Madras Cafe

4.0
Madras Cafe
「Madras Cafe」

 2012年のヒンディー語映画界は、「Ek Tha Tiger」、「Dabangg 2」、「Rowdy Rathore」などの大予算型娯楽作が大ヒットしたことが記憶に鮮明であるが、それと平行して、典型的な娯楽路線ではないものの娯楽映画の範疇で高い質を達成した作品もいくつか話題になった。「Paan Singh Tomar」、「Gangs of Wasseypur」、「English Vinglish」などがその代表例だが、精子ドナーを主人公に据えた「Vicky Donor」も忘れてはならない。この映画の監督がシュジト・サルカールであった。

 「Vicky Donor」は軽めのタッチのロマンスコメディー映画であったが、シュジト・サルカールのデビュー作はカシュミール問題を背景にしたロマンス映画「Yahaan」(2005年)であり、彼の趣向はどちらかというとこのような重厚な政治社会劇にあるのかもしれない。彼が「Vicky Donor」の次に選んだのはスリランカ内戦とラージーヴ・ガーンディー元首相暗殺事件という非常にセンシティヴなテーマであり、それが2013年8月23日に公開された「Madras Cafe」であった。

 「Madras Cafe」の主演はジョン・アブラハム。筋肉派の男優で、当然アクション映画への出演が多いが、ディーパー・メヘター監督の「Water」(2005年)に出演するなど、シリアスな演技にも度々挑戦して来ている。ヒロインは「Rockstar」(2011年)でデビューしたナルギス・ファクリー。他にラーシ・カンナー、スィッダールタ・バス、プラカーシュ・ベーラーワーディーなどが出演している。音楽はシャンタヌ・モイトラ、作詞はアリー・ハヤートやゼーブンニサー・バンガシュなど。

 1980年代末、インド陸軍のヴィクラム・スィン少佐(ジョン・アブラハム)は、インドの諜報機関RAWのエージェントとして、内戦状態のスリランカに派遣された。スリランカでは、多数派のシンハラ人と少数派のタミル人の間で民族紛争が起きており、インド政府は平和維持軍(PKF)による軍事介入を行い、平和条約締結による紛争終結を画策していた。ヴィクラムの任務は、タミル人による独立国家建設を目的としてスリランカ政府にゲリラ戦を仕掛けているLTFの弱体化であった。LTFのボスはアンナー・バースカラン(アジャイ・ラトナム)で、彼の排除が最終的な目標であった。

 ヴィクラムはスリランカ北部にあるタミル人の街ジャフナに渡り、現地本部で陣頭指揮を執る諜報部員バーラクリシュナン(プラカーシュ・ベーラーワーディー)と会う。当面は、タミル人で穏健派のシュリーとコンタクトを取り、選挙に立候補させて平和条約を結ばせ、タミル人の支持をバースカランから奪う方向で動く。バースカランは選挙の妨害に出て来ることが予想された。シュリーは、バースカランと対抗するためには大量の武器が必要だと話し、武器の供給を条件にヴィクラムの申し出を受け容れると述べる。ヴィクラムはインドから武器を取り寄せるが、この情報がバースカランに漏れ、その武器はシュリーではなくバースカランに奪われてしまう。

 この失敗によりシュリーとの交渉は決裂し、ヴィクラムはバースカランとシュリーの両者に命を狙われるようになる。遂にヴィクラムはバースカランによって誘拐され、インド政府に緊張が走る。インドの特殊部隊によってヴィクラムは救出されるが、拷問により重傷を負っていた。彼はしばらくコロンボの病院で休養を余儀なくされた。病院には、RAWの上司ロビン・ダット、通称RD(スィッダールタ・バス)も慰問に訪れた。ヴィクラムにはまだインドに戻る意志はなく、次なる作戦を提案する。だが、内部に情報漏えい者がいることに感づいていたため、内密で作戦を行うことにした。

 ヴィクラムが目を付けたのは、バースカランのナンバー2、マライであった。彼を懐柔し、バースカランの後継者に担ぎ上げることで、LTFをコントロール下に置くのが狙いであった。ヴィクラムはマライとコンタクトを取り、説得に成功する。インド軍はマライから得た情報を元に急襲を行い、バースカランは死んだことが報道される。マライはバースカランの後を継いでLTFの指導者となる。ヴィクラムはスリランカを脱出し、ケーララ州コーチンの自宅に帰宅した。

 ところがバースカランは生きていた。バースカランはマライを捕えて処刑し、LTFを再び支配下に置く。シュリーも殺し、LTFはスリランカやインド軍に対してより熾烈に反撃を始めた。スリランカ政策の失敗などを問われ、インド首相は選挙で敗北し辞職する。スリランカに駐屯していたPKFも撤退を余儀なくされる。ちょうどその頃、情報漏えい者がバーラクリシュナンである疑いが強まっていた。発覚を恐れたバーラクリシュナンは、ヴィクラム暗殺のために刺客をインドに送っていた。しかし、刺客はヴィクラムではなく誤って妻のルビー(ラーシ・カンナー)を殺してしまう。ヴィクラムはバンコクへ飛んで、バーラクリシュナンがハニートラップに掛かっていた証拠を手にする。万事休したバーラクリシュナンは拳銃自殺をする。

