F.A.L.T.U.

3.0

 映画の裏方の中で、コレオグラファー(振付師)がここまで重視される映画界はインド以外にはなかなかないのではなかろうか。その理由はもちろん、インド映画において依然としてダンスが映画の重要な要素になっているからだ。もちろん監督の腕がもっとも映画の出来を左右するが、ダンスが優れた映画はそれだけで集客力を持ち、映画公開後も人々の記憶に残ることが多い。良質のインド映画は、ストーリーと歌と踊りがうまく調和しているが、それもコレオグラファーの才能に依るところが大きいだろう。

 コレオグラファーの出番は当然ダンスシーンということになるが、本番前に、数日から数週間に渡り、主演俳優を含めダンスシーンの出演者たちに振り付けを指導するために、出演者との人間関係は自ずと濃くなる。また、ダンスの指導は演技の指導と同等以上の監督力を要することは想像に難くない。よって、もしかしたらインド映画界で活躍するコレオグラファーは、もっとも監督に近い職業かもしれない。実際、コレオグラファーが監督に転身した例はいくつもある。ヒンディー語映画界でコレオグラファーから監督に転身した人物としてもっとも有名なのは「Om Shanti Om」(2007年)のファラー・カーンである。同作品中では多数のトップスターたちがカメオ出演しており、監督の人脈の広さを感じさせられた。当然、ダンスシーンも非常に優れたものであった。また、最近ヒンディー語映画界ではダンスシーンがない娯楽映画が徐々に増えて来ているため、コレオグラファーが必要に迫られてメガホンを取るということもあるのかもしれない。

 2011年4月1日から公開されたコメディー映画「F.A.L.T.U.」もコレオグラファーとして有名なレモ・デスーザの初監督作品である。プロデューサーはヴァーシュ・バグナーニー。彼は「Kal Kissne Dekha」(2009年)で自分の息子ジャッキー・バグナーニーをデビューさせたが、ヒット作にはならなかった。ヴァーシュ・バグナーニーは今回も懲りずにジャッキーを主演に据えて映画を制作。若手俳優中心キャストだが、リテーシュ・デーシュムク、アルシャド・ワールスィー、ボーマン・イーラーニーなど、中堅~ベテラン俳優の助演もある。

監督:レモ・デスーザ(新人)
制作:ヴァーシュ・バグナーニー
音楽:サチン・ジガル
歌詞:サミール
振付:レモ・ディスーザ
出演:ジャッキー・バグナーニー、プージャー・グプター(新人)、チャンダン・ロイ・サンヤル、アンガド・ベーディー(新人)、アルシャド・ワールスィー、リテーシュ・デーシュムク、ボーマン・イーラーニー、ミトゥン・チャクラボルティー、アクバル・カーン、ダルシャン・ジャリーワーラー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 リテーシュ(ジャッキー・バグナーニー)、プージャー(プージャー・グプター)、ナンジ(アンガド・ベーディー)とヴィシュヌ(チャンダン・ロイ・サンヤル)は高校の仲良し四人組であった。ヴィシュヌは最終試験で95%のマークを狙う優等生だったが、残りの三人は落ちこぼれだった。リテーシュ、プージャー、ナンジは40%前後の成績を取ってギリギリ卒業し喜ぶ一方、ヴィシュヌは94%の結果に泣いていた。

 ヴィシュヌは名門セントピーターズ大学に進学する。だが、リテーシュ、プージャー、ナンジの三人にはどこにも入学できる大学がなかった。ヴィシュヌの父親ワルダン氏(アクバル・カーン)は高等教育を司るUGCの委員長であり、三人は両親を巻き込んでワルダン氏に何とかしてもらうように頼みに行く。だが、ワルダン氏はヴィシュヌの友人たちを好いておらず、鼻から相手にしなかった。このままではリテーシュは父親(ダルシャン・ジャリーワーラー)の廃品回収屋を継ぐことになり、プージャーは結婚させられ、ナンジは古典音楽家の父親にこっぴどく叩かれることになってしまう。絶体絶命のピンチであった。

 そこでリテーシュは自分で偽物の大学を作り出すことにする。大学の名前はファキールチャンド・アンド・ラキールチャンド・トラスト・ユニバーシティーに決め、入学許可証を偽造する。そして新聞に生徒募集の広告を出し、ウェブサイトまで作った。そしてリテーシュ、プージャー、ナンジはその偽造入学許可証を両親に見せる。両親は自分の子供が何とか大学に入学することが出来て大喜びするが、初日に大学まで子供を送って行こうとする。そこでリテーシュらは大学自体をこしらえなくてはならなくなった。リテーシュは何でも屋のグーグル(アルシャド・ワールスィー)に相談する。

