Ek Main Aur Ekk Tu

3.0
Ek Main Aur Ekk Tu
「Ek Main Aur Ekk Tu」

 スターシステムが根強く残るヒンディー語映画界では、主演の二人――ヒーローとヒロイン――に関していくつか不文律がある。例えばヒーローとヒロインが血縁であってはいけないという不文律。「映画カースト」という言葉が生まれるほど映画界は血縁主義が横行しているが、実際の兄弟姉妹やイトコが恋人役・夫婦役でカップリングされることはタブー視されている。もちろん近親相姦を想起させるからである。その理由から、ランビール・カプールとカリーナー・カプールの共演は今までない。2人はヒンディー語映画界最古の映画カースト、カプール家のイトコ同士である。

 上の不文律はかなり絶対的なものだが、それよりも幾分緩い不文律が、ヒーローよりヒロインの方が年上であってはならないというものだ。いくつか例外はあるし、脚本上の必要性からわざとそういうカップリングがなされることもある。ただ、一般的にはヒロインはヒーローよりも年下の女優が選ばれることがほとんどである。

 本日(2012年2月10日)公開の「Ek Main Aur Ekk Tu」では、イムラーン・カーンとカリーナー・カプールが主演。カリーナーの方が3歳ほど年上であり、この二人のカップリングには疑問の声も多い。しかし、「Agneepath」(2012年)をヒットさせたダルマ・プロダクション(カラン・ジョーハル)の作品であり、今年の話題作の一本に数えられている。監督は「Jaane Tu… Ya Jaane Na」(2008年)などで助監督を務めたシャクン・バトラーで、本作が監督デビュー作となる。「Agneepath」も新人監督を起用しており、最近のダルマ・プロダクションは新たな才能にチャンスを与えている。

監督:シャクン・バトラー(新人)
制作:ヒールー・ヤシュ・ジョーハル、カラン・ジョーハル、ロニー・スクリューワーラー
音楽:アミト・トリヴェーディー
歌詞:アミターブ・バッターチャーリヤ
振付:ラージーヴ・シュルティ、ボスコ
衣装:マニーシュ・マロートラー、シラーズ・スィッディーキー
出演:イムラーン・カーン、カリーナー・カプール、ボーマン・イーラーニー、ラトナー・パータク・シャーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ラーフル・カプール(イムラーン・カーン)は幼い頃から両親(ボーマン・イーラーニーとラトナー・パータク・シャー)の多大な期待を背負わされ、自分に自信を持てない若者に育っていた。大学では父親の望み通りに建築を学び、ラスベガスの建築会社で勤務していた。ところがラーフルはクリスマス直前に解雇されてしまう。ちょうど両親がラスベガスに来る日に解雇を通達され、ラーフルはそれを隠して就職先を探すことになる。

 傷心のラーフルは、ある日リアーナ・ブラガンザ(カリーナー・カプール)という破天荒なインド人女性と出会う。スタイリストのリアーナはちょうど同じく求職中であったが、常に幸せそうで、ラーフルにとっては新鮮な存在だった。クリスマスイブの夜、ラーフルはリアーナと飲むことになる。リアーナに「退屈」と言われたラーフルは躍起になって酒をがぶ飲みし、酔っ払う。二人はたまたま通り掛かった教会で酔った勢いで結婚してしまう。

 翌朝、ラーフルとリアーナは結婚してしまったことに気付き、それを取り消す手続きをするが、完了までには時間が掛かった。また、リアーナは家賃滞納のため貸家から追い出されてしまい、ラーフルの家に居候することになる。ラーフルはリアーナと過ごす内に彼女に惚れてしまう。この間、リアーナは就職先が決まるが、ラーフルは無職のままだった。

 リアーナは年末年始にインドに帰ることになっていた。二人とも実家はムンバイーにあった。リアーナはラーフルもインド一時帰国に誘う。ラーフルは説得され、彼女と共にムンバイーへ向かうことになる。ただ、両親には内緒で、ラーフルはリアーナの家に滞在することになった。リアーナの家庭はとても温かく、娘と結婚してしまったラーフルを歓迎する。ラーフルはリアーナの家族と共に年越しする。

