
2025年5月21日にカンヌ映画祭でプレミア上映され、同年9月26日からインドで劇場一般公開された「Homebound」は、新型コロナウイルス感染拡大によるロックダウンを時代背景にした、宗教的マイノリティーや被差別コミュニティーの若者の悩みを赤裸々に映し出した作品である。カシュミール人ジャーナリスト、バシャーラト・ピールがニューヨーク・タイムスに寄稿した記事「Taking Amrit Home」をベースにした物語で、実話にもとづいた作品とされている。2026年のアカデミー国際長編映画賞インド公式エントリー作品に選ばれた。
監督は「Masaan」(2015年)のニーラジ・ゲーワーン。キャストは、イーシャーン・カッタル、ヴィシャール・ジェートワー、ジャーンヴィー・カプール、ハルシカー・パルマール、シャーリニー・ヴァトサー、チャンダン・K・アーナンドなどが出演している。また、エグゼクティブ・プロデューサーに、「タクシードライバー」(1976年)などで有名なマーティン・スコセッシの名前がある。
主な舞台になっているのは「CP」というナンバープレートの州だが、そのような州は実在せず、架空の州であることが分かる。さまざまな状況からビハール州をイメージしているのではないかと推察される。
ムハンマド・ショエーブ・アリー(イーシャーン・カッタル)とチャンダン・クマール(ヴィシャール・ジェートワー)は同村出身の幼馴染みで、一緒に州警察巡査の試験を受験した。だが、結果がなかなか発表されず、手持ち無沙汰な生活を送っていた。ショエーブの父親は膝を悪くし、手術が必要だった。チャンダンの家の屋根には穴が開いており、ちゃんとした家を建てたいと考えていた。
チャンダンは受験のときにスダー・バールティー(ジャーンヴィー・カプール)という女性と出会い、交流するようになっていた。スダーは大学に通っており、チャンダンに大学進学を勧める。巡査試験の結果を待つ間、チャンダンは大学に通い始める。一方、ショエーブは浄水装置販売会社で働き始め、営業マンとして認められつつあった。
イード祭の日、巡査試験の結果が発表される。チャンダンは合格したが、ショエーブは不合格だった。ショエーブは荒れ狂い、チャンダンとも仲違いしてしまう。チャンダンは体力試験も合格し、後は採用通知を待つのみだった。スダーは大学を卒業してから警察官になることを勧めたが、チャンダンはそれを断る。これがきっかけでチャンダンとスダーの仲も冷えてしまう。だが、通知はなかなかやって来ず、半年から1年は掛かると言われた。チャンダンは警察になるのを諦め、グジャラート州のスーラトにある工場で働き出す。ショエーブも職場で差別に遭い、辞職する。
ショエーブはスーラトまでチャンダンを訪ねてきて、彼と一緒に工場で働き出す。一定の金を稼いだ後、ショエーブは医療ローンを組んで父親の手術を行う。一時はスダーもスーラトを訪れ、チャンダンと再会する。
世間では新型コロナウイルスが話題になるようになっていた。ロックダウンが始まり、ショエーブとチャンダンが働いていた工場も稼働停止してしまう。すぐに再開されると思われたが、ロックダウンはなかなか終わらなかった。ショエーブとチャンダンは故郷に帰ることを決断する。特別列車には乗れず、トラックに乗せてもらって移動する。だが、途中でチャンダンが発熱し、トラックを降ろされてしまう。その後、ショエーブとチャンダンは歩いて故郷を目指すが、途中でチャンダンは熱中症になって死んでしまう。
チャンダンの遺体は救急車で故郷に届けられる。両親や姉のヴァイシャーリー(ハルシカー・パルマール)はチャンダンと悲しみの再会をする。彼らの家は完成するが、ちょうどそのときチャンダンの採用通知が届く。ショエーブは大学に通い出す。
インド人の人名には、宗教、カースト、出身地など、多くの個人情報が刻まれている。「Homebound」は、それらの情報をはっきりと語っておらず、観客は主に各登場人物の人名から、彼らのバックグラウンドを理解することを求められている(参照)。
一番分かりやすいのはムハンマド・ショエーブ・アリーだ。彼はイスラーム教徒である。インドの人口の14-15%がイスラーム教徒であり、最大の宗教マイノリティーとなっている。近年はモーディー政権下でイスラーム教徒に対する迫害が進んでいるとされる。物語の中で、ショエーブが主にヒンドゥー教徒たちから差別を受ける様子が何度も描かれている。顕著なのは終盤のクリケット試合観戦シーンだ。インド対パーキスターンの試合が行われており、インドが辛勝し、ショエーブの職場の人々は大喜びする。だが、ショエーブはイスラーム教徒であるがゆえに、意地悪な上司から、あたかも彼がパーキスターンが敗北して悲しんでいるかのようなジョークを執拗にぶつけられる。とうとう我慢ならなくなったショエーブは、せっかく手にした職を投げ打ってしまう。
一般の日本人に分かりにくいのはチャンダンの方である。彼は、序盤ではなかなかフルネームを明かさないが、終盤でそれがチャンダン・クマール・ヴァールミーキであることが分かる。ヴァールミーキ姓は掃除人カーストのものであり、彼はダリト(不可触民)である。ただ、インド人観客なら、序盤から彼が不可触民であることに勘付いている。フルネームを明かすのをためらったりしている場面から既に察することができる。途中で彼は自分のカーストを「カーヤスト」だと言うが、それは口からでまかせである。なぜそれが分かるかというと、彼はゴートラを「バールドワージ」だと言っていたからだ。「バールドワージ」はブラーフマンのゴートラであり、カーヤストではない。インドでは、その瞬間に彼が嘘を付いているのがばれる。また、彼の家にはBRアンベードカルの肖像画が飾られていた。アンベードカルはダリト出身の法学者・政治家であり、彼が祭壇に祀られている家はダリトの家である。アンベードカルと共にブッダの絵も飾られていたが、アンベードカルはダリトの仏教改宗を主導したことで知られている。ただ、チャンダンの家族が仏教徒なのかどうかは不明である。