 グーグルはムンバイーから285kmのパンチガニーにある廃校になった大学を見つけ、それをリテーシュらに提供する。リテーシュらはその大学を1日できれいにし、大学らしく外見を整える。また、グーグルは学生役としてジュニアアーティスト(エキストラ専門俳優)たちを呼び、大学の雰囲気を作り出す準備をした。また、校長としてバージーラーオ(リテーシュ・デーシュムク)という落ちこぼれ教師を引き抜いて来る。バージーラーオは校長になるのが夢で、勤務していた学校を辞めて偽造大学に来てしまう。

 大学初日。大勢の学生役ジュニアアーティストたちが集まり、リテーシュらも両親と共に大学を訪れた。リテーシュの父親は大学の名前の頭文字を取って「FALTU(ファールトゥー/役立たず)」と呼んだ。それがそのままこの大学の愛称となった。両親たちはキャンパスの雰囲気や校長の人柄に満足して帰って行く。とりあえず山場を越えたことで胸をなで下ろしたリテーシュらは、グーグルに礼を言って、ジュニアアーティストたちを帰してもらう。

 ところがキャンパスにはジュニアアーティストたちが帰った後も大勢の若者たちが残っていた。どうやら新聞に掲載した偽の広告や偽のウェブサイトを見てやって来てしまった「入学者」たちであった。リテーシュらは彼らに、この大学が偽物であることを説明するが、彼らも落ちこぼれでどこにも行き場がなく仕方なくこの大学にやって来た身の上で、もはや帰る場所がなかった。彼らは意地でもこのファールトゥーに居座ると言い出す。そこでグーグルは、本当にファールトゥーを大学にしてしまうことにする。「ファールトゥー生」たちは大喜びし、以来連日パーティーが続く。名門セントピーターズ大学に通っていたヴィシュヌも、こっちの方が楽しそうだとファールトゥーに入り浸り、すっかり弾けてしまった。

 しかしリテーシュは、このままではファールトゥーはその名の通り落ちこぼれの寄せ集め大学で終わってしまうと考える。そこでファールトゥー生たちに勉強をするように呼びかけるが、元々落ちこぼれの彼らは全く勉強する気になれなかった。終いにはせっかくグーグルが送った教科書を全て焼いてしまう。グーグルとバージーラーオは彼らを見捨てて立ち去ろうとするが、リテーシュは最後のチャンスを求める。そこでバージーラーオは生徒たちに、自分が本当にやりたいことを聞き、ファールトゥーではそれを追求するように提案する。ファールトゥー生たちは、俳優、DJ、トレイナー、シェフ、デザイナーなど、思い思いの趣味や夢を口にし、それに打ち込み始める。先生を呼ぶことは不可能であったが、その道の有名人にビデオでレクチャーをしてもらう。また、リテーシュは大学に通えない他の若者たちのためにもそのビデオをウェブサイトで公開する。

 ところがワルダン氏に、息子がセントピーターズ大学に通っていないことから、ファールトゥーの存在がばれてしまう。ワルダン氏は即刻ファールトゥーを閉鎖させようとするが、グーグルは裁判所から執行保留命令を手に入れ、7日間の猶予をもらう。その間にファールトゥーを救うために何とかしなければならなかった。そこで、セントピーターズ大学で近日中に開催予定の大学対抗文化祭でファールトゥーの実力を見せることにする。文化祭にはUGCのワルダン委員長に加え、人材開発省大臣(ミトゥン・チャクラボルティー)も出席していた。リテーシュらは飛び入り参加し、彼らの前で大学名を伏せて、数字主義の教育を批判する内容の素晴らしいパフォーマンスを見せる。観客はスタンディング・オベーションを送るが、演技者がファールトゥーの学生であることを知るとワルダン氏の態度は一変し、彼らを追い出そうとする。しかし人材開発大臣はそれを止め、ファールトゥーの存在意義を認め、ファールトゥーに大学の地位を正式に与える。

 数年後・・・。リテーシュはファールトゥーの経営者になり、ファールトゥーは2,000人の学生を擁する大学に成長していた。校長はもちろんバージーラーオであった。また、プージャーはDJに、ヴィシュヌは人気俳優に、ナンジはセレブ・トレーナーになっていた。

 馬鹿馬鹿しいストーリーだった。どの大学にも入学できなかった落ちこぼれ学生たちが自分たちで大学を偽造するなんてことが現実に可能であろうか?しかも中盤からその大学は、各生徒が自分の趣味を追求する大学になるが、もし本当にその道を究めたいならそれぞれの専門学校があるはずで、わざわざ大学に行く必要もない。しかも、それぞれの道を究めた達人たちのレクチャーをビデオ撮影し、それを上映することで授業にするという幼稚な発想の上に成り立っている。全く現実味のないご都合主義の馬鹿映画であった。

