ラームは実はシェーカルの愛人の息子だったのだが、彼女が死んでしまったため、シェーカルが引き取ったのだった。しかしそれが原因でシェーカルの妻マドゥ(キラン・ケール)は息子のラクシュマンを連れて家を出てしまい、それから20年間ずっと別居生活をしていた。シェーカルは遺言としてラームに、もう一度家族をひとつに戻すよう言い残して息を引き取った。 一方、ラーガヴァンはアマルジート将軍のミッション・ミラープを止めさせるため、娘のサンジャナー(アムリター・ラーオ)を狙っていた。それを知ったアマルジート将軍は、ラームにサンジャナーの護衛を頼む。しかし彼女には問題があった。アマルジート将軍は自分のような軍人になるべき息子を望んでいたのだが、生まれてきたのが娘だったため、サンジャナーに愛情を注ぐことができなかった。それが原因でサンジャナーは父親嫌い、軍人嫌いの性格になってしまい、家を出てダージリンの大学で寮生活をしていた。アマルジート将軍はラームに、学生になりすましてサンジャナーに近づき、彼女を護衛するように命令する。父親の遺言を優先させたかったラームは最初辞退するが、アマルジートは彼に有力な情報を与える。マドゥとラクシュマンも現在ダージリンに住んでいるとのことだった。ダージリンに行けば、ミッション・ミラープの遂行と父親の遺言の遂行を同時に行えることを理解したラームは、二つ返事でその任務を受ける。未だ見ぬ弟の姿を思い浮かべながら・・・。 ダージリンに到着したラームは、早速学生っぽい格好をして大学を訪れるが、そこは軍隊生活を送ってきたラームにとって全くの別世界だった。ラームは「おじさん」と呼ばれ、時代遅れのファッションをからかわれ、3年間留年し続けている大学の人気者ラッキー(ザイド・カーン)と小競り合いを繰り広げ、学長(ボーマン・イーラーニー)のぶっ飛んだキャラクターに翻弄され、最初は全く溶け込めなかった。サンジャナーにも迷惑がられた。ラームは早速ラクシュマンを探すが、簡単には見つからなかった。そこで大学のコンピューターをハッキングして学生名簿を閲覧したところ、ラクシュマンは実はラッキーだったことが判明した。一方、ラッキーはつまらぬ揉め事に巻き込まれて、屋根から滑り落ちそうになっていた。全校生徒が見守る中、ラームはラッキーを助け出す。この事件をきっかけにラームとラッキーは親友になり、ラッキーを密かに恋していたサンジャナーもラームに心を開くようになる。だがラームは自分の素性は明かさなかった。 ラームはラッキーの家にペイングゲストとして住むようになる。ラッキーの母親(つまりラームの義理の母親)のマドゥもラームを歓迎する。だが、既にラーガヴァンはダージリンに到着しており、着々とミッション・ミラープ妨害作戦を進行させていた。ラーガヴァンは部下のカーン(ムラリー・シャルマー)にサンジャナーの友人の暗殺を命令するが、ラームの活躍によって阻止され、カーンは捕らえられてしまう。ラーガヴァンはラームがダージリンにいることを知り、自ら作戦実行に乗り出す。一方、ラームは化学の教師チャーンドニー(スシュミター・セーン)に恋する。サンジャナーは、父親が息子を欲しがっていたことに影響され、ボーイッシュな服を好んで着ていたのだが、ラッキーが自分を女として扱ってくれないことに失望し、落ち込む。ラームはチャーンドニー先生に指南を依頼し、おかげでサンジャナーは女の子らしい女の子に変身する。するとラッキーのサンジャナーを見る目はコロリと変わるのだった。また、サンジャナーはラームの勧めで父親に電話をし、和解をするのだった。 ラーム、ラッキー、サンジャナーらのクラスの物理は今までラサーイー(サティーシュ・シャー)先生が担当していたのだが、ある日突然ラサーイー先生は辞表を出し、新しい先生がやって来た。それがラーガヴ先生(=ラーガヴァン:スニール・シェッティー)だった。ラーガヴ先生はプロムパーティーでうまくラームとチャーンドニーを外に出し、サンジャナーを車に乗せて連れ去ろうとするが、そのときラームが戻ってきたため、ラーガヴ先生は何もすることができなかった。ちょうどその日、アマルジート将軍はダージリンに到着しており、娘と再会を果たす。ミッション・ミラープもうまくいき、パーキスターン側も同日にインド人捕虜の解放することを発表した。 ラーガヴ先生はラームとラッキーがシェーカル准将の息子であることを突き止め、そのことをマドゥとラッキーに伝えてしまう。マドゥとラッキーはシェーカルとその息子のことを毛嫌いしていたため、その事実を知って愕然とする。ラームはラッキーの家を追い出され、大学も去ることになった。 ところがラームが大学を去った後、ラーガヴァンは遂に作戦を実行に移し、大学の生徒を人質にとってミッション・ミラープの中止を求めた。ラームは引き返し、ラーガヴァンの隙を狙って生徒たちを逃がす。後に残ったラームとラーガヴァンは決闘を繰り広げ、最後にラームは勝利を収める。また、ミッション・ミラープも成功裡に終わり、印パは関係改善のための小さな、しかし偉大なる一歩を踏み出したのだった。
