日本でも「きっと、うまくいく」の邦題と共に一般公開され大ヒットとなったヒンディー語映画「3 Idiots」(2009年)の成功以来、学校や教育を主題とした映画がこぞって作られるようになり、インドの教育現場を垣間見る機会が増えた。初等中等教育なら「Paathshaala」(2010年)や「Stanley Ka Dabba」(2011年)、高等教育なら「Chhichhore」(2019年)などを観ると様子が分かるが、他にもお受験や教授言語の問題を取り上げた「Hindi Medium」(2017年)、失読症の子どもの問題を取り上げた「Taare Zameen Par」(2007年)、留保制度の問題を取り上げた「Aarakshan」(2011年)、貧困層のための無料の進学塾スーパー30を題材にした「Super 30」(2019年)など、教育分野に関連する多くの映画が作られている。2020年11月13日にAmazon Primeで配信された「Chhalaang(ジャンプ)」も、その最新の例である。
「Chhalaang」の監督はハンサル・メヘター。「Shahid」(2013年)や「Aligarh」(2015年)などで知られる有能な監督である。主演はラージクマール・ラーオとヌスラト・バルチャー。他にムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、サウラブ・シュクラー、イーラー・アルン、サティーシュ・カウシクなどが出演している。
「Chhalaang」のあらすじを簡単に説明すると、ハリヤーナー州の中等学校(Secondary School)で体育教師(Physical Training Instructor, PTI)をするモントゥー(ラージクマール・ラーオ)が、新しく赴任してきた体育教師IMスィン(ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ)とライバル関係になり、体育教師の職を巡って、それぞれ子どもたちをトレーニングし、バスケットボール、400mリレー、カバッディーで勝負をするというものだ。そこに、コンピューター教師ニールー(ヌスラト・バルチャー)を巡る三角関係も絡んで来る。
なぜかヒンディー語映画界では、学校を舞台にスポーツなどの勝負がクライマックスとして繰り広げられる映画が多い。前述の「Chhichhore」にしろ、「Student of the Year」(2012年)にしろ、そうである。容易に盛り上げやすいのだろうが、大方の場合、結末は予想通りとなるという欠点もある。「Chhalaang」でも、多少のサスペンスはあったが、予想通りの結末である。そこでは、「諦めたら試合終了」「負けを認めない者が最後には勝つ」などと言ったメッセージが発信されている。まるでトランプ大統領のために作られた映画のようだ。
だが、「Chhalaang」で興味深かったのは、インドの教育システムの一端を垣間見れたことだ。まず、この映画の舞台となっているサル・チョートゥー・ラーム・セカンダリー・スクールは、「政府から部分的に補助を受けた学校」となっている。セカンダリー・スクールは9年生と10年生が学ぶ学校であり、日本の高校にあたる。政府から認可され、部分的に補助金を受けている私立高校だ。
その学校で体育教師をする主人公は、同校の卒業生でもある。しかも、父親のコネで職を得ており、体育教師の資格を持っているわけでもない。インドの私立学校ではこういう採用がまかり通っているようだ。教育熱も低く、体育教師とは名ばかりで、子どもたちに何か役に立つことを教えているようにも見えない。日本にも「でもしか先生」という言葉があるが、モントゥーは正に「でもしか先生」であった。しかも、校長の指示で、結婚式のアレンジなど、教師以外の仕事もしていることが示唆されている。
また、従来は体育が必修科目ではなかった。IMスィン先生がこの学校に赴任してきたのは、州政府の新しい方針により、体育が必修科目となったため、ちゃんと体育大学を出た教師が必要になったという経緯が説明されていた。必修科目は州によって異なるので、今でも体育が必修ではない州はあるかもしれない。
また、ニールーはコンピューター教師ということだったが、教室にコンピューターは数台しか見当たらなかった。1人1台端末などは程遠い。ニールーはホワイトボードを使ってワードのドキュメントの作り方などを教えていた。インドのIT教育は進んでいるように思われているが、実態はこれなのかと驚いた。
また、保護者たちの体育に対する考え方は、「Kai Po Che」(2013年)でも触れられていたが、「そんなもの学校で教えるものではない」というものであった。保護者たちは、数学や英語など、受験で必要な科目の成績しか頭になかった。ハリヤーナー州は、インドでもっともスポーツを振興している州であるが、そこでも保護者のスポーツに対する考え方は旧態依然としていた。
女性キャラが強いのは昨今のヒンディー語映画の特徴であるが、「Chhalaang」でもヌスラト・バルチャー演じるニールーは男勝りの女性であった。しかも、言い寄って来る男性に酒を飲むか聞いたり、恋人の父親と一緒に酒を飲んだりと、従来のインド人女性とは一線を画したキャラである。ヌスラトの堂々とした演技も、新鮮な印象を作り出していた。
「Chhalaang」は、やる気のない体育教師がライバル出現により奮起して良き教師に成長する過程を描いた作品である。後半はスポ根映画化して予想通りの展開となるが、ラージクマール・ラーオ、ヌスラト・バルチャー、そしてムハンマド・ズィーシャーン・アユーブの好演があり、インドの教育を覗き見ることもできて、いろいろな鑑賞の仕方ができる映画に仕上がっている。