21世紀のヒンディー語映画の進化の方向性を決定づけた映画がアーミル・カーン主演「Lagaan」(2001年)であった。1893年の英領インドの農村を舞台とし、農民たちが英国人支配者たちと年貢を賭けてクリケットの試合をするという一見破天荒なストーリーながら、緻密な構成によって一大娯楽映画に仕上がっており、アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされるまでの高い評価を受けた。「Lagaan」は時代劇映画であり、スポーツ映画でもあり、そして何より愛国映画であった。また、娯楽映画ながらインドの宗教問題やカースト問題にも巧みに踏み込んでおり、社会派映画としての側面も持ち合わせていた。その傑作「Lagaan」を撮ったのがアーシュトーシュ・ゴーワーリカルであった。それまでの彼は数本の映画しか経験がなく、しかもヒット作もない二流映画監督であったが、「Lagaan」の成功によって一気に株を上げることとなった。その後シャールク・カーンと共に「Swades」(2004年)、リティク・ローシャンやアイシュワリヤー・ラーイと共に「Jodhaa Akbar」(2008年)などを撮っており、どちらも重要な作品となっている。ところがその後何をトチ狂ったのか「What’s Your Raashee?」(2009年)という大失敗恋愛映画を作ってしまっており、迷走を感じさせられた。そのゴーワーリカル監督の最新作が本日(2010年12月3日)公開の「Khelein Hum Jee Jaan Sey(命を賭けて遊ぼう)」である。
「Khelein Hum Jee Jaan Sey」は、ジャーナリストのマーニニー・チャタルジー著「Do And Die: The Chittagong Uprising, 1930-34」を原作とした、1930年のチッタゴン反乱をテーマにしたノンフィクション映画である。チッタゴン(現地発音だと「チョットグラム」)は現在バングラデシュ領となっているが、1930年当時は英領インド領であった。チッタゴンは現ミャンマー近くの港町であり、カルカッタやデリーなどから見たら田舎であった。この地方都市で起こった、主に10代の若者たちによる反英革命未遂がチッタゴン反乱であり、今までインド独立運動史の中でもほとんどスポットライトの当たらなかった事件であった。それを忠実に映画化したことにまずこの「Khelin Hum Jee Jaan Sey」の意義がある。英領インド時代を舞台にした時代劇映画であり、インド独立運動をテーマにした愛国映画であり、さらに少しサッカーもストーリーに関係して来ることから準スポーツ映画でもあるため、ゴーワーリカル監督の出世作「Lagaan」を意識した構成の映画と言える。アビシェーク・バッチャンとディーピカー・パードゥコーンの初共演作という点も見所だ。ちなみにこのような愛国映画は1月26日の共和国記念日か8月15日の独立記念日にかかる週に公開されるのが常だが、この映画の公開時期は特に愛国イベントとは関係ない。
監督:アーシュトーシュ・ゴーワーリカル
制作:アジャイ・ビジュリー、サンジーヴ・K・ビジュリー、スニーター・A・ゴーワーリカル
原作:マーニニー・チャタルジー「Do And Die: The Chittagong Uprising, 1930-34」
音楽:ソハイル・セーン
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
衣装:ニーター・ルッラー
出演:アビシェーク・バッチャン、ディーピカー・パードゥコーン、ヴィシャーカー・スィン(新人)、スィカンダル・ケール、マヒンダル・スィン、シュレーヤス・パンディト、サムラート・ムカルジー、フィーローズ・ワーヒド・カーン、モンティー・マンフォードなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。
1930年、チッタゴン。少年たちが広場でサッカーに興じていたところ、突然やって来た英国軍兵士たちがその広場を軍の駐屯地にしてしまい、遊び場を失ってしまった。少年たちは、地元の革命家スルジャー・セーン(アビシェーク・バッチャン)に助けを求める。スルジャーは表向き学校教師をしていたが、秘密裏にニルマル・セーン(スィカンダル・ケール)、アナンタ・スィン(マヒンダル・スィン)、アンビカー・チャクラバルティー(シュレーヤス・パンディト)、ガネーシュ・ゴーシュ(サムラート・ムカルジー)、ロークナート・バル(フィーローズ・ワーヒド・カーン)らと革命の準備を進めていた。スルジャーは、マハートマー・ガーンディーの提唱する非暴力・非協力の運動ではインド独立は難しいと考えており、武力での革命を画策していた。英国人の支配拠点であるカントンメント、警察署、電報所、クラブ、鉄道の5ヶ所に同時に攻撃をするのが彼の計画であった。 