サム・マーネークシャー(1914-2008年)は、インド初の元帥(Field Marchal)になった軍人として知られている。インドでは宗教マイノリティーのパールスィー(拝火教徒)である。彼は英領時代に士官学校を卒業し、第二次世界大戦ではビルマ戦線で日本軍と戦って戦功を上げた。印パ分離独立後は、ムハンマド・アリー・ジンナーにパーキスターン軍への加入を勧められたもののインドに残り、第一次印パ戦争、中印戦争、第三次印パ戦争などに将校として関与した。
彼は兵士たちから「サム・バハードゥル」の愛称で親しまれていたという。本名のフルネームはサム・ホルムスジー・フラムジー・ジャムシェードジー・マーネークシャーであるが、おそらく長くて覚えてもらえなかったのだろう。ネパール人兵士たちで構成されたグルカー・ライフル部隊を視察に訪れたとき、ネパール人兵士から「サム・バハードゥル」と呼ばれ、それを気に入って使うようになったとされている。「バハードゥル」とは「勇者」という意味であるが、インド人がネパール人を呼ぶときによく使う言葉でもある。ネパール人兵士は勇猛果敢で知られており、このような称号が普及したのである。
2023年12月1日公開の「Sam Bahadur」は、サム・バハードゥルの伝記映画である。監督は「Raazi」(2018年)などのメーグナー・グルザール。主人公サムを演じるのは、「Uri: The Surgical Strike」(2019年/邦題:URI サージカル・ストライク)や「Sardar Udham」(2021年)を当て、私生活ではカトリーナ・カイフと結婚し、破竹の勢いのヴィッキー・カウシャルである。
他に、サーニヤー・マロートラー、ファーティマー・サナー・シェーク、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、ニーラジ・カービー、ゴーヴィンド・ナームデーヴ、アンジャン・シュリーワースタヴなどが出演している。また、カルキ・ケクランが特別出演している。
映画は、かなり駆け足でサムの人生の重要なポイントを拾っていくスタイルを採っている。誕生と命名、士官学校を放校されそうになった武勇伝、妻スィッルー(サーニヤー・マロートラー)との出会い、彼が関わった戦争の数々、反逆罪で尋問を受けた出来事などである。もっとも時間を掛けて詳しく描かれていたのは1971年の第三次印パ戦争だ。彼の人生が映画化されたのも、第三次印パ戦争の勝利の立役者という理由が大きいだろう。よって、近年増加した第三次印パ戦争絡みの映画群に加えることも可能である。
また、サムはかなりユーモアのある人物だったようで、戦争シーン以外では彼の剽軽な人となりが強調されている。特に妻との会話はコミカルですらある。軍人の伝記映画であるがゆえに、戦争映画でもあるのだが、観ていて暗い気分にならないのは、サムのユーモアあふれる人柄が前面に押し出されていたからであろう。この辺りは監督が女性であることも関係しているのかもしれない。
ただ、サムの人生をなるべく正確にスクリーン上で再現することに力が注がれているために、ストーリー上に観客の気持ちを掴むようなものがあるわけではなかった。おそらくインド人観客にとっては、このような偉大な軍人がいて、特に印パ分離独立後の国防をしっかり担っていたということを改めて実感する効果があるだろう。だが、日本人にとっては、世界史に登場する人物でもないので、興味を持続させることが難しいかもしれない。
とはいえ、日本人にとって興味深いシーンもある。それは、序盤の第二次世界大戦に関する場面だ。サムは英領インド軍所属時代に日本軍と戦った。彼はビルマ戦線に派遣され、ラングーン防衛のための重要拠点死守に貢献したのである。その戦闘で7発の銃弾を腹に受けるという瀕死の重傷を負い、医者にも匙を投げられるが、奇跡的に復活し、武功を讃えられて軍事十字章(MC)を受勲した。
インド独立後、サムはほとんどの重要な戦争に何らかの形で関わっている。第一次印パ戦争前夜には、インドとパーキスターンへの帰属を留保するジャンムー&カシュミール藩王国のハリ・スィンを訪れ、彼のインド帰属決断を促した。中印戦争では、前線に出向いて士気の下がった兵士たちに戦う勇気を与え、敗戦での被害を最小限に留めた。
サムの上げた数々の武功の中でも特にインドにとって大きいのが、第三次印パ戦争の勝利だ。当時、パーキスターンは大統領に就任した陸軍将軍ヤヒヤー・カーンの軍政が敷かれていたが、サムとヤヒヤーは英領インド時代の友人であった。1970年から東パーキスターンで独立運動が盛んになると、サムは戦争の準備を始める。東パーキスターンの反政府勢力を密かに訓練し、決戦に備えた。だが、決してインドからは攻撃を仕掛けなかった。1971年12月3日にパーキスターンがインドに先制攻撃を仕掛けると、サムは満を持してパーキスターンに軍を移動させ、効果的に敵の制圧を行った。また、パーキスターン軍の敗色が濃厚になると、彼はパーキスターン軍に対して投稿を呼びかけ、兵士たちの戦意をそぐことに成功した。圧倒されたパーキスターンは遂に無条件降伏を受け入れ、バングラデシュの独立が達成された。降伏文書に調印したのはジャグジート・スィン・アローラー中将であったが、これもサムが手柄を彼に譲ったのだった。
サムは、ジャワーハルラール・ネルー(ニーラジ・カービー)やインディラー・ガーンディー(ファーティマー・サナー・シェーク)といった歴代の首相たちからも厚い信頼を勝ち取っていた。だからこそハリ・スィンの説得に派遣されたのであるし、第三次印パ戦争の指揮も任されたのだった。特にインディラーとは、親密すぎる関係が意味深に示唆されていた。
青年期から中年期まで一貫してサム役を演じたヴィッキー・カウシャルは、パールスィーらしい外見はしていないものの、サムのマンネリズムをうまく取り込んで、演技力によってキャラクターを作り出そうと努力していた。キャリアベストの演技といっていいだろう。
「Dangal」(2016年/邦題:ダンガル きっと、つよくなる)で同時にデビューして以来の共演となるサーニヤー・マロートラーとファーティマー・サナー・シェークだが、今回はサーニヤーに軍配が上がる。メインヒロインということもあるのだが、夫の手綱をしっかり握る賢妻としての威厳が出ていた。ファーティマーは今回、インディラー・ガーンディー首相を演じた。今まで多くの女優がガーンディー首相を演じてきたが、ファーティマー版インディラーには強さが感じられず、ベストとはいえない。
2014年以降、ヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)が中央で政権を握り、その影響でライバル政党である国民会議派(INC)を貶めるような内容の映画が目立つようになってきた(参照)。「Sam Bahadur」からは、ジャワーハルラール・ネルー首相を弱いリーダーとして描写しようとする意図が感じられたが、その娘インディラー・ガーンディー首相の描写には特にそのような批判的なトーンは感じられなかった。ただ、インドの完全勝利に終わった第三次印パ戦争を中心的に取り上げることで国威発揚を狙った映画であることは間違いない。
「Sam Bahadur」は、独立インドの国防を担い、インド初の元帥となった軍人サム・バハードゥルの伝記映画であり、戦争映画である。彼の功績を時系列に従ってリスト化したような構造であり、映画としては決してうまい作りではない。第三次印パ戦争の描写だけはじっくり描かれている。インド人観客には響くものがあるだろうが、一般的な日本人観客が観て心底楽しめるようなタイプの作品ではない。話題作「Animal」(2023年)と同日公開になって競合したが、興行的には成功している。