スターシステム根強いヒンディー語映画界にも、名前だけで「これは見なければ」と思わせてくれる監督が数人いる。マドゥル・バンダールカル監督はその一人だ。バンダールカル監督は、今までインド映画が決して描かなかったインド社会の様々な側面を、ときに写実的に、ときにセンセーショナルに、だが、娯楽映画としての面白みを決して損なわずに映画化することに長けた監督であり、彼の映画はとりあえず観て損はないと断言できる。ムンバイーのバーダンサーを主人公にした「Chandni Bar」(2001年)で注目を集め、その後も上流階級のパーティー文化をジャーナリストの視点から赤裸々に描いた「Page 3」(2005年)、ビジネス界の仁義なき戦いを映画化した「Corporate」(2006年)、乞食ビジネスの真相に迫った「Traffic Signal」(2007年)と、次々に話題作を送り出している。次にバンダールカル監督がターゲットにしたのは、現在国際的にホットなインドのファッション産業であった。題名はズバリ「Fashion」。本日(2008年10月29日)より公開である。ディーワーリーの影響で、水曜日封切りという変則的なスケジュールになっている。
監督:マドゥル・バンダールカル
制作:ロニー・スクリューワーラー、マドゥル・バンダールカル
音楽:サリーム・スライマーン
歌詞:イルファーン・スィッディーキー、サンディープ・ナート
衣装:リタ・ドーディー
出演:プリヤンカー・チョープラー、カンガナー・ラーナーウト、ムグダー・ゴードセー、サミール・ソーニー、アルバーズ・カーン、ラージ・バッバル、キートゥー・ギドワーニー、アルジャン・バージワー、ハルシュ・チャーヤー、カラン・ジョーハル(特別出演)、マニーシュ・マロートラー(特別出演)、コーンコナー・セーンシャルマー(特別出演)、ランヴィール・シャウリー(特別出演)、マドゥル・バンダールカル(特別出演)
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。
チャンディーガルの美人コンテストで優勝したメーグナー・マートゥル(プリヤンカー・チョープラー)は、モデルになる夢を見、両親の反対を押し切ってムンバイーへやって来る。ゲイのファッションデザイナー、ローヒト(ハルシュ・チャーヤー)がメーグナーの面倒を見て、様々な人を紹介してくれる。最初はうまく行かないが、やがて大手モデル事務所のアニーシャー・ロイ(キートゥー・ギドワーニー)や、ファッション産業を牛耳る実業家アビジート・サリーン(アルバーズ・カーン)、売れっ子デザイナーのラーフル・アローラー(サミール・ソーニー)らに認められ、徐々に頭角を現す。モデル仲間のジャネット(ムグダー・ゴードセー)や、同じくモデルを目指すマーナヴ(アルジャン・バージワー)もメーグナーを応援した。 メーグナーがムンバイーにやって来たとき、トップモデルの名をほしいままにしていたのがショーナーリー(カンガナー・ラーナーウト)であった。だが、ショーナーリーはトップモデルなのをいいことに誰に対しても高慢な態度を取っており、しかもドラッグ中毒になっていた。アビジートは、アニーシャーに言ってショーナーリーを解雇させ、代わりにメーグナーをメインのモデルに据える。メーグナーの黄金期がやって来た。 ショーナーリーの没落はすぐであった。しばらく彼女はモデルをしていたが、ウォーク中に衣装がはだけて胸が露出してしまうという事件があり、それをきっかけにショーナーリーは表に出なくなってしまう。そのまま彼女は行方不明になる。 一方、メーグナーはマーナヴと一緒に住んでいたが、メーグナーが売れ始めると同時に二人の関係は悪化し、やがて二人は喧嘩別れしてしまう。アビジートはメーグナーにマンションを買い与え、彼女を愛人にする。アビジートには妻がいたため、それは不倫関係であった。メーグナーは妊娠し、ふと結婚も考えるが、事務所との契約に結婚や妊娠を禁じる項目があり、彼女は中絶を余儀なくされる。この頃からメーグナーの精神は崩壊し始め、奇行が目立つようになる。ただでさえ彼女の性格は高慢になっていた上に、飲酒運転などスキャンダルも付きまとうようになる。やがて事務所はメーグナーを解雇する。 打ちひしがれたメーグナーは、親友のジャネットとも喧嘩をし、遂にドラッグに手を出すようになる。だが、あるとき目覚めたら黒人の男と一緒に寝ているのに気付き、自分の落ち振りを痛感して慟哭する。夢破れたメーグナーはチャンディーガルの親元へ帰る。 