
2007年6月29日公開の「Awarapan(放浪)」は、「Murder」(2004年)や「Gangster」(2006年)などの大ヒット作と似た雰囲気の狂恋系の映画である。
プロデューサーはムケーシュ・バット。脚本は兄のマヘーシュ・バット。監督は「Kalyug」(2005年)や「Woh Lamhe…」(2006年)のモーヒト・スーリー。音楽はプリータム。主演は「Murder」や「Gangster」で台頭したイムラーン・ハーシュミー。彼はマヘーシュやムケーシュの甥であり、スーリー監督の又従兄弟に当たる。いわゆる「バット・キャンプ」が勢ぞろいの作品だ。
ヒロインはシュリヤー・サランとムリナーリニー・シャルマー。他に、アーシュトーシュ・ラーナー、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、シャード・ランダーワー、サリール・アーチャーリヤ、プーラブ・コーリー、アトゥル・パルチュレー、レーハーン・カーンなどが出演している。
この映画の公開時期にはインド留学時期と重なっているのだが見逃していた。約20年後に続編の「Awarapan 2」(2026年)が公開されたことをきっかけに前作を鑑賞することになった。「Awarapan」は興行的に失敗したのだが、後にカルト的な人気が出て続編の製作が決定したそうだ。
シヴァム・パンディト(イムラーン・ハーシュミー)は香港を拠点とするインド人人身売買マフィア、バラト・マリク(アーシュトーシュ・ラーナー)の腹心で、彼の経営するホテルのひとつを任され、経営を成功させていた。だが、マリクの実の息子ロニー(サリール・アーチャーリヤ)はシヴァムの台頭を面白く思っていなかった。また、マリクは弟のラジャン(アーシーシュ・ヴィディヤールティー)と対立していたが、ラジャンの息子ムンナー(プーラブ・コーリー)は特にシヴァムを嫌っていた。シヴァムが、彼のホテルで女性を死に追いやったムンナーを警察に引き渡したことでシヴァムとムンナーの敵対関係は決定的になった。
マリクはシヴァムに、ロンドンに2週間滞在している間、愛人リーマー・ザイディー(ムリナーリニー・シャルマー)の監視を命じた。リーマーはパーキスターン人で、マリクが売春宿から水揚げし囲っていた。だが、最近彼女に恋人がいるのではないかと疑っていた。シヴァムはリーマーに、ビラール(レーハーン・カーン)という恋人がいるのを見つけ、マリクに報告する。マリクはシヴァムにリーマー殺害を命じる。リーマーはビラールとラホールに高飛びしようとしていた。シヴァムは二人を止めるが、殺せなかった。
シヴァムはリーマーを見て、かつてインドにいた頃に恋仲にあったアーリヤー・ハミード(シュリヤー・サラン)を思い出していた。アーリヤーの父親は娘がヒンドゥー教徒のシヴァムと結婚することを決して認めなかった。シヴァムは彼に拳銃を渡し命を預けるが、いざ彼が引き金を引くと銃弾を避けてしまい、それはアーリヤーに当たってしまった。アーリヤーは死に、彼女の父親もその場で自殺した。シヴァムはアーリヤーの「か弱い者の命を救うものは全人類を救う」という言葉を何度も思い出しており、リーマーを逃がそうと決意したのだった。
シヴァムの裏切りを知り、急遽ロンドンから香港に戻ったマリクはシヴァムにもう一度チャンスを与えるが、シヴァムはリーマー殺害を再度拒絶する。シヴァムはロニーに生き埋めにされるが自力で抜け出し逃走する。
瀕死のシヴァムは香港郊外の仏教僧院にたどり着く。そこでは、かつて命を助けたスィッダールト・スード(アトゥル・パルチュレー)が僧侶をしていた。スィッダールトはシヴァムの治療をし、彼は回復する。スィッダールトは彼をインドに逃がそうとするが、シヴァムはリーマーとビラールをパーキスターンに逃がすまでは香港を去れないと言う。そこでスィッダールトは二人の逃亡を準備する。
シヴァムはビラールを庇護し、リーマーの行方を探した。一時的にマリク側に寝返っていた親友カビール・ベヘル(シャード・ランダーワー)もシヴァムと合流する。シヴァムは、ムンナーからリーマーが競売に掛けられることを知り、彼を殺して競売会場へ向かう。シヴァムはマリクを殺し、リーマーを助け出して、カビールが時間稼ぎをしている間に逃げ出す。カビールは殺されてしまうが、シヴァムはリーマーを連れてビラールの待つ埠頭までたどり着く。ロニーが追ってくるが、シヴァムは身体を盾にしてリーマーとビラールをボートに乗せて逃がし、自らは銃弾に倒れる。
2000年代のヒンディー語映画に特徴的な時代の空気のようなものを感じる作品だった。それは、2026年に観ることでさらに強調された。せっかくなので、そういう観点で「Awarapan」を評価したい。
まず、主人公シヴァムは、「パンディト」姓からも明らかなように、ヒンドゥー教徒である。どうやら香港に渡る前はラージャスターン州で泥棒や誘拐のような犯罪に手を染めていた小悪党だったようだ。シヴァムはラージャスターン州でアーリヤーというイスラーム教徒女性と恋に落ちる。いわゆる異宗教間恋愛だ。ただ、アーリヤーの父親は二人の仲を認めず、それがアーリヤーの死を招いたため、シヴァムとアーリヤーは結婚できなかった。それでもシヴァムはアーリヤーのことをずっと思い続けていたという設定であった。確かにシヴァムとアーリヤーの異宗教間結婚は描かれなかったが、ヒンドゥー教徒男性とイスラーム教徒女性の恋愛が美しく描かれているのは、伝統的にイスラーム教徒に寛容な政策を採ってきた国民会議派政権の影響が感じられる。
