Haider

4.0
Haider
「Haider」

 21世紀においてヒンディー語映画の進化を牽引して来た監督の一人にヴィシャール・バールドワージがいる。元々、音楽監督として映画界で働き出した人物で、「Satya」(1998年)や「Love Ke Liye Kuch Bhi Karega」(2001年)などの作曲を担当した。だが、彼が本領を発揮したのは監督業である。2002年に、子供向け映画の先駆けとなる「Makdee」を公開したのを皮切りに、多くの作品を撮り続けている。

 バールドワージ監督はヒンディー語映画界にキッズ映画というジャンルを確立した立役者だが、彼が世間で名を知られているのは、むしろ大人向けのハードボイルドな作品群によってである。特に、シェークスピア劇の翻案を成功させてきている点で有名だ。これまで、「マクベス」を翻案した「Maqbool」(2003年)、「オセロ」を翻案した「Omkara」(2006年)を作って来た。どちらも、暴力が支配するインドの地方を舞台としており、興行的にも批評家的にも成功している。

 2014年10月2日に公開された「Haider」は、彼のシェークスピア劇翻案第3作目で、「ハムレット」が原作となっている。音楽も彼自身が手掛けており、作詞は盟友のグルザールが担当している。主演はシャーヒド・カプール。シャーヒドはバールドワージ監督の「Kaminey」(2009年)で一度一緒に仕事をしている。他に、シュラッダー・カプール、タブー、イルファーン・カーン、ケー・ケー・メーナン、ナレーンドラ・ジャー、クルブーシャン・カルバンダー、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ラリト・パルムー、アーミル・バシール、スミト・カウル、ラジャト・バガトなど。

 1995年、ジャンムー&カシュミール州シュリーナガル。医師のヒラール・ミール(ナレーンドラ・ジャー)は負傷した分離派リーダー、アブドゥル・ラティーフを自宅で手術することにした。妻のガザーラー(タブー)はそれに反対だったが、ヒラールは医者としての責任を全うする道を選んだ。翌日、ヒラールの居住区に軍のチェックが入り、ヒラールは捕えられる。彼の自宅に匿われていた分離派リーダーは殺され、家も爆破される。その後、ヒラールは行方不明となる。

 それから数日後、ヒラールとガザーラーの息子ハイダル(シャーヒド・カプール)がシュリーナガルに帰って来る。ハイダルはアリーガルで学んでいた。ハイダルは途中のチェックポストで警察に尋問を受けるが、恋人のアルシヤー・ローン(シュラッダー・カプール)に助けられ、解放される。アルシヤーは地元紙の記者であった。また、彼女の父親パルヴェーズ(ラリト・パルムー)は地元の警察上官で、兄のリヤーカト(アーミル・バシール)はバンガロールの多国籍企業オフィスに勤めていた。

 パルヴェーズはヒラールやハイダルのことをよく知っていた。だが、アルシヤーがハイダルと付き合うことには、リヤーカト共々反対であった。それでも、アルシヤーは父や兄の忠告を聞かこうとしなかった。

 ハイダルは叔父で弁護士のクッラム(ケー・ケー・メーナン)の家へ行く。だが、母がクッラムと仲良くしているところを見てショックを受ける。ハイダルは幼年時代の親友、サルマーン&サルマーン(スミト・カウル&ラジャト・バガト)の家に居候しつつ、父親の行方を捜し始める。捜している内に、同じように行方不明になった身内を捜す人々と出会う。カシュミール地方には同じような境遇の人々がたくさんいた。ハイダルは彼らと共に、軍に対して行方不明者の返還を求めるデモを行うようになった。一方、クッラムは下院選挙に立候補して当選した。

 あるとき、アルシヤーのところへルーフダール(イルファーン・カーン)という謎の男がアプローチして来る。その男は、ハイダルの父からハイダルへのメッセージを預かっていた。アルシヤーは早速ハイダルに会いに行く。ハイダルはルーフダールに連絡を取り、彼に会う。

 ルーフダールは、かつてハイダルの父ヒラールと共に収容されていた男だった。ルーフダールは獄中でヒラールと仲良くなった。ヒラールはルーフダールと共に各地の軍駐屯地を転々とさせられていたが、その中で、弟のクッラムが裏切ったことを知る。彼の疑いは妻のガザーラーにも向けられることになった。ヒラールはルーフダールに、もし生きて帰れた場合、クッラムに復讐するようにハイダルにメッセージを伝えるように頼む。最終的にヒラールとルーフダールは橋の上から川に落とされるが、ルーフダールだけは助かった。それだけの話をした後、ルーフダールはハイダルに拳銃を渡すと同時に、ヒラールの墓所の場所を教える。ハイダルがその場所へ行ってみると、確かにそこには父の墓があった。