 しかし、そのメッセージははっきりしている。クライマックスにおけるリテーシュの言葉がそれだ。「35%~70%の成績だった学生はどこへ行けばいいのか。もしどこにも行き所がないなら再試験をさせてくれればいいのに。」簡単に解説すると、インドでは12年生の最後に受ける試験のパーセンテージによって入学できる大学のランクが決まる。日本のように浪人(つまり再試験)というシステムは基本的にないので、つまりは1回きりのその試験の出来如何によってその後の人生が決定する。いわゆる名門校に入学するためには最終試験で95%以上の点数を取らないと難しいようで、どんなに底辺の大学でも45%はないと足きりに引っかかる。リテーシュが言いたかったのは、かいつまんで言えば、この試験で失敗した学生にも再チャンスを、ということであろう。ただ、映画中のリテーシュのキャラから想像するに、もし再チャンスがあったとしても、彼はろくに勉強せずにまた酷い点数を取ることであろう。そういう意味では、せっかく最後に主人公の口を借りて主張したメッセージも破綻している。インドの教育制度の問題点を指摘した、似たようなメッセージの映画では「3 Iditos」(2009年)が思い当たるが、とてもじゃないが完成度では「3 Idiots」の足下にも及ばない。

 このようにメチャクチャな映画ではあったが、若い俳優たちのバイタリティーが溢れていた上に、観客の感情操作やコメディーの部分がよく出来ており、観ていてとても楽しい映画だった。こういう無名の若手俳優を起用した映画ではダンスシーンが弱いことが多いのだが、さすがコレオグラファー出身レモ・デスーザ監督、ダンスシーンも並以上の出来であった。もちろん、アルシャド・ワールスィー、リテーシュ・デーシュムク、ボーマン・イーラーニー、ダルシャン・ジャリーワーラー、そしてミトゥン・チャクラボルティーなどの中堅~ベテラン俳優を要所要所で起用したのも当たっていた。

 主演のジャッキー・バグナーニーは「Kal Kissne Dekha」でデビューした男優。相変わらずウダイ・チョープラーに似ているが、前作よりは演技力に成長が見られる。ヒロインのプージャー・グプターは2007年のミス・インディア・ユニバースで本作がデビュー作。バランスの取れた美女という訳ではないが、落ちこぼれ三人組の一角を担い、フレッシュな演技をしていた。ヴィシュヌを演じたチャンダン・ロイ・サンヤルは「Kaminey」(2009年)でもっともぶっ飛んだミカイル役を演じ注目を集めた。今回はガリ勉君から道化師への華麗なる転身を演じ、おまけにラギング(新入生いじめ)のシーンまでこなして笑いを取った。老け顔なので大学生には見えないが、そのハッスルは高く買いたい。ナンジを演じたアンガド・ベーディーにとっても「F.A.L.T.U.」はデビュー作である。

 上述の新人・若手四人に比べたら、アルシャド・ワールスィーとリテーシュ・デーシュムクは主役級の俳優であるが、今回はサポート役に徹した。二人ともコメディーは得意であるし、リラックスした演技をしていて良かった。ボーマン・イーラーニー、ダルシャン・ジャリーワーラー、ミトゥン・チャクラボルティーなども適材適所であった。

 音楽はサチン・ジガルというコンビ。「Teree Sang」(2009年)などを作曲しているが、まだ目立った活躍はない。「F.A.L.T.U.」の音楽は、個性はあまり強くないが、派手なダンスナンバーが多く、サントラCDを買ってもいいと思ったが、店頭では見つけられなかった。もしかしたらダウンロード販売のみかもしれない。冒頭で流れる「Bhoot Aaya」の歌詞が秀逸。その一部は「小さかったときはトゥインクル・トゥインクルしていた、大きくなった今、トゥインクル・トゥインクルしている」というもの、つまり子供の頃は「きらきら星」を歌っていたが、大きくなったらトゥインクル(女の子)のお尻を追いかけているということである。他にもハード・カウルの「Char Baj Gaye, Party Abhi Baki Hai」やミカ・スィンの「Fully Faltu」など、ご機嫌なダンスナンバーが多い。サチン・ジガルは将来性のある音楽監督コンビだと言える。

 「F.A.L.T.U.」は、主役に有名な俳優がおらず、ストーリーも全く幼稚であるものの、主演俳優の無邪気さ故か、ダンスの秀逸さ故か、グリップ力があり、とても楽しいコメディー映画になっている。同時公開された「Game」は救いようがなかったが、「F.A.L.T.U.」の方は条件付きでお勧めできる映画である。その条件とは・・・脳みそを映画館に持って行かなければ!