ラギング

 インドの学園モノ映画を観ていると、しばしば上級生が新入生に対し理不尽な行動を取らせているシーンに出くわす。集められた新入生が先輩たちの命令により裸にさせられたり、芸をさせられたり、異性に告白をさせられたりする。これはインドで「ラギング(Ragging)」と呼ばれる行為で、敢えて好意的に表現するならば「新入生の通過儀礼」、率直に表現するならば単なる「新入生いじめ」だ。ラギングが原因で自殺する学生も出ており、インドでは社会問題になっている。

 元々ラギングは、先輩と新入生の仲を深めるために行われていたとされる。学生時代の楽しい思い出の1ページとして記憶している人は少なくないし、1年生のときはラギングを受ける立場であっても、上級生になることでラギングをする立場になるため、問題視しづらい状況もある。そういうこともあって、インド各地の大学において「公然の秘密」としてラギングは綿々と続いてきていた。

 しかしながら、年々ラギングの内容が過激化しているとの報告がある上に、ラギングを原因とした学生の自殺が度々報道されるようになった。それに伴ってラギング撲滅を訴える声も上がるようになり、1990年代末から州レベルでラギングの規制が始まった。そして2009年には中央政府人材開発省(現教育省)下の大学助成委員会(UGC)が全国の高等教育機関におけるラギングを防止するための規則を打ち出した。

 そのとき、ラギングは以下のようにかなり広く定義された。

肌の色、人種、宗教、カースト、民族、性別(トランスジェンダーを含む)、性的指向、容姿、国籍、地域的起源、言語的アイデンティティー、出生地、居住地、経済的背景を理由に、他の学生(新入生であるか否かを問わない)を標的にした身体的または精神的虐待(いじめや排除を含む)行為。

 それでもラギングはなかなか撲滅されていない。UGCは2023年に、過去5年半の間に少なくとも25名の学生がラギングを苦にして自殺したと発表した。

 ラギングが一掃されない一因としてよく槍玉に挙げられるのが映画だ。ラギングを美化するような映画が少なくなく、若者の間にラギング文化が継承されていってしまっていると警鐘が鳴らされている。

 ラギングを垣間見ることのできるもっとも有名なヒンディー語映画は「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)だ。エリート工科大学に入学した新入生たちは、入寮の日の夜に先輩たちから呼び出され、裸で一列に並ばされて、おかしな行動をさせられていた。これが正にラギングである。

ラギング
「3 Idiots」のラギング・シーン

 他には、「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)、「Dil Dosti Etc」(2007年)、「F.A.L.T.U.」(2011年)、「Akaash Vani」(2013年)、「Chhichhore」(2019年/邦題:きっと、またあえる)、「Cypher」(2019年)などにラギングのシーンがある。

 確かに、ヒンディー語映画ではラギングが、面白おかしく描写されるか、少なくとも否定的ではない形で描写されることが大半である。たとえば「Akaash Vani」や「Chhichhore」では、ラギングが男女の出会いのきっかけにもなっており、それはラギングの美化に他ならない。

 しかしながら、ラギングを真っ向から批判した映画もある。スリラー映画「Table No.21」(2013年)では、クジに当選してフィジーを旅行することになった夫婦が、多額の賞金が掛かったゲームに参加することになる。そのゲームの支配人がカーン氏であった。だが、ゲームが進むごとに難易度は増していき、まるでいじめのようになっていく。最後になぜカーン氏がその夫婦にそのような仕打ちをするのかが明かされる。彼の息子は大学時代に二人からラギングに遭い、精神を破壊されてしまったのだった。この映画は、ラギングがいかに人間の尊厳を破壊するか、いかに一時の悪ふざけが誰かの一生を台無しにしてしまうかを強く訴えており、ラギング撲滅に一役買っている。

Table No.21
「Table No.21」

 それに対し、ドキュメンタリー映画「Placebo」(2014年)は、逆に行き過ぎたラギング規制がインドの高等教育機関で新たな問題を生んでいるという興味深い指摘をしている。この映画はインドを代表する医科大学であるデリーの全インド医科大学(AIIMS)で撮られているが、そこで監督は医学生の自殺増加に注目し、その原因を、ラギング廃止により先輩後輩の関係構築が失われたことだと暗に指摘している。「Table No.21」と併せて鑑賞したい作品である。