デリー集団強姦事件

 インドは依然として海外旅行を趣味とする人々に人気の国だ。インドほど楽しい国はない、というのは、世界中を旅してきた多くの人々の間で一致した意見である。ただ、特に外国人女性は治安や安全に関してインドに漠然とした不安を感じていることが多い。元々、インドは安全な国ではないというイメージが少なからず流布していたとは思うのだが、そのイメージが広く拡散し、強烈にこびりついてしまったのは、2012年のデリー集団強姦事件がきっかけである。

 それまでインドに強姦事件がなかったわけではない。むしろ、新聞紙を開けば毎日のように強姦事件の記事を目にしたものだった。だが、2012年の暮れに発生したこの凄惨な事件は国際的なニュースになり、インドが「レイプ大国」の悪名を背負う原因になったのであるが、インド国内にもとてつもなく大きな衝撃を与え、民衆を立ち上がらせ、政治や司法、それに警察を動かし、女性の安全や尊厳に対する意識の劇的な変革を促した。その影響はその後に作られたヒンディー語映画にも見出されるため、映画史の文脈でも重要な事件になっている。

事件の経緯

 デリー集団強姦事件の被害者になったのは、23歳の女子医学生である。決して裕福な家庭の出身ではなかったが、両親が土地を売ってまで娘の教育資金を捻出し、医者になりたいという彼女の夢を応援していた。被害者の名前はジョーティ・スィンというが、事件発生当初本名は公表されておらず、メディアが好き勝手に仮名を付けて呼んでいた。その中でも大手英字紙Times of India紙が名付けた仮名「ニルバヤー(恐れ知らず)」が支持を受け、一般的になった。そのため、この事件は「ニルバヤー事件」と呼ばれることが多い。この記事でも便宜的に被害者の仮名を「ニルバヤー」と呼ぶ。

 デリー出身のニルバヤーはウッタラーカンド州デヘラードゥーンのサーイー学院で理学療法を学んでいた。全ての単位を取得し、あとは最終テストの結果を待つのみだった。合格すれば病院での研修が始まりまた忙しくなるため、彼女はデリーのドワールカーに住む両親のもとに帰り、束の間の家族団らんを楽しんでいた。そして運命の2012年12月16日夕方、ニルバヤーは男性の友人と共に南デリーのサーケートにあるシティーウォークに映画「Life of Pi」(2012年)を観に出かけた。映画が終わったのは午後8時頃で、彼らはサーケートから一旦ムニルカーに移動し、そこでバスに乗り込み、ドワールカーに向かおうとした。だが、そのバスは正規のものではなく、主犯ラーム・スィンなどのゴロツキが気晴らしに市内を流していたバスで、普段はスクールバスとして運行されていた。バスにはラーム・スィンや運転手を含め、6人の男性たちが乗っていた。その内の一人は未成年だった。

 バスの中でニルバヤーら2人と、ラーム・スィンら6人の間で口論が起き、男性は暴行を受け、ニルバヤーは走るバスの中で男性たちに代わる代わる強姦された。しかも、単に強姦されただけでなく、証拠隠滅のためか、純粋に猟奇的な快楽のためか、ニルバヤーの局部に鉄の棒が突っ込まれ、内臓を引き出された。彼らはニルバヤーと男性を裸の状態でマヒパールプルの道端に捨て、逃走した。12月のデリーは同じ時期の日本と変わらないくらい気温が下がる。そのような状態の中で彼らは痛みと寒さに震えながら通行人に助けを求めた。やがて警察が来て2人を保護し、事件の第一報が方々に伝わることになった。

 この事件はデリーのみならずインド全土に衝撃を与えた。なぜこの強姦事件だけが特に世間の注目を集めたのかについては様々な見解が出されている。首都デリーで起こったこともその一因であろうが、もっとも大きかったのは、被害女性に大した落ち度がなかったことである。もちろん、強姦事件において被害女性に落ち度を求めるのは間違った考え方だ。しかしながら、インドでは強姦事件が起きると、まずは女性側に非がなかったかということが確認される。当然、この事件でもそのプロセスがあったはずだが、どこをどう見ても被害女性を責めることは困難だった。