 リアーナはラーフルを母校へ連れて行く。そこでラーフルはリアーナに愛の告白をするが、リアーナはそういう積もりではなかった。リアーナに振られたラーフルはふさぎ込んでしまう。また、ラーフルは偶然母親に見つかってしまい、リアーナの家を出て実家に戻ることになる。ラーフルは会食の席で初めて両親に反旗を翻し、解雇されたこと、結婚してしまったことなどを明かす。唖然とする両親を置いてラーフルは家を出る。リアーナの家にやって来たラーフルは、リアーナと語り合い、慰められる。

 ラスベガスに戻ったラーフルとリアーナは結婚の取り消しを完了する。ラーフルは幸い就職先も見つかり、新生活を送っていた。リアーナとは相変わらず親友の仲であった。

 その出来は別として、非常に驚かされた映画だった。ロマンス映画でありながら、ヒーローとヒロインが結ばれないという結末。必ずしも結婚をゴールとしない種類の脚本の映画ならば問題ないが、「Ek Main Aur Ekk Tu」のプロットは完全に結婚志向のものであった。それなのに結ばれなかった。結末にサプライズをもたらすため、凝りに凝った結果がこれなのか、それともインドのロマンス映画が成熟した証なのか。しかし、インドのロマンス映画にとって、ひとつの転機になる映画であることは確実である。

 もっとも、ヒーローとヒロインは結婚している。クリスマスイブの日、クイック結婚専門の教会の前を通り掛かり、酔っ払ったノリで結婚してしまったのである。しかし、当然のことながら二人はそれを取り消すことを決め、手続きもする。通常のヒンディー語映画の流れならば、最終的には二人は結婚を取り消さず、そのまま本当の夫婦となるという結末が用意されていたことだろう。しかし「Ek Main Aur Ekk Tu」では、二人は恋人関係にもならない。

 むしろ強調されていたのは、ラーフルの人間的成長である。ラーフルは幼い頃から両親の言いなりになっていた。父親はラーフルが何らかの分野で1番になることを期待し、彼の職業もキャリアも結婚相手もコントロールしていた。母親はラーフルを溺愛し、人形のように飾り付けては喜んでいた。こういう二人に育てられたため、ラーフルは自信も自身もない若者となってしまっていた。

 そのラーフルが、人生をフルに生きるリアーナと出逢い、様々な事情から共に過ごすこととなる。彼の人生は2週間の内に完全に変わってしまう。退屈な人間だったラーフルは人生を楽しむようになる。そればかりでなく、両親の前で初めて自分の意見を言い、人生において自分がしたいことをすると宣言する。

 映画は社会を反映している。「Ek Main Aur Ekk Tu」も現代インド社会の反映だと言える。親が子に過度の期待を寄せることで、子供が精神的なストレスを受けているという報告がインドで聞かれるようになって久しい。例えば、テレビでは一時、子供の才能発掘番組が流行していた。テレビで見る限りでは、小さな子供たちが歌や踊りなどで驚くべき才能を発揮しており、観ていて楽しいものだ。しかし、舞台裏ではかなり悲惨なドラマが繰り広げられていると言う。子供が親の期待に応えようとしてキャパシティー以上の頑張りをし、精神的にも肉体的にも大きなダメージを受けることが多いようだ。実は同様の「子供の檜舞台」は地域レベル、学校レベル、家庭内レベルでもよく用意されており、多くのインド人両親は、それがどのようなレベルであっても、我が子に華々しい活躍と最高の結果を求める。インドの教育は失敗に優しくなく、常に成功し続けることを運命付けられたエリート養成の性格が強い。その副作用として「Ek Main Aur Ekk Tu」の主人公ラーフルが提示されたと言っていいだろう。ラーフルはリアーナに「あなたは平均的。それがあなたの魅力」と言われ、ホッと安心する。この言葉を必要としている子供はインドにはとても多いのではないかと思う。全く同じではないが、近いテーマの映画には「Taare Zameen Par」(2007年)が挙げられる。

