ダーウード・イブラーヒーム

 ヒンディー語映画で直接的・間接的にもっともよく取り上げられる実在の人物は、「インド独立の父」マハートマー・ガーンディーでもなく、ジャワーハルラール・ネルー初代首相以来の長期政権を築き上げているカリスマ政治家ナレーンドラ・モーディー首相でもない。それは、ムンバイーがまだ「ボンベイ」と呼ばれていた1980年代から90年代に掛けて、そのアンダーワールドを支配してきたギャングのドン、ダーウード・イブラーヒームである。

 ムンバイーを舞台にしたギャング映画の大半は、ダーウードと何らかの関係があると考えていい。ヒンディー語映画に登場するギャングは、ダーウードをモデルにしている例が少なくない。ショービジネス好きなダーウードは映画業界とも密接な関係を持っており、当時を生きた監督やスターたちはダーウードと関係を持たざるをえなかった。つまり、映画業界の人々はダーウードの行動や影響力を間近で見てきた証人であり、それゆえに彼は絶好の題材にもなっているのである。

 ヒンディー語映画の世界に足を踏み入れようとした際、ダーウード・イブラーヒームは是非とも知っておかなければならない名前だ。

ダーウード・イブラーヒーム

ギャングからテロリストへ

 ダーウード・イブラーヒーム・カースカルは1955年12月26日、コーンカン地方に生まれた。父親はボンベイ警察の巡査だった。ムンバイー南部のドーングリーで生まれ育ったダーウードは高校を中退すると、泥棒や詐欺などの軽犯罪に手を染めるようになり、やがて地元ギャングの一員になった。1970年代後半に兄のシャッビールと共に独立して自分のギャングを立ち上げたが、これが後に「Dカンパニー」と呼ばれるようになる。彼はハージー・マスターンなど旧世代のドンを追い落とし、ボンベイのアンダーワールドの支配者にのし上がって、金や麻薬の密輸、地上げ、脅迫、賭博などで巨万の富を築き上げた。そして、シャッビールが1981年に殺されると、ダーウードはDカンパニー唯一のドンに君臨することになる。

 ギャング戦争が日常化し、治安が極度に悪化したことに危機感を覚えたボンベイ警察は、1982年前後から「エンカウンター」を口実にしたギャングの即時射殺を始めた。この強硬策が功を奏し、ボンベイの路地からギャングが一掃され始めた。そこでダーウードはドバイに高飛びし、安全圏から遠隔操作でボンベイのアンダーワールドを支配するようになる。

 また、映画の文脈で見逃せないのが、1980年代から90年代に掛けてダーウードが映画界に対して保持していた影響力だ。当時はまだ映画が「産業」として認められておらず、映画製作において銀行などの正規の金融機関から融資を受けるのは困難だった。よって、映画界は苦肉の策としてブラックマネーに頼らざるをえなかった。映画の多額のブラックマネーを供給する大口スポンサーの一人がダーウードだったといわれている。ダーウードは資金提供のみならず、映画の内容やキャスティングにも口出ししていた。自身の愛人をヒロインとして起用するように強要したエピソードは有名だ。「Ram Teri Ganga Maili」(1985年)の「Tujhe Bulayen Yeh Meri Bahen」で有名な女優マンダーキニーはダーウードの愛人だったともっぱらの噂である。また、ダーウードがドバイで開くパーティーには映画スターたちがこぞって参加した。

マンダーキニー
マンダーキニー

 マンダーキニーの件もそうだが、1980年代のダーウードには愛嬌のあるエピソードが多い。たとえば、1986年にシャールジャでインド対パーキスターンのクリケット試合が開催されたことがあった。試合前、インド代表選手が控室にいると、突然髭の男が乱入してきて、「パーキスターンに勝ったら選手全員にトヨタのカローラを贈る」と持ちかけた。キャプテンのカピル・デーヴは、彼が誰だか知らず、「部外者は出ていけ!」と追い出した。後からそれがダーウード・イブラーヒームだと分かり、選手たちは震え上がった。ちなみに、この試合ではパーキスターンが僅差で勝利を収めた。

 だが、1990年代に彼の肩書きは一介のギャングから国家に敵対するテロリストに変貌する。

 1992年12月6日、アヨーディヤーのバーブリー・マスジドがヒンドゥー教過激派によって破壊されるという大事件が起きる(参照)。また、その余波としてボンベイではコミュナル暴動が起き、イスラーム教徒にも多くの死者が出る。これら一連の事件は、1947年の印パ分離独立後も何とか調和を保って共存してきたヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間に大きな溝を永遠に刻み込んでしまった、インド現代史上最大の惨事のひとつとして記憶されている。

