
Netflixは、劇場公開用のインド映画では検閲に関係で実現できないような際どい性描写を盛り込んだ愛欲テーマのオムニバス映画「Lust Stories」シリーズを送り出し、物議を醸しながらも人気を博してきた。これまで、「Lust Stories」(2018年/邦題:慕情のアンソロジー)と「Lust Stories 2」(2023年/邦題:慕情のアンソロジー2)が配信され、2026年9月18日には第3弾となる「Lust Stories 3」が配信開始された。日本語字幕付きであり、邦題は順当に「慕情のアンソロジー3」となっている。
ロニー・スクリューワーラーがプロデュースする「Lust Stories」シリーズでは、一貫してインドを代表する映画監督が起用され、知名度のある俳優たちが出演している。「Lust Stories 3」は4本の短編映画から構成されており、監督は「Udaan」(2010年)などのヴィクラマーディティヤ・モートワーネー、「Laapataa Ladies」(2023年/邦題:花嫁はどこへ?)などのキラン・ラーオ、「Gehraiyaan」(2022年)などのシャクン・バトラー、そして「Haider」(2014年)などのヴィシャール・バールドワージである。
今回、なぜか各短編に題名が付けられておらず、監督名で区別されている。それぞれの物語は基本的に独立しているが、少しだけ関連性を持たせるような工夫もなされていた。
ヴィクラマーディティヤ・モートワーネー
キャストは、ラーディカー・アープテー、コーンコナー・セーンシャルマー、ヴィジャイ・ヴァルマー、アビシェーク・バナルジーなどである。また、音楽監督はスネーハー・カンワルカルである。
この短編映画の主題はスワッピングだ。結婚から15年が過ぎ倦怠期を感じているパドマー(ラーディカー・アープテー)は、同じく性的にフラストレーションを抱えている親友ショーナーリー(コーンコナー・セーンシャルマー)の提案により、スワッピングの計画を立てる。パドマー、夫のヘーマント(ヴィジャイ・ヴァルマー)、ショーナーリー、夫のデーベーンドゥ(アビシェーク・バナルジー)は、子供たちを連れてカンダーラーのホテルに宿泊する。そして、パドマーはデーベーンドゥと一対一になり、ショーナーリーはヘーマントを誘惑する。こんなあらすじである。
まず注目されるのは、パドマーとショーナーリーがスワッピングのアイデアを得たのが韓国ドラマだったことである。ノースイースト人と思われる東洋人顔の俳優たちが起用され、偽の韓国ドラマが再現されていた。韓国ドラマが映画のネタになるくらいインド社会によく浸透している実態を反映しているといえるだろう。
スワッピングの言い出しっぺはショーナーリーだったが、どちらかといえばスワッピングに成功しそうになっていたのは、奥手なパドマーの方だった。性的な欲求不満を解消するために二人はお互いの夫を誘惑していたが、嫉妬を押さえ込むことはできなかった。パドマーとショーナーリーの友情にも亀裂が入りそうになる。
インド映画らしいのは、結局スワッピングは実行されなかったことだ。寸止めで終わっていた。パドマーとデーベーンドゥはベッドの上で服を脱がし始めるところまで行ったがショーナーリーに止められる。最後にパドマーは救急車の中で夫ヘーマントと事に及ぶ。一方のショーナーリーについては、なぜかホテルの従業員デーヴィッド・ロボとただならぬ関係になりそうな展開を示唆しながら結末を迎える。
ストーリーにはあまり現実感がなかった。インド人女性たちが自らスワッピングを実行しようとする時点で信じられなかったし、スワッピングが性的フラストレーションの解決になるということも疑問だった。それよりも、ラーディカー・アープテーとコーンコナー・セーンシャルマーの体当たりの演技および競演が見どころの作品だといえる。二人とも性描写には消極的ではない先鋭的な女優として知られる。ラーディカーは「Parched」(2015年)や「Sister Midnight」(2024年)などで、コーンコナーは「Dolly Kitty Aur Woh Chamakte Sitare」(2020年)などで既に一線を越えた演技をしている。
キラン・ラーオ
キャストは、グルファテー・ピールザーダー、サナ・タンピ、プーナム・マートゥルなどである。4作品の中ではもっともスターパワーが弱いが、ラーオ監督のこだわりであろうか。時間軸は、ヴィクラマーディティヤ・モートワーネー監督の作品から4日前とのことだ。
