Rudraksh

1.5
Rudraksh
「Rudraksh」

 1ヶ月ほど前から、気になる映画の予告編が流れていた。まるで「マトリックス」シリーズのような、「ロード・オブ・ザ・リングス」シリーズのような、「ハリー・ポッター」シリーズのような、おかしなインド映画の予告編だった。下らないが面白そうな映画だった。映画の名前は「Rudraksh」。本日(2004年2月13日)から封切られたので、ラージパトナガルの3C’sに観に行った。

 「Rudraksh」とは「シヴァの眼」という意味で、インドジュズノキとかジュズボダイジュと呼ばれる樹やその実の名前である。よくヒンドゥー教徒や仏教徒が菩提樹の実を数珠にして身に付けているが、あれは実際は菩提樹の実ではなく、ルドラークシュの実である。菩提樹(インドボダイジュ)の実からは数珠は作れないそうだ。

 「Rudraksh」のキャストは、サンジャイ・ダット、スニール・シェッティー、ビパーシャー・バス、イーシャー・コッピカル。監督は「16 December」(2002年)のマニ・シャンカル。

 何千年も昔、ラーム王子によってランカー島の羅刹王ラーヴァンは退治された。そのラーヴァンの王宮の遺跡が1990年にスリランカで発見され、発掘が進められていた。発掘作業の労働者を連れて遺跡を訪れていたブリヤー(スニール・シェッティー)は、ラーヴァンがシヴァから受け取った無敵のルドラークシュを手に入れる。ブリヤーは悪の力に心を占領され、次第に超人的な力を発揮するようになる。その後、ブリヤーは恋人のラーリー(イーシャー・コーッピカル)と共に姿を消す。

 世界中を暴力が覆うようになった2004年。米国在住のインド人科学者ガーヤトリー(ビパーシャー・バス)は、仲間と共に超能力の研究に没頭していた。ほとんどの超能力者は偽物だったが、たった一人、ヴァルン(サンジャイ・ダット)の超能力だけは本物だった。彼は患者の病気を治したり、心眼を発揮したりしていた。ヴァルンはガーヤトリーの研究に協力するが、その内邪悪な力が自分とガーヤトリーを狙っていることに気付く。ある精神異常者が発する不気味なマントラの謎を解くために、ヴァルンとガーヤトリーはヒマーラヤの奥地に住むヴァルンの父親を訪ねる。そのマントラは、聞いた者を野蛮な羅刹に変えるものだった。そこへ何者かの襲撃を受け、ヴァルンの父親は殺されてしまう。偶然ビデオに映っていた映像には、ブリヤーの姿が映っていた。

 ヴァルンとガーヤトリーはスリランカへ渡り、ラーヴァンの王宮を訪れる。しかしブリヤーの手掛かりは見つからず、かえってガーヤトリーが危険な目に遭った。しかしブリヤーは自らヴァルンに自分の居所を教える。「ムンバイーに来い・・・ヴァルン・・・。」ヴァルンとガーヤトリーは一路ムンバイーへ向かう。

 ムンバイーでは大規模な暴動が発生している最中だった。ラジオやテレビから邪悪なマントラが流れ、人々は暴力の衝動に駆られていた。ヴァルンはガーヤトリーを後に残し、ブリヤーの待つラジオ局へ単身乗り込む。ブリヤーはヴァルンに、仲間になって共に世界を支配しようと説得する。実はルドラークシュはブリヤーを受け入れようとせず、ヴァルンの力を必要としていた。しかしヴァルンはブリヤーの説得を受け容れなかった。ブリヤーに攻撃されたヴァルンは一度瀕死の状態になるが、父親の魂に助けられ、羅刹のマントラを受け容れて自ら羅刹となる。羅刹となったヴァルンはルドラークシュを手にし、最強の力を持つに至る。ブリヤーはヴァルンを攻撃するが、ルドラークシュを手に入れたヴァルンの敵ではなかった。圧倒的パワーをもってヴァルンはブリヤーを退治する。

 予め「下らないが面白そうな映画」だと予想していたが、実際はその予想より5割増しくらいに下らなくて、5割減くらいの面白さの映画だった。しかし突っ込みどころ満載なので、ゲテモノ映画として観るとなかなか楽しめる。

