Stree 2: Sarkate Ka Aatank

4.0
Stree 2: Sarkate Ka Aatank
「Stree 2: Sarkate Ka Aatank」

 プロデューサーのディネーシュ・ヴィジャンは、ホラーとコメディーを融合させた一連のホラーコメディー映画を次々にヒットさせ、「マドック・スーパーナチュラル・ユニバース(MSU)」と称したユニバースを打ち出すようになった。21世紀のヒンディー語ホラー映画は「Raaz」(2002年)を起源とするが、当初はホラー映画を歌と踊りに彩られたインド映画のフォーマットに溶け込ませるのに苦労していた。数々の失敗作を生んだが、その累々と積み重なった屍の上に、遂にホラーコメディ-というジャンルが確立し、ディネーシュ・ヴィジャンがそれをドル箱コンテンツにまで育て上げたのだ。

 記念すべきMSU第1作が「Stree」(2018年)である。マディヤ・プラデーシュ州に実在する田舎町チャンデーリーを舞台にした民話風のホラーコメディー映画であり、大ヒットした。その後、「Bhediya」(2022年)、「Munjya」(2024年)が作られ、満を持して2024年8月15日、独立記念日に公開されたのが、「Stree」の続編「Stree 2: Sarkate Ka Aatank」となる。キャラクターやストーリーは前作から引き継がれており、「Stree」のエンディングから「Stree 2」は開始する。また、「Bhediya」も関わってくるため、このユニバースは公開順に観るべきである。

 「Stree」の監督は前作から引き続きアマル・カウシクである。ただ、脚本は「Go Goa Gone」(2013年/邦題:インド・オブ・ザ・デッド)などで監督を務めたラージ&DKから「Bhediya」や「Munjya」の脚本家ニレーン・バットに交替した。どうやらディネーシュ・ヴィジャンと仲違いしたようだ。音楽監督はサチン=ジガルで、代わっていない。

 前作のキャストも引き継がれている。ラージクマール・ラーオ、シュラッダー・カプール、パンカジ・トリパーティー、アパールシャクティ・クラーナー、アビシェーク・バナルジー、アトゥル・シュリーヴァースタヴァ、ムシュターク・カーン、スニター・ラージワール、アーンニャー・スィン、ブーミ・ラージゴール、スニール・クマールなどが出演している。特別出演扱いなのが、タマンナー・バーティヤー、ヴァルン・ダワン、アクシャイ・クマールである。さらに、カウシク監督がカメオ出演している。

 題名の「Stree」とは「女性」という意味だが、ここではこのシリーズの中心的なキャラである女幽霊の名前である。「Sarkate Ka Aatank」とは「サルカターの恐怖」という意味である。「サルカター」とは直訳すれば「頭を切断された」という意味になるが、ここでは首と胴体が離れた亡霊の名前になっている。RPGの世界で「デュラハン」と呼ばれるキャラに似ている。

 ちなみに、シュラッダー・カプール演じる若い女性の役は、前作も今作も名前を明かさない。よって、以下のあらすじでは「謎の女」としている。

 ヴィッキー(ラージクマール・ラーオ)の活躍のおかげで、チャンデーリーを恐怖のどん底に突き落としていた女幽霊ストリーは去って行った。ヴィッキーは「チャンデーリーの守護者」と呼ばれるようになった。だが、ストリーが消えたことで、新たな脅威がチャンデーリーを襲うことになった。それがサルカター(スニール・クマール)であった。サルカターは、生前のストリーを殺した張本人であるが、ストリーによって首を切られ絶命した。だが、首を切られた状態で亡霊となり、チャンデーリーの外に潜伏していた。ストリーが去ったのを見て、チャンデーリーに住むモダンな女性たちを誘拐し始める。

 チャンデーリーで書店を経営するルドラ(パンカジ・トリパーティー)のもとに差出人不明の封筒が届き、サルカター襲来が予告された。ヴィッキーの親友ビットゥー(アパールシャクティ・クラーナー)の恋人チッティー(アーンニャー・スィン)もサルカターに連れ去られてしまう。また、ヴィッキーは前作で出会った謎の女性(シュラッダー・カプール)に片思いしていたが、彼女が突然現れ、彼に助言を与える。サルカターを退治するためには、ストリーの助けを得る必要があった。そこで、ストリーを呼ぶために、ストリーと親しくなったジャナー(アビシェーク・バナルジー)をデリーから連れて来る。彼はIAS(インド行政官)になるための試験勉強をしていた。

 ヴィッキー、ルドラ、ビットゥー、ジャナーは、かつてストリーが住んでいた廃墟に行くが、ストリーには会えなかった。サルカターに襲われジャナーは一度死ぬが、息を吹き返す。そのおかげで彼にはサルカターの霊視ができるようになる。チャンデーリーの広場で彼らは再度サルカターに襲われるが、謎の女性が現れ、彼らを救う。彼女は黒魔術を学んでおり、チョーティー(ロングの三つ編み)を使って攻撃することができた。だが、彼女でもサルカターには叶わなかった。サルカターはモダンな女性を毛嫌いしているため、恐れおののいたチャンデーリーの女性たちはこぞって地味な服を着始める。

