Angry Indian Goddesses

3.5
Angry Indian Goddesses
「Angry Indian Goddesses」

 2015年9月18日にトロント国際映画祭でプレミア上映され、同年11月27日にインドで劇場一般公開された「Angry Indian Goddesses」は、「Samsara」(2001年)や「Valley of Flowers」(2006年)などのパン・ナリン監督の作品である。哲学的で難解な映画作りが売りのナリン監督であるが、今回はテーマがはっきりしている。今回の主題はずばり、インドの女性問題である。

 2012年にデリー集団強姦事件が起き、インドにおける女性の安全が国際的な問題として取り上げられるようになったことで、ヒンディー語映画界も敏感に反応している。もっとも早い例が「Himmatwala」(2013年)であるが、この「Angry Indian Goddesses」も、様々な女性問題に触れながら、最後はレイプ問題に着地させており、デリー集団強姦事件の影響下にある映画に数えて差し支えないだろう。

 キャストは、サラ・ジェーン・ディアス、アヌシュカー・マンチャンダー、サンディヤー・ムリドゥル、アミー・マゲーラー、タニシュター・チャタルジー、パヴリーン・グジラール、ラージシュリー・デーシュパーンデー、アルジュン・マートゥル、アーディル・フサインなどである。

 ファッションフォトグラファーのフリーダ(サラ・ジェーン・ディアス)は、結婚を知らせるために仲の良い友人たちをゴアの自宅に招いた。そこに集まったのは、歌手のマッド(アヌシュカー・マンチャンダー)、女優の卵ジョー(アミー・マゲーラー)、ビジネスウーマンのスー(サンディヤー・ムリドゥル)とその娘マーヤー、主婦のパミー(パヴリーン・グジラール)、活動家のナルギス(タニシュター・チャタルジー)、そしてフリーダの家でメイドとして働くラクシュミー(ラージシュリー・デーシュパーンデー)であった。

 久々に集った彼女たちは、フリーダの結婚報告を喜びながらも、それぞれに様々な問題を抱えていることが分かっていく。マッドは歌手として思うように成功できておらず、鬱病気味で自殺の恐れがあった。ナルギスは、スーの会社が建てようとしている工場に対し反対運動を行っており、二人は犬猿の仲だった。また、マーヤーはいつも孤独を感じていた。パミーは結婚後5年間子供がおらず、夫の両親から責められていた。ラクシュミーの兄弟は殺され、目撃者として裁判所を往き来する生活をしていた。

 フリーダはなかなか結婚相手を明かさなかったが、遂にそれがナルギスであることが明かされる。二人は同性婚をしようとしていた。最初は驚くも、彼女たちは二人の結婚を祝う。ところが、ジョーが夜、行方不明になり、砂浜で死んでいるのが発見される。複数から強姦された跡もあった。マーヤーが撮っていたビデオにより、犯人は以前、彼女たちと衝突があった地元のチンピラたちであることが分かる。スーはラクシュミーが隠し持っていた銃を持って犯人たちを射殺する。

 教会でジョーの葬儀が行われていた。事件を担当する警官(アーディル・フサイン)は、ジョーの強姦殺人に心痛を表すものの、その犯人を罰するのは裁判所だと言い、この中に犯人5人を殺害した者がいると述べる。それを聞いたナルギスはスーに代わって自首しようとするが、スー、フリーダ、マッド、パミー、マーヤー、そして教会にいた全ての参列者が立ち上がり、自分が犯人だと主張する。それを見て警官は黙ってしまう。

 サプライズ結婚の告知を目的としてゴアに集まった女性たちが、数日間の女子会バカンスを楽しむ中で、インドの女性が直面する様々な問題に触れることになる。彼女たちが置かれた立場は様々だった。ビジネスウーマンとしてバリバリ働くスーのような女性もいれば、主婦をするパミーのような女性もいる。フォトグラファー、女優、歌手、活動家、そしてメイドと、本当に様々だ。だが、彼女たちはそれぞれの立場から、女性としての生きづらさを感じていた。そして、なにかと女性が我慢をしいられる男性中心社会において、女性たちが結束できず、力を合わせて立ち向かえていない現状も指摘されていた。