物語は、ムンバイーでピザのデリバリーボーイをするカラン(グルファテー・ピールザーダー)と、ケーララ州から来たネイリスト、リサ(サナ・タンピ)の出会いから始まる。二人は電話番号を交換し、メッセージアプリで交流するようになって、やがてデートするようになる。何の変哲もない恋愛物語のように見える。
ただ、カランには2つの隠し要素があった。ひとつは、彼にアルジュン(グルファテー・ピールザーダー)という双子の弟がいたことである。カランとアルジュンは同居していた。また、カランとアルジュンは麻薬の密売に手を染めていた。アルジュンは漁港で働きながら、ボスから麻薬を預かり、カランはピザのデリバリーと同時並行して麻薬を顧客に届けていた。
パンジャーブ州に住む母親(プーナム・マートゥル)が息子たちに会いに来てしばらく彼らの家に滞在することになった。麻薬の隠し場所に困った二人は、リサの家に隠すことにする。幸い、リサのルームメイトであるシカーは長期間留守にしており、カランはリサから合鍵を預かっていた。
カランとアルジュンはそっくりだったが、多少の違いがあった。まず、アルジュンは猫アレルギーだった。リサの家には飼い猫がいた。また、カランに比べてアルジュンは女性に奥手のようだった。ある日、アルジュンはリサの家に隠してあった麻薬の一部を取り出しに行くが、そこでリサと出くわしてしまう。リサはアルジュンをカランだと思い込んで誘惑する。アルジュンはリサとの情事が忘れられなくなってしまう。アルジュンはカランに内緒でリサに会おうとする。
ところが、実はリサにも秘密があった。リサは友人と共に自分の美容院を開こうと考えており、そのために資金が必要だった。リサは早い内からカランが麻薬の密売人であることに気付いており、彼が貯め込んでいた現金を盗み出すチャンスをうかがっていた。しかも、カランには双子の弟がいることも察知していた。彼女がアルジュンを誘惑したのも作戦の内だったのである。
ある日、リサは突然姿を消し、彼らが彼女の家に隠していた現金もなくなっていた。カランとアルジュンは母親と共にムンバイーから逃げることになる。
双子の兄弟が一人の女性を取り合う場面を想像したが、物語は意外な方向に進む。その意外性が全ての作品である。性描写には女性監督ならではの感性が反映されているように感じた。
シャクン・バトラー
キャストは、アリー・ファザル、ラーディカー・マダン、ラジャト・カプール、ヴィジャイ・マウリヤなどである。時間軸は、キラン・ラーオ監督の作品から4週間前とのことだ。
ヴァルン(アリー・ファザル)とサーイリー(ラーディカー・マダン)は離婚調停中の夫婦であった。5年間の結婚生活の後、別居をするようになった。家庭裁判所からは離婚成立前に半年間の冷却期間を置くように指示された。弁護士からは、離婚したかったら会うなと忠告されていたが、二人には未練があり、つい会ってしまい、そしてセックスもしてしまっていた。
二人はこのまま離婚するのか、それともよりを戻すのか、結末が注目される作品だった。また、お互いに嫌いながらも会うとセックスをしてしまうという矛盾した心理状態にもメスが入れられていた。
二人の間には主に2つのことがあったと考えられる。ひとつは嫁姑の対立だ。二人の家の上階にヴァルンの両親が住んでおり、サーイリーは事あるごとに義母の介入を受け辟易していた。しかも、母親に逆らえないヴァルンにも愛想を尽かしていた。ヴァルンとサーイリーを離婚に向かわせた大きな要因は嫁姑問題だったといえる。また、過去にサーイリーは中絶をしており、その罪悪感も二人の関係に影を落としているように見えた。
離婚直前の冷却期間にヴァルンとサーイリーは今まででもっとも心を開いて話し合うことができた。そして、矛盾するようだが、お互いをよく理解した上で、納得して離婚することにしたと解釈できる。二人が手をつないで家庭裁判所に向かうシーンで終幕になる。
ヴァルンとサーイリーが一体どうしたいのかよく分からない物語だったが、まさに人間の心理のよく分からなさを表現したかったのだと思われる。これから離婚する夫婦が、離婚すると決めた後にお互いのことがよく理解できるようになるというのもあり得る話だ。それゆえに冷却期間が置かれるのであろうし、たとえ離婚が解消されなかったとしても、前向きにそれぞれの人生を歩んでいくきっかけにもなる。
ただ、ヴァルンとサーイリーは離婚後も会い続け、身体の関係も続けるような予感がしてならない。
ヴィシャール・バールドワージ
キャストは、アディティ・ラーオ・ハイダリー、スィッダールト、ガジラージ・ラーオ、ニヴェーディター・バールガヴァなどである。ちなみにアディティとスィッダールトは2024年に結婚している。時間軸は、シャクン・バトラー監督の作品から40年前とのことだ。
