Chittagong

3.5
Chittagong
「Chittagong」

 インド独立運動は今まで頻繁にヒンディー語映画のテーマや舞台背景となっており、その中でもマハートマー・ガーンディーバガト・スィンの人生、思想、活動はよく取り上げられる。しかし、1930年4月18日のチッタゴン反乱はインド史の中で決してメジャーな事件ではない。そもそも現在チッタゴンはバングラデシュ領である。そのチッタゴン反乱をテーマに、稀なことにヒンディー語映画界では2本の映画が作られた。1本目はアーシュトーシュ・ゴーワーリカル監督の「Khelein Hum Jee Jaan Sey」(2010年)で、アビシェーク・バッチャンとディーピカー・パードゥコーンが主演した。そして2本目が2012年10月12日公開の「Chittagong」である。マノージ・パージペーイーやナワーズッディーン・スィッディーキーなど、演技に定評のある俳優たちが主演を務めている。既に「Khelein Hum Jee Jaan Sey」が題材にした事件をどのように料理し直して観客に提示できるのか、その点に特に注目したい。

監督:ベーダブラタ・パーイーン
制作:スニール・ボーラー、アヌラーグ・カシヤプ、ショーナーリー・ボース、ベーダブラタ・パーイーン
音楽:シャンカル=エヘサーン=ロイ
歌詞:プラスーン・ジョーシー
衣装:ニールナジャナ・ゴーシュ
出演:マノージ・パージペーイー、ナワーズッディーン・スィッディーキー、ラージ・クマール、ヴェーガー・タモーティヤー、ジャイディープ・アフラーワト、バリー・ジョン、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ、ヴィシャール・ヴィジャイ、ディルザード・ヒワーレー(新人)、ヴィジャイ・ヴァルマー(新人)、サウラーセーニー・マイトラー(新人)、チャイティー・ゴーシュ(新人)、アヌラーグ・アローラー、アレックス・オニール、ターナージー・ダースグプター、サーヒブ・バッターチャーリヤ
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞。

 英領時代の1930年チッタゴン。教師スーリヤ・セーン、通称マスター・ダー(マノージ・バージペーイー)は密かに仲間たち――ニルマル・セーン(ナワーズッディーン・スィッディーキー)、ロークナート・バル(ラージ・クマール)、アナント・スィン(ジャイディープ・アフラーワト)、アンビカー・チャクラバルティー(ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤ)――と革命を計画していた。しかし彼らは警察から監視されており、下手に動けなかった。

 一方、弁護士の息子スボード・ロイ、愛称ジュンクー(ディルザード・ヒワーレー)は県長官ウィルキンソン(バリー・ジョン)の家庭に通い、その妻からピアノを習っていた。父親はジュンクーを英国に留学させることを夢見ていた。だが、反英気運が高まるチッタゴンにおいて、県長官に可愛がられるジュンクーは浮いた存在になっていた。特に乱暴者のジョンソン(アレックス・オニール)が地元の青年を殺害した事件の原因はジュンクーの裏切りだと噂された。ジュンクーにはアパルナー(サウラーセーニー・マイトラー)という幼馴染みの少女がいたが、彼女もジュンクーを避けるようになった。今まで親英的立場にいたジュンクーはこの事件をきっかけに一気に反英となり、マスター・ダーの革命に志願する。

 マスター・ダーは、当局から疑われることの少ない子供たちを使って革命を起こそうと計画していた。表向きサッカー・チームの練習に見せ掛け、マスター・ダーはチッタゴンの子供たちに軍事訓練を施す。

 1930年4月18日、マスター・ダー率いる「インド共和国軍」はチッタゴンの英国拠点を同時に襲撃する。だが、武器庫でマシンガンが入手できなかったこと、英国人軍人や統治者が集っているはずのヨーロピアンクラブが留守だったことなどから、革命は失敗に終わる。インド共和国軍は山に逃亡する。

 英国軍の反撃が始まった。インド共和国軍の人々は何とか英国軍の第一波を撃退するが、何人かの子供たちが死んでしまった。マスター・ダーは逃亡し、潜伏する。同時に、子供たちを家に帰す。ジュンクーも家に帰るが、インド人警察エヘサーヌッラー(アヌラーグ・アローラー)に逮捕されてしまう。

 ジュンクーは拷問を受けるが、マスター・ダーの居所を教えなかった。だが、次々にインド共和国軍のメンバーが逮捕、殺害されるニュースが入って来る。マスター・ダーと行動を共にしていたニルマル・セーンも殺害されてしまう。その恋人のプリーティラター・ワーデーダル(ヴェーガー・タモーティヤー)はインド共和国軍の女性指揮官となり、ヨーロピアン・クラブ襲撃を指揮する。そして女性とは初の殉死者となる。このときエヘサーヌッラーとジョンソンも暗殺される。

 最後にはとうとうマスター・ダーも逮捕されてしまい、絞首刑となる。一方、ジュンクーはアンダマン諸島の牢獄に入れられる。アンダマン諸島に投獄された中でジュンクーは最年少であった。

 数年後、ジュンクー(ヴィジャイ・ヴァルマー)はチッタゴンに戻って来る。アパルナー(チャイティー・ゴーシュ)とも再会する。チッタゴンでは相変わらず英国人の横暴が続いていた。例えば農民たちの作物が強奪されていた。ジュンクーは、近隣の村々を組織し、作物を奪い返すためにトンネルを掘って英国の倉庫を襲う。ベンガル地方ではその他にも農民の反乱が続いた。

