Woh Lamhe…

4.5

 今日はPVRプリヤーで、本日(2006年9月29日)より公開の新作ヒンディー語映画「Woh Lamhe」を観た。「Woh Lamhe」とは「あの瞬間」という意味。監督は「Zeher」(2005年)や「Kalyug」(2005年)のモーヒト・スーリー、脚本はマヘーシュ・バット、音楽はプリータム。キャストは、サイニー・アーフージャー、カンガナー・ラーナーウト、シャード・ランダーワー(新人)など。

 サナー・アズィーム(カンガナー・ラーナーウト)はトップ女優で、恋人で同じく男優のニキル(シャード・ランダーワー)と同棲していた。だが、仕事に明け暮れる毎日に不満を感じていた。そんなとき、彼女は売れない映画監督アーディティヤ・ガレーワール(シャイニー・アーフージャー)と出会う。アーディティヤはサナーを「この世で最も醜い女」、「自分の体さえ自分のものでない女」と酷評する。怒ったサナーは公衆の面前でパンツを脱いで投げつけるという醜態をさらす。ニキルも逆上し、家に帰ってサナーをレイプする。サナーは自殺しようと考えたが、思い直し、次の日、アーディティヤのもとを訪れる。

 アーディティヤは、サナーの性格や生い立ちを研究しており、どうしたら彼女が自分の映画のヒロインになってくれるかを熟知していた。サナーは、アーディティヤの映画に出演すると言い出すが、アーディティヤは敢えてそれを断る。彼は、サナーのことを「自分の思うように生きれない奴隷」だとこき下ろし、「飾らず自由な女優」しか自分の映画にはいらないと言う。とうとうサナーはニキルと別れ、全てを断ち切ってアーディティヤの家に駆け込んでくる。アーディティヤは早速サナー主演の映画を撮り始める。

 撮影中、次第にアーディティヤとサナーは惹かれ合い、恋仲となる。アーディティヤの親友サムは彼に忠告するが、彼はサナーの恋に落ちていく。アーディティヤ監督、サナー主演の映画は大ヒットし、サナーの人生もようやく軌道に戻ったかに見えた。ところが、サナーの持病であった統合失調症の症状が出始める。

 サナーはいつの頃からか、ラーニーという幻覚の女性に怯えるようになっていた。ラーニーはいつでもどこでもサナーを追いかけて来ていた。一旦はその症状はよくなったのだが、再発しつつあった。ついに撮影中にサナーは錯乱し、病院に運ばれる。医者はサナーに電気療法を行おうとしていた。アーディティヤの父親はアルコール中毒で、それを治すために電気療法を行ったのだが、そのせいでさらに症状が悪くなったということがあった。そういう過去を持つアーディティヤは、電気療法に反対する。だが、ニキル、サナーの母親、サナーを育ててきた映画監督たちは、手っ取り早く治療するために電気療法を行わせようとする。

 その夜、アーディティヤとサムはスイスへ行く予定だった。だが、父親が死亡したとの知らせを受け取ったアーディティヤはスイス行きを取り止め、病院へ向かう。そしてサナーを連れ出して、ムンバイーからゴアへ逃亡する。アーディティヤは、自分の力でサナーを治そうとする。毎日サナーに薬を飲ませ、必死に看病していたが、サナーは薬を飲んでいなかった。飲むふりをしていたのだった。サナーの症状はよくなっていなかった。とうとうサナーは再び錯乱状態となり、アーディティヤをナイフで刺してしまう。それでもアーディティヤはサナーへの愛を貫くが、サナーはどこかへ逃げてしまい、アーディティヤは駆けつけた警察に誘拐の容疑で逮捕されてしまう。

 ある日、アーディティヤが家に戻ると、サナーが自殺未遂し、入院しているとの知らせを受ける。急いで病院へ駆けつけるアーディティヤ。サナーは彼に最後の言葉をかけ、ひっそりと息を引き取る。

 胸を締め付けられるような切ないラブストーリー。「Gangster」(2006年)と主演二人がかぶっているからか、同映画と同じような雰囲気の映画だと感じた。笑いあり涙あり、歌あり踊りありの一般的なインド映画とは違い、映画全体には悲哀のラサ(情感)が満ち溢れている。そして特筆すべきは、この映画が、脚本を書いたマヘーシュ・バットと、女優パルヴィーン・バービーの実際の恋愛話をベースにしていることだ。マヘーシュ・バット自身も、この映画がパルヴィーン・バービーへのトリビュートであることを認めている。ちなみに、マヘーシュ・バットの弟子ヴィクラム・バットが、自身と女優スシュミター・セーンの恋愛スキャンダルをもとに作った「Ankahee」(2006年)という映画が今年公開されているが、それと比較することもできるだろう。

