I Am Kalam

3.5

 ヒンディー語映画界には、伝記映画でもないのに、実在の、かつ生存中の著名人の名前を題名に冠した映画群がある。世界の映画の中でもこれは珍しい現象かもしれない。「Main Madhuri Dixit Banna Chahti Hoon」(2003年)、「Padmashree Laloo Prasad Yadav」(2005年)、「Tere Bin Laden」(2010年)、「Shahrukh Bola “Khoobsurat Hai Tu”」(2010年)、「Phas Gaye Re Obama」(2010年)などである。厳密な意味ではインド映画ではないが、日本でも公開された「Bend It Like Beckham」(2002年/邦題:ベッカムに恋して)もその親類として加えることができるだろう。

 2011年8月5日からインドで一般公開されているヒンディー語映画「I am Kalam」も実名入り映画のひとつだ。カラームとは、インド第11代大統領APJアブドゥル・カラーム(在職:2002-2007年)のことである。カラーム元大統領は「インドのロケットマン」として知られるロケット技術科学者で、1998年にインド人民党(BJP)政権が実施した核実験(ポーカランII)でも重要な役割を果たした。貧しい出自から大統領まで上り詰めた努力とその飾らない人柄が国民に大いに受け、歴代でもっとも人気の大統領とされている。大統領を辞した今でもその人気は変わらず、昨年の英連邦競技大会(コモンウェルス・ゲームス)開会式でも、来賓の中で観客からもっとも盛大な拍手を受けていたのは彼であった。

 そのアブドゥル・カラーム元大統領の名前を題名に冠した「I Am Kalam」は、元々は映画祭サーキット向けに作られた2010年の作品だが、世界各国で数々の賞を受賞し、今回インドで凱旋公開となった。

監督:ニーラー・マーダブ・パーンダー
制作:シャンタヌ・ミシュラー
音楽:スシャーント・ボース、アビシェーク・ラーイ、ディーパク・パンディト(BGM)
歌詞:キショール、マーナヴェーンドラ
衣装:ナレーンドラ・スィン、バルナイル・ラト
出演:グルシャン・グローヴァー、ハルシュ・マーヤル(子役新人)、ピトーバーシュ・トリパーティー、ハサン・サード、ベアトリス・オルデクス、マムター・ディークシト、ミーナー・ミール、ガリマー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ラージャスターン州の砂漠地帯に住むチョートゥー(ハルシュ・マーヤル)は、一度見たものは何でも覚えてしまう賢い男の子だったが、家が貧しかったために学校に行けずにいた。母親(ミーナー・ミール)はチョートゥーを叔父のバーティー(グルシャン・グローヴァー)が経営する道端食堂「ファイブスター・ダーバー」に預け、働かせることにする。

 バーティーもチョートゥーの賢さに感心し、彼を可愛がるようになる。ところが元々ダーバーで働いていた小間使いラプタン(ピトーバーシュ・トリパーティー)は事あるごとにチョートゥーにちょっかいを出していた。チョートゥーは、ある日テレビでAPJアブドゥル・カラーム大統領の演説を聞く。カラーム大統領はインドの子供たちに、「運命は自分で書くもの」とメッセージを送る。すっかりカラーム大統領のファンになってしまったチョートゥーは、カラームを名乗り出す。

 ところでダーバーの前には、地元のラージャーが経営するホテルがあり、多くの外国人観光客が宿泊していた。ラージャーの息子ランヴィジャイ(ハサン・サード)は何不自由ない生活を送っていたが、友達を欲していた。ランヴィジャイは、ダーバーで働き出し、時々ホテルにチャーイを持って来るカラームが気になり出す。二人はすぐに友達になり、密かに遊ぶようになる。

 また、ホテルにはルーシー(ベアトリス・オルデクス)というフランス人女性が宿泊していた。バーティーはルーシーに惚れており、彼女が来ると態度がコロリと変わってしまう。ルーシーもカラームのことを可愛がるようになり、いつかデリーに連れて行くと言う。カラームはその言葉を信じ、夢を膨らませる。

 ところが2つの出来事が一度に起きる。ひとつはバーティーの失恋だった。バーティーはルーシーが既婚でデリーに夫がいることを初めて知り、ガックリと肩を落とす。また、生意気なカラームに一泡吹かせるため、ラプタンは彼が大事にしていた本を全て燃やしてしまう。それに気付いたカラームはラプタンと取っ組み合いの喧嘩を始める。バーティーに叱られたカラームはすっかりヘソを曲げてしまう。

 ところでランヴィジャイはヒンディー語スピーチコンテストに出ることになったが、サッカー中に右手を怪我してしまい、スピーチを書くことができなくなってしまった。カラームはランヴィジャイのために徹夜をしてスピーチを書いてあげる。ランヴィジャイはそのおかげでコンテストで優勝する。ところがその間、カラームは泥棒の濡れ衣を着せられていた。ランヴィジャイはカラームにいろいろなものをあげていたのだが、それがカラームの部屋から見つかり、カラームが盗んだと思われてしまったのである。