ハイダラーバード在住のサーイラー(アディティ・ラーオ・ハイダリー)は女子大学で文学博士課程におり、つい最近、ホメオパシー医のバドルー(スィッダールト)と結婚したばかりだった。彼女は教授(ニヴェーディター・バールガヴァ)から信頼されており、時々授業を代行することもあった。
サーイラーが授業を代行するときには、学生たちは授業そっちのけで新婚生活のことを質問してきた。サーイラーはマントーを教えていたが、学生たちは官能小説を彼女に差し出した。サーイラーは官能小説を読んですっかり虜になってしまう。バドルーとの夫婦生活は決して満足いくものではなかった。
学生たちに勧められ、サーイラーは自分でノートに官能小説を書くようになる。たちまち学生たちに人気になり、ノートは取り合いになる。あるとき学生の一人ラッジョーがノートを紛失してしまう。それからしばらく後、ハイダラーバードの書店に「ラスィーリー・ジャーン」というペンネームの作家が書いた「チュルブリー・ベーガム(お茶目な奥様)」という官能小説が出回るようになる。実はラッジョーの両親は出版業を営んでおり、彼女のカバンに入っていたノートを勝手に抜き出して出版したのだった。彼らはサーイラーが作者であることを突き止め、彼女に2作目の執筆を依頼する。サーイラーは固辞する。
罪悪感にさいなまれたサーイラーは、「チュルブリー・ベーガム」の作者は自分だということを夫に打ち明ける。実はバドルーも「チュルブリー・ベーガム」を読んでおり、女性の扱い方を大いに学んでいた。バドルーはサーイラーの執筆活動を応援する。
ヴィシャール・バールドワージ監督の作品だけ、他の3作と比べて異色のように感じた。まず、モートワーネー監督、ラーオ監督、バトラー監督の作品の舞台は共通してムンバイーであるが、バールドワージ監督の作品だけハイダラーバードが舞台になっている。前の3作品が現代の物語であるのに対し、バールドワージ監督の作品だけ1987年という設定になっていたのも大きな違いだった。また、バールドワージ監督の作品では、登場人物はヒンディー語のデカン方言であるダッキニー語を話している。
味付けもバールドワージ監督作品だけ違っていた。エロではあるが、基調がコミカルなのである。しかも、ウルドゥー語作家サアーダト・ハサン・マントーの小説が引用されたり、イスマト・チュグターイーやプレームチャンドの名前が出て来るなど、文学的な格調の高さもあった。バールドワージ監督の引き出しの多さが感じられた。
主題になっていたのは女性の性欲の在り方である。それは「電球のようにスイッチがオン・オフする」男性とは明確に異なると主張されており、それを世の男性は理解していないという嘆きが込められていた。男性が理解しておらず、性的な満足感が得られないため、女性が性欲の発散のために何をしているかといえば、それが官能小説である。サーイラーがたまたま書いた官能小説が出版社の手に渡り、それが出版されたことでハイダラーバードに旋風が巻き起こった。
普通ならば、ムスリム社会の中で女性がそのように性を開け広げにした文章を世に出したら大問題になるところだが、夫のバドルーは革新的に理解があり、彼女の書いた文章を読んで女性について知識を深めることができた。そして、ハッピーエンドで締められていた。
まとめ
以上、4作品をざっと解説した。元々「Lust Stories」シリーズは、女性視点で性愛を取り上げる傾向が強かったのだが、「Lust Stories 3」でもその傾向は変わらない。ラーオ監督作品は基本的に男性視点ではあるが、最後に全てを持って行くのは女性キャラだ。バトラー監督作品だけは男女両方の視点から描かれていたといえる。
モートワーネー監督作品とバールドワージ監督作品では、女性の性欲が堂々と肯定されている。一昔前のインド社会ではこれだけで大きな問題になった可能性があるが、もはや今ではそれぐらいの主張では世間が騒がなくなった。ただ、モートワーネー監督作品のように、あまりに女性の性欲を肯定しすぎるあまり、女性が男性を性的にもてあそんでいるように見えるような描写になってしまうと、「有害なフェミニズム」として批判の対象になる可能性も否定できない。
4作品を見比べてみると、構成のうまさはラーオ監督に軍配が上がるものの、総合的にはバールドワージ監督の圧勝だと感じる。俳優の中では、バールドワージ監督作品で主演を務めたアディティ・ラーオ・ハイダリーが頭ひとつ飛び抜けていた。
映画ではできないような過激な性描写を売りにした「Lust Stories」シリーズは、今後も続いていきそうである。
