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「D」

 今日は、2005年6月3日公開の新作ヒンディー語映画「D」をPVRアヌパム4で観た。ラーム・ゴーパール・ヴァルマーがプロデュースするギャング映画であるが、ちょうど彼自身が監督したギャング映画「Company」(2002年)に出てきたマフィアのドン、マリク(アジャイ・デーヴガン)が、ドンになるまでを描いたような作品であった。ラーム・ゴーパール・ヴァルマーは「Satya」(1998年)でもギャングを主人公にしており、これら3作品を彼のギャング三部作と呼ぶことができる。

 監督はヴィシュラーム・サーワント、音楽はプラサンヌ・シェーカルとニティン・ラーイクワール。キャストは、ランディープ・フッダー、ゴーガー・カプール、チャンキー・パーンデーイ、ヤシュパール・シャルマー、スシャーント・スィン、ルクサール、イーシャー・コッピカルなど。ラージパール・ヤーダヴが特別出演。

 警察官の息子で、無為に人生を過ごしていたデーシュー(ランディープ・フッダー)は、ある日、自ら志願して、ムンバイーのマフィア、ハーシムバーイー(ゴーガー・カプール)の下で働くようになる。元々警察の訓練を受けたデーシューは拳銃の扱いに長けており、また政治的センスも持ち合わせていた。デーシューの活躍により、ハーシムバーイーはライバルのマフィアを次々と打ち破り、勢力を広げる。デーシューは仲間からも尊敬を受けるようになり、特にラーガヴ(チャンキー・パーンデーイ)は彼の親友となった。また、デーシューは女優バクティー(ルクサール)と恋仲になる。

 ところが、ハーシムバーイーの息子、シャッビール(ヤシュパール・シャルマー)とムカッラム(スシャーント・スィン)は、デーシューばかりが注目を集めるのが面白くなかった。二人は父親にデーシューの悪い噂を吹き込み、デーシューの勢力を一掃する許可を得る。ムカッラムはラーガヴとその愛人(イーシャー・コッピカル)を殺害するが、デーシューとバクティーは刺客を巻いて逃げ出す。ハーシムバーイーの親友で、グジャラートのマフィア、ガンガーラームは、デーシューの力を高く買っており、ハーシムバーイーのマフィア内で起こった内紛を解決しようと努力する。しかし、デーシューは和解の場において容赦なくムカッラムを撃ち殺す。

 もはやハーシムバーイーのグループ内での内紛は避けられなくなった。だが、デーシューの方が才能も人望も上で、すぐにハーシムバーイーの息のかかった者たちは始末された。こうして、デーシューはマフィアのドンにのし上がった。こうして、誰も彼のことを「デーシュー」と呼ぶ者はいなくなり、デーシューは畏敬の念と共に「D」と呼ばれるようになった。

 一人の男がマフィアの中で実権を握るまでを淡々と描いたハードボイルドな映画。映像や表現技法が工夫されており、かっこいい映画に仕上がっていたが、ストーリーは一直線で、人物の心情描写にも深みがない。デーシューの圧倒的な強さと賢さも、警察の息子であること以外、最後まで何ら説明や言い訳がされることがなかったので、現実感がなかった。ミュージカルシーンの中途半端な挿入もマイナスに働いていた。「インドのクエンティン・タランティーノ」と呼ばれるラーム・ゴーパール・ヴァルマーは、なぜ執拗に同じようなプロットのギャング映画を撮り続けるのだろうか・・・。

 映画の題名「D」とは、主人公デーシューのことである。しかし、ムンバイーで頭文字「D」から始まる実在のマフィアと言ったら、誰しもが思い浮かべる人物がいる。ダーウード・イブラーヒームである。ダーウードはドバイにいながらムンバイーを支配した有名なマフィアで、1993年3月12日のムンバイー連続爆弾テロの首謀者とされており、インドの最重要指名手配犯となっている。現在はパーキスターンに匿われているとか。「Company」も、ダーウード・イブラーヒームとその腹心チョーター・ラージャンとの間の抗争を基にした映画と言われている。ダーウードとデーシューの間には、頭文字以外にも多くの共通点がある。例えば、デーシューの父親は警察官であるが、ダーウードも警察官の息子である。デーシューはハーシムバーイーというマフィアの下でギャングとしてのキャリアをスタートさせたが、ダーウードも1983年にカリームラーラーというマフィアの下で働き始めてドンまで登りつめた。ダーウードの愛人は、「Ram Teri Ganga Maili」(1985年)で有名なヒンディー語映画女優、マンダーキニーだったが、デーシューも映画女優バクティを恋人にした。デーシューは、ハーシムバーイーの2人の息子、シャッビールとムカッラムにライバル視されるが、ダーウードもカリームラーラーの親戚、アーミルザーダーとアーラムゼーブと激しい内部抗争を繰り広げた。ラーム・ゴーパール・ヴァルマーは、「D」とダーウード・イブラーヒームの関連を否定しているが、明らかにこの映画は、インドで最も有名なマフィアがドンにのし上がるまでを描いた映画である。聞くところによると、ラーム・ゴーパール・ヴァルマーのもとには、既にマフィアから脅迫の電話がかかって来ているとかいないとか・・・。故伊丹十三監督のようにならなければいいが・・・。

 デーシューを演じたランディープ・フダーは、「Monsoon Wedding」(2001年)でデビューした男優。本作が2回目の出演作となるが、いきなり主役に大抜擢された。およそマフィアのボスにのし上がる男とは思えない、細身で優男の風貌だが、そのギャップが逆によかった。脇役陣の演技も素晴らしかった。ハーシムバーイーを演じたゴーガー・カプール、デーシューの親友ラーガヴを演じたチャンキー・パーンデーイなど、あまり名前に馴染みのない俳優がいい演技をしていた。なぜかいつも裏切り者を演じ、僕が勝手に「裏切り者男優」というレッテルを貼っている、ヤシュパール・シャルマーが、やっぱり今回もズルイことをしていて密かに満足。ジョニー・リーヴァルに次ぎ、最近のヒンディー語映画界を代表するコメディアンに台頭したラージパール・ヤーダヴは、なんとアイテムボーイ(挿入歌のみダンス出演)として登場。女優陣の活躍の場は少なかったが、イーシャー・コッピカルが印象的であった。

 ラーム・ゴーパール・ヴァルマーが制作・監督する映画の中には、インド映画のトレードマークであるミュージカルシーンを一切排したものがいくつもあるが、この「D」にはいくつかのミュージカルシーンが強引な形で挿入されていた。全体のハードボイルドな雰囲気からすると、これらのミュージカルシーンは相容れなかった。

 インドのギャング映画は概して言語が難しい。マフィア独特の言い回しや俗語などがあるからだ。だが、この映画のヒンディー語は、標準ヒンディー語に比較的近いもので、分かりやすかった。「D」独特の技法として、登場人物同士の会話が途中で音楽にかき消されるというものがあった。そのような手法が何度も使用されていた。手抜きにも思えたが、「映画らしい工夫」としておこう。

 一般に「映画らしい映画」と言った場合、「インド映画らしくない映画」ということになってしまうのだが、「D」は、「映画らしい映画」かつ「インド映画っぽい映画」であった。実在の大物マフィアの半生をベースにした作品として観ても面白い。