人名

 この世界のあらゆる事物が生物と無生物に分けられるように、映画を構成する要素も、生物と無生物に分けられる。映画の構成要素である生物は多くの場合、人間であり、複数の人間が登場することで物語が形成され、一本の映画が完成する。

 そしてこの世界のあらゆる人間には名前が付けられているように、映画に登場する人物にも、多くの場合、名前が付けられている。たとえ動物や架空の存在などが主人公であっても、名前が付けられるのが一般的である。ごく稀に、敢えて登場人物に名前が付されていない映画も存在するが、ここではそれらは例外扱いとして論を進める。

 「ロミオとジュリエット」の有名な台詞に「What’s in a name?(名前には何の意味がある?)」があるが、映画の登場人物にはどんな意味があるだろうか。

 脚本家や監督によって、登場人物の人名に対する考え方は異なるだろう。全く何も考えずに名前を付ける人もいれば、そこに深い意味を潜ませるのを好む人もいるだろう。例えば、「ドラえもん」の登場人物の名前には、それぞれのキャラクターの性格が刻印されている。

 インド映画での人名の付け方も、上記の2パターンに分かれるといっていいだろう。だから、人名は単なる記号で、人名について全く気にしなくていいという映画もあれば、ある程度の深読みをして人名を取り扱わなければならない映画もある。

 ここで気を付けなければならないのは、インド人の名前には他国の人の名前に比べて、多くの情報が含まれているという点である。

 日本人の名前を見て、その人のことについて、何か分かることがあるだろうか。男女の別は分かるかもしれない。古風な名前か、イマドキの名前かという点から、その人の年代を言い当てることも可能かもしれない。だが、それ以上のことはなかなか分からない。

 一方、インド人の名前には、性別はもちろんのこと、その人の宗教、出身地、カーストなど、あらゆる情報が詰め込まれている。インド人にとって、名前はバイオデータに等しい。だから、インド人はとにかく初対面の人の名前を聞きたがる。まずは相手の立ち位置を確認したいのである。

 それと関連して、インド人から名前を聞かれるとき、「What’s your good name?」と言われることがある。インドに慣れていない外国人は「『good name』って何だ?」と頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになってしまうのだが、これは、名前を聞くだけで相手のあらゆる情報が手に入ってしまうインド特有の文化事情を表している。現地語でこういう言い方があり、それが英語に直訳されているからこうなっているのだが、その意味するところは、「大変失礼ですが、あなたのきっと素晴らしいお名前をお聞かせ願えますか?」という、非常に丁寧な聞き方なのである。ただ、聞かれた側は特に気にせずに「My name is ~」と答えればよい。

 こういう国であるため、映画が始まり、スクリーンに人物が登場して、名前が紹介されると、それだけでその人物の設定に関する情報がかなり提供されているということがある。言い換えれば、インド人観客は、他国の観客よりも多くの情報をそれだけで得ているのである。

 例えば、「Amar Akbar Anthony」(1977年)という映画には、アマル、アクバル、アンソニーという3人のキャラが登場する。インド人ならば名前を聞いただけで、これらのキャラが順に、ヒンドゥー教徒、イスラーム教徒、キリスト教徒であることを理解し、異なる宗教の人たちが登場して何かをする映画なのだな、と推測できる。

 「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)では、ランチョールダース・シャーマルダース・チャーンチャル、ファルハーン・クライシー、ラージュー・ラストーギーという3人のメインキャラが登場するが、これらの名前だけで実は相当のことが分かる。まず、ファルハーンは確実にイスラーム教徒であることが分かる。そして、残り2人についても、ヒンドゥー教徒であることは確実に分かる上に、ランチョールダースの名前は上流階級の名前っぽいし、ラージューの名前は低めの階層のものだと推測できる。そして、実際にそうなのである。

 「Raanjhanaa」(2013年)に至っては、名前がストーリーの進行上、重要な役割を果たす。主人公クンダンは、イスラーム教徒の女性ゾーヤーに一目惚れし、彼女の気を引くために「リズワーン」という名前を名乗る。これはイスラーム教徒の名前である。また、ゾーヤーは、恋人ジャスジート・スィンと結婚するため、家族に「アクラム・ザイディー」という名前で紹介する。「ジャスジート・スィン」はスィク教徒の名前であるし、「アクラム・ザイディー」はイスラーム教徒の名前である。新聞にジャスジートの顔写真が本名付きで掲載されたため、彼がイスラーム教徒でないことがばれてしまった。映画の中では、名前以外に特に登場人物の宗教について詳しい解説があるわけではない。インド人観客は名前を見てそのキャラの信仰する宗教を瞬時に理解しているのである。

 それだけでなく、ベンガル人っぽい名前、パンジャーブ人っぽい名前、東北インド人っぽい名前、南インド人っぽい名前など、地域性が顕著に表れた名前も無数にあるし、金持ちっぽい名前、使用人っぽい名前など、社会的・経済的立ち位置が分かるような名前もある。インド映画において登場人物の人名を考える人は、そういう文化的な背景に立脚して命名を行っていることがほとんどである。

 では、どうやってインド人の名前からその人の個人情報を抽出する術を身に付けたらいいか、であるが、これはもう慣れるしかない。多くのインド人に会い、その人の背景を聞いて、いちいち照合させていく過程によってのみしか、インド人の名前鑑定士にはなれないといっていいだろう。インド映画入門者には到底無理なことだ。とりあえずインド映画を楽しむ際は、インド人の名前は単純な記号ではないということだけ頭に入れておけばいい。