Zubeidaa

3.5
Zubeidaa
「Zubeidaa」

 2001年1月19日公開の「Zubeidaa」は、ジョードプル藩王国のマハーラージャー、ハンワント・スィン・ラートールの妃ズベイダー・ベーガムの伝記的な映画である。ズベイダーは1926年生まれ。ボンベイ在住の駆け出しの映画女優であったが、ハンワント・スィンに見初められ、ヒンドゥー教に改宗してジョードプルに移住した。ハンワント・スィンとの間に一子をもうけたが、1952年、飛行機事故により夫と共に死亡した。ズベイダーはハンワント・スィンと結婚する前に別の男性と結婚して一子をもうけており、それがこの映画の脚本を書いたカリード・ムハンマドである。カリードは映画ジャーナリストでもあり、「Fiza」(2000年)や「Silsiilay」(2005年)を撮った映画監督でもある。

 「Zubeidaa」を監督したのは、パラレルシネマの旗手シャーム・ベーネーガルである。「Ankur」(1973年)や「Manthan」(1976年)など、メインストリーム映画とは一線を画したパラレルシネマを撮り続けてきたベーネーガル監督は、1990年代に入ると「Mammo」(1994年)や「Sardari Begum」(1996年)とイスラーム教徒女性を主人公にした映画を連続して撮り、その三部作の最後を飾る作品がこの「Zubeidaa」とされている。ただし、ベーネーガル監督はこの「Zubeidaa」から大衆娯楽路線に舵を切り、メインストリーム映画のフォーマットに従ってこの映画を撮った。

 主人公ズベイダーを演じるのは当時トップヒロインだったカリシュマー・カプール。レーカーとマノージ・バージペーイーが助演をしている。他に、ラジト・カプール、アムリーシュ・プリー、スレーカー・スィークリー、ラーフル・スィン、ヴィノード・シャラーワト、スィーマー・バーワー、シャクティ・カプール、リレット・ドゥベー、パルザーン・ダストゥールなどが出演している。

 音楽監督はARレヘマーンである。2023年10月1日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 1980年のボンベイ。映画ジャーナリストのリヤーズ・マスード(ラジト・カプール)は、自身の母親ズベイダー(カリシュマー・カプール)について調べ始める。ズベイダーは生前に一本だけ「Banjara Ladki」という映画に出演していたが、そのリールはフィルムアーカイブでも見つけられなかった。だが、リヤーズはその映画でダンスマスターを務めたヒーラーラール(シャクティ・カプール)から話を聞くことができる。また、祖母のファイヤーズィー(スレーカー・スィークリー)、死んだ祖父スレーマン・セート(アムリーシュ・プリー)の愛人ローズ・ダベンポート(リレット・ドゥベー)などからも話を聞く。最終的にリヤーズはズベイダーの嫁ぎ先であるファテープルにも足を運ぶ。そこで彼はマハーラージャー・ヴィジェーンドラ・スィン(マノージ・バージペーイー)の第一妃マンディラー・デーヴィー(レーカー)とも面会し、ズベイダーの遺物や「Banjara Ladki」のリールを受け取る。これらの取材によりリヤーズはズベイダーの短い人生を再構築することができた。

 1952年、ズベイダーの父親スレーマンは、旧友サージド・マスードの息子メヘブーブ・アーラム(ヴィノード・シャラーワト)と娘を無理矢理結婚させる。サージドは印パ分離独立時、一旦パーキスターンへ移住したが、スレーマンの呼びかけに応えてインドに戻ってきた人物であった。メヘブーブとズベイダーの間にはリヤーズが生まれる。ところがサージドとスレーマンは仲違いし、サージドは息子を連れてパーキスターンに帰ってしまう。サージドとズベイダーは離婚し、リヤーズはズベイダーの元に残された。