チャンディーガルに帰ったメーグナーはもぬけの殻のようになってしまっていた。精神科医は、彼女が自信を取り戻すまではこの状態が続くと診断する。娘がモデルになることを反対していた父親(ラージ・バッバル)は、彼女の状態を見て考え直し、もう一度ムンバイーへ戻ってモデルに再チャレンジするべきだと後押しする。 メーグナーがムンバイーを去ってから1年が過ぎ去っていた。メーグナーはかつての親友ジャネットを訪ねる。ラーフル・アローラーと結婚していたジャネットはメーグナーの謝罪を受け容れ、彼女の再起を応援する。また、かつて売れないモデルだったマーナヴは、今やトップモデルになっていた。マーナヴには既にフィアンセがいたが、彼もやはりメーグナーに手を貸す。ローヒトは、自分のファッションショーにメーグナーを起用する。 ところが、ローヒトのファッションショーのステージに上がったメーグナーは、過去のトラウマに襲われて呆然と立ち尽くしてしまう。メーグナーはその失敗を契機にモデルを諦めることを決めるが、ジャネット、ラーフル、マーナヴ、ローヒトは彼女を説得する。 同じ頃、行方不明になっていたショーナーリーが発見される。ショーナーリーは狂人のようになっており、道端に座り込んでいるところを通行人に発見されたのだった。メディアも、かつてのトップモデルの凋落振りを好んで取り上げたが、メーグナーだけはそれを黙って見ていられなかった。ショーナーリーの引き取り手が現れなかったため、メーグナーが彼女を引き取り、面倒を見出す。 ラーフルは、次のファッションショーのショーストッパーをメーグナーに依頼する。先の失敗から完全に立ち直っていなかったメーグナーは最初それを断るが、ショーナーリーに励まされ、受け容れる。だが、ファッションショー直前にショーナーリーは再び失踪してしまう。不安な気持ちのままメーグナーはショーの日を迎える。彼女がステージに登場する直前、警察から電話があり、ショーナーリーが遺体で発見されたとの報告を受ける。死因はドラッグの過量服用であった。それを聞いてショックを受けたメーグナーは、出番になってもステージに飛び出せなかったが、すぐに気持ちを入れ替え、名誉挽回のウォークを決める。 一度どん底を味わい、先輩モデルの死を乗り越えたメーグナーは、現在国際的に活躍するモデルとなっている。
マドゥル・バンダールカル監督は、実際にあった事件を映画の中に織り込むのが好きなようだ。「事実は小説よりも奇なり」とは誰もが認めることで、インドでは様々な興味深い出来事が毎日のように起きており、それらのいくつかはうまく脚色すれば映画のネタになりうる。その手法を、「チープだ」とか「クリエイティブではない」とか「当事者のプライバシーや人権の侵害だ」と非難する世論もあるかもしれないが、世相の反映は芸術作品にとってとても重要なことで、それゆえにバンダールカル監督の映画はどれも現代インドを象徴するユニークな作品になっている。僕はバンダールカル映画を観ると、ヒンディー語・ウルドゥー語文学の巨匠プレームチャンドを思い出す。プレームチャンドの作品の多くも、実際に見聞きした事件をもとに書かれたと言われており、そこには当時の生のインドの姿を見ることができる。
さて、「Fashion」では、過去数年間にインドのファッション界で起こった様々な事件に類似した出来事がいくつも出て来る。特に、ショーナーリーのキャラクターがギーターンジャリ・ナーグパールをモデルにしていることは明らかである。ギーターンジャリは1990年代に活躍したモデルで、スシュミター・セーンなどと同じステージに立ったこともあったようだが、いつしか表舞台から消えていた。だが、昨年9月にデリーのハウズ・カース・ヴィレッジの路上で乞食をしていたのを発見され、一躍注目を集める。彼女はモデルを辞めた後、アルコールやドラッグを買う金を稼ぐために家政婦や売春婦をし、最後には公園や寺院で寝泊まりして乞食をするまで落ちぶれてしまっていた。ギーターンジャリ事件は、見た目華やかなファッション業界の闇の部分にスポットライトを当てる事件としてデリーではとても有名である。