 強姦事件が起きた場合、夜遅くに出歩くから、ということが言われるが、ニルバヤーが被害に遭ったのは午後8時から9時くらいの時間帯で、「深夜」と呼べるような時間帯ではない。露出度の高い服装をしていたから、ということもよく言われるが、寒い時期に起きた事件であり、薄着だった可能性は低い。一人で出歩くから、という批判もできない。なぜなら男性の友人と一緒にいたからである。

 それでも、未婚女性が家族以外の男性と出歩くことを批判する声はあったし、午後8時という時間さえも「女性が出歩いてはいけない時間帯」と主張する声もあった。だが、まともに取り合われたことはない。そもそも、女性が安心して外を出歩けない社会は失敗した社会であり、それによって女性が被害に遭った場合、警察が責められることはあっても、被害女性が責められるのは間違っている。

 この集団強姦事件は、一人の不幸な女性が被害に遭った事件というだけではなく、デリーに住む女性たちが我が身にもいつか、いつでも起こり得る自分事として捉えられられた。夕方に映画を観て帰宅する、というのは、デリーに住む一般的な女性たちが日常的に行っていることだ。

 また、ニルバヤーがバスに乗り込んだムニルカーは、学生運動がインドでもっとも盛んなジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)の目と鼻の先だった。JNUの学生たちはニルバヤー事件に即座に反応し、女性の安全を守れない警察に対して抗議活動を開始した。この運動はすぐにデリー中に飛び火し、そしてインド中に燃え広がった。

 さらに大きな要素としては、かなり早い段階から、ニルバヤーが強姦以上のことをされたという情報がSNSなどを通じて出回っていたことが挙げられる。警察はもちろん被害者の詳しい状況を公表していなかったが、直接の目撃者などから詳しい被害状況が漏れたのだろう。当初は誇張を含んだ情報だと疑っていたが、後々にそのほとんどが真実だったことが分かった。その真偽はさておき、初期の段階では怪情報に等しかった情報が人々の怒りを増長させた可能性も否定できない。

 当時、たまたまインド中央政府とデリー政府の実権を握っていたのは女性政治家だった。首相は男性のマンモーハン・スィンだったが、彼は国民会議派(INC)のソニア・ガーンディー党首の傀儡であることは公然の秘密であった。デリー政府もINCのシーラー・ディクシト州首相が3期目を務めているところだった。市民の怒りは、女性の安全を守れない女性政治家にも向かった。ちなみに、デリーは他の州と異なり、警察は州政府ではなく中央政府の管轄下にある。

 JNUの学生たちから端を発した抗議運動は、インド門や国会議事堂など、インド政府の中枢が並ぶデリー中心部に移動し、規模も拡大した。平和的な抗議活動だったはずだが、警察が力尽くで抗議運動を抑え付けようとしたため、その反発で暴力を伴うものになり、催涙弾やウォーターキャノンが使われ、デリー中心部は戦場のようになった。

デリー中心部での抗議活動 ©Nilroy

 ニルバヤーは当初、南デリーのサフダルジャング病院で治療を受け、数度の手術を経て損傷した内臓が摘出された。しかし、容体は安定しなかった。そこでニルバヤーは、シンガポールにある臓器移植専門のマウント・エリザベス病院に移された。ただ、もう政府はこのとき既にニルバヤーの生存を諦めていたともいわれている。このままニルバヤーがサフダルジャング病院で死ぬと、この病院が抗議運動の会場となり抑えきれなくなるとの判断があったと思われる。果たしてニルバヤーはシンガポールに移送されて3日後の2012年12月29日に帰らぬ人になる。