 ダーウードはイスラーム教徒であり、バーブリー・マスジド破壊事件や、その後の暴動で多数のイスラーム教徒が殺されたことを、イスラーム教に対する挑戦と受け止めた。その義憤が形になったのが1993年3月12日のボンベイ同時爆破テロだったとされている。ダーウードがパーキスターンの諜報機関ISIと手を結んでボンベイ市内12ヶ所に爆弾を仕掛け、ほぼ同時に爆発させたというのが公式見解になっている。ダーウードが単なるギャングからテロリストになった瞬間だった。

 ただ、このとき既にダーウードはインド国内にはおらず、インド政府はダーウードを捕まえることができていない。ダーウードはこの事件の後にパーキスターンの商都カラーチーに移り、ISIの庇護の下、「ホワイトハウス」と呼ばれる豪邸に住んでいるとされている。

 ボンベイ同時爆破テロ後も、少なくとも1990年代末までは、ダーウードの影響力はボンベイに残り続たと思われる。1997年にTシリーズ社の創業者グルシャン・クマールが暗殺されたが、これはDカンパニー絡みの事件だったとされている。グルシャンの息子で現社長のブーシャン・クマールは、自社が製作する映画の冒頭に必ず父親の肖像を掲載し、追悼している。

グルシャン・クマール
グルシャン・クマール

映画の中のダーウード

 ダーウード・イブラーヒームの脅威が薄らいだと感じられるようになるのは2000年代に入ってからだ。なぜならこの時期に入ると雨後の筍のようにダーウードを題材にした映画が作られるようになるからである。映画界がダーウードの支配下にあったら、こんな創造的自由は望めないだろう。

 派手好きなダーウードは、アンダーワールドのドンとして独自のスタイルを築き上げた。それは映画メーカーにとって格好の題材であり、ヒンディー語映画にはダーウードのスタイルを踏襲したドンがよく登場する。

 ダーウードをもっとも特徴付けるファッションは、サングラスと口ひげである。このスタイルのキャラクターが登場し、ギャングのドンを名乗っていたら、十中八九そのモデルはダーウード・イブラーヒームだと考えていい。「Company」(2002年)のアジャイ・デーヴガンや「Once Upon a Time in Mumbaai」(2010年)のイムラーン・ハーシュミーが演じた役のファッションはダーウードそのものである。

Company
「Company」

 グラマラスなショービジネスの世界が大好きで、女優を愛人にしたり、映画に口出ししたり、クリケットの八百長に関与したりするのもダーウードをモデルにしたドンの典型例だ。また、ドバイなどの海外に住みながら、遠隔操作でインドのアンダーワールドに指令を出し犯罪を実行するのもまさにダーウード方式である。

 その他にも、ダーウードが生まれ育った「ドーングリー」、ダーウードのギャング組織の名称「Dカンパニー」、もしくは彼の頭文字「D」なども、ダーウードを象徴する「ブランド」である。それらは映画の中でも最大限に活用される。「D」(2005年)、「C Kkompany」(2008年)、「D-Day」(2013年)、「Dongri Ka Raja」(2016年)、「Coffee with D」(2017年)などの題名を見てダーウードをパッと想起できない人は、ヒンディー語映画の世界では「もぐり」扱いされてしまうだろう。

ダーウードへの復讐

 前述の通り、Tシリーズの現社長ブーシャン・クマールは父親をDカンパニーに殺されている。映画業界においてダーウード・イブラーヒームにもっとも恨みを持った者は彼かもしれない。ふと調べてみると、ダーウードをモデルにしたキャラクターに復讐をするようなプロットの映画には必ずTシリーズが関与している。

 たとえば「D-Day」は、カラーチーに潜伏する「ゴールドマン」と呼ばれるインド出身マフィアを暗殺するスパイ映画だった。リシ・カプールが演じたこの「ゴールドマン」は明らかにダーウード・イブラーヒームをモデルにしていた。この音楽配給はTシリーズ社が担った。映画の結末で「ゴールドマン」は射殺される。

 さらに顕著なのが「Dhurandhar」(2025年)と「Dhurandhar: The Revenge」(2026年)だ。ひとつの映画が前半と後半に分かれて公開され、どちらも歴史的な大ヒットになった。だが、異例なことに、音楽配給権が第1部と第2部で変わっている。「Dhurandhar」の方はSaregama社が音楽配給をしたのに対し、「Dhurandhar: The Revenge」の方はTシリーズ社が音楽配給権を獲得した。

 実は「Dhurandhar」シリーズにもダーウード・イブラーヒームが登場する。映画の中で彼が殺されることはないが、死よりも苦しい罰が与えられている。第1部ではダーウードは名前だけの登場だが、第2部では実体を伴って登場する。Tシリーズ社がSaregama社から音楽配給権を横取りしたのは、ブーシャン・クマール社長による執念のなせる技だったのかもしれない。彼は、ダーウードが痛い目に遭う映画ならどんなものでも採算度外視で資金提供しているように見える。

 もっとも、「Dhurandhar」は大ヒットしていたので、純粋にビジネス上の損得計算から、無理をしてでもその続編の音楽配給権を取りに行っただけなのかもしれない。