 もはや最近のハリウッド映画になくてはならぬ技術となったCGやワイヤーアクション。「マトリックス」や「ロード・オブ・ザ・リングス」などを観ると、その技術の高さに驚かされる。ただ、それらの特撮技術を使ったハリウッド映画というのは、技術に頼りすぎて中身のない映画が多いので、インド映画よりもつまらない作品が多い。生半可なハリウッド映画よりは、インド映画の方がよっぽどか楽しい。しかしインド映画がハリウッドの真似をして特撮技術を使い出すと、それはZ級ハリウッド映画にも及ばないようなゲテモノ映画となってしまう。この「Rudraksh」がいい例だ。全長2時間半の内の1時間以上でCGが使われていると自慢げに紹介されているが、その質たるやPIA(パーキスターン国際航空)の機内で流れるヘッポコCGに毛が生えた程度(分かる人だけ笑ってください)。最近インドでもハリウッド映画がよく上映されているので、インド人の目も肥えてきており、こんな稚拙な映像では映画の質を貶める効果しか期待できないだろう。まだまだインド映画にCGやワイヤーアクションのノウハウは蓄積されておらず、さらなる精進が必要だ。もっと言えば、僕はインド映画に特撮技術の必要性を感じないので、精進する必要もない。

 スペシャルエフェクトだけでなく、ストーリーや美術もいい加減だった。時間短縮のためかストーリーはぶつぶつと切れるし飛ぶし、突然戦闘シーンになったりするし、全てが解決されずにエンディングを迎えてしまうしで、もう無茶苦茶。映画のセットに至っては、まるで日本のテレビ番組のコント劇レベル。石造の宮殿が次々と崩れ落ちるシーンがあるのだが、いかにも発泡スチロールであった。衣装もダサすぎ。ルドラークシュを得て覚醒したヴァルン(サンジャイ・ダット)の眼が・・・なぜに猫目・・・というか妖怪人間ベム・・・?

 「ラーマーヤナ」をストーリーの下地にしたのは正しい試みだったと思う。インドにはSF映画のネタになりそうなものがゴロゴロしている。今までインド映画が「ラーマーヤナ」をSF映画的に使ってこなかったことが不思議なくらいだ。しかしもっと上手に使ってもらいたかった。確かにラーヴァンの住むランカー島という地名が出てくるが、そのままランカー島をセイロン島にしてしまうには無理がある。スリランカに行ったとき、インド人がスリランカ人に「ラーヴァンの寺院はどこにあるんだ?」と真剣に質問していたのを見たことがあるが、神話と現実をごっちゃにするインド人が多いのは困りものだ。その他、ヨーガやヴェーダなどがSFネタとして使われていた。ラーヴァンの王宮はなぜかカンボジアのアンコール・トムやアンコール・ワットがモデルとなっていた。

 欠点だらけの映画だが、俳優の演技は合格点だった。特にサンジャイ・ダットの演技はなかなか。最近サンジャイの映画をよく見ていたせいか、だんだんサンジャイのことが好きになってきたような気がする。スニール・シェッティーはちとはまり込み過ぎ。ビパーシャー・バスは相変わらずセクシーな衣装、セクシーな演技をさせられるが、可もなく不可もなくの当たり障りのない演技をしていた。イーシャー・コッピカルは・・・頭のねじが一本外れたか?と心配してしまった。

 日本人にとって、この映画でもっとも面白い部分は、サンジャイ・ダット演じるヴァルンが、弟子たちと共に空手の練習をするシーンである。突然サンジャイ・ダットが「ありがとござます~!」と日本語で叫び、「いち!に!いち!に!」と号令をかける。サンジャイ・ダットが日本語をしゃべるというのは、もしかしたらこの映画の最大の見所かもしれない。その他、ヴァルンはサンスクリット語を話すし、スリランカではシンガリー語も話す。

 あまり取り得のない映画だが、音楽とミュージカルシーンは個性があって楽しかった。音楽監督はシャンカル・エヘサーン・ロイ。「Rak Rak Rak」のミュージカルシーンは、CGとインド映画的ミュージカルの華麗なる融合といえる。これも一見の価値はある。一見だけ。


https://www.youtube.com/watch?v=tOYoeTttzWU