また、ファッションショーでのウォーク中に衣装がはだけて胸が露出するという事件も、インドで実際にあった出来事である。それが果たして単なる事故なのか、それとも注目を集めるための故意のものなのか、世間では論争が巻き起こった。また、女性人権団体などが「ファッションショーはインドの文化にそぐわない」としてファッションショーの中止を求めるきっかけにもなった。インドには、ファッションショーのみを放映するファッションTVという番組があるが、そこでは胸を露出したモデルがステージを歩くところが堂々と映し出されており、以前から「インドでこんなの流していいの?」と疑問に思っていた。近頃は規制が厳しくなったようだが、そのきっかけもその事件だったのではないかと記憶している。
映画スターがファッションショーに登場することが近頃よくあるのだが、それに対する批判めいた発言も映画中で見られた。しかも、最近はさらにおかしな方向に突っ走っており、スポーツ選手までもがモデルになってファッションショーに登場するようになった。
ファッション業界にはゲイが多いというのは公然の秘密のようで、そのことについても「Fashion」は触れていた。ファッションデザイナーのラーフル・アローラーはゲイで、ボーイフレンドもいるのだが、世間体のために幼馴染みの女性ジャネットと偽装の結婚するというサイドストーリーが映画の中に織り込まれていた。
しかし、案外人間関係がドロドロとしておらず、登場人物の心理描写も弱かったように感じた。もっとも、それはバンダールカル映画の特徴かもしれない。あくまで事件ベースの映画作り中心で、その間に当然あるべきエモーショナルなシーンに彼はあまり力を入れていないようである。よって、モデル同士の女と女の戦いや、男女の三角関係や恋のもつれ、さらにはもっともシンプルな男女の一対一の恋愛など、通常の映画では核となりうる要素がこの映画では隅に追いやられていた。男性の登場人物にゲイが多すぎたのもその一因であろうか。
この映画を見て、初めてプリヤンカー・チョープラーを認めることができた気分である。彼女は超人的外見から、スーパーヒーローのヒロインや、さらにはスーパーヒロインの役がとても似合うのだが、今まで本当に演技に打ち込めるような役は演じて来なかったと思う。だが、「Fashion」では紛れもない主演であり、しかも底力とも言える演技力を発揮していた。この映画をもってプリヤンカーはヒロインから女優へと脱皮したと言える。
プリヤンカーに比べたら脇役ということになるが、それでも主演を凌ぐショッキングな存在感を見せていたのがカンガナー・ラーナーウトである。上で紹介したギーターンジャリ・ナーグパールに酷似したショーナーリーの役を演じていたのが彼女であるが、狂気と激情の女を演じさせたら、若手では彼女が一番だと改めて実感させられた。むしろ、「Woh Lamhe…」(2006年)などで見せた狂気の演技が評価され過ぎて、そういう役しか回って来なくなってしまったと言う方が正解かもしれない。だが、どこかアンニュイな雰囲気が常に醸し出されており、独特の魅力を持った女優であることには変わりない。肌が飛び抜けて白く、美脚自慢なのもよい。
アルバーズ・カーン、サミール・ソーニー、アルジャン・バージワーなどの男優陣も健闘していたが、一人ピックアップするとしたら、ムンバイーに単身やって来たメーグナーを下積み時代から支えたファッションデザイナーを演じたハルシュ・チャーヤーであろう。彼は、色白、つるっぱげ、頭頂に出っ張り、受け口気味という分かりやすい風貌をしており、英語訛りのヒンディー語を話す。基本的にはTV俳優のようだが、映画では、悪役や、単に嫌な奴役を演じることが多く、最近スクリーンでよく見掛ける脇役男優である。今回も脇役には違いなかったのだが、今までとは打って変わって面倒見のいいゲイ役を演じており、登場シーンも多く、物語の中で非常に重要な役であった。この映画をきっかけにさらに成長が見込める。個人的に気になる脇役俳優リストにランクインである。
映画監督のカラン・ジョーハル、ファッションデザイナーのマニーシュ・マロートラー、映画俳優のコーンコナー・セーンシャルマーやランヴィール・シャウリーなどが特別出演していた。また、マドゥル・バンダールカル監督自身もカメオ出演するので注目である。
2時間半以上の映画であるが、インド映画特有のミュージカルシーンらしきものはほとんどなく、じっくりと時間をかけてストーリーが語られる。音楽監督はサリーム・スライマーンであるが、むしろBGMの方が耳に残ったくらいである。
「Fashion」は、バンダールカル監督本領発揮の写実的娯楽映画である。インドのファッション業界の表から裏まで垣間見ることができ、とても興味深い内容となっている。ファッションがテーマということで、女性客の集客も望めそうだ。今年の必見映画の一本である。