ついでに、チャンダンと親しくなったスダーもダリトだ。スダーはチャンダンから名前を聞かれて、はっきりとフルネームで「スダー・バールティー」と名乗っていた。「バールティー」姓は、パンジャーブ地方ではカトリー(地主・商人階級)なのだが、ウッタル・プラデーシュ州やビハール州ではダリトの姓になる。普段は自分の素性を隠しがちだったチャンダンには、カーストの標識になっている氏姓までしっかり答えるスダーがまぶしく映った。
また、スダーの父親はインド鉄道で線路整備の仕事をしていた。立派な公務員である。インドでは、アファーマティブ・アクションの一種として、歴史的に差別されてきた人々を入学や就職の際に優遇する留保制度が施行されており、スダーの父親も留保制度の恩恵に預かって公務員職を手にできたと見なしてよい。彼らはインド鉄道の職員のための公営住宅に住んでおり、チャンダンの家族に比べて安定した生活を送っていた。留保制度がダリトの社会的地位向上に貢献している様子が描かれていた。
とはいえ、ダリトに対する差別はまだインド社会に根強く残っていることも強調されていた。その差別は主に、チャンダンの母親や姉を通して描写されていた。彼女たちは学校で掃除の仕事をしており、それ以外の仕事をしようとすると猛烈な反対に遭っていた。一方、チャンダンを通して、ダリトが精神的に抑圧されている様子が描かれていた。彼は、自分の出自を公表すると差別に遭い、隠すと自己嫌悪に陥るというジレンマに陥っていたのである。
「Homebound(帰宅)」という題名は、第一義的には、ロックダウン中に出稼ぎ先から自宅まで1,000km以上の道のりを何とかして帰る道程を示している。ショエーブとチャンダンは、スーラトから故郷の村まで、まずはトラックで帰ろうとするが、途中で降ろされてしまい、残り400kmの道のりを歩かなければならなくなる。チャンダンは体調を崩しており、途中で熱中症になってとうとう倒れてしまう。皮肉なことに、チャンダンが生きている間は誰も助けてくれなかった。だが、遺体となった後は救急車で家まで運んでもらえた。それぞれ理不尽に打ちひしがれ出稼ぎ労働者になったショエーブとチャンダンという2人の同郷の若者がロックダウン中に苦労して故郷に戻るまでを描いた映画が「Homebound」の一応の説明になる。
だが、「帰宅」はそれだけではなかった。チャンダンにとって、自分のアイデンティティーに向き合うことも「帰宅」であった。ダリトという出自をなるべく隠して生きてきたチャンダンは、数々の苦労の末にようやく自分を受け入れる気になり、再入学しようと用意した大学の入学願書には正直に「ヴァールミーキ」という氏姓を書き、カテゴリーもしっかり「SC(指定カースト)」のチェックボックスにチェックを入れていた。ニーラジ・ゲーワーン監督の前作「Masaan」も、ダリトの青年が自分の出自と向き合う様子を描いた作品であり、彼のメッセージは一貫している。ダリトに優しく手を差し伸べるのではなく、ダリトに自分と向き合い力強く生きていることを促している。
ただ、ふわっとした終わり方も「Masaan」と似ていた。チャンダンは死に、ショエーブは大学に入学した。ショエーブはチャンダンの遺志を継いで大学に入ったのだろうか。スダーのその後も不明である。一体、彼らはこの後どうなるのだろうか。チャンダンの死後に届いた警察採用通知も、どのように受け取っていいのだろうか。それらにはっきりとした道筋が示されることはなく、観客の判断に委ねられていた。
シャーヒド・カプールの異父兄弟にあたるイーシャーン・カッタルは、ヒンディー語映画界の新星の一人に数えられ、「Khaali Peeli」(2020年)や「The Royals」(2025年/邦題:ザ・ロイヤルズ)のような娯楽作品にも出演しているが、彼の目はよりグローバルかつシリアスな方向に向いており、マージド・マージディー監督の「Beyond the Clouds」(2018年)などにも出演経験がある。「Homebound」で彼が演じたショエーブ役は、その延長線上にあるだろう。素晴らしい演技で、特にチャンダンが死ぬシーンは迫力があった。
チャンダン役を演じたヴィシャール・ジェートワーは、「Salaam Venky」(2022年)や「Tiger 3」(2023年/邦題:タイガー 裏切りのスパイ)などに出演してきた成長株であり、イーシャーンに負けない名演技を見せていた。スダー役を演じたジャーンヴィー・カプールは、イーシャーンと既に「Dhadak」で共演しており、今回は再共演になる。ダリトの女性役であり、ジャーンヴィーも従来のヒロイン女優の枠に収まらない挑戦をしていると感じる。出番は多くなかったが、チャンダンの人生に大きな影響を与える重要な役割を果たしていた。
「Homebound」は、ロックダウンの時代を背景に、イスラーム教徒の若者とダリトの若者が、それぞれ差別を受けながら、自分のアイデンティティーと向き合うまでを描いた作品である。各種差別が根強く残るインド社会の実態を深くえぐっており、しかもかなりハイコンテクストで、インドに詳しい人にとっては見応えがある。ニーラジ・ゲーワーン監督の前作「Masaan」に負けないぐらい素晴らしい作品だが、答えや救いのない結末にはもどかしさも感じる。
