Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai

4.0
Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai
「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」

 2023年5月23日にZee5で配信開始されたヒンディー語映画「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai(ただ一人の男で十分だ)」は、2013年に起こったアーサーラーム・バープーのレイプ事件を取り上げた法廷ドラマである。監督はアプールヴ・スィン・カールキー。今までTVドラマなどを撮ってきた人物で、映画の監督はこれが初である。主演は曲者俳優マノージ・バージペーイーだ。

 アーサーラーム・バープーは1970年代にグジャラート州を皮切りに信仰を集め始めたヒンドゥー教の宗教指導者であり、インド全国に400前後のアーシュラム(道場)を持つに至った。アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー元首相、LKアードヴァーニー元副首相、ナレーンドラ・モーディー現首相など、多くの政治家も彼に帰依していたとされる。2013年にラージャスターン州ジョードプルのアーシュラムで16歳の少女がアーサーラームに性的暴行を受けたと被害届を提出した。

 アーサーラーム・バープーのレイプ事件が起こった2013年は、前年末に起こったデリー集団強姦事件のほとぼりが冷めておらず、強姦に対する世間の関心が高かった時期だった。被害者の少女が事件当時未成年であったこと、また、容疑者が有名な宗教指導者であったこともこの事件を話題性のあるものにした。インドには児童性犯罪保護法律(POCSO)や少年法があり、未成年者に対する性犯罪は特に厳しく裁かれ、保釈も認められない。その一方で、ヒンドゥー教至上主義を掲げるインド人民党(BJP)の政治家たちがアーサーラームを擁護した。この裁判は5年間続き、2018年に有罪判決が出た。アーサーラームには終身刑が言い渡され、彼は現在でも刑務所にいる。

 「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」は、検察官として被害者側に立ってこの裁判を戦った弁護士を主人公にした映画である。実話に基づく映画ということだが、マノージ・バージペーイーが演じたPCソーランキーがどこまで実際の弁護士をモデルにしているか分からない。

 他には、アドリジャー、スーリヤ・モーハン・クルシュレーシュタ、ヴィピン・シャルマーなどが出演している。

 2013年、デリーのカムラーナガル警察署を少女ヌー(アドリジャー)が両親と共に訪れ、強姦の被害届を提出した。加害者は、インド全土にアーシュラム(道場)を持つ宗教指導者バーバー(スーリヤ・モーハン・クルシュレーシュタ)であった。被害者が未成年だったこともあり、警察はこれを即座に重大な事件として扱った。

 バーバーは逮捕され、事件のあったジョードプルに移送された。被害者の側に立ち検察官を引き受けたのが、ジョードプル在住の弁護士PCソーランキー(マノージ・バージペーイー)であった。ソーランキーは被害者家族が貧しいのを見て無償で仕事を引き受け、裁判に臨む。バーバー側の弁護士プラモード・シャルマー(ヴィピン・シャルマー)は、被害者は未成年ではないとの主張を繰り返し、バーバーに保釈を求めるように裁判官に訴えるが、ソーランキーは冷静かつ理論的な答弁によりシャルマーの主張を次々に覆す。バーバーの保釈はなかなか認められなかった。

 裁判が進行するにつれ、有力な証人が次々に殺され、ソーランキーも自分や家族の命に危険を感じるようになる。ヌーも時々くじけそうになる。だが、ソーランキーは彼女を励まし、裁判にも勇気を持って臨む。バーバーの保釈を巡る裁判は最高裁判所まで行き、有名な弁護士が雇われるが、ソーランキーは彼らとも互角でやり合い、バーバーの保釈を全く認めさせなかった。

 2018年、とうとうレイプを巡る刑事事件の判決が下された。バーバーには終身刑が言い渡される。

 インドは世界最大の宗教輸出国と呼ばれる。確かにインド人は世界中のどの国民よりも信心深く、彼らの日常生活には宗教が溶け込んでいる。しかしながら同時にインドには怪しげな新興宗教の教祖がひしめいているのも事実だ。そして、時には彼らが犯罪に手を染めていたことが明るみに出ることがある。映画界もそんな怪しげなゴッドマンをネタにすることがある。大ヒット映画「PK」(2014年/邦題:PK ピーケイ)はその典型例だ。