 真実を知ったハイダルは狂気を装う。クッラムは、ハイダルがルーフダールと会っていたことを知り、ルーフダールがヒラールを殺したと吹き込む。ハイダルはどちらを信じたらいいのか分からなくなるが、クッラムがガザーラーと結婚したことで、クッラムへの殺意を新たにした。ハイダルは機を見てクッラムを殺そうとするが、アルシヤーが父のパルヴェーズにハイダルが拳銃を所持していることを明かしていたため、警察が見張っていた。ハイダルは殴られて気を失う。

 ハイダルはクッラムの家に寝かされていた。ハイダルは目を覚まし、隠していた拳銃を持ってクッラムを殺そうとする。だが、そのときクッラムは礼拝中で、ハイダルは引き金を引けなかった。そこへパルヴェーズが駆けつけ、ハイダルを捕える。パルヴェーズの息が掛かっていたサルマーン&サルマーンはハイダルを殺すように指示を受けるが、逆に二人は殺され、ハイダルは逃げ出す。ハイダルがルーフダールに連絡をすると、パーキスターンで訓練を受けるように助言を受ける。

 ハイダルは越境する前に母親と会う。母親は、ヒラールが家に分離派リーダーを連れて来たときに、クッラムにそれを伝えてしまったと明かす。そのときガザーラーはクッラムが警察と密通していることを知らなかったと言う。二人が話をしていると、そこへパルヴェーズがやって来る。ハイダルはパルヴェーズを撃ち殺してしまう。

 ハイダルは、越境のための待ち合わせ場所である、父の眠る墓地へ辿り着く。そこで待っていると、墓地にアルシヤーの兄リヤーカトが遺体を連れてやって来る。ハイダルはアルシヤーが死んだと直感する。アルシヤーはハイダルが父親を殺したことで思い悩み、自殺してしまったのだった。思わず飛び出したハイダルをリヤーカトが見つけ、殴りかかる。乱闘の中でハイダルはリヤーカトも殺す。

 クッラムは仲間と共に墓地へやって来る。墓守たちも銃で応戦する。銃撃戦が行われる中、ガザーラーがルーフダールに連れられて墓地にやって来る。クッラムは、ハイダルが立てこもる小屋をロケットランチャーで爆破しようとするが、ガザーラーは最後に一度、息子と降伏の交渉させてくれるように頼む。ハイダルは母親に、クッラムに復讐するまでは死ねないと語る。ガザーラーは、復讐は復讐しか生まないと答える。その後、ガザーラーは一人でクッラムのところへ戻る。彼女が外套を脱ぐと、爆弾を身にまとっていた。ハイダルとクッラムはガザーラーへ駆け寄ろうとするが、ガザーラーは爆弾を爆発させる。この爆発でクッラムの仲間は皆死に、クッラムも大怪我を負う。ハイダルはクッラムを殺そうとするが、母親の言葉を思い出し、殺すのを止める。

 シェークスピアの「ハムレット」の舞台を現代のカシュミール地方に置き換え、1990年代のカシュミール情勢を下敷きに、家族・親族間で愛憎入り乱れる重厚な人間劇に仕上げられていた。

 カシュミール地方はインドとパーキスターンが領有を主張する場所である。インド側の地図を見るとカシュミール全域がインド領と示されているし、パーキスターン側の地図を見ると、カシュミール全域がパーキスターン領となっている。実際にはカシュミール地方は管理ライン(LoC)によって印パ両国に分断されている。また、カシュミール人の中にも、インド帰属もしくはパーキスターン帰属を求める勢力もあれば、カシュミールは印パから分離独立すべきだと考える勢力もある。方法論も様々で、住民投票を行って帰属先を決めるべきだとする勢力もあれば、パーキスターン側のカシュミールから遠隔操作で武力闘争を仕掛け、カシュミールの不安定化をしようとする勢力もある。これらのステークホルダーの主張や利害が複雑に絡み合っているのがカシュミール問題であり、それを理解するためには、印パ分離独立時の1947年まで遡って考えなければならない。

 英領インドは当時、英国の直轄地の他、英国が間接統治する無数の藩王国によって構成されていた。印パ分離独立が決まると、各地の藩王は印パどちらに所属するかを選択する権利を与えられた。当時、カシュミール地方は、ジャンムー地方を拠点とするドーグラー人の藩王ハリ・スィンによって支配されていた。ハリ・スィンはヒンドゥー教徒であったが、カシュミール地方の人口の77%はイスラーム教徒であった。

 インド初代首相ジャワーハルラール・ネルーの家系の出自はカシュミール地方にあり、彼はカシュミールのインド編入にこだわった。一方、パーキスターンは、その名称(PAKISTAN)自体が、パンジャーブのP、アフガーン辺境地域のA、カシュミールのK、スィンドのS、バルティスターンのTANから成っていると考えられており、当初からカシュミールは国土として想定されていた。どちらもカシュミール地方を相手に譲れない理由があった。また、ハリ・スィンは印パどちらにも帰属せず独立を維持する道を模索していた。