ところで、ニルマル・セーンの恋人プリーティラター(ヴィシャーカー・スィン)とその友人カルパナー・ダッター(ディーピカー・パードゥコーン)は国民会議派に入っていたが、スルジャーの考えに賛同しており、ある日彼に会いに来て、革命に参加したいと希望する。スルジャーは最初渋ったものの、カントンメントに潜入して地図を作成して来た彼女たちの成果に感心し、彼女たちも仲間に入れる。 だが、これだけではまだ革命のために人員が足らなかった。スルジャーは、英国軍に広場を奪われた少年たちをも仲間に引き込むことを考える。少年たちはこぞってスルジャーの事務所を訪れ、オーディションを受ける。これにより、56人の少年たちが革命に参加することとなった。スルジャーたちは少年たちに訓練を施し、一人前の革命家に育て上げる。ただ、カルパナーとプリーティラターは、独立運動に参加していることが両親にばれ、無理矢理カルカッタに送られてしまう。 運命の1830年4月18日、スルジャーたちは綿密な計画に則ってカントンメント、警察署、電報所、クラブ、鉄道を一度に襲撃する。だが、2つの誤算があった。ひとつはその日がグッドフライデーであったこと。英国人たちは聖金曜日を祝うために早めに帰宅してしまっており、スルジャーたちがクラブを襲撃したときには一人も英国人がいなかった。もうひとつの誤算は、武器庫に弾薬がなかったことである。スルジャーたちは、武器と弾薬が別々に収納されていたことを知らなかった。英国軍から奪った武器で革命を成功させようとしていたスルジャーは大きな困難に直面することになる。すぐに英国軍がカントンメントに押し寄せて来た。スルジャーたちは退却を余儀なくされる。 スルジャーたちはジャラーラーバードの山中に身を潜めていたが、すぐに英国側の知るところとなり、襲撃を受ける。英国軍はマシンガンを持っており、スルジャーたちが持っていた旧式の銃では太刀打ちが出来なかった。革命に参加した少年たちは次々に銃弾に倒れる。さらなる退却をしたスルジャーは、数グループに別れて逃亡することを決める。 だが、全国に指名手配されたスルジャーらは、一人また一人と、殺されるか逮捕されて行った。革命の失敗を知ってチッタゴンに帰って来たカルパナーも逮捕されてしまうが、父親の力もあって釈放される。だが、スルジャーと逃亡生活をすることになり、最後には捕まってしまう。スルジャーは死刑を宣告され、絞首刑となる。
インド独立運動をテーマにした愛国映画において、マハートマー・ガーンディーやジャワーハルラール・ネルーらが主導した「本流」の独立運動以外を取り扱う場合、そして史実に忠実な映画作りを心がける場合、観客を高揚させるようなまとめ方は難しい。なぜなら映画は蜂起の失敗や主人公の死によって幕を閉じざるをえないからだ。「The Legend of Bhagat Singh」(2002年)、「Mangal Pandey: The Rising」(2005年)、「Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero」(2005年)などはその先例で、「Khelein Hum Jee Jaan Sey」もその例に漏れなかった。主人公スルジャー・セーン率いる革命は未遂に終わり、最終的には革命参加者は一網打尽となって、スルジャー自身も絞首刑となる。裁判のシーンで死刑を宣告されたスルジャーが英国人裁判官に対し「有罪なのはお前達の方だ」と啖呵を切るシーンがあったり、絞首刑になる直前に三色旗(インドの国旗)が掲げられる幻を見つめ、後のインド独立を暗示するシーンがあったりしたが、全体的には失敗の物語であり、悲しいストーリーである。
劇中では2つの誤算――グッドフライデーで英国人が早めに帰宅していたことと、武器庫に弾薬がなかったこと――のためにスルジャー・セーンの蜂起計画は失敗に終わったと結論づけられており、そうでなければ彼の「綿密」な計画は成功し、チッタゴンに革命が起こっていただろうとされていたが、この映画を観る限り、はっきり言って彼の計画は最初から無謀としか言いようがない。やはりまずは10代の純朴な少年たちを56人も革命に引き込んだことに疑問を感じずにはいられない。もっと他に誰かいなかったのだろうか?少年たちを使って革命のための資金集めをするシーンもあったが、それもおかしな話である。おかげで少年たちの中には窃盗に手を染めてまで資金を集めようとする者まで出て来てしまっていた。しかも結果的に彼らを死なせてしまったことは、教師としても、革命指導者としても、失格としか言いようがない。少年たちを洗脳・扇動して独りよがりな革命ゲームに飛び込ませたと言われても返す言葉がないだろう。蜂起後の計画も杜撰としか言いようがないし、想定外の事態に陥ったときもとにかく退却するだけで咄嗟の判断が出来ていなかった。そもそもなぜ彼に付いて行こうとする人物がこんなにいるのか、説得力がなかった。少なくとも劇中のスルジャーからはカリスマ性を感じなかったのである。こういう人物を英雄視していいのだろうか?
