
2025年7月18日公開の「Saiyaara」は、アクション映画全盛の現代にあって、ヒンディー語映画界最大のコングロマリット、ヤシュラージ・フィルムスが送り出す正統派ロマンス映画である。
プロデューサーは2022年からヤシュラージ・フィルムスのCEOを務めるアクシャイ・ウィダーニー。監督は「Aashiqui 2」(2013年/邦題:愛するがゆえに)などで知られるモーヒト・スーリー。音楽はミトゥン、タニシュク・バーグチー、サチェート=パランパラー、リシャブ・カント、ヴィシャール・ミシュラー、ファヒーム・アブドゥッラー、アルスラン・ニザーミー。作詞はイルシャード・カーミル、ミトゥン、リシャブ・カント、ラージ・シェーカル。
主演はアハーン・パーンデーイとアニート・パッダー。アハーンは「Rock On 2」(2016年)などで助監督経験があるが、演技は初だ。チャンキー・パーンデーイの甥であり、アナンニャー・パーンデーイとは従兄妹になる。アニートは「Salaam Venky」(2022年)でデビューした女優で、本作が2作目となる。つまり、ほとんど無名の俳優たちを主演に抜擢して作られた。家族に映画関係者はいないはずである。
かといって脇役陣に知名度のある俳優がいるわけでもない。シャーン・グローヴァー、ヴァルン・バドーラー、シャード・ランダーワー、アーラム・カーン、スィド・マッカル、ニール・ダッター、カラン・バルナバス、シュローク・サンジャイ・チプルンカル、ヤジャト・ディングラー、ラージェーシュ・クマール、ギーター・アガルワール・シャルマー、リティカー・ムールティ、モーヒト・ワダーワー、メヘル・アーチャーリヤ・ダールなどが出演しているが、知らない名前ばかりだ。つまり、「Saiyaara」は主演にも脇役にも全くスターパワーのない映画である。
題名の「Saiyaara」は、映画の中でもその意味が丁寧に解説されていたことからも分かるように、日常語ではなく、学術用語もしくは詩的な用語に分類される。アラビア語由来の言葉で、大修館の「ヒンディー語=日本語辞典」では「惑星」「遊星」とされている。映画の中の説明では「移動しながら周囲を照らす明るく孤独な星」とのことで、彗星をイメージしたが、金星や火星などの惑星と捉えておけばいいようだ。ヤシュラージ・フィルムス制作の「Ek Tha Tiger」(2012年/邦題:タイガー 伝説のスパイ)にも「Saiyaara」という挿入歌があった。
ムンバイー在住のヴァーニー・バトラー(アニート・パッダー)は大学時代の恋人マヘーシュ・アイヤル(シャーン・グローヴァー)に結婚をドタキャンされる。マヘーシュはイシカーという裕福な家の女性と出会い、彼女と結婚して富裕層の仲間入りを画策したのである。
それから半年が経ったが、ヴァーニーはショックから立ち直れずにいた。だが、とりあえず仕事を見つけなければならず、メディア会社バズリスト社に面接に行く。その途中で彼女はクリシュ・カプール(アハーン・パーンデーイ)と出会う。クリシュは「ジョーシュ」というバンドのメンバーであり、天才的な作曲家であった。クリシュは、詩作好きなヴァーニーが詩を書きためていた日記帳をたまたま拾い、彼女の詩の才能を認める。
クリシュの父親は妻の死後アル中になっており、彼の治療のためクリシュは金を必要としていた。クリシュは、人気ヒップホッパーのプリンス(シャード・ランダーワー)が歌う曲を作曲することになる。たまたまバズリストの記事のためプリンスの取材に来ていたヴァーニーを見つけ、彼は彼女とチームを組んで曲作りを始める。恋人の裏切りにより心を閉ざしていたヴァーニーは、再び詩作に喜びを見出すようになる。そしていつしか二人は恋仲になる。ただ、ヴァーニーは、クリシュが夢を実現することを望んでおり、自分のために夢を犠牲にしてほしくないと考えていた。