 ニルバヤー事件は、民衆の大規模な蜂起を誘発した点で特異な強姦事件であったが、その一方で、デリー警察が初動でめざましい成果を上げ、犯人全員逮捕を短期間で実現した点でも珍しい事件であった。デリー警察は監視カメラの映像や携帯電話の位置情報などを有効活用して犯人の居場所の特定に成功し、事件発生から24時間以内に既に容疑者の一部を逮捕していたほどである。

 主犯格のラーム・スィンは刑務所で自殺した。未成年の犯人だけは少年院送りになっただけで大した罰を受けなかったが、残りの4人には死刑判決が言い渡され、インドがコロナ禍によるロックダウンに入る直前の2020年3月20日に死刑が執行された。

事件の影響

 ニルバヤー事件は各方面に多大な影響を与えた。まず、もっとも大きな変化は政権交代である。3期連続でデリーの州首相を務め、デリーの発展に貢献して市民の支持も厚く、選挙では向かうところ敵なしだったシーラー・ディークシトは、2013年のデリー州議会選挙で自身が議席を失うほど惨敗し、デリー政府の主役はINCからアルヴィンド・ケージュリーワールが立ち上げたばかりの庶民党(AAP)の手に移っていった。2014年には下院総選挙が行われたが、ここでもINCは惨敗し、ナレーンドラ・モーディー率いるインド人民党(BJP)が与党になった。これらの政権交代の原因は複合的であり、どれかひとつに限定することはできないが、ニルバヤー事件の影響が全くなかったと断言できる政治学者はいないだろう。

 ニルバヤー事件が確実に変化のきっかけとなったといえるのは、強姦や性犯罪を巡る法律の改正である。強姦の定義が拡大され、刑罰も最高刑が死刑に引き上げられ、性犯罪の裁判の迅速化が図られた。残忍な犯罪については未成年も成年と同様に裁かれることになった。強姦の被害を受けた女性は、習慣的な性行為の有無を確かめるための女性器触診、俗に「ツー・フィンガー・テスト」と呼ばれる屈辱的な検査を受けなければならなかったが、これも廃止された。

 「恐れ知らず」という仮名を与えられ、女性の強さの象徴となったニルバヤーの事件を経て、女性たちも性犯罪に勇気を持って立ち向かうようになった。性犯罪に遭ったら泣き寝入りするのが普通だったが、ニルバヤー事件以降、声を上げるようになった。警察も、警官の意識改革を積極的に行い、ヘルプラインを充実させて、女性たちが相談しやすい環境を作った。ニルバヤー事件以降、インドの強姦発生件数は急増するが、これは事件そのものが増えたというよりも、被害に遭った女性が警察に被害届を積極的に提出するようになったからである。

デリー集団強姦事件と映画

 まず、デリー集団強姦事件を題材にいくつかのドキュメンタリー映画が作られている。「Daughters of Mother India」(2014年)は事件の経緯とそれが社会にもたらした影響について豊富なインタビューを交えて作られた、インド人監督によるドキュメンタリー映画だ。一方、「India’s Daughter」(2015年)は英国人監督によるドキュメンタリー映画だが、犯人の一人ムケーシュ・スィンのインタビューが収められていることで物議を醸した。著名なインド系カナダ人映画監督ディーパー・メヘターも「Anatomy of Violence」(2016年)というデリー集団強姦事件の映画を撮っているが未見である。

India's Daughter
「India’s Daughter」

 映画ではないが、Netflixによるウェブドラマ「Delhi Crime」(2018年)のシーズン1は、ニルバヤー事件の第一報を受け取ったデリー警察がどのように対応し捜査を進めていったのかを、忠実かつ克明に描き出している。上記のドキュメンタリー映画に加えて、ニルバヤー事件の詳細を知りたい場合には必見の映像作品だ。