 「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」が着想源としているアーサーラーム・バープーは非常によく知られていた宗教指導者であり、彼が未成年の信者に性的暴行を加えたとする事件はインド中にセンセーションを巻き起こした。アーサーラームはBJPに近い人物であり、同党が中央政府で長期政権を樹立している中、彼の悪行を改めて世に知らしめることになるこのような映画の製作と公開には勇気が必要だったはずだ。とはいっても、映画館での公開ではなくOTTプラットフォームでダイレクトに公開する道を選んだ理由はその辺りにあるかもしれない。

 映画の大半は法廷を舞台にしているが、そこでの中心的な議題はバーバーの保釈を認めるか否かだ。バーバー側の弁護士はあの手この手を使ってバーバーの保釈を勝ち取ろうとする。特に彼らは「被害者は事件当時、未成年ではなかった」と証明しようと躍起になる。なぜなら被害者が成年であるか未成年であるかは、性犯罪の刑罰を大きく左右するからだ。

 ここでひとつ、解説が必要になるだろう。日本人の観客は、被害者の年齢が論点になるのを不思議に思うに違いない。日本には戸籍制度があり、各国民の生年月日は正確に記録され動かしようがない。だからこのような混乱は生じ得ない。だが、インドに戸籍制度はない。よって、国民の生年月日は一律に記録されておらず、学校入学時の書類などが各国民の年齢を証明するときに引っ張り出されることになる。「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」でも、性被害に遭ったヌーが今まで通った学校の書類が彼女の生年月日を証明するために裁判所に提出されていた。

 とはいっても、ソーランキーは有能な弁護士だった。彼は巧みに相手の論点を潰し、それを阻止し続ける。ソーランキーは「刑事コロンボ」的な、一見するととぼけた感じの話し方をするが、彼の弁論はカミソリのように切れる。そんなソーランキー役をマノージ・バージペーイーが圧倒的な演技力で演じていた。マノージはまたこの映画でさらに評判を上げるだろう。

 現実世界のアーサーラームは容疑を全面否定し、その根拠として彼は、自分は不能だと主張した。後の検査により彼は不能ではないことが明らかになるのだが、「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」ではその辺りの攻防は省略されていた。

 最終的にバーバーには正義の鉄槌が下され、終身刑となる。ソーランキーは、バーバーを「ラーマーヤナ」の悪役ラーヴァナにたとえ、宗教指導者が信者の信仰を逆手に取って犯罪を行うことを「大罪」として厳しく批判した。彼のその熱弁がなくてもバーバーには終身刑が下されたと思われるが、鳥肌が立つほど素晴らしい最終弁論だった。だが、この映画は単純に悪が罰せられることで爽快感を得るためのものではない。主に2つ、メッセージが込められていた。

 ひとつは、いわゆるセカンドレイプである。性犯罪の被害に遭ったことを勇気をもって警察に訴え出たヌーは、その後何度も警察官、弁護士、裁判官の前でそのときのことを説明しなければならなくなる。被害者にとっては思い出したくもない出来事だが、加害者を罰するためには、過去のトラウマを何度もほじくり返すようなことをしなくてはならない。ヌーは聡明かつ勇敢な少女であり、意地の悪い弁護士の執拗な質問に対しても敢然と返答をしていたが、性犯罪被害者が被害を受けた後も何度も苦しまなければならない現状がよく再現されていた。

 もうひとつは、性犯罪に遭ったら泣き寝入りせずに警察に必ず被害届を提出することの呼びかけだ。確かに被害者は正義を実現するために多くの理不尽な苦しみを乗り越えなければならない。だが、それを恐れて泣き寝入りする女性がいることで、また別の新たな被害者を生んでしまう。「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」で特徴的だったのは、こういう場面でとかく無能さを揶揄される傾向にある警察が、頼もしい存在とまではいかないまでも、キチンと仕事をする存在として描写されていたことだ。警察署を訪れたヌーの対応をしたのも女性警官だったし、彼女の検査をする前に被害届を受理して迅速に事件の対処をしてもいた。それが現実かどうかはさておき、いざ警察に相談しようとする女性にとって心情的にポジティブに働く描写であった。

 「Sirf Ek Bandaa Kaafi Hai」は、2013年のアーサーラーム強姦事件を着想源とした優れた法廷ドラマである。主人公の検察官が、未成年者の強姦容疑で逮捕された宗教指導者バーバーの保釈申請を次々にはねのけ、終身刑に持って行くまでを描いている。主演マノージ・バージペーイーの演技力は圧倒的であるし、性犯罪の被害に遭った女性たちへの力強いメッセージが込められた映画でもあった。OTT映画の傑作である。