まさにこれぞインド映画!古今東西の映画の要素がたっぷり詰め込まれたマサーラームービー!笑い、涙、恋愛、アクション、カーチェイス、兄弟愛、家族愛、青春、音楽、踊り、パロディー、愛国心などなどの要素の他、インドとパーキスターンの関係改善やテロの本質についても提言がなされており、よくぞここまでいろんなものをひとつにまとめたな、と感心してしまった。軍隊のプロモーション映画のようにも思える。女流監督ということで、もっと女性的視点から繊細な映画を作るのかと思っていたが、蓋を開けてみたら他の男性商業映画監督に負けないほどの典型的なインド娯楽映画だった。おそらく女性監督でここまで商業的映画を作る人は珍しいのではないかと思う。
はっきり言ってストーリーにあまりオリジナリティーはない。「失われた家族の絆をひとつに」というテーマや、自分の血縁者の家に正体を明かさずホームステイするシーンは、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2002年)そのままだし、ボーイッシュな女の子が乙女に変身、というプロットは「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)を想起させる。シャールク・カーンが大学にやってきて恋のキューピッド役を務めるのは「Mohabbatein」(2000年)そのままだし、愛人の子供が家庭崩壊の原因となる筋は「Kal Ho Naa Ho」(2003年)でもあった。また、「マトリックス」シリーズや「ミッション・インポッシブル」シリーズなどのパロディーもいくつかあった。とは言え、ファラー・カーン監督はこれら使い古されたネタの数々を新鮮な調理法で仕上げることに成功している。
特に印象的だったシーンは3つあった。1つは中盤のカーチェイスシーン。ラーガヴァンの部下カーンらが自動車で逃走するのを、ラーム(シャールク・カーン)がなんとサイクルリクシャーで追いかけるのだ。ダージリンの坂道を下っていくので、サイクルリクシャーでも自動車並みの速度は出ると考えられ、それほど非現実的ではない(ただ、ダージリンにはサイクルリクシャーはなかったと記憶しているが)。途中、インドならではの障害物がいくつかラームの前に立ちはだかるが、それらを超人的なフットワークでかわし、遂にカーンを仕留める。2つめは、ラームがラーガヴァンの人質になったラッキー、サンジャナーやその他の学生たちを救出しに行くシーン。ラームは心配するマドゥに対し「必ずあなたの息子を助け出します」と約束する。このときマドゥは既にラームがシェーカルの息子、つまり別居の元凶となった存在であることを知っており、怒ってラームを一度は追い出していたのだが、しかし彼女はラームに言う。「私には両方の息子の命が必要です。」このとき初めてラームは、義理の母親に、息子と認めてもらえたのだった。3つめはミッション・ミラープが成功し、印パの捕虜交換がなされたシーン。場所はどうもラージャスターン州だった。パーキスターンから解放された捕虜たちが、自分の家族と再会して涙を流すのだが、その中には、インドの砂を額に塗ったり、地面に頭をつけて喜んでいるラージャスターニーのお爺さんの姿があった。母なるインドの大地に再会の喜びを表現しているのだろう、何だかいかにもインドっぽかった。
シャールク・カーンはアクションに、踊りに、ロマンスに、八面六臂の大活躍だった。シャールクの演技力を疑う余地はないが、しかし彼のキャラクターの内部矛盾は皮肉にもこの映画の最大の欠点になっていた。軍人としての行動、慣れない大学への戸惑い、家族との感動の再会、ラッキーやサンジャナーへの温かい眼差しなどは、ラームのキャラクターを非常によく表していたが、スシュミター・セーン演じるチャーンドニー先生の前での彼は、全く別のキャラクターになってしまっていた。これはちょっと誤ったスパイスを入れてしまったように思えた。
ザイド・カーンは「Chura Liyaa Hai Tumne」(2003年)でデビューした若手男優。彼はリティク・ローシャンの妻スザンヌ・カーンの兄弟であるため、つまりリティクと義理の兄弟ということになる。インド人離れした細面でチャラチャラした外見なのだが、今回はまさにそういう役柄だったので、ピッタリはまった。ヒロインのアムリター・ラーオはそこら辺にいるインド人の女の子と大差ないのだが、間違いなくこの映画のヒットで今後キャリアアップするだろう。スシュミター・セーンは色っぽい女教師役を演じたが、何だか彼女はサーリーが似合ってないように思える。ちなみにインドの女性教師は必ずサーリーを着用している。アムリターとスシュミターが並ぶと、身長差があり過ぎてまるで大人と子供みたいだ。スニール・シェッティーは「Rudraksh」(2004年)に引き続きマッドな悪役を演じていた。テロリストが物理の教師になって大学にやって来るという設定には無理を感じたが、悪役としての憎々しい演技は素晴らしかった。
学長役を演じたボーマン・イーラーニーは、「Everybody Says I’m Fine!」(2002年)でデビューした遅咲きのコメディアン。「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)の1本で、彼は現在のインド映画界で最もホットなコメディアンとして注目を浴びるようになった。元々写真家や舞台俳優をしていたようだ。僕も当然のことながら彼に注目している。この映画でも暴走気味の演技で爆笑を誘っていた。この強引な笑いはジョニー・リーヴァル以来ではないだろうか?
