Beyond the Clouds

3.5
beyond the clouds

 2017年11月20日にインド国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2018年4月20日に公開された「Beyond the Clouds」は、「運動靴と赤い金魚」(1997年)で有名なイラン人映画監督マジード・マジーディーが撮った映画である。ヒンディー語で作られており、作品自体の国籍はインドということになっている。

 主演は新人のイシャーン・カッタル。女優ニーリマー・アズィームの息子であり、ニーリマーはパンカジ・カプールと再婚したため、シャーヒド・カプールとは異母兄弟ということになる。ヒロインはマーラヴィカー・モーハナン。撮影監督KUモーハナンの娘であり、ヒンディー語映画の出演は初となる。

 他に、タニシュター・チャタルジー、GVシャラダー、ガウタム・ゴース、アーカーシュ・ゴーパール、ドワニ・ラージェーシュなどが出演している。また、ヴィシャール・バールドワージが台詞を担当し、ARレヘマーンが音楽を担当している。

 舞台はムンバイー。アーミル(イシャーン・カッタル)は親友のアニル(アーカーシュ・ゴーパール)と共に麻薬の密売をして生計を立てていた。だが、警察に追われ、麻薬を姉のターラー(マーラヴィカー・モーハナン)のところに隠し、自らもアクシー(ガウタム・ゴース)の助けを借りて隠れる。アクシーはターラーを手込めにするチャンスをうかがっており、これでターラーに恩を作ったと考えた。アクシーはターラーをレイプしようとするが、ターラーは石で彼の頭を打ち、重傷を負わせてしまう。

 ターラーは逮捕され、アクシーは入院した。アクシーが回復し証言をしなければ、ターラーは刑務所に入ったままになりそうだった。アーミルはアクシーの看病をする。そこへアクシーの家族がやって来る。アクシーの母親ジュンパー(GVシャラダー)、娘のタニシャー(ドワニ・ラージェーシュ)とアーシャーであった。彼らはほとんどタミル語しか話せなかったが、タニシャーが少しだけ英語を知っていたため、アーミルはタニシャーを通じてコミュニケーションを取る。一方、ターラーは同室となった終身刑の女性(タニシュター・チャタルジー)の息子チョートゥーと仲良くなる。

 アーミルはターラーが逮捕されて以来、彼女の家に住んでいたが、そこへジュンパー、タニシャー、アーシャーを迎え入れ、一緒に過ごすようになる。そして、アクシーの薬代を負担し、度々見舞いに行くと同時に、刑務所にターラーを訪ねる。一度はタニシャーを売春宿に売り飛ばそうとするが考え直す。

 ある日、チョートゥーの母親が死んでしまう。それを見てターラーは刑務所で死ぬのは嫌だと取り乱し、今度はアーミルが取り乱して、ジュンパーたちにアクシーがしたことを曝露する。それを知ったジュンパーは家を出て行く。

 アーミルが病院に行くと、アクシーは既に死んでいた。これでターラーの容疑は殺人未遂から殺人になり、終身刑になるのが濃厚となってしまった。

 インドを舞台にしているだけあって、ムンバイーの街並みが出て来たり、ホーリー祭が祝われる様子が描写されたりするのだが、それだけでインドらしさが出るわけではない。むしろ、イラン人の映画監督が撮っただけあって、インド映画とは完全に異質の作りの映画だと感じた。

 それをもっとも強く感じたのは結末である。この映画は、主に2つのエピソードが交錯しながら進むといっていい。ひとつは、自分を襲ってきたアクシーに重傷を負わせて刑務所に入ったターラーのエピソード、もうひとつはターラーを刑務所から救い出すために奔走する弟のアーミルのエピソードである。映画は最後までターラーを自由の身にはしない。だが、アーミルとターラーはそれぞれ窮地にありながらも心温まる出会いを経験する。ターラーは刑務所でチョートゥーと仲良くなり、アーミルはアクシーの家族と交流する。結末では、ターラーはチョートゥーと共に刑務所の外に手を出して雨を感じ、アーミルはアクシーの娘アーシャーと共にホーリー祭を遊ぼうとする。そこで映画は終幕となる。

 もちろん、ターラーが近々釈放されるであろう明るい未来へのヒントはあった。アクシーがアーミルの姉をレイプしようとしたと知った母ジュンパーは、裁判所へ行って弁護士に証言の書類を作らせるシーンがあった。おそらくこれが証拠となってターラーは正当防衛が認められ釈放されそうである。だが、そこまでのハッピーエンディングを見せないところにイラン人的なセンスを感じた。

 「Beyond the Clouds」をインド映画と捉えた場合、主演のイシャーン・カッタルとマーラヴィカー・モーハナンをスターとして売り出していなかったのも異質に感じる。イシャーン演じるアーミルも、マーラヴィカー演じるターラーも、色黒く、土埃にまみれ、庶民から際立つオーラを抑制している。全くスターシステムを働かせていないのである。よって、これはインド映画ではないと結論づけるしかない。

 そう思うと、確かに、ハージー・アリー廟やインド門を背景としてわざとらしく使ったり、ドービーガートを登場させたりと、外国人観光客のような視点で撮られた映画でもあった。ムンバイーに住んでいる映画メーカーは、余程のことがなければ、ムンバイーの象徴をここまで散りばめることはかえってしないものである。

 ハッピーエンディングは寸止めであったものの、物語は奇妙な縁で出会った人々同士が心を通わし合う様子に集中していたといえる。特にアーミルとタニシャーの関係は丁寧に描かれていた。当初は、アクシーに対する復讐と金儲けを兼ねて、タニシャーを売春宿に売り飛ばそうとしていたアーミルであったが、彼女と過ごした数日間の中で愛着を感じるようになり、土壇場で考えを変える。そのせいで売春宿のオーナーからは暴漢を差し向けられ暴行を受けるが、それでもアーミルはタニシャーを守り通したのだった。

 映像的にもっとも印象に残ったのは、ターラーがチョートゥーと手を重ねて雨を感じるラストシーンだ。チョートゥーの母親は死んでしまうが、ターラーは、母親が天に昇って月に住んでいると教える。ターラーは何とかチョートゥーに月を見せようとし、見回り係に賄賂を渡してまでして、外を覗かせてもらうが、その日はあいにく嵐だった。それでも、二人は外に手を出して雨を感じ、雲の上に浮かんでいるであろう月を想像するのだった。題名の「Beyond the Clouds」はこのラストシーンから来ているのであろう。

 果たしてデビュー作として正しい選択だったかどうかは分からないが、イシャーン・カッタルは貫禄ある演技を披露することができていた。タニシュター・チャタルジーの出番は意外に少なかったのだが、マーラヴィカー・モーハナンは何となくタニシュターと同じ匂いのする女優である。シリアスな映画に出演する女優に成長していくかもしれない。

 「Beyond the Clouds」は、イラン人映画監督マジード・マジーディーがインドを舞台に撮ったリアリズム映画である。一応はインド映画ということになるようだが、一般的なインド映画とは異質の作りであり、目新しさがある。期待の新人イシャーン・カッタルのデビュー作という点でも注目すべきである。観て損はない映画だ。