 スレーマンの愛人ローズは、塞ぎ込みがちだったズベイダーを外に連れ出し、ファテープルのマハーラージャー、ヴィジェーンドラ・スィンと引き合わせる。ヴィジェーンドラはズベイダーに一目惚れし、彼女に求婚する。ヴィジェーンドラには既にマンディラーという妻がおり、子供もいた。ヴィジェーンドラはズベイダーが離婚をしており、前夫との間に子供がいることを承知で彼女と結婚しようとしていた。スレーマンやファイヤーズィーは反対だったが、ズベイダーもヴィジェーンドラに惚れ込んでおり、反対を押し切って結婚する。

 ズベイダーはファテープルに移住し、そこでヴィジェーンドラの第一妃マンディラーに迎えられる。だが、自由を希求するズベイダーはなかなか王宮の厳格な生活様式になじめない。ヴィジェーンドラは選挙に立候補したが、選挙活動ではマンディラーと行動を共にし、ズベイダーは孤独を強める。選挙に勝利したヴィジェーンドラがデリーへマンディラーと共に飛行機で向かおうとすると、ズベイダーはマンディラーの代わりに自分が行くと言い張った。仕方なくヴィジェーンドラはズベイダーを乗せていくが、その飛行機が墜落し、二人とも死んでしまった。

 現在、ファテープルの王宮はヘリテージホテルになっており、ヴィジェーンドラの弟ウダイ・スィン(ラーフル・スィン)がオーナーになっていた。ファテープルではズベイダーの存在はなかったものとされていた。

 筆者がインドに住み始めたのは2001年7月からであり、同年1月に公開されたこの映画を映画館で観ることはできなかった。だが、VCDもしくはDVDで鑑賞した覚えがあり、ARレヘマーンが作曲したこの映画のサントラCDは好きでよく聴いていた。繰り返し聴いていたからそう感じるだけかもしれないが、耳によく残る名曲が多く、まずは音楽で人々に記憶されるタイプの映画であるといえるかもしれない。元々、大衆娯楽映画へのアンチテーゼとして成立したパラレルシネマの旗手として知られていたシャーム・ベーネーガル監督が初めて撮ったメインストリーム映画だが、挿入歌がいいというのは意外な気がする。ただし、その使い方はさすがに一般的な娯楽映画とは一味違う。挿入歌をBGM的に使っていた場面が多く、これは21世紀の新感覚ヒンディー語映画の先駆けといえるし、ダンスシーンが単なるダンスシーンで終わらずに、重要な小道具として有効活用されていたことも注目される。

 ただ、ストーリー面では消化不良な印象を受けた。細部の設定は変えてあったものの、実在する人物が本名そのままで題名になっている伝記的映画である上に、ジョードプル王家に関わる内容であり、どうしても気を遣わざるをえない。そういった遠慮や大人の事情がこの映画を中途半端なものにしていたように感じる。もっとも残念に感じたのは、ズベイダーの死の真相に迫る努力が払われていなかった点だ。単なる事故の可能性もあるが、陰謀の可能性も十分ある。ヴィジェーンドラを消し去りたいと思っていた人物は複数おり、飛行機事故にかこつけた暗殺だったと見ることができるのである。だが、映画ジャーナリストを名乗るリヤーズは、母親が写った写真や、彼女が出演した映画のリールを手にしただけで満足してしまい、彼女の死について深掘りすることは、少なくとも物語の中では、全くなかった。リヤーズが、母親の映った「Banjara Ladki」のダンスシーンを観て微笑むという感傷的なエンディングにはなっていたが、謎解き・推理・復讐映画として観たら失格である。