また、シヴァムはヒンドゥー教徒とはいえ、無神論者だった。孤児院で育った天涯孤独の身だったため、自身の不幸を呪い、神様の存在を信じていなかった。だが、信心深いアーリヤーとの出会いを経て彼の心に変化が訪れる。アーリヤーは敬虔なイスラーム教徒であり、彼女の発言の中にはアッラーが度々登場したが、だからといって彼にイスラーム教徒を押しつけていたわけではなかったし、アッラーにすがるように求めていたわけでもなかった。むしろ、どんな神様でもいいから彼が信仰できるものが見つかることを願っていた。面白いのは、瀕死の重傷を負ったシヴァムを助けたのが仏教僧だったことだ。シヴァムが信仰に目覚めたのは僧院だったのである。何かひとつの宗教を排他的に推すのではなく、複数の宗教が共存するのを前提とし、誰がどの道を通っても究極的には神にたどり着けるという多元的一元論が感じられるのは、今から思えば2000年代の作品に大きな特徴だった。
「Awarapan」のメインストーリーでシヴァムが助けることになったリーマーは、イスラーム教徒である上にパーキスターン人の女性であった。これも印パ関係が比較的良好だった2000年代の時代性を表している。「Awarapan」が公開されたのは、ムンバイー同時多発テロが発生した2008年の1年前だったため、なおさらだ。シヴァムは彼女の国籍をほとんど気にしておらず、自身の命を犠牲にしてまで彼女をマリクの束縛から解放しようとした。脚本上、リーマーの国籍をパーキスターンにする必要性はなかったはずだ。彼女がインド人でも十分に成り立つストーリーである。それなのにわざわざ彼女をパーキスターン人にしたのは、やはりパーキスターン人観客を念頭に置いてのものだったのだろう。
マヘーシュ・バットやムケーシュ・バットは昔から印パ親善に尽くしてきた映画メーカーであり、彼らの思想や価値観が「Awarapan」にも如実に現れている。モーディー政権樹立以降に鑑賞すると、それはさらにはっきりと浮かび上がる。
「Awarapan」の内容を解釈する上で、その題名をどう受け止めるかは重要だ。「放浪」という意味ではあるが、主人公シヴァムが放浪者的に生きていたのは回想シーンのみで、現在シーンでは彼はマリクの下で働く不自由な身であった。ただ、彼は故郷を捨てて香港に流れ着いており、「放浪」とはそういう状況を指しているのかもしれない。マリクから追われる身になったシヴァムは、望めばインドに高飛びできたが、リーマーを見捨てて逃げ出すのを潔しとせず、彼女の救出に動く。もしシヴァムが香港を脱出していたら、また「放浪者」になっていたかもしれないが、彼は自ら信じる正義のために香港で死ぬことを決意した。つまり、「放浪」とは反対の「定着」や「定住」の状態である。「Awarapan」は、自らの自由を犠牲にしてひとつの場所に留まることを決意した主人公の物語であった。
物語の主題を「束縛からの解放」とすることで、「Awarapan」の物語は回想シーンから現在シーンまできれいにつながる。アーリヤーはシヴァムに、束縛された者の解放から得られる果報を教える。彼女の言葉に感化されたシヴァムは、拉致したスィッダールトを解放し、マリクに囲われていたリーマーの脱出を助ける。スィッダールトの解放はすぐに因果応報としてシヴァムに返って来て、彼はスィッダールトに命を救われる。では、リーマーの脱出手助けの果報は得られただろうか。答えはイエスだ。シヴァムにとって、リーマーの救出と引き換えに得られた死は、決して罰ではなく、解放だった。シヴァムはずっとアーリヤーの死を引きずっており、贖罪の方法を探していた。マリクよりもその罪悪感が彼を鳥かごに閉じこめていた。シヴァムはリーマーが恋人と共に脱出するのを見届けることで、擬似的にリーマーと共に実現できなかったことを達成し、以来彼を縛っていた「放浪」という重荷から解放され、死ぬことができたのだった。これはスーフィズムの哲学の影響とも受け止められる。
ただ、シヴァムが絶体絶命の危機に陥ってもなかなか死なない場面が続き、それが次第に足を引っ張るようになる。生き埋めにされても地中から這い出てくるし、拳銃を突き付けられてもなぜか助かる。そういう危機一髪の展開が繰り返されることで、徐々に緊張感が薄れていくのを感じた。そういう意味では決して完璧な映画ではない。
主演のイムラーン・ハーシュミーは、影のある主人公をシリアスに演じ、映画を作り上げていた。シュリヤー・サランの出番は回想シーンのみのため限定的で、むしろセカンドヒロイン的なムリナーリニー・シャルマーの方が目立っていた。悪役で怪演していたのはプーラブ・コーリーだ。一触即発のムンナー役をエキセントリックに演じていた。
「Awarapan」は、公開時にはフロップだったものの、音楽は高く評価され長く愛された。中でも人気なのは「Tera Mera Rishta」と「Toh Phir Aao」だ。どちらも狂おしい愛情がよく表現されていてストーリーを盛り上げており、秀逸である。
「Awarapan」は、ギャングが主人公のロマンス映画だが、過去のトラウマと戦い、贖罪のために恋仲にはない女性を命を犠牲にしてまで救うという筋書きがユニークだ。イムラーン・ハーシュミーの熱演も光っているし、音楽も良い。2000年代としては流行に乗った標準的な作品だったかもしれないが、ヒンドゥー教至上主義が支配的になった2020年代に観ると新鮮さがある。再評価されて然るべき作品である。