 2011年のヒンディー語映画界では、父権を否定するような内容の映画が目立った。「Ek Main Aur Ekk Tu」もその流れに位置づけられる作品であった。父親の前で萎縮してしまい、ただ言われることを聞き入れるだけしか出来なかったラーフルが、最後に父親の前で今までの鬱憤を爆発させ、自我をぶつける。エンディングでヒーローとヒロインが結ばれないロマンス映画であることに加え、ヒンディー語映画の新しい潮流である。

 また、破天荒なヒロインを中心に進行する映画も最近のトレンドである。元はと言えば「Jab We Met」(2007年)でカリーナー・カプールが演じたギート辺りがその走りだったが、それ以降この種の映画はとても増えた。「Tanu Weds Manu」(2011年)でカンガナー・ラーナーウトが演じたタンヌーや「Mere Brother Ki Dulhan」(2011年)でカトリーナ・カイフが演じたディンプルがその代表例である。元祖とも言えるカリーナー・カプールが今回、ギートとよく似た性格のリアーナを演じた。ちなみにリアーナ・ブラガンザという名前から彼女がキリスト教徒という設定であることが分かる。

 このように古くからのインド映画ファンの常識を覆すような要素が詰まった映画だったのだが、完成度そのものは最上とは言い難かった。やはり最後にヒーローとヒロインが結ばれないという点で消化不良に感じたのが大きかったのだが、途中大した事件もなく、大部分は退屈な展開が続いた。スクリーンに引き付けられたのは、二人が結婚するまでと、ラーフルが父親に物申す場面ぐらいだ。

 ちなみに、「Zindagi Na Milegi Dobara」(2011年)に続き、日本人が登場するシーンがある。しかもまたも「山本さん」である。このままだとヒンディー語映画に登場する日本人が全員「山本さん」になってしまいそうだ。さらに、日本人は好意的に描写されていなかった。日本語が聴き取れるので分かることなのだが、本音と建前を英語と日本語で使い分ける狡猾な人種という印象であった。

 下馬評ではイムラーン・カーンとカリーナー・カプールのミスマッチが話題となっていた。だが、結局2人は結ばれなかったので、そのような批判は肩すかしになったと言っていいだろう。2人の間の恋愛も、イムラーン演じるラーフルからの片思いということになっていた。

 イムラーンは今回、両親の影響下で萎縮している姿と、リアーナの影響で弾ける姿を演じ分ける必要があった。それが完全にうまく行っていたとは言い難い。もう少しその2つの姿の間でメリハリを付けた方が良かった。しかし好演していたと言っていいだろう。

 カリーナーは、「Jab We Met」で絶賛されたキャラクターそのものを今回も演じており、演技自体には問題がなかった。しかしながら、それ以上の発展がなかったということで、ネガティブに批評されることもあるだろう。年下のイムラーンとの共演も、若さという点で彼女にとって多少不利に働いている。

 他にラーフルの父親役としてボーマン・イーラーニーが、母親役としてラトナー・パータク・シャーが出演。ボーマンももちろん良かったが、ラトナーの巧さが特に目立った。

 音楽はアミト・トリヴェーディー。これまでの彼のぶっ飛んだ曲作りに比べたらだいぶこなれてきた印象であるが、「Aunty Ji」は完全に彼の独自色が強く出たダンスナンバーだ。ヘンテコな歌詞と共にとてもパワフルな曲となっている。しかし白眉はバラード「Aahatein」かもしれない。

 そういえばストーリーはクリスマス辺りから始まり、新年に入って数日後に終わる。多分その辺りの時期の公開を計画していたのだろう。しかしヴァレンタインデー週公開となってしまった。結末でヒーローとヒロインが結ばれる映画ではなく、ヴァレンタインデーにはあまり向かないように感じる。

 「Ek Main Aur Ekk Tu」は、ロマンス映画の常識を覆す結末が驚きの作品。他にもヒンディー語映画の新しい潮流を感じさせる要素がいくつかあり、昨今のインド映画の変化を知るには絶好の映画。ただし完成度は必ずしも高くない。ヴァレンタインデーのカップル向け映画としても最適ではない。