Kanpuriye

3.0

 ヒンディー語映画にはインド各地にある都市の名称が題名に付いた映画が結構多くある。都市名そのものの例は「Bombay」(1995年)、「Banaras」(2006年)、「Delhi-6」(2009年)、「Gurgaon」(2017年)などがあるし、都市名が一部に含まれた映画を挙げるならば、「Hyderabad Blues」(1998年)、「Nanhe Jaisalmer」(2007年)、「Patiala House」(2011年)、「Chennai Express」(2013年)など、さらに多くの映画が思い付く。ヒンディー語映画の拠点ムンバイーまたはその旧名ボンベイが題名に入った映画はそれこそ毎年作られているような印象を受ける。インドの各都市には一定のステレオタイプなイメージがあり、それが題名や映画の内容に活かされていることが多い。

 2019年10月25日からHotstarで配信開始された「Kanpuriye」は、ウッタル・プラデーシュ州の一都市カーンプルが題名に入っており、上記の映画群のひとつに数えることができる。「カーンプルっ子たち」みたいな意味だ。カーンプルは英領時代に発展したガンジス河沿いに立地する中規模都市であり、皮革産業や繊維産業が有名で、「東洋のマンチェスター」の異名を持つ。だが、近年は斜陽の街ともされている。

 カーンプルは意外に映画の舞台になって来た都市であり、「Tanu Weds Manu」(2011年)、「Dabangg 2」(2012年)、「Shaadi Mein Zaroor Aana」(2017年)などがカーンプル舞台の映画に挙げられる。「Kanpuriye」の舞台はもちろんカーンプルである。ただ、カーンプルの魅力を前面に押し出した映画と言うよりもむしろ、カーンプルから逃げ出したい人々を主に描いた映画であった。

 「Kanpuriye」の監督はアーシーシュ・アーリヤン。長編映画の監督はこれが初である。メインキャストは、アパールシャクティ・クラーナー、ディヴィエーンドゥ・シャルマー、ハルシュ・マーヤルの3人。アパールシャクティはアーユシュマーン・クラーナーの弟、ディヴィエーンドゥ・シャルマーは「Pyaar Ka Punchnama」(2011年)でデビューした男優、ハルシュは「I Am Kalam」(2011年)の子役だった男優である。ヒロインのハルシター・ガウルはこれがデビュー作となる。他に、ヴィジャイ・ラーズ、ラージシュリー・デーシュパーンデー、ヴァーニー・スード、チトランジャン・トリパーティーなどが出演している。

 舞台はカーンプル。皮革工場で働くジャイトゥン・ミシュラー(アパールシャクティ・クラーナー)は、アーユルヴェーダ医の父親モーハン(チトランジャン・トリパーティー)から、カーンプルを出てムンバイーへ行って稼ぐように言われていたが、向かいの家に住むブルブル・ティワーリー(ハルシター・ガウル)と恋仲にあり、カーンプルを出ようとは思っていなかった。ジャイトゥンはブルブルと結婚したいと思っていたが、ブルブルの父親は出世を条件として来た。そこでジャイトゥンは上司から押しつけられた仕事をこなし、見事出世を手にするが、同時に転勤にもなってしまった。行き先はムンバイーだった。ブルブルは、酒飲みで病気の父親をカーンプルに置いてジャイトゥンと共にムンバイーへ行く気にはなれなかった。そこでジャイトゥンは単身ムンバイーへ向かう。

 ジュグヌー・ランパト(ハルシュ・マーヤル)は料理の道を究めるためにカーンプルを出てムンバイー行きを夢見ていたが、芸人をする父親ランパト・ハラーミー(ヴィジャイ・ラーズ)は息子を同じ芸人にしようとしていた。ジュグヌーはオーディションを受けたりして何とかチャンスを掴もうとするがうまく行かない。そこで、様々なことに手を染めるカージャルに10万ルピーを払ってでもシェフになろうとする。だが、カージャルは逮捕されてしまう。失意のジュグヌーは父親の元に戻り、芸人の道に入った。

 新米弁護士のヴィジャイ・ディーナーナート・チャウハーン(ディヴィエーンドゥ・シャルマー)は、ムンバイーで華々しい弁護士になることを夢見ていたが、今のところはカーンプルでくすぶっていた。彼は、恋仲にあったプレーム・クマーリー(ヴァーニー・スード)の両親から被害届を出されており、自らを弁護して法廷に立っていた。ヴィジャイは有罪となりそうだったため、書記官を買収して無罪を勝ち取ろうとする。だが、その資金を手に入れるために、まずはマフィアから借金し、その借金を返すため、カージャルと共に父親の店に放火して火災保険金を得ようとする。だが、CCTVから足が付き、警察に捕まってしまう。しかしながら、ヴィジャイはマフィアに気に入られ、彼の顧問弁護士となった。

 3人の主人公の内2人、ジュグヌーとヴィジャイは、とにかく将来性のないカーンプルを一刻も早く出てムンバイーへ行こうとしており、もう1人のジャイトゥンは父親からムンバイーへ行けと催促されているものの、恋人の関係でカーンプルにしがみついていた。どちらにしろカーンプルは、一生を過ごしてはいけない場所、若さが無駄になる場所として描かれていた。映画の最後では、「カーンプルは壊れた夢の街」と表現されていた。カーンプルに限らず、インドの地方都市に生まれ育った若者の心情がよく表れていたと感じた。

 3人の内、結局ムンバイーに辿り着いたのは、カーンプルに必死にしがみついていたジャイトゥンのみであり、残りの2人は何だかんだ言ってカーンプルに留まることになってしまっていたのは皮肉だった。3人のエピソードは同時並行的に語られるものの、お互いに重なり合うことがほとんどなく、それぞれの展開を見せていく。ハッピーエンドと言えるものはなく、3つともビターな終わり方をする。これもカーンプルらしさと言えばいいのだろうか。

 映画の中盤まで方向性があまり見えないので、退屈な時間が続く。やっと物語が動き出すのは終盤であるが、前半のけだるさを補って余りあるような締め方ではなかったため、消化不良に陥っていた。出演した俳優たちも、演技力、知名度、経験などの面で物足りなかったが、その中でも最も光っていたのはアパールシャクティ・クラーナーであった。

 面白い立ち位置にいたのは、カージャルという青年である。ヴィジャイの親友であり、ジュグヌーとも関わる。インドでは一般に「ジュガールー」と呼ばれるような何でも屋的人物で、いろいろなところに顔を出し、人助けもすれば、トラブルも巻き起こす。このキャラをもっと有効活用すれば、物語全体に統一感が生まれたかもしれない。

 脇役陣ではヴィジャイ・ラーズも好演していた。彼が演じたランパト・ハラーミーはいわゆるスタンドアップコメディアンであり、夜な夜な観客の前で卑猥な笑いを取っていた。

 言語はヒンディー語だが、訛っており、おそらくカーンプルの方言が再現されているのだろう。もちろんカーンプルでロケが行われたと思われ、ドローン空撮を多用しながら、カーンプルの風景映像を所々に差し挟んでいた。カーンプルに思い入れのある人にとっては感慨深いものがあるのかもしれない。

 「Kanpuriye」は、カーンプルを舞台にした3人の主人公のそれぞれのエピソードを同時並行的に語る映画である。三者三様の展開と結末が用意されているが、お互いに絡み合うことはほとんどなく、各人の人生の転機となる出来事を軽妙に映し出している。ただ、観客の興味を惹き付けることには失敗しており、退屈な時間が長く続く。カーンプルによほどの思い入れがない限りは、無理して観る必要のない映画である。