Section 375

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 2012年のデリー集団強姦事件(俗に言うニルバヤー事件)以来、インドではレイプやセクシャルハラスメントを巡る法整備が進んだ。それまでは男性器が女性器に挿入されることのみを強姦と定義していたが、女性器に男性器以外の異物が挿入されたり、女性器以外の器官に男性器などの異物が挿入されたりすることも強姦と定義されるようになった。厳罰化も行われ、強姦の最高刑は終身刑となった。また、18歳未満の相手との性交は、同意があってもレイプとされることになった。その他にも、レイプの被害者の尊厳を守り、加害者を速やかに裁けるような制度が整えられた。

 それらの法整備にも関わらず、インドでは強姦事件の件数が減っていないとされている。インド犯罪白書(Crime In India)2019年によると、インド全国で「強姦(Rape)」の件数は32,033件、「強姦や集団強姦を伴う殺人(Murder with Rape/Gang Rape)」の件数は283件である。ニルバヤー事件が発生した2012年のインド犯罪白書では「強姦」の件数は24,923件であり、減っていないばかりか増えているのが分かる。だが、今までレイプされても泣き寝入りすることが多かった女性たちが声を上げるようになったことも、件数の増加につながっている可能性もあるので、一概に悪い傾向とは言えない。

 強姦罪が厳罰化され、女性に有利な法律になったことに伴い、今度は女性がその法律を悪用する件数も増えて来たとされる。2019年9月13日公開の「Section 375」は、ムンバイーの映画業界で発生したレイプ事件を巡る重厚な法廷劇である。題名は、強姦について定義したインド刑法375条を指している。監督のアジャイ・ベヘルは過去に「B.A. Pass」(2012年)を撮っているが、それ以外の情報がない。一方、主演はアクシャイ・カンナーとリチャー・チャッダーで、名が通り信頼できる俳優たちである。他に、ミーラー・チョープラー、ラーフル・バット、シュリースワラー、サンディヤー・ムリドゥル、キショール・カダム、クルティカー・デーサーイーなどが出演している。

 舞台はムンバイーの映画業界。2018年7月8日、コスチューム係のアンジャリ(ミーラー・チョープラー)は、ローハン・クラーナー監督(ラーフル・バット)の自宅へ行き、そこでレイプに遭ったとして被害届を出した。アンジャリの陰部から見つかった精液とローハンの精液のDNAの一致など、多くの証拠がレイプの発生を裏付けており、下級審でローハンは有罪となって、10年間の懲役刑となった。

 ローハンの妻カイナーズ(シュリースワラー)に依頼され、敏腕弁護士タルン・サルージャー(アクシャイ・カンナー)がローハンの弁護をすることになり、高等裁判所に上訴する。検事は、かつてのタルンの教え子で新米女性弁護士のヒラール・ガーンディー(リチャー・チャッダー)が担当することになる。

 証拠は十分であり、ローハンの罪は覆りそうになかった。しかし、タルンは担当警察官の汚職や証拠の扱い方のまずさ、アンジャリが兄から暴行を受けたこと、アンジャリとローハンの関係など、下級審では触れられなかった点を巧みに突き、裁判を揺さぶる。最終的にタルンが事件の真相として提示したのは、アンジャリがローハンに復讐するために偽のレイプの被害届を出したというストーリーであった。

 しかしながら、裁判官は強姦事件が起こった際に女性側に有利な法律に則って、懲役10年の判決を維持する。判決後、アンジャリはヒラールに感謝の言葉を述べるが、「自分がローハンから受けたことはレイプに劣っていない」と語ったことで、事件の真相はタルンの言った通りだったことに気付く。

 アクシャイ・カンナー演じる敏腕弁護士タルンは、「法律は完全ではない」という持論を持っていた。ニルバヤー事件において加害者として逮捕された5名の内、1名はギリギリ未成年だったため、3ヶ月で釈放されてしまった。これは法律の限界であった。アンジャリの事件において彼は敗訴するが、裁判は法律に則って行われるものであって、必ずしも正義に則って行われるものではないと最後につぶやく。これが映画の核心となっていた。

 つまり、「Section 375」は、インドの強姦事件をストレートに扱った映画ではない。むしろ逆で、強姦に関して、女性側に圧倒的に有利となっている現状の刑法の問題点を指摘する映画であった。女性被害者側の検事を務めるヒラールは、「インドでは強姦罪で逮捕された男性の25%しか有罪とならない」と主張し、強姦をした男性を確実に罰する必要性を訴えるが、それに対し容疑者の弁護をするタルンは、「75%の男性が濡れ衣を着せられ裁判に掛けられている」と答える。

 非常にスリルとサスペンスに満ちた裁判劇で、アジャイ・ベヘル監督のストーリーテーリングの巧さが光った作品であった。また、アクシャイ・カンナーの老練な弁護士振りも素晴らしかった。ヒンディー語映画の裁判劇によくありがちな、声を荒げて迫力で自説を押し通そうとする豪腕弁護士像ではなく、あくまで理知的に証拠を積み上げ、判決をひっくり返すのがほぼ不可能な強姦事件に風穴を開けようとする。アクシャイは娯楽映画の第一線から引退気味だが、「Section 375」のような重厚な映画で存在感を発揮しており、本当にいい俳優に成長した。アクシャイに対峙するリチャー・チャッダーも負けていなかった。この二人の競演が「Section 375」の大きな見所のひとつである。

 物語の時間軸は2018年に設定されていた。この年はインドでも「Me Too」運動が盛り上がり、ヒンディー語映画業界でも多くの人々が女性たちからセクハラなどの加害者として槍玉に挙がった。直接明示されてはいなかったが、「Section 375」が作られた動機のひとつになったのではないかと思う。「Me Too」運動で失脚した監督と言うと、ファラー・カーンの弟で、「Heyy Babyy」(2007年)や「Housefull」(2010年)の監督、サージド・カーンが思い付く。だが、映画業界では、成功を夢見る女性たちが、権力を持った監督などに自ら近づき、身体と引き換えに出世を試みることはあり得る話で、しかも身体を差し出したにもかかわらず、満足行く見返りがなかった場合、強姦罪を使って復讐するということもあり得る話である。「Section 375」は、増加し続ける強姦事件への警鐘と同時に、強姦事件で加害者とされた男性に対してメディアや一般大衆が一方的な断罪をすることの危険性も示唆している。それらをサスペンス映画の手法で重厚な娯楽作に仕上げることに成功している。

 「Section 375」は、「レイプ大国」の汚名を持つことになったインドにおいて、強姦の厳罰化が進むと同時に浮上して来たもうひとつの問題を、スリルとサスペンスに満ちた裁判劇を通して観客に提示することに成功した作品である。地味ではあるが、主演二人の名演もあり、見応えのある映画となっている。