Neerja

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Neerja
「Neerja」

 インドにも数々の勲章があり、各分野で著しい功績を残した人物に勲章が贈られる。その中でもアショーク・チャクラは軍事部門での最上級勲章で、戦場において人並み外れた武勇を見せたり、自分を犠牲にして偉大な武勲を残した人物に授与される。このアショーク・チャクラを女性で初めて、しかも最年少で受勲したのがニールジャー・バノート(1963-1986年)であった。ニールジャーはモデルでありつつ、パンアメリカン航空のパーサー(乗務員統括責任者)という、才色兼備の女性であった。彼女は1986年、カラーチーとフランクフルト経由、ニューヨーク行きの航空機に搭乗し、カラーチーに立ち寄ったときにハイジャックに遭った。ニールジャーは武装したハイジャック犯を相手に勇敢に振る舞い、379人の乗客乗員の内、多くの命を救った。ただし、自身は命を失う。この多大なる功績により、死後、彼女はアショーク・チャクラを授与された。それだけでなく、パーキスターン政府や米国政府からも受勲されている。

 2016年2月19日公開の「Neejra」はニールジャー・バノートの伝記映画である。監督はラーム・マードヴァニー。主にTVCM業界で活躍している映像監督で、映画は過去にヒングリッシュ映画「Let’s Talk」(2002年)を撮っているだけだ。よって、「Neerja」はマードヴァニー監督にとって14年振りの映画となる。

 アショーク・チャクラ受勲者ニールジャー・バノートを演じるのはソーナム・カプール。モデルをしていただけあり、ニールジャー本人の写真はいくつか残っているのだが、確かにソーナム・カプール系の顔をしており、それが彼女の起用の大きな理由だと思われる。彼女の写真は映画のエンドクレジットでも出て来る。

ニールジャー・バノート

 ソーナムの他に著名な俳優として、シャバーナー・アーズミーが出演している。ニールジャーの母親役である。変わったところでは、音楽監督デュオ、ヴィシャール・シェーカルの内の一人、シェーカル・ラヴジヤーニーがニールジャーの恋人役で出演している。他のキャストは、ヨーゲーンドラ・ティークー、カヴィ・シャーストリー、サード・オルファン、アブラール・ザフール、ジム・サルブ、アリー・バルディーワーラー、ヴィクラーント・スィンターなど。

 ニールジャー・バノート(ソーナム・カプール)はボンベイ在住のモデルで、パーサーでもあった。ニールジャーの父親はジャーナリストで、ハリーシュ(ヨーゲーンドラ・ティークー)と言った。母親はラマー(シャバーナー・アーズミー)で、他に兄が2人いた。ニールジャーは過去にドバイ在住のインド人と結婚したがうまく行かず、離婚していた。また、ニールジャーにはジャイディープ(シェーカル・ラヴジヤーニー)という男友達がいた。

 1986年9月5日、ニールジャーはパンアメリカン航空73便にパーサーとして搭乗した。この航空機はボンベイを出て、カラーチーとフランクフルトを経由し、ニューヨークに向かう便であった。カラーチーに降り立ったとき、4人のテロリストに飛行機はハイジャックされた。彼らは、パレスチナ解放機構(PLO)から派生したテロ組織アブー・ニダール機構(ANO)のメンバーだった。ハイジャック時、機内には乗客乗員合わせて380名が搭乗していた。パイロット3人はハイジャックの報を受けて真っ先に脱出しており、乗客の運命は、パーサーであるニールジャーに託された。

 ニールジャーは武装したテロリストたちの前でひるむことなく、乗客の命を第一に考えて行動をし続けた。パーキスターン軍は空港を閉鎖し、テロリストと交渉を続けた。テロリストはパイロットを要求したが、軍は時間稼ぎをする。その内にテロリスト同士で仲間割れがあり、乱射を始めた。その混乱の隙を突いてニールジャーは非常口を開け、乗客を次々に脱出させる。ところが、取り残された子供を救おうとしたときにニールジャーは撃たれてしまう。だが、彼女の活躍のおかげで乗客の多くが脱出できた。軍の急襲によりテロリストは逮捕された。

 1986年9月7日。この日はちょうどニールジャーの誕生日だった。ニールジャーの遺体がインドに移送されて来た。両親や兄弟はそれを見て涙を流す。だが、ニールジャーに救われた子供はラマーに、彼女からのメッセージを伝える。「プシュパ―、涙は嫌いだ」。

 この映画は、昨今のヒンディー語映画で見られる2つのトレンドから語ることができるだろう。ひとつは伝記・実話映画の隆盛。もうひとつは女性中心映画の隆盛である。

 近年のヒンディー語映画は、実話や伝記にネタを求めることが多くなった。もちろん、誰もが知るような歴史上の英雄や偉人の人生や業績を描いた映画は古今東西どこにでも見られるが、最近のヒンディー語映画が主にアイデア源としているのは、むしろ多くの人々がよく知らない、隠れたヒーローたちの人生である。特定の人物の人生にスポットライトを当てた伝記映画に限っても、「The Dirty Picture」(2011年)、「Paan Singh Tomar」(2012年)、「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)、「Mary Kom」(2014年)、「Manjhi: The Mountain Man」(2015年)など、コンスタントに作られ続けて来ている。実話をもとにした映画まで範囲を広げると、「No One Killed Jessica」(2011年)、「The Attacks of 26/11」(2013年)、「Talvar」(2015年)など、さらに多くの映画の名が挙がる。そして、その内の多くは興行的にも批評家的にも成功している。このような好循環が、実話・伝記映画の製作をますます後押ししている。