ヴァーニーの詩を得たクリシュが生み出す音楽はたちまちネット上で話題になり、彼はすぐにスターにのし上がる。だが、バズリスト社はマヘーシュの経営するソウルメイツ社から出資を受け、ヴァーニーはマヘーシュと再会してしまう。さらに、ヴァーニーは若年性アルツハイマーと診断され、これから物事をどんどん忘れていくと告げられる。ヴァーニーはそのことをクリシュに伝えようとするが、クリシュは人生の絶頂期にあり、言い出せなかった。さらに、ヴァーニーの症状はマヘーシュと会うたびに悪化し、彼の前では彼と婚約状態にあった自分に戻ってしまい、二重人格者にようになってしまった。クリシュは全国ツアーに出掛けていたが、ヴァーニーの異変を知り、ツアーを放り出してムンバイーに戻る。クリシュはヴァーニーの病気を知り、彼女と共にアリーバーグの別荘で療養生活を送ることを決める。ストレスのない環境で規則正しい生活を送ることで病気の進行を遅らせることができると医師から言われたからである。
だが、ヴァーニーは時々クリシュと会う前の状態に戻り、クリシュに「マヘーシュ」と呼びかけることもあった。クリシュはジョーシュを脱退しヴァーニーと共に暮らすことを決めるが、気付くとヴァーニーは別荘から姿を消していた。クリシュは、彼女が最後に書いた「Saiyaara」という詩に音楽を付け、それを世界中で流すことで彼女と再会できると信じ、ジョーシュと合流して「Saiyaara」を完成させ、各地で歌う。
それから1年後。クリシュはロンドンのウェンブリー・スタジアムでコンサートを開くことになる。そこへ、各地のファンから動画が送られてきたが、マナーリーから送られてきた動画の中にヴァーニーの姿を見つけ、彼はコンサートを放り出してマナーリーへ向かう。彼はそこでヴァーニーと再会する。ヴァーニーの病状はかなり深刻化しており、クリシュを見ても誰だか分からない様子だった。だが、彼の必死の努力でヴァーニーは記憶を取り戻す。クリシュはヴァーニーと結婚する。
「Rockstar」(2011年)やモーヒト・スーリー監督自身の「Aashiqui 2」以来の衝撃。いや、それ以上かもしれない。主人公クリシュはミュージシャンであり、ヒロインのヴァーニーが書いた詩に音楽を付けて歌う。よって、音楽映画の一種だ。そして挿入歌のひとつひとつがいちいち素晴らしい。歌と踊りはインド映画の最大の特徴だが、この映画に踊りの要素はほとんどなく、歌に集中している。その歌が名曲揃いなのである。しかも、作詞者の顔が見えるのが何よりいい。もちろん、その歌詞はストーリーと密接に関わっている。「Rockstar」や「Aashiqui 2」も音楽映画であり、音楽も素晴らしかったが、それに匹敵、あるいは凌駕するほど、音楽映画として完成されていた。
さらなる衝撃は、有名なスターが一人もおらず、主演の二人も新人あるいは無名であるにもかかわらず、ここまで魅力的な作品に仕上がったことである。確かにインド映画はスターシステムで動いているが、スター不在でも音楽やストーリーの力で傑作が生まれることを改めて証明した。インド人観客もさすがであり、この映画の本質を正確に評価し、下馬評を覆して「Saiyaara」をサプライズヒットに押し上げた。現時点では、「Chhaava」(2025年)に次ぐ興行収入を上げたヒンディー語映画になっている。
まず、クリシュとヴァーニーがお互いの支えになるまでの前半が良かった。クリシュは、考えるよりも先に手が出てしまうようなゴロツキ風の男性であった。問答無用で前へ突き進む強さがあったが、アル中の父親という重荷も背負っていた。一方、ヴァーニーは大学でヒンディー語文学を専攻していた経歴からも察せられるように元々内向的な文学少女で、しかも婚約者からの結婚ドタキャンで心に深い傷を負っていた。この二人が出会うわけだが、まずこの関係によって救われたのがヴァーニーだった。彼女はクリシュと出会い、一緒に曲を作るようになってから、過去を忘れることができ始めていた。そんなヴァーニーは、クリシュも深い悩みを抱えていることを知り、「助けたい」と申し出る。それに対しクリシュは率直に「助けてくれ」と返す。愛の告白を「助ける」という言葉が橋渡しするこの場面は、非常に新しさを感じた。
中盤の、ネットでバズることでクリシュが一気にスターダムを駆け上がる展開や、ヴァーニーが若年性アルツハイマーだと診断される展開には多少の落胆も感じた。どちらも既視感しかないからだ。だが、ヴァーニーが姿を消したところから、全ての歯車が合い始める。クリシュは、有名になって、世界中を自分の歌で覆い尽くすことで、彼女が作詞し自分が作曲した歌「Saiyaara」がいつかヴァーニーの耳に届き、自分のことを思い出してくれて、再び会いに来てくれると信じた。