 また、RAWはバースカランがロンドンやバンコクなどと頻りに連絡を取り合っていることを知り、欧米諸国がバースカランを密かに支援している疑いを強める。ヴィクラムは、インド系英国人戦場ジャーナリスト、ジャヤー・サーニー(ナルギス・ファクリー)の助けもあり、シンガポールのマドラス・カフェでLTFの代表者が欧米諸国の関係者と会談を持ったことも突き止める。また、インドではちょうど再び総選挙が行われようとしており、元首相が公約としてスリランカへの介入を掲げ、選挙戦に臨んでいた。LTFはインドによるスリランカ再介入を阻止するため、元首相暗殺を計画する。通信傍受によりその計画を察知したRAWとヴィクラムは、暗殺阻止に動き出す。5人の刺客がインド入りしていること、プラスチック爆弾を調達したことなどが判明するが、タミル・ナードゥ州ペルンブドゥールの集会での自爆テロを防ぐことには失敗する。

 その後、ヴィクラムはヒマーチャル・プラデーシュ州カサウリーに隠遁し、罪悪感にさいなまれながら、酒に溺れる毎日を送っていた。

 インド南東沖に位置する島国スリランカでは、総人口の7割を占めるシンハラ人と、2割を占めるタミル人の間で、長きに渡って内戦が行われて来た。シンハラ人は1948年のスリランカ独立以降、同国の政治を支配して来た一方、シンハラ人による差別的政策に反対するタミル人の中から武力抗争による独立を目指す勢力が生まれ、1980年代からタミル・イーラム解放の虎(LTTE)がその先頭に立ってゲリラ戦術により激しい抵抗を続けて来た。シンハラ人は概して仏教徒であり、タミル人はヒンドゥー教徒である。また、タミル人はインド南東部タミル・ナードゥ州にも住んでいる民族であり、両者の間では強い結びつきがある。これらの理由から、インドもスリランカの内戦に対して黙ってはいられない事情があった。

 この内戦は2009年に、LTTEの指導者ヴェールピッライ・プラバーカランの死によって、LTTEの敗北に終わる。「Madras Cafe」は、主に1980年代後半から90年代初頭にかけてのスリランカ内戦をインドの立場から描いた作品であった。劇中で登場する人物や組織の中には実名になっていないものが多いが、そのモデルを十分に特定できる程度には再現されていた。例えば劇中に登場するタミル人の武装組織LTFはLTTE以外には考えられず、劇中で「首相」「元首相」として登場するのはラージーヴ・ガーンディーであり、LTFの指導者アンナー・バースカランはプラバーカランに対応している。他に、ハニートラップに掛かって情報漏えい者となったRAW諜報部員バーラクリシュナンにもモデルが存在すると言う。ラージーヴ・ガーンディー元首相は、選挙集会中に、彼に花輪を掛けようと近づいて来た、支持者を装った女性テロリストによって爆殺されており、それも忠実に再現されていた。

 ただ、「Madras Cafe」が最もセンセーショナルに取り上げていたのは、欧米諸国がスリランカ内戦に秘密裏に干渉していたことである。題名となっているマドラス・カフェとは、シンガポールに存在する架空のカフェで、劇中では、ここでLTFの代表者が欧米諸国と複数回に渡って交渉を持っていた。また、無線によって連絡も取り合っていた。バースカランの独立運動を支持し、実現させることで、インド洋のシーレーン覇権を握ることが目的であった。それはインドの国防上、大きな脅威となり得た。その「グレートゲーム」の中で、スリランカ介入に積極的な元首相が暗殺される。もちろん、どこまで事実に基づいているかは、慎重な検証を要する。映画化されたからと言って、それが事実になる訳ではない。だが、このとき「自爆テロ」の手法がヒンドゥー教徒を主体とするLTTEによって人類史上初めて実行に移され、その後ムジャーヒディーン(イスラーム教徒戦士)たちがより大規模に発展させて行くことになったという事実には、もっと注目してもいいだろう。そしてもし、欧米諸国がLTTEを後援していたのが事実ならば、21世紀に入りムジャーヒディーンによる自爆テロの主なターゲットとなった欧米諸国は自業自得ということになる。

 一般的な諜報員モノ映画とは異なり、国と国の思惑のぶつかり合いの方が主となっていて、現地で諜報活動を行う諜報部員に華やかなスポットライトが当てられる種類の単純な娯楽作ではなかった。主人公ヴィクラムは巨大なゲームの中で翻弄され、一時はLTFの虜囚となってしまう。任務を遂行する中で妻を失い、元首相暗殺阻止という最終的なミッションにも失敗する。映画の最後で彼は、「元首相を救うことができた」という悔恨の念の中、何の救いもなく消えて行く。ヒロインのジャヤーの役割も潔いほど限定的だ。必ずしも後味のいい映画ではなかったが、実際の事件を緊迫感のある形で提示できており、監督の巧みな構成力は十分感じさせられた。

 近年、ヒンディー語映画界では、歴史上の事件や人物などを上手に娯楽映画化できる監督に恵まれて来ている。ともすると事実を追うだけの教科書的映画になってしまいがちなのだが、そこに上手にフィクションや娯楽要素を織り交ぜて、一本の娯楽映画として完成させられるのが強みだ。「No One Killed Jessica」(2011年)のラージクマール・グプター監督、「Paan Singh Tomar」のティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督、「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)のラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督などがその代表例であり、その他にも潜在能力を持った監督が多い。スリランカ内戦とラージーヴ・ガーンディー暗殺という難しいテーマにした「Madras Cafe」を完成させたシュジト・サルカール監督も十分にそれらのリーグの中に含めていいだろう。

 ちなみに、ラージーヴ・ガーンディー暗殺事件をテロリストの観点から描いた「Malli」(1998年)というタミル語映画があり、これは「マッリの種」という邦題で日本でも劇場一般公開されている。