 パルヴィーン・バービー(本名:パルヴィーン・ワリー・ムハンマド・カーン・バービー)は、グジャラート州ジュナーガル藩王国の名門貴族の血筋を引く女性で、1949年4月4日生まれ。1974年に「Charitrahin」で映画デビューし、その後、「Deewar」(1975年)、「Amar Akhbar Anthony」(1977年)、「Kaala Patthar」(1979年)、「Namak Halaal」(1982年)などに出演して、当時を代表する女優の一人となった。ところが、1983年にニューヨークへ渡り、1988年の「Akarshan」を最後にスクリーンから姿を消す。2002年に彼女はインドに戻って来たが、原形を留めないほど太っており、ファンを驚かせた。1970年代から彼女は統合失調症の兆候が出ており、奇行で有名だったようだが、米国から帰って来てさらにそれはエスカレートし、アミターブ・バッチャンなどの有名人に対し、自分を殺そうとしたなどと裁判を起こしたりして問題を巻き起こした。アミターブ・バッチャン、マヘーシュ・バット、カビール・ベーディー、ダニー・デンゾンパなどと親交があったとされるが、生涯独身を貫く。その最期は非常に寂しいもので、2005年1月22日に自宅で遺体で発見された。状況から自殺と見られており、死亡日は1月20日とされている。

 「Ankahee」でも語られていたが、映画スターのような華やかな職業に就く人間は、時として、周囲の人々を惹き込む強力なカリスマ性を持っていると共に、極度に不安定な精神をも併せ持っているという。「Woh Lamhe」のサナー・アズィームも、高慢かつ自己中心的な性格であると同時に、逆上しやすく、ラーニーという幻の女性に怯える弱い女性として描写されていた。特に、アーディティヤをナイフで刺した後、部屋の隅で縮こまって怯える姿が印象的であった。マヘーシュ・バットの言によると、この部屋の隅に縮こまる光景はパルヴィーン・バービーと関係を持っていた日々に実際にあったことのようだ。アーディティヤはこのとき、サナーに「僕は君に殺されてもかまわない。だけど、僕は君なしには生きていけない」と優しく語り掛けるが、マヘーシュ・バットの方はそのときパルヴィーン・ビービーの目の中に狂気を見て、もう関係は続けられないと直感したという。

 あらすじは時間軸に沿って書いたが、映画の構成は、現在→過去(3年前)→現在となっている。サナーが自殺するところから始まり、3年前のアーディティヤとサナーの出会いに時間が巻き戻され、再び話は現在に戻って来る。この3年前のシーンから現在のシーンに移るところが少し話が飛んでいたように思えた。ゴアでサナーが逃げ、アーディティヤが警察に逮捕され、回想シーンが終わるのだが、その後どうやってサナーが自殺に至り、アーディティヤが釈放されたのか、このゴアとムンバイーのシーンの間の時間差はどれくらいなのか、ということがほとんど説明されていなかった。また、ゴアでサナーの診察をする女性(サローニーという名前だったと思う)が映画中何回か出て来るが、アーディティヤと彼女の関係がいまいち分からなかった。

 主演の二人、サイニー・アーフージャーとカンガナー・ラーナーウトの演技は文句なし、パーフェクト、ファーストクラスであった。間違いなくこの作品で二人とも若手俳優の中で演技派としての地盤を固めたと言っていい。カンガナーが太ももからすねにかけて脚全体を露にするシーンが多いのが少し気になったのだが、これはヒンディー語映画界の美脚クイーンを狙ってのことであろうか?それともモーヒト・スーリー監督のフェチズムであろうか?だが、確かにカンガナーは美しい脚をしている。

 本作がデビュー作となったシャード・ランダーワーは、ネガティヴ・ロールながら新人とは思えない非常にシャープな演技をしていた。このシャード・ランダーワーは、名女優ムムターズやレスラー兼男優ダーラー・スィンの甥にあたる。ハンサムな顔をしているし、きっと次回以降はヒーロー男優として伸びていくことだろう。

 音楽はプリータム。歌は通常のインド映画音楽とは一味違った、インド・ポップス的味付けのものが多い。ケー・ケーが歌う、ウォウォウォ・・・のコーラスが印象的な「Kya Mujhe Pyaar Hai」、「Gangster」で「Bheegi Bheegi」を歌ったバングラデシュのバンド、ジェームスが歌うボブ・ディラン風「Chal Chale」など。映画の雰囲気を壊さない程度の控えめな挿入のしかたで好感が持てた。

 僕はそれほど韓国映画を観ていないので偉そうなことは言えないが、何となく「Gangster」や「Woh Lamhe」の路線の映画は韓国映画っぽい雰囲気を持っているように思える。それは、「Gangster」が韓国ロケであったからそう感じるだけかもしれないが、これまでのインド映画の路線とは一線を画した――敢えて言うならイムラーン・ハーシュミー系と表現しようか――心臓から涙が湧き出るような、ストレートで狂おしい恋愛映画だと言うのは過言ではないだろう。

 「Woh Lamhe」は、インド映画の新たな潮流、悲しみのラスに満ちた映画の一本である。ラストも非常に悲しいが、しかし暗黒が垂れ込めるような悲しみではなく、非常に美しい終わり方だった。「Gangster」のような路線の映画が好きな人にオススメだ。