 そんな中、パーキスターン軍がカシュミールに侵攻し、主都シュリーナガルへ向けて進軍を開始した。驚いたハリ・スィンが急遽インドへの帰属を表明し、救援を求めたため、インド軍もシュリーナガル入りし、戦争となった。いわゆる第一次印パ戦争である。この戦争は膠着状態となり、国連が調停することになった。結果、暫定的な国境となる停戦ラインが決められ、カシュミールの帰属は住民投票によって決められることになった。だが、印パ両国の思惑が絡み合い、現在まで住民投票は行われていない。

 1950年1月26日にインド憲法が施行された。カシュミール地方が帰属で揺れた経緯もあり、憲法第370条ではジャンムー&カシュミール州がインドの一部であることを明文化する代わりに、同州に対して、独自憲法制定の権利など、例外的な自治権を認めていた。この条文に基づいて1952年に中央政府とJ&K州はデリー合意を結び、中央政府とJ&K州政府の関係がより具体的に定められた。1956年にはJ&K州憲法が施行される。

 1964年には、シュリーナガルのハズラトバル・モスクに安置されていた預言者ムハンマドの聖髭が盗まれるという事件をきっかけにカシュミールが不安定化し、それに乗じてパーキスターンが兵士や民兵をカシュミールに送り込んで、内部からの武装革命を画策した。いわゆるジブラルタル作戦である。これがきっかけで第二次印パ戦争が勃発する。再び国連による調停が行われ、最終的にソビエト連邦が仲介役となって印パ両首脳による会談が行われ、タシュケント宣言が出された。

 この頃までは、外来の勢力がカシュミールで武装闘争を行っていたが、第二次印パ戦争以降、インド側のカシュミールに住む人々が、ヴェトナム戦争などの影響から、分離独立を求めて武器を取って戦うようになる。彼らの多くは、パーキスターン側へ越境して軍事訓練を受け、インド側へ戻って来て武力闘争を行うようになった。

 カシュミールで大規模な武力闘争が起こり始めたのは、1987年の州議会選挙がきっかけだった。この選挙で国民会議派などによって不正が行われた疑いが強まると、怒ったカシュミール人はデモを行った。これが分離独立運動と合流して武力闘争化した。一方、インド政府も、武装部隊特別権力法(AFSPA)をJ&K州に発令し、インド陸軍に強力な権限を付与した。カシュミールでは武装勢力の摘発を口実とした軍による家宅捜索が常態化し、連行されたまま行方不明になる人が続出した。

 「Haider」の時代背景は、カシュミールの治安維持のために送り込まれたインド陸軍と、カシュミールの分離独立を求める武装勢力との争いが激化しつつあった1995年から1996年頃に掛けてに設定されている。この頃、インド政府は反政府ゲリラに対抗するために、元々反政府ゲリラだったカシュミール人を雇い、イクワーンという対抗武装勢力を創設する。主人公ハイダルの叔父クッラムはインド政府に味方するカシュミール人であり、イクワーンを従えていた。彼はイクワーンの力を使って1996年の州議会選挙に立候補し、当選する。彼の存在は、そのまま当時のカシュミール情勢を反映している。

 ハイダルの父は、医師としての責任から、負傷した分離独立派リーダーの治療を行う。妻から「あなたはどちらの側か」と聞かれたヒラールは、「人間の側だ」と答えるシーンがある。だが、それがきっかけで彼は軍に連行され、行方不明となってしまう。ハイダルはそのときアリーガル大学で勉強していた。彼がアリーガルに送り込まれたのも、武力闘争に感化されていたからで、母親が心配してカシュミールから離したのだった。父が失踪してから、ハイダルはまず正式な手続きを踏んで父を捜す。警察に相談したり、軍のキャンプを訪ねたりする。だが、父の手掛かりは見つからない。次第にハイダルは、同じように身内に失踪者を持つカシュミール人たちと、軍に抗議するデモに加わるようになる。

 カシュミール問題に巻き込まれ失踪した父の件とは別に、ハイダルを悩ませていたのは母と叔父の関係だった。父が失踪したにも関わらず、母は叔父のクッラムと楽しそうに過ごしていた。それを見てハイダルは母の貞節を疑い、悩むようになる。最終的に母はクッラムと再婚し、ハイダルの苦悩は極限まで深刻化する。そしてハイダルを狂気へと導く。この部分は「ハムレット」を下敷きにしているために盛り込まれた部分だ。よって、通常のインド映画ではあまりない展開であり、異質に感じられる。インド映画は母と子の関係を神聖視と言っていいほど美しく描くことが多い。今までバールドワージ監督が行って来たシェークスピア作品のインド映画化については、インドの文脈で異質に感じられたことはなかったのだが、母と子の関係のねじれに踏み込んだ「Haider」については、賛否が出て来ざるを得ないだろう。「賛」とするならば、インド映画がタブーとして来た領域に踏み込んだという結論になるだろうし、「否」とするならば、西洋的価値観に迎合しインド映画らしさを失ったという結論になるだろう。この部分は何とも言えない。ただ、異質だと感じた。

