21世紀に入り、ヒンディー語映画は劇的な変化を遂げてきたが、特に2010年代に入って顕著に観られるようになった変化のひとつが、女性を主人公とした映画の増加である。女性を主人公とした映画が増えただけならそこまで注目に値しないが、そのような映画がコンスタントに興行的成功を収めるようになったことがより重要だ。「Kahaani」(2012年)、「Queen」(2014年)、「Neerja」(2016年)など、様々な名作を例として挙げることができる。
インド映画界において、最初期の女性スターの一人として知られているのがフィアレス・ナディアと呼ばれる英国人スタント女優である。スコットランド人軍人の父とギリシア人ベリーダンサーの母の間にオーストラリアで生まれ、幼少時に渡印し、ボンベイからペシャーワル、ペシャーワルからボンベイへと移住して、サーカス団を経て女優となった。英領インド時代には、インド人女性が映画で演技をすることがまだ一般的ではなく、外国人女性が起用されることが少なくなかった。ナディアはスタント映画で一躍有名となり、1930年代から40年代にかけて多くのヒット作を飛ばした。代表作は「Hunterwali」(1935年)である。そのフィアレス・ナディアを緩やかにモデルにしたヒンディー語映画「Rangoon」が2017年2月24日に公開された。Netflixで鑑賞した。
「Rangoon」の監督はヴィシャール・バールドワージ。音楽監督から映画監督に転向した人物で、「Maqbool」(2003年)、「Omkara」(2006年)、「Haider」(2014年)のシェークスピア翻案三部作などを撮っているヒンディー語映画界の重要人物である。「Rangoon」では自ら音楽監督も務めている。
フィアレス・ナディアをモデルにしたジュリアを演じるのはカンガナー・ラーナーウト。他にサイフ・アリー・カーンやシャーヒド・カプールなどが出演している。
題名になっている「ラングーン」とはミャンマーの首都ヤンゴンの旧名である。時代は第2次世界大戦中で、インドが英国の植民地下にある一方、シンガポールでチャンドラ・ボース率いるインド国民軍が創立され、日本軍と共にインドに侵攻しようとしていた。ラングーンはインド国民軍との戦いの前線となっていた。
ボンベイで映画スターとなっていたジュリアは、劇団のオーナー、ルーシー・ビルモリア(サイフ・アリー・カーン)と恋仲にあった。戦時中で映画製作が難しくなったため、ルーシーの劇団は前線に駐屯する軍の慰問のためにラングーンへ列車で向かうことになった。ジュリアの護衛に任命されたのがナワーブ・マリク(シャーヒド・カプール)という兵士だった。だが、この列車には密かに、インド国民軍支援者のマハーラージャーから託された剣が積み込まれていた。この剣を売却して得られた金がインド国民軍の資金源となる予定であった。
第2次世界大戦中のインドからミャンマーにかけての地域が主な舞台となっており、日本軍も登場するため、日本人にはなかなか興味深い作品である。日本兵も登場するが、ちゃんと日本人俳優が起用されており、日本語の台詞も純正品である。バールドワージ監督のこだわりを感じる。
ただ、フィアレス・ナディアがラングーンまで軍の慰問に行ったり、インド国民軍の支援をしていたりした史実はなく、この辺りはフィクションとなる。ただ、当時ナディアの映画は英領インド軍の軍人たちに大人気だったようで、彼女が軍人たちに歓迎される様子は完全に作り話とは言えないだろう。
ラングーンへ向かう途中、ジュリアは劇団や軍と離れ、ナワーブと二人っきりとなる。このときジュリアとナワーブには恋心が芽生え、それがルーシーとの三角関係に発展する。ただ、単純な三角関係映画に終わらず、最終的には愛国主義、もしくはインド国民軍礼賛の映画となっていた。
一般にインドはマハートマー・ガーンディーによる非暴力主義の闘争により独立を勝ち取ったとされているが、実際には話はそう単純ではなく、力により英国を打ち負かして独立を勝ち取ろうとする動きもあり、こちらも一定の成果を上げたと考えられている。力による独立闘争の代表がスバーシュチャンドラ・ボースとインド国民軍である。インド国民軍と日本軍によるインパール作戦は失敗し、日本の敗戦と時を同じくしてチャンドラ・ボースも台湾で事故死したとされるが、インド国民軍の闘争はインド人の独立心に火を付け、英国は第2次世界大戦終戦から2年後にはインドを去らざるを得なくなった。
独立後、長い間、インドの政治を牛耳ってきた国民会議派は、独立闘争においてチャンドラ・ボースやインド国民軍の働きを過小評価する傾向にある。国民会議派が与党の間は、「Rangoon」のような、チャンドラ・ボースやインド国民軍を礼賛する内容の映画は作りにくいと思うのだが、2014年から国民会議派のライバルであるインド人民党が与党になっており、製作が容易になった背景があるように思われる。過去にチャンドラ・ボースを主人公にした「Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero」(2005年)というヒンディー語映画もあったが、やはりインド人民党政権時代に作られた。
カンガナー・ラーナーウトの演技は素晴らしかった。カンガナーは、単独で映画を成立させることのできる、パワーのある女優である。冒頭で紹介した「Queen」や「Manikarnika: The Queen of Jhansi」(2019年)などで遺憾なくその力を発揮している。「Rangoon」では、サイフ・アリー・カーンやシャーヒド・カプールというスター俳優たちの助けもあったが、彼らがいなくてもこの映画は成り立った。逆に、カンガナーがいなければ成り立たなかった。そういうレベルの存在感であった。
「Rangoon」は、第2次世界大戦という時代背景の中、映画女優を主人公にし、恋愛の三角関係を織り込みながら、インド国民軍を影で資金援助する愛国主義的ミッションを進行させるという、多くの要素をひとつにまとめた幕の内弁当的な映画であった。それぞれが中途半端に終わっていたきらいもないではなかったが、下手すると退屈になってしまいがちな歴史物映画を、フィクションの力でうまく脚色し、娯楽作品として成り立たせていたのは、バールドワージ監督の力量であろう。前述の「Netaji Subhas Chandra Bose」が、歴史の教科書を読んでいるような、事件の退屈な羅列に終わってしまっていたのと比べると、その成功度はより顕著である。