3時間を越える長尺の映画であったが、その長さに依存し過ぎなところがあり、映画の進行速度は非常にゆっくりペースである。その緩やかなテンポは、チッタゴンののどかな田舎風景(実際にはゴアでロケが行われている)とマッチしてはいたのだが、前半はとても退屈であった。退屈な前半は基本的に蜂起準備までがゆっくりと描かれ、後半からいよいよ蜂起に入る。よって後半からはペースが上がるのだが、蜂起失敗後はかなり駆け足で、バラバラになって逃亡した革命参加者たちの末路が簡略に語られる。それはほとんど史実を単になぞるだけのシーンになってしまっており、物語としての面白さは全くなかった。歴史に忠実に映画を作ろうとすると、どうしても説明的になってしまって映画としての面白さが減る傾向にあるのだが、「Khelein Hum Jee Jaan Sey」もその罠にはまっていた。
だが、この映画でひとつ正直に語られていたのは、結局英国支配に立ち上がったインド人革命家たちが直接戦火を交えなければならなかったのは、多くは英国に雇われたインド人スィパーヒー(兵士)だったという事実である。もちろん上官は英国人であり、現場指揮官の大半も英国人であるのだが、スルジャーたちはその部下のインド人スィパーヒーたちをも容赦なく殺し、インド人スィパーヒー側もスルジャーらインド人革命家たちに容赦なく発砲して来ていた。つまりインド人同士の殺し合いになってしまっていた。おそらくこの映画を観て愛国心を高揚させるものがなかった最大の理由はここにあると思われる。また、現代の視点から独立運動を見ると、いかにも英領インド時代にインド人が英国人に迫害され、皆英国人に対して憎悪を燃やしていたように見えてしまいがちだが、実際には英国人の支配を受け容れて、その上で生計を立てたり地位を確立したりしているインド人も多く、革命家というのは一般のインド人の間でも変わり者で厄介な存在であった。その様子も的確に描写されていた。その辺りは、ジャーナリストが綿密な調査の上で著した原作があったおかげで正確な環境描写が出来たのではないかと思う。
史実に基づいた映画であり、歴史が主人公であるため、主演のアビシェーク・バッチャンとディーピカー・パードゥコーンには、演技の面からもキャラクター設定の面からも、際立ったものがなかった。アビシェーク演じるスルジャーとディーピカー演じるカルパナーの間にあからさまに恋が芽生えることもない。第一線で活躍する彼らをわざわざ起用する必要性も感じなかった。ただ、ゴーワーリカル監督は脇役を活かすのが上手な監督であり、スルジャーの仲間たちを演じた俳優たちは、ヒンディー語映画界ではほとんど無名であるものの、非常に生き生きした演技をしていた。スィカンダル・ケールも真摯な演技をしていたし、プリーティラターを演じた新人女優ヴィシャーカー・スィンもとても良かった。
音楽はソハイル・セーン。インドの国民歌のひとつ「Vande Mataram」をベースに、愛国的な歌で彩られている。だが、基本的にシリアスな映画であり、ダンスシーンなどはなく、全ての歌はほぼBGMとして使用されていた。もっとも印象的なのは、少年たちのコーラスによるタイトル曲「Khelein Hum Jee Jaan Sey」である。
あと、細かい点だが、冒頭に登場するアジアの地図において、日本列島があるべき位置に日本列島がなかったことが気になった。
「Khelein Hum Jee Jaan Sey」は、「Lagaan」で一気に知名度を獲得したアーシュトーシュ・ゴーワーリカル監督の最新作であるが、彼の監督としての才覚は多少不安定であり、今回の作品は失敗作に数えられることになりそうだ。チッタゴン反乱というマイナーな事件を映画化して世間に知らしめたことには意義があるが、インド人ですらほとんど馴染みのない事件であり、日本人がこれを観て楽しめるかどうかは疑問である。3時間を越える長尺の上映時間もネックだ。アビシェーク・バッチャンとディーピカー・パードゥコーンの初共演には注目するものがあるが、無理に観る必要のある映画ではないだろう。