 それでも、バールドワージ監督はやはりインド人であり、インド人観客を念頭に置いているため、ラストは敢えて原作から逸脱をさせていた。原作では、ハムレットの母ガートルードは誤って毒の酒杯を飲んで死ぬが、「Haider」ではより能動的に死んでいる。ハイダルの母ガザーラーはクッラムと再婚したものの、ハイダルに対する彼女の愛情は変わらなかった。治安部隊に取り囲まれたハイダルを助けるため、彼女は爆弾を身にまとい、治安部隊のただ中で爆発させる。息子の命を救うため、そして息子への変わらぬ愛情を究極の形で示すための行為だったと言える。この母の姿は、「Mother India」(1957年)などから綿々と続く「インドの母親」像から逸脱したものではない。この部分があったからこそ、「Haider」はインド映画としてギリギリのバランスを保ったと言える。

 また、ガザーラーは死ぬ直前に「復讐は復讐しか生まない」というメッセージをハイダルに残す。原作においてハムレットは、父を殺し、王位を簒奪し、母と再婚した叔父クローディアスを殺し、復讐を果たすが、「Haider」においてハイダルは父の仇であるクッラムを敢えて殺さない。ガザーラーの自爆によってクッラムは両足を失っており、放っておいてもそのまま死ぬ存在であった。また、クッラム自身が「俺を殺せ」と訴える。だが、それでもハイダルは引き金を引かなかった。亡き父は「クッラムに復讐せよ」と訴えるが、母の「復讐は復讐しか生まない」というメッセージの方がハイダルの脳裏に強く響く。

 ハイダルがクッラムに対して引き金を引かなかったのは、そのままカシュミール問題の解決に向けたメッセージだと言える。カシュミールは印パ両国の政争に巻き込まれ、様々な不幸を経験して来た。だが、過去の不幸を精算するために現在において復讐を行うことは、未来に向けてさらなる復讐の連鎖を生んでしまう。ハイダルがクッラムを許したように、カシュミール人も過去を許すことで、未来へ向けて進むことができるという主張をバールドワージ監督はこの作品に込めたのだろう。「ハムレット」を原作としながら、敢えて復讐でもって物語を終えなかった理由は、それ以外にあり得ない。

 シャーヒド・カプールは今回の演技でフィルムフェア賞主演男優賞を受賞している。間違いなく彼のキャリアベストの演技だ。タブー、ケー・ケー・メーナン、イルファーン・カーンなどの名優たちも素晴らしい演技を見せていた。ヒロインのシュラッダー・カプールについては弱さを感じた。

 音楽監督上がりの映画監督が作った映画だけあって、リップシンクのダンスシーンを無理に入れた印象は受けた。ガザーラーとクッラムの結婚式後に踊られる「Bismil」は、マールタンドの太陽寺院で撮影されており、カシュミール民俗音楽のエッセンスが取り込まれていて、この映画のハイライトでもあるが、映画の連続性という観点では、なくても良かったシーンだ。ただ、やはりインド映画の最大の特徴はダンスとストーリーの融合にあり、この部分で絶えず挑戦をしてくれる監督は応援したくなる。

 「Haider」は、単にカシュミールを舞台にしているだけでなく、ほぼ全編カシュミールで撮影が行われている。おかげで非常に臨場感溢れる映像となっている。雪景色なども非常に美しい。州都シュリーナガルの他、グルマルグやパハルガームなどでも撮影が行われたと言う。ジャンムー&カシュミール州は元々ヒンディー語映画のロケ先として人気だったのだが、90年代から政情不安が続くようになり、代わってスイスなど海外ロケが主流となって行った経緯がある。だが、「Jab Tak Hai Jaan」(2012年)などから同州への回帰が見られるようになっており、今後もJ&K州ロケの映画が続きそうだ。

 「Haider」は、ヒンディー語映画界の進化を先導する監督の一人ヴィシャール・バールドワージの渾身のドラマ映画だ。シェークスピアの「ハムレット」を下敷きに、分離独立派による武力闘争に揺れるカシュミールを舞台として、現代インドが抱える大きな問題のひとつに切り込んだ。「ハムレット」での筋書きや人間関係にこだわったために、インド映画の文脈から異質と思われる部分もあるのだが、最後はインド映画らしくまとめられたと感じる。2014年の傑作の一本だ。