 あまりに多くの問題に触れられていたため、ひとつひとつの比重は小さい。例えば、女優を目指すジョーは、セクシーなボディーや声だけを期待されて起用されており、演技力を試す機会すら与えられなかった。歌手のマッドも似たような境遇で、レストランで歌を歌っても、男性客からはセクシャルハラスメントまがいの罵声を浴びるだけだった。主婦のパミーは不妊に悩んでいたが、もっとも頭が痛かったのは、女性のみに不妊の原因を求められることだった。パミーは、夫に問題があると考えていた。

 ただ、物語を前に進める上で重要な要素は2つだった。ひとつは同性婚である。この映画が公開された当時、インドでは同性愛は犯罪であった。同性愛が犯罪である国で、同性婚が認められるはずがない。それでも、成人は誰とでも一緒に住む権利を有しているというのが裁判所の見解であり、同性の者同士が一緒に住むことまでは禁じられていない。劇中では、フリーダとナルギスが同性婚をしようとしていたが、おそらく非公式な形で式を挙げるつもりだったと思われる。ただ、その前にジョーの死という大事件が起きてしまったため、フリーダとナルギスの同性婚は描かれなかった。

 もうひとつはレイプである。ジョーは地元のチンピラに輪姦され殺された。警察が入り、事件を捜査するが、警官は露出度の高い服を着ていたジョーや、通報したフリーダたちを責めるような発言をする。フリーダの家で催された女子会の中では、男尊女卑社会に対して好き勝手言って憂さ晴らしすることができたが、家を一歩出たら、そこには依然として頑強な男尊女卑社会が存在した。とても警察を頼りにすることなどできなかった。スーは犯人が分かると、自ら銃を取って犯人を殺しに行く。

 もちろん、いくら相手がレイプ犯だといっても、被害者の遺族や友人たちによる私刑は禁止されている。最後にアーディル・フサイン演じる警官が言ったように、犯人を罰するのは裁判所である。だが、2012年のデリー集団強姦事件以来、インド国民の中には多発するレイプへの怒りが渦巻いており、レイプ犯に対して厳罰を求める声が根強くある。「Angry Indian Goddesses」のラストで描かれたような、レイプ犯に対する私刑が賞賛される傾向にある。実際、レイプ犯を撃った人は立ち上がるように警官から言われると、会場の全ての人が立ち上がる。これは、レイプ犯には迅速な死を、というインド人の思いを体現したと受け止めていいだろう。観客の願望を映像化するのも映画の大切な役割であり、この映画は、そんな国民感情に沿う形で作られたといえる。ただ、奇をてらった映画を作るパン・ナリン監督らしくない迎合だとも感じる。

 映画の中では、ゴアに集った女性たちがカーリー女神の顔をして記念写真に収まるシーンもあった。カーリーはヒンドゥー教の神々の中でももっとも恐ろしい神だ。目をむき、舌を出して、頭蓋骨を首から下げ、裸で仁王立ちした姿で描かれることが多い。全ての女性の中にカーリー女神がいるという発言もあり、それが結末の私刑につながったと考えられる。

 ゴージャスな雰囲気のある女優を集めた映画であった。フリーダを演じたサラ・ジェーン・ディアスは2007年のミス・インディアであり、「Game」(2011年)や「Kyaa Super Kool Hain Hum」(2012年)などに出演していた女優だ。売れない歌手マッドを演じたアヌシュカー・マンチャンダーは実際に歌手である。女優の卵ジョーは英国人とインド人のハーフという設定だったが、それを演じたアミー・マゲーラーも実際に英国人とインド人の両親を持つインド系英国人だ。メイドのラクシュミーを演じたラージシュリー・デーシュパーンデーはあまりメイドっぽくなかった。タニシュター・チャタルジー、サンディヤー・ムリドゥル、アーディル・フサインなどは、ヒンディー語映画ファンには有名な演技派俳優たちである。

 「Angry Indian Goddesses」は、哲学的な映画を作る傾向にあるパン・ナリン監督が、おそらく2012年のデリー集団強姦事件を受けて作った、彼にしては直球の分かりやすい映画だ。インド人女性たちが抱える様々な問題をひとつの作品にパッケージし、もっとも重大なレイプ問題に対しては、私刑でもっての対応を求める国民的感情を採り入れてまとめている。観て損はない映画である。