「Delhi Crime」

 デリー集団強姦事件が映画に取り込まれたもっとも早い例は「Himmatwala」(2013年)だと思われるが、その後も女性の安全や治安を取り上げた映画が多く作られるようになった。アヌラーグ・カシヤプ監督の短編映画「That Day After Everyday」(2013年)やパン・ナリン監督の「Angry Indian Goddesses」(2015年)をはじめとして、「Pink」(2016年)、「Bhoomi」(2017年)、「Ajji」(2017年)、「「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」(2023年)など、多くの映画が女性の安全問題や性犯罪を取り扱い、意識改革を求めている。

Pink
「Pink」

 強姦と同じくらい酷い、女性に対する犯罪がアシッド・アタックだ。これは、自分のアプローチを拒絶した女性などに対する犯罪の一種で、いわゆる逆恨みなのだが、インドでは腹いせの対象にした女性の顔に酸を掛けて外見を破壊し、彼女の一生を台無しにする事件が頻発している。強姦と同時にアシッド・アタック問題にも注目が集まり、「Chhapaak」(2020年)のような映画が作られている。この映画の主人公はアシッド・アタックの被害者だ。

Chhapaak
「Chhapaak」

 強姦魔に対する怒りの感情は、映画というフィクションの世界において、時に極端な形で噴出する。デリー集団強姦事件以降目立ったのは、強姦された娘の母親が犯人に復讐するという筋書きの映画である。「Jazbaa」(2015年)、「Maatr」(2017年)、「Mom」(2017年)はそのような共通項を持った女性主体の映画であった。「A Thursday」(2022年)に至っては、幼少時に強姦された女性が成長後に自ら犯人を殺害するという内容になっている。レイプ犯への罰は性転換にすべきと提案する「Uvaa」(2015年)や、自殺を考えるレイプ被害者に「死ぬべきは強姦魔だ」と復讐をけしかける「Nirbhaya」(2018年)など、極端な映画もあった。また、コメディー映画の部類にはなるが、「Simmba」(2018年)では、レイプ犯は警官が見つけ次第射殺すべきとの非常にラディカルな主張がなされていた。

Mom
「Mom」

 レイプ犯を私刑に処するべきという強いメッセージを打ち出している映画にはたじろいでしまうのだが、被害者は泣き寝入りせず、きちんと被害届を出し、法律に則って犯人を裁くことを訴える映画なら受け入れやすい。「Satyaprem Ki Katha」(2023年)はデートレイプの被害者が主人公だ。泣き寝入りをし、自殺未遂まで至った彼女が、彼女の深い闇を知らずに結婚した夫の支えを受け、被害届を出し、法律に則って正義の鉄槌を下そうとする。

Satyaprem Ki Katha
「Satyaprem Ki Katha」

 以上のように直接的に女性の安全問題を取り上げた映画は少なくないが、やはりデリー集団強姦事件以降、一番目立ったのは、自立した女性、強い女性の映画である。その傾向はニルバヤー事件以前から見られ、例えば「Kahaani」(2012年/邦題:女神は二度微笑む)のような映画があったが、ニルバヤー事件以降、女性たちが勇気を持って悪に立ち向かっていく必要性が社会の中で共有され、ますます女性主人公の映画が増えた。その先鋒に立ったのがカンガナー・ラーナーウトで、「Queen」(2014年/邦題:クイーン 旅立つわたしのハネムーン)や「Manikarnika: The Queen of Jhansi」(2019年/邦題:マニカルニカ ジャーンシーの女王)のようなカンガナー主演映画が作られ、話題を呼んだ。

「Queen」

 ただ、デリー集団強姦事件を経て、女性の保護を優先するあまり、女性の権限があまりに強化されたことで、今度は女性が法律を悪用して恨みのある男性をはめるケースも増えてきてしまった。「Section 375」(2019年)は、正に女性が強姦罪を規定したインド刑法(IPC)375条を悪用し、恨みのある男性を冤罪に陥れるケースを扱った、硬派な法廷ドラマである。

Section 375
「Section 375」