 「Khelein Hum Jee Jaan Sey」はチッタゴン反乱を指揮したスーリヤ・セーンが主人公の映画であったが、この「Chittagong」では反乱に参加した子供の1人ジュンクーを中心にストーリーが展開する。その点で大きな違いがあった。また、スター俳優2人を主演に据えた前者はヒンディー語娯楽映画の文法により忠実に則っていたが、「Chittagong」はダンスシーンなどなく、非常に真面目な作りだった。

 監督の経歴は変わっている。15年間NASAに務めていたエンジニアで、デジカメや携帯電話に使われるCMOSセンサーの開発に携わった。だが、映画監督になる夢を捨て切れず、NASAを辞め、この「Chittagong」で映画監督デビューした。ただ、映画界とのつながりはこれが初めてではない。以前、「Amu」(2005年)という傑作ヒングリッシュ映画があったが、その制作にも関わっていたようである。この映画は1984年の反スィク教徒暴動をテーマにしている。インドの過去の事件に興味のある監督のようである。

 実はこの映画は2010年には完成していたようで、「Khelein Hum Jee Jaan Sey」より前に公開することもできた。だが、政治的な駆け引きがあったようで、バッティングは避けられ、2年後のこの時期の公開となったと言う。「Chittagong」の主人公スボード・ロイは2005年まで存命で、彼の死の直前に行われたインタビュー映像も映画の最後に出て来る。決して「Khelein Hum Jee Jaan Sey」の二番煎じではないことが主張されていた。

 映画は史実を坦々と映像化して行くような忠実な作りで、細かい部分が解説されたり解釈されたり脚色されたりされている訳ではない。よって物語としての評価もしにくい。「Khelein Hum Jee Jaan Sey」を観ていたからストーリーを追えたところもある。ただでさえマイナーな事件であり、それがなければ多くの観客にはチンプンカンプンだったのではなかろうか。マスター・ダーを初めとして登場人物のスケッチもほとんど皆無だ。俳優たちに丸投げされている感じであった。そういう意味では不親切な映画だった。

 だが、逆に言えば俳優たちにとっては非常にやりがいのある映画だったのではないかと思う。何しろ自分で自分の役に深みを与えられるのだ。そしてやはり名優による役柄にはそれなりの深みがあった。俳優陣を見ると錚々たる顔ぶれである。マノージ・パージペーイー、ナワーズッディーン・スィッディーキー、ジャイディープ・アフラーワトなど、「Gangs of Wasseypur」(2012年)のメンバーが揃っている。アヌラーグ・カシヤプがプロデューサー陣に名を連ねているのもそれと無関係ではないだろう。

 英国人側の配役は、よく見ると過去にヒンディー語映画出演歴のある人ばかりだ。ウィルキンソンを演じたバリー・ジョンは「Shatranj Ke Khiladi」(1977年)や「Tere Bin Laden」(2010年)に出演している。この映画では一番の憎まれ役であるジョンソンを演じたアレックス・オニールは「Cheeni Kum」(2007年)や「Joker」(2012年)に出演済みだ。

 ジュンクーを演じた男優2人とアパルナーを演じた女優2人は皆新人だ。少年時代のジュンクーがディルザード・ヒワーレー、青年時代のジュンクーがヴィジャイ・ヴァルマー、少女時代のアパルナーがサウラーセーニー・マイトラー、青年時代のアパルナーがチャイティー・ゴーシュである。ジュンクー役の2人はとても好演していた。サウラーセーニー・マイトラーは多少初々しさが抜けていなかった。チャイティー・ゴーシュはミスキャスティングだ。全く少女時代の面影がないおばさんだ。マムター・バナルジー州首相かと思った。声も図太いし、なぜ彼女を起用したのか。

 このような社会派映画としては珍しく、音楽監督はシャンカル=エヘサーン=ロイが務めている。シャンカル・マハーデーヴァンが歌うバラード「Bolo Na」など、何度もリフレインされて映画をしっとりと盛り上げていた。また、エンディングのスタッフロールで流れる「Ishan」はベーダブラタ・パーイーン監督自身が歌っている。

 ところで映画中でエヘサーヌッラーが「反乱軍は皆ヒンドゥーだ」と言う台詞があり、それで気付いたのだが、このチッタゴン反乱に荷担したのは名前からするに皆ヒンドゥー教徒である。調べてみると現在チッタゴンの人口の8割はイスラーム教徒のようだ。当時もそんなにこの人口比に変化はなかったことだろう。とすると、チッタゴン反乱に加わったのはマイノリティーのヒンドゥー教徒のみだったということになる。それがどういう意味を持つのだろうか?

 「Chittagong」は、アビシェーク・バッチャンとディーピカー・パードゥコーン主演の「Khelein Hum Jee Jaan Sey」と同様に1930年のチッタゴン反乱を題材とした映画だ。ただ、前者が反乱の指揮者を主人公にしているのに対し、後者は反乱の主な構成員となった子供たちの1人に焦点が当てられている。この2つの映画を合わせて観ると、事件のことがよく分かるだろう。