 女性たちから頼まれ、ヴィッキーは再びチャンデーリーをサルカターから守ることを決意する。彼は謎の女性からナイフを渡される。サルカターを誘き出すため、タワーイフ(踊り子)のシャマー(タマンナー・バーティヤー)を呼んで、チャンデーリーの広場で宴を催す。だが、サルカター退治には失敗し、シャマーは誘拐され、ビットゥーをはじめとしたチャンデーリーの男性たちはサルカターに支配されてしまう。

 サルカターの支配を免れたヴィッキー、ルドラ、ジャナー、謎の女性は、ルドラに封筒を送った人物を訪ね、ボーパールの精神病院へ行く。そこでサルカターの末裔を自称する男(アクシャイ・クマール)と出会い、彼からサルカター退治の方法を伝授される。

 謎の女性に導かれ、ヴィッキーはサルカターの住処に潜入する。そこにはチッティーやシャマーの姿もあったが、生気を抜き取られていた。ヴィッキーと謎の女性はサルカターと戦う。ピンチに陥ると、狼男バースカル(ヴァルン・ダワン)が現れ助けてくれた。さらに、ストリーが加勢し、サルカターをマグマの中に落とす。実は謎の女性はストリーの娘だった。チッティーやシャマーの救出にも成功する。

 謎の女性はヴィッキーに名前を告げ、去って行く。バースカルは、デリーを吸血鬼が襲っているとの話をジャナーに聞かせる。また、サルカターの末裔は何かに取り憑かれた。

 前作「Stree」は、スターパワー控えめの比較的低予算で作られた映画だった。それ故に醸し出されることになった質素かつ牧歌的な雰囲気が、マディヤ・プラデーシュ州の田舎町を舞台にした民話風の幽霊話ととてもマッチしていた。

 前作が大ヒットしたため、今作では前作を遥かに上回る予算投入が可能となった。おかげで、アクシャイ・クマール、ヴァルン・ダワン、タマンナー・バーティヤーといったスターたちの援護射撃を受け、CGを贅沢に使った、一転してゴージャスな映画に様変わりした。主演ラージクマール・ラーオも現在絶好調で、この6年の間にスターの仲間入りを果たしてしまった。

 前作よりもスケールダウンしていたら期待外れなので、これは適正な進化だとは思うが、スケールアップのデメリットもあったと思う。特に気になったのは、後半に脚本や演出が乱れていたことだ。派手な演出を優先した弊害によって、脚本が二の次になっていたように感じた。たとえば、アクシャイ・クマールが演じた「サルカターの末裔」役は本当に必要だっただろうか。ヴィッキーと「謎の女性」は、サルカターの末裔の助言に従い、「ドラゴンボール」のフュージョンのように「ひとつ」になってサルカターの住処に潜入するが、すぐに分離してしまう。単に二人が融合した姿をCGで見せたかっただけの、技術に溺れたシーンのように見えた。しかも、そんなことをせずとも後からバースカルとストリーが加勢に訪れていたため、その設定は一体何だったんだと疑問に感じた。

 それでも、ホラーとコメディーのブレンドはもはやお家芸の域に達しており、とにかく笑える。特にラージクマール・ラーオ、パンカジ・トリパーティー、アビシェーク・バナルジーの三人がそれぞれ競うように個性を容赦なくぶつけ合ったお笑い合戦を繰り広げており、さぞや現地の映画館は笑いに包まれただろうと想像される。

 それに、シュラッダー・カプール演じる謎の女性がチョーティー(ロングの三つ編み)を使ってサルカターと戦う姿は純粋にかっこよく、新たなインド人女性スーパーヒーローの姿を生みだしてしまったかもしれない。「セーラームーン」のインド版だと感じた。

 もし、穿ってこの映画から何かメッセージ性を抽出しようと思ったら、家父長制への批判を見出すことは可能であろう。サルカターは男尊女卑の権化みたいな存在であり、先進的な思考やモダンなファッションをする女性を毛嫌いしていた。サルカターはチャンデーリーに男尊女卑を徹底しようとしたのである。ヴィッキー、謎の女性、「Bhediya」のバースカルなどがサルカターに立ち向かったが、止めを刺したのはストリーであった。これは、家父長制や男尊女卑の終焉を象徴する。だが、娯楽に極限まで振った映画であり、そのメッセージも説得力ある形で発信されていたわけではなかった。

 「Stree 2」は、ホラーコメディー映画をユニバース化して当てているMSUの最新作である。独立記念日に「Khel Khel Mein」(2024年)と「Vedaa」(2024年)と同時に公開されたが、それらを押しのけて2024年最大のヒット作に成長した。この映画の大ヒットは市場からは驚きと共に受け止められている。前作に比べて何倍にも派手になり、よりエンターテインメント性は増した。その分、しっかりした脚本で魅せる映画ではなくなってしまったのは残念だ。それでも、基本はコメディー映画だと思って観れば、それだけヒットしたことにも頷ける出来である。