 泥棒扱いをされて自暴自棄になったカラームは、トラック運転手に連れられてデリーへ行ってしまう。コンテストから帰って来たランヴィジャイは何が起こったかを知ってショックを受け、ラージャーに真実を話す。翌日、ランヴィジャイ、付き人、カラームの母親はカラームを追ってデリーへ向かう。また、バーティーはデリーに行っていたルーシーに連絡を取る。皆で捜索した結果、カラームはインド門で見つかった。

 ラージャーはカラームの母親を雇用することにし、カラームが学校へ行くことを許した。カラームは健気にも学費は自分で稼ぐと宣言する。

 一応、児童労働への反対と、子供を学校で勉強させることの大切さをテーマにした映画だと言えるが、児童労働そのものを頭から否定するのではなく、貧困があって、そのせいで学齢期の児童が学校へ行けずに労働をせざるを得ない状況があることをまず説明して、その上で、子供の視点から、自分の力で、学校へ行って勉強する「特権」を手に入れるまでを描いた感動作に仕上がっていた。よって、雰囲気は全く暗くなく、むしろすがすがしい作品となっている。

 映画の中心は何と言ってもチョートゥーである。チョートゥーと言うのは「チビ」みたいな意味で、自分より目下の者や実際に背の低い者に対する呼び掛けによく使われる呼称である。だが、チョートゥーはそれを気に入っておらず、APJアブドゥル・カラーム大統領のファンになってからは、カラームを名乗り出す。よって、劇中に彼の本名は出て来ない。カラームは機転が利き、皆を楽しませることに長け、向学心の高い子供である。そのカラームが、幼くしてダーバーの小間使いという社会最底辺の仕事をしながら、偉い人になることを夢見て前向きに生きる毎日を追ったのがこの「I Am Kalam」だ。カラームの明るいキャラクターがあったからこそ、明るい雰囲気の作品となっていると言える。カラームを演じたハルシュ・マーヤルはこの映画での演技を買われ、2010年国家映画賞で最優秀子役賞を受賞している。

 ネズミ寺院として有名なカルニー・マーター寺院が出て来たことから、映画の舞台はビーカーネール周辺の砂漠地帯だと予想される。バーティー・マーマーの経営するダーバーには、トラック運転手の他、多くの外国人観光客が来ていたが、それはすぐ近くにラージャーの経営するホテルがあったからだ。ラージャーは、王からホテル経営者になったことすら王族として恥ずかしいことだと考えており、ホテルにレストランを開くことは、「ホテル経営者からさらにコックにまで身を落とす」と考え、実行に移せずにいた。そのおかげでバーティーのダーバーは繁盛していたという訳である。ただ、ラージャーも時代の変遷と共に考えを変える必要性に迫られていた。この辺りはサイドストーリーに過ぎず、劇中でもうまく発展させられていなかったが、隠れテーマとしては興味深かった。かつての王族が何を考えて自分の王宮や屋敷をホテルにし一般公開しているのか、僕も宮殿ホテルに泊まるのは好きなので、是非その心の内を知りたいものである。

 また、ラージャーはチェスにばかり身を興じていたが、これはおそらくプレームチャンドの短編小説「Shatranj Ke Khiladi(チェスをする人)」を意識しているのではないかと思う。この作品はサティヤジト・ラーイ(日本では誤表記「サタジット・レイ」で知られる)が1977年に映画化している。

 APJアブドゥル・カラーム大統領の出演はなかったが、代わりに彼のテレビ映像が使われていた。共和国記念日パレードの映像が出て来たが、主賓席にはブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが映っていたことから、これは2005年1月26日の映像であることが分かる。

 グルシャン・グローヴァーは通常のヒンディー語映画だと変哲な脇役を演じることが多いのだが、本作ではかなり重要な役を任されており、彼の本気の演技を久し振りに見られた気分である。意地悪な先輩小間使いラプタンを演じたピトーバーシュ・トリパーティーや、カラームの親友ランヴィジャイを演じた子役ハサン・サードも良かった。他にマムター・ディークシトという女優が「教師役」としてクレジットされているが、劇中で彼女が出ていたのはエンドクレジットの場面のみだった。映画はカラームが学校に行くことになったところで終わるが、おそらくカラームが学校で勉強するシーンも撮影されていたのではないかと思う。編集の段階でカットされたのだろう。

 言語はラージャスターニー方言混じりのヒンディー語が多く、標準ヒンディー語のみの知識だと多少聴き取りにくいところはあるだろう。ラージャスターン州では、「カンマ・ガニ」(大変失礼します)というフレーズが定番の挨拶になっており、ラージャスターン州を舞台にした映画にもわざとらしくよく登場する。「パダーロー」(いらっしゃいませ)、「サー」(~様)などもよく使われる言葉だ。

 また、ラージャスターン州を舞台にした映画は、砂漠の風景や人々の衣装などのおかげで、数割増し美しく見える。「I Am Kalam」も砂漠と砂漠に住む人々の美しさがよく醸し出された作品であった。

 「I Am Kalam」は、ラージャスターン州を舞台にした、貧しいが賢い子供が主人公の映画。「全ての子供に教育を」がメッセージであるが、決してその社会的メッセージに雁字搦めとなった作品ではなく、あくまで娯楽映画として楽しめる作品になっていた。映画祭で高い評価を得ただけある佳作だと言える。