よって、名曲が多いこの映画の中でも、タイトル曲となる「Saiyaara」はもっとも重要な曲だ。名曲中の名曲でなければならない。その点、モーヒト・スーリー監督に抜かりはなかった。確かに「Saiyaara」は素晴らしい曲だ。その冒頭の歌詞を載せる。
तू पास है मेरे पास है ऐसे
मेरा कोई एहसास है जैसे
हाय मैं मर ही जाऊँ
जो तुझको न पाऊँ
बातों में तेरी मैं
रातें बिताऊँ
होठों पे लमहा-लमहा
है नाम तेरा हाय
तुझको ही गाऊँ मैं
तुझको पुकारूँ
सैयारा तू तो बदला नहीं है
मौसम ज़रा सा रूठा हुआ है
君がそばにいると
僕は僕でいられる
ああ、僕は死んでしまう
君がそばにいないなら
君を想って
夜を過ごそう
君の名前を
ずっと唱えよう
君だけを歌おう
君だけを呼ぼう
サイヤーラーよ、君は変わっていない
天気が少し悪いだけだ
映画の中で「サイヤーラー」という言葉は、詩作好きなヴァーニーの口から出た。彼女は、ミュージシャンとして成功したいという夢を持つクリシュをサイヤーラーにたとえた。サイヤーラーのように世界中を飛び回り、人々を照らしてほしいと願った。だが、終盤に来てサイヤーラーはヴァーニー自身に置き換わる。ヴァーニーはクリシュの前から姿をくらましてしまう。記憶のないときは他人を傷付け、記憶のあるときは自分を傷付けることに我慢できなくなったのだ。だが、クリシュは必死に彼女を探し続け、歌い続ける。彼女の作ったこの「Saiyaara」を歌い続けるのである。いつかどこかで彼女がこの歌を耳にし、記憶を取り戻してくれることを願って。
もしこの映画に文句を付けるとしたら、エンディング直前の数分間だ。クリシュはヴァーニーと再会するが、彼女の病状は悪化しており、彼を見ても思い出せなかった。そこでクリシュは彼女の前でクリケットをして、記憶を呼び覚まそうとする。過去にクリシュはヴァーニーの前でよくクリケットをしていたからである。クリケット好きなインド人観客向けへのサービスかもしれないが、音楽映画として完成されているので、ここで無理にクリケットを使う必要は感じなかった。しかも、予定調和的にヴァーニーはクリシュのことを思い出し、彼を抱きしめる。
その後、ヴァーニーの病状がどうなったのか、はっきりとは示されない。クリシュとヴァーニーが結婚したことは分かるのだが、エピローグでそれ以上のことが語られることはなかった。若年性アルツハイマーは治ることはないとのことなので、快方に向かったわけではないだろう。素晴らしい完成度の映画ではあったが、最後の最後でもどかしさを感じてしまった。ついでにいえば、プリンスのその後も知りたかった。
アハーン・パーンデーイとアニート・パッダーは絶賛を受けて然るべきだ。アハーンにはワイルドさとナイーブさが同居しており、現代のインド人観客に受ける要素を持っている。アニートは絶世の美女というわけではないが、等身大の魅力がある。基本的には内向的な女性を演じていたが、時々見せる怒りや狂気の表情に潜在力を感じた。どちらも今年の新人賞筆頭候補であろう。
過去15年ほど、ヒンディー語映画界ではアクション映画が隆盛を極めていた。南インド映画の強い影響を受けたもので、それに伴ってロマンス映画のヒット作は数えるほどしかなくなってしまった。その前には15年以上のロマンス映画全盛期があったことを思うと寂しい限りだった。だが、2025年7月には「Metro… In Dino」(2025年)と「Saiyaara」という2本のロマンス映画が立て続けに大ヒットし、潮目が変わってきているのを感じる。今後は再びロマンス映画が主流になるかもしれない。
「Saiyaara」は、無名の俳優たちを主演に据えた全くスターパワーのないロマンス映画であるが、音楽と脚本が素晴らしく、歌詞とストーリーのシナジー効果が絶大で、大ヒット作に化けた作品だ。挿入歌は名曲ばかりで、しかも歌詞がどれもいい。歌詞のいい映画は今でもインド人の琴線に触れることを雄弁に物語っている。「Rockstar」や「Aashiqui 2」に並ぶ傑作とまで断言できる。必見中の必見の映画である。