 ただ、脚本家自身の母親の人生がモデルになっていることもあって、ストーリーの背景で起きている政治や社会の動向は時代をよく反映していて生々しい。例えばズベイダーが最初に結婚した相手は、パーキスターンからインドに戻ってきたイスラーム教徒であった。1947年に印パが分離独立し、インド領となった地域に住んでいたイスラーム教徒の多くがパーキスターンに移住した。だが、パーキスターンではインド領から移住してきた人々を「ムハージル」と呼んで外来者扱いした。イスラーム教徒たちの理想郷として建国されたパーキスターンの矛盾を目の当たりにしたムハージルたちは失望し、中にはインドに戻る者もいた。ところが、ズベイダーの夫がそうであったように、やはりインドでもイスラーム教徒に対する風当たりは強かった。そして、再度パーキスターンに移住することを選ぶ者もいた。この頃はまだ印パ間を比較的自由に往き来できていたことがうかがわれる。

 「Zubeidaa」を読み解く上でもうひとつ重要な歴史的出来事は、マハーラージャー廃止である。印パ分離独立時、インド亜大陸には565の藩王国が存在した。英領時代においてこれらの藩王国は一定の自治権を与えられていたが、印パ分離独立に伴ってインドかパーキスターン、どちらかへの帰属を決めなければならなかった。帰属することで藩王国は消滅したが、マハーラージャーの特権は残り、彼らは年金を支給されたり「マハーラージャー」の称号を継続的に利用できたりした。その特権が剥奪されたのはインディラー・ガーンディー政権時代の1971年のことであった。

 「Zubeidaa」は1980年の「現在」と、1950年代の「過去」で構成されており、それらが交互に提示される。過去シーンではヴィジェーンドラは新しい時代の新しいマハーラージャー像を創出すべく、選挙に立候補し、封建領主ではなく政治家として人々に寄与しようとする。現在シーンではウダイ・スィンが王宮をヘリテージホテル化しビジネスマンになっている様子が描かれる。現実世界でも、マハーラージャーの末裔たちは、方や政治家となり、方や実業家となって生計を立てるようになっている。この辺りも非常にリアルである。

 1991年にデビューしたカリシュマー・カプールは、1990年代を代表するトップスターに上り詰めていた。「Zubeidaa」では、彼女のもっとも脂の乗った演技を楽しむことができる。軽めのロマンスやコメディーを得意としてきた彼女だが、この頃になると単なるヒロイン女優ではなく、シリアスな演技もできる女優としての脱皮を図っていた。「Fiza」での演技が高い評価を受け、続けてこの「Zubeidaa」でフィルムフェア批評家女優賞を受賞している。ただ、現代の視点から「Zubeidaa」での彼女の演技を見るとオーバーアクティング気味であり、その高すぎる評価には多少の疑問も感じる。妹のカリーナー・カプールが「Refugee」(2000年)でデビューしたことがカリシュマーの路線変更に影響を及ぼした可能性がある。

 ヒンディー語映画界の名門カプール家の血統を誇るカリシュマーに比べると、マノージ・バージペーイーは苦労をしてきた俳優であるが、「Zubeidaa」撮影当時はかなり勢いがあったとみえて、マハーラージャーというおいしい役を演じている。「Zubeidaa」の後には「Aks」(2001年)で悪役を演じ高く評価されており、彼にとってはキャリアアップの重要な年であったと思われる。

 ただ、やはり主役を食う存在感を見せていたのはレーカーだ。気品と尊厳に満ちたマハーラージャーの第一妃を貫禄たっぷりに演じていた。レーカー以外にこの雰囲気は出せなかったのではなかろうか。

 「Zubeidaa」は、パラレルシネマの旗手として知られ、インド映画界において巨匠に数えられるシャーム・ベーネーガル監督が、初めて娯楽映画フォーマットに挑戦した作品だ。女優からマハーラージャーの妃になり、若くして飛行機事故で死ぬという、波瀾万丈の人生を送った実在する女性を主人公にし、カリシュマー・カプールが主演している。一般的に評価が高い映画ではあるが、よく観ると消化不良な作品に感じられる。ARレヘマーンが手掛けた音楽は文句なくいい。観て損はない映画の一本ではある。