 それに加えて顕著なのが、女性中心映画の隆盛である。男性中心主義の根強いヒンディー語映画界では、かつて女優および女性キャラは添え物に過ぎなかった。スターシステムが強固な上に、中心となるスターは男優以外に有り得なかった。また、仮に女性を中心にして映画を作っても、興行的に期待できないので、映画館側も敬遠した。よって、誰も女性中心の映画を作ろうとしないという状態が続いていた。それが徐々に打破されて来たのだが、その点において大きな貢献をしたのがヴィディヤー・バーランとカンガナー・ラーナーウトだ。この2人の女優は、映画家系をバックグランドに持っておらず、自分の力のみでスターの階段をのし上がって来た。まずはヴィディヤーが「The Dirty Picture」や「Kahaani」(2012年)などを成功させ、女性中心映画でも、作品として優れてさえいれば、興行的に採算が取れることを証明する。その次にカンガナー主演の「Queen」(2014年)や「Tanu Weds Manu Returns」(2015年)が大ヒットし、この流れを確固たるものとした。

 「Neerja」は、これら2つの潮流の上に立つ映画である。実話に基づく映画であるし、勇敢な女性を主人公にした映画だ。時代こそ、1986年と、今から30年前の出来事を描いてはいるが、決してノスタルジーに浸るための映画ではない。この作品は現代の、そして将来のインドの女性たちに向けられている。どんな状況に置かれても、恐怖に囚われることなく、勇敢に立ち向かうことを教えている。そのロールモデルとして、たまたまニールジャーに白羽の矢が立っただけだ。

 なぜこのような映画が必要なのか。それははっきりしている。2012年に起こったデリー集団強姦事件、俗に言うニルバヤー事件だ。この事件を機に、強姦に対する世間の考えは一変した。被害に遭っても泣き寝入りしていた女性たちが声を上げるようになった。「被害者(victim)」というネガティブな語句は消え、代わりに「生存者(survivor)」というよりポジティブな語句が使われるようになった。強姦罪の厳罰化が進み、男性たちの意識改革の必要性も叫ばれるようなった。残念ながらニルバヤー事件以降も女性たちが被害に遭う事件は起こり続けているが、風向きは変わった。映画界が女性中心映画を推進するようになった一因も、これにある。

 劇中におけるニールジャーのキャラは、正に「過去のインド人女性」と「現在もしくは未来のインド人女性」を体現している。ニールジャーは結婚で一度失敗しており、その過去がトラウマとなっていた。突然ハイジャックに遭い、そのトラウマが度々フラッシュバックして来て、弱気になりそうになるが、それでも父親の「勇気を出せ」という言葉に支えられ、テロリストたちに毅然とした態度で立ち向かう。残念ながら彼女自身は命を落としてしまうが、彼女のその勇気は、映画を通し、時代を超えて、現代のインド人女性たちにエールを送っている。

 ニールジャーは、1970年代に人気だったスター男優ラージェーシュ・カンナーの大ファンであった。映画でもそういう設定だったし、実際のニールジャーもそうだったらしい。彼女が最後に母親に宛てたメッセージ、「Pushpa, I hate tears(プシュパー、涙は嫌いだ)」も、ラージェーシュ・カンナー主演の映画「Amar Prem」(1972年)からだ。ただ、ハイジャック事件が起きた1980年代はアミターブ・バッチャンの時代となっており、実際に劇中でも、「ラージェーシュ・カンナーよりもアミターブ・バッチャンだ」という台詞が聞こえて来た。

 ちなみに、映画の最後、河の奥に巨大な寺院がそびえ立つ映像が流れる。これはマディヤ・プラデーシュ州マヘーシュワルのアヒリヤーバーイー寺院だ。この寺院を建造したアヒリヤーバーイーはマールワー王国の当主を務めた、女傑として知られる人物である。ニールジャーとも重なる部分がある。このロケーションも、映画のメッセージの一部と捉えていいだろう。

 言語の話も少し加えておく。ハイジャック犯たちは主にアラビア語を話し、少しだけ片言のヒンディー語を話す。だが、ハイジャック犯たちを演じた俳優は皆インド人である。そのアラビア語がどこまで正しいかはアラビア語の専門家に検証してもらう他ないが、ヒンディー語映画では稀と言えるほど、かなり細部までこだわって作られているのを感じた。字幕が出ないので、アラビア語を解しない大部分の観客は、文脈やジェスチャーなど、そして時々聞こえて来る、ヒンディー語と共通の語彙を手掛かりに、ハイジャック犯たちが何を話しているのか、推測するしかない。だが、言語の面で観客を大胆に突き放しているところが、臨場感につながっていた。

 「Neerja」は、1986年のパンアメリカ航空ハイジャック事件で命を賭して乗客を守ったパーサー、ニールジャー・バノートの伝記映画である。昨今のヒンディー語映画界でトレンドとなっている、伝記・実話映画の流れと、女性中心映画の流れの合流点となっており、よく時代を反映している。写実的かつ硬派な作りで、ほとんど歌や踊りなどは入らない。だが、観る者を容易に放さないグリップ力のある作品だ。興行成績の評価は「スーパーヒット」。主演ソーナム・カプールのキャリアにとっても重要な作品になりそうだ。あらゆる観点から、2016年必見の映画の一本と断定できる。