カビール・ベーディー、ナスィールッディーン・シャーなどのベテラン俳優も出番は少ないながら存在感のある演技をしていた。ラッキーの母親マドゥ役のキラン・ケールは、「Devdas」(2002年)でパーローの母親役を演じた女優。シャールク演じるラームがマドゥと初めて会うシーンを見ると、ついつい「Devdas」でのデーヴダースの印象的なセリフ、「カーキー・マー、パーロー・ハェ?(叔母さん、パーローはいる?)」が頭をよぎってしまう。
音楽監督はアヌ・マリク。「Main Hoon Na」のCDは、飛びぬけて明るいアップテンポの曲が多く、好みが分かれると思うが、客観的に見たら買って損はしないだろう。テーマソングの「Main Hoon Na」は秀逸。コレオグラファーが監督を務めただけあって、ミュージカルシーンはどれも絶品。特に一番最初のミュージカル「Chale Jaise Hawaien」は、おそらくインド映画史上に残る傑作ミュージカルかもしれない。なにがすごいかというと、ロングテイク(長回し)でミュージカルが撮影されていたことである。つまり、ワンカットで数分間撮影されているのだ。厳密に数えたわけではないが、曲の間奏部にあたるラッキーの登場シーンを除けば、前半と後半の2カットだけでミュージカルが撮られていたと記憶している。多くのダンサーが複雑に入り乱れて踊る立体的な群舞シーンであり、この振り付けを行うのは相当難しいことが想像に難くない上に、編集でごまかしが効かないため、俳優やダンサーの踊りの技能も必要になる。この曲で踊っていた俳優はザイド・カーンとアムリター・ラーオだったが、二人とも踊りはド下手ではないので、この類稀なロングテイク・ミュージカルの撮影に成功したのだろう。「シカゴ」(2002年)程度の平面的で無味乾燥なミュージカルしか作る才能が残されていないハリウッド映画では、綿々とミュージカル映画の伝統を受け継いできたインド映画ミュージカルの結晶「Chale Jaise Hawaien」のような傑作ミュージカルを作ることは不可能と思われる。この1曲だけで僕はファラー・カーン監督は賞賛に値すると思う。ちなみにファラー・カーンは、「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年/邦題:シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦)、「Dil To Pagal Hai」(1997年)、「Dil Se..」(1998年/邦題:ディル・セ 心から)、「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)、「Kaho Naa… Pyaar Hai」(2000年)、「Dil Chahta Hai」(2001年)、「Asoka」(2001年)、「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2002年)、「Koi… Mil Gaya」(2003年)、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)など、ここ10年間のヒット作のダンスの数々を振り付けしてきた、インドで最も才能のあるコレオグラファーの1人である。
ダージリンが舞台だけあって、美しいヒマーラヤ山脈が度々背景に映し出されていてよかった。ロケが行われていた学校は、ダージリンを旅行したときに見たような気がする。ダージリン名物のトイトレインもちゃんと登場していた。
気になったのは、後半途中でタブーらしき人影が一瞬だけ見られたこと。特別出演にしては不自然な映り方で、まるで亡霊のようだった。インド人観客も「タブーだ!」と反応していたので、タブーに間違いないと思うのだが・・・全く脈絡のない登場の仕方だった。この映画の大きな謎だ。パーキスターンのパルヴェーズ・ムシャッラフ大統領のそっくりさんにも注目(そこまでそっくりではないが・・・)。
そういえば、映画中、ザイド・カーン演じるラクシュマンが、自分の古臭い名前を嫌がって本名を明かさず、「ラッキー」と名乗っているという筋があるが、実は僕の友人にも同じような人がいた。彼の本名ラクシュマンというのだが、スニールと名乗っていた。どうも最近のインド人の若者にとって、神様の名前と同じ名前というのは相当ださいようだ。ちなみにラクシュマンとは、「ラーマーヤナ」に登場するラーム王子の弟の名前である。また、悪役のラーガヴァンという名前も、実はラームの別名である。ラーム王子はラグ家の家系と言われており、ラーガヴァンとは「ラグ家の者」という意味である。物語のクライマックスで、ラーガヴァンがラームに「お前のラーマーヤナは終わりだ」と言うと、ラームはラーガヴァンに「自分のラーマーヤナのことを忘れてないか?ラーマーヤナはいつも、ラームの死で終わるんだ」と答える。この映画は、善のラームと悪のラーム(ラーガヴァン)の戦いと取ることも可能である。
芸術映画しか興味のない人にとっては「Main Hoon Na」は非現実的で馬鹿馬鹿しい全くの駄作だろうが、娯楽映画を楽しむ度量を持っている人なら、この映画はかなりオススメである。2004年の最重要ヒンディー語映画のひとつになることは確実。「Main Hoon Na(僕がいるよ)」というセリフも今年の流行語になりそうだ。