Ram Lakhan

2.5
Ram Lakhan
「Ram Lakhan」

 1989年1月27日公開の「Ram Lakhan」は、対立する兄弟が最後には力を合わせて父親の仇を討つという筋書きのマサーラー映画である。題名は、その兄弟の名前であると同時に、「ラーマーヤナ」に登場するラーマ王子とその弟ラクシュマナのことである。「ラーム」は「ラーマ」のヒンディー語読み、「ラカン」は「ラクシュマナ」が訛った形だ。

 監督は「Karz」(1980年)などのスバーシュ・ガイー。音楽はラクシュミーカーント=ピャーレーラール、作詞はアーナンド・バクシー。

 主役のラームとラカンを演じるのは、ジャッキー・シュロフとアニル・カプール。ジャッキーは「Hero」(1983年)や「Karma」(1986年)などの成功により既に大スターであったし、アニルも「Karma」や「Mr. India」(1987年)などで人気になっていた。

 ヒロインは、ディンプル・カパーリヤーとマードゥリー・ディークシトである。ディンプルは「Bobby」(1973年)などの成功によって、ジャッキーやアニルよりも先輩のスター女優であった。「Tezaab」(1988年)でセンセーションを巻き起こしたばかりのマードゥリーは注目株であったが、「Ram Lakhan」撮影時にはまだスター扱いされていなかったはずである。

 他に、ラーキー、アムリーシュ・プリー、グルシャン・グローヴァー、パレーシュ・ラーワル、アヌパム・ケール、サイード・ジャーファリー、ラザー・ムラード、ダリープ・ターヒル、アンヌー・カプール、アニルッド・アガルワール、ソーニカー・ギル、アーナンド・バルラージ、サティーシュ・カウシク、ラーヒリー・スィンなどが出演している。また、スバーシュ・ガイー監督が「Tera Naam Liya」でカメオ出演している。

 2026年9月6日に鑑賞し、このレビューを書いている。

 スーリヤ・ハヴェーリーに住む大富豪ヴィール・プラタープ・スィン(ラーヒリー・スィン)の息子タークル・プラタープ・スィン(ダリープ・ターヒル)は、従弟のビシャンバル・ナート(アムリーシュ・プリー)とバーヌー・ナート(パレーシュ・ラーワル)と共にビジネスをしていたが、欲深かったビシャンバルとバーヌーは横領して逮捕され、タークルは大きな損害を被る。刑期を終え釈放されたビシャンバルとバーヌーは、ヴィールの遺書を偽造し、彼を暗殺する。

 タークルには、妻シャールダー(ラーキー)との間にラーム(ジャッキー・シュロフ)とラカン(アニル・カプール)という2人の息子がいた。ヴィールの死後、彼らはスーリヤ・ハヴェーリーを追い出された。さらに、タークルは自殺を装って殺され、シャールダーはデーヴダル・シャーストリー(アヌパム・ケール)のもとに身を寄せ、2人の息子を育てることになった。シャールダーは夫の遺灰をガンガー河に流さず保管し、いつか息子たちがビシャンバルに報復してくれると信じていた。

 ビシャンバルは、麻薬密輸王サー・ジョン(ラザー・ムラード)やその部下ヴィヴィア(ソーニカー・ギル)、また殺し屋のケーサリヤー・ヴィラーヤティー(グルシャン・グローヴァー)と結託して麻薬の密輸を行い大儲けしていた。成長したラームは警察官になり、取り締まりを強化していた。一方のラカンは働きもせず気ままな毎日を送り、母親を心配させていた。ラカンはデーヴダルの娘ラーダー(マードゥリー・ディークシト)と恋仲だったが、ビシャンバルの息子デーブー(アーナンド・バルラージ)が米国から帰国しラーダーに目を付ける。ビシャンバルはデーヴダルを呼び出し、デーブーとラーダーの縁談をまとめる。ただ、結婚まで1年待つことになった。

 ラカンはケーサリヤーを捕まえて警察に突き出したことでアルン・カシヤプ警視総監(サイード・ジャーファリー)に気に入られ、警察官になるため訓練を受けることになる。カシヤプ警視総監の娘ギーター(ディンプル・カパーリヤー)はラームの恋人であった。半年後、警察官になって故郷に戻ったラカンは、サー・ジョンの一味と手を結び裏金を稼ぐようになる。彼はケーサリヤーの脱走にも手を貸した。だが、これがきっかけでラーダーからは愛想を尽かされ、ラームとも対立する。シャールダーがアマルナートへ巡礼に出ている間に、ラカンは自分の家を買って家を出る。ラカンは、巡礼から戻ってきた母親を自分の家に住まわそうとするが、ケーサリヤー脱走を幇助した容疑で中央情報局(CBI)に逮捕されそうになる。ラカンは逃げ出し、自分を利用したビシャンバルを殺そうとするが、捕まってしまう。

 ラカンを人質に取られたラームは、サー・ジョンの密輸に手を貸すことになる。だが、用済みになったら殺されそうになった。ラームはラカンを救出するためにスーリヤ・ハヴェーリーに突入するが、そこではサー・ジョンとラーダーの結婚式が行われようとしていた。シャールダーやギーターも銃を持って参戦する。混戦の中、ラームとラカンは仲直りし、シャールダーの目の前で力を合わせてビシャンバルへの復讐を果たす。シャールダーはタークルの遺灰をガンガー河に流し、ラームとギーター、ラカンとラーダーは結婚する。

 主人公ラームとラカンはどちらも警察官になるが、性格は正反対であった。長男のラームは責任感の強い実直な警察官であったが、ラカンは悪知恵の働くお調子者で、警察官になってもそれは変わらなかった。この設定は「Deewaar」(1975年)と似ている。

 母親シャールダーからラームとラカンに与えられた使命は、父親の仇ビシャンバルの打倒であった。少なくともシャールダーはシヴァ神にその願掛けをしていた。だが、ラームとラカンからはその自覚があまり感じられなかった。ラームは警察官の任務の方を優先していたし、ラカンはあろうことかビシャンバルやそのボスであるサー・ジョンと手を結んで私腹を肥やし始める。

 あくまで目標はひとつで、兄弟間で方法論が異なっているだけなのかとも思っていた。中盤以降、ラームとラカンは仲違いするが、これも悪党を惑わす策略なのかもしれないと踏んでいた。だが、実際には本当にケンカをしていたようだった。そうなって来ると物語の軸がかなりぶれてしまう。

 この復讐劇には多少の恋愛も混ぜられることになる。ラカンはラーダーと恋仲にあった。だが、ビシャンバルの息子デーブーもラーダーに一目惚れし、権力を振りかざして我が物にしようとする。ラーダーの存在は、ビシャンバル陣営とシャールダー陣営の新たな火種になりえたが、いつの間にかラーダーはサー・ジョンと結婚することになっていた。そしてサー・ジョンの部下ヴィヴィアはいつの間にかラカンに恋していたが、この関係がストーリーに大きな影響を及ぼすことはなかった。また、ラームは上司の娘ギーターと恋仲だったが、こちらも重要な要素ではなかった。

 3時間近くある上映時間の中で多くの登場人物が動き回るのだが、それらが有機的にストーリーに結び付いていない印象を受けた。サー・ジョン、ヴィヴィア、ビシャンバル、バーヌー、ケーサリヤーなどなど、これほど多くの悪役を用意する必要があっただろうか。終盤になるにつれてだんだん時間がなくなって、急いでまとめに入っているように見えた。サー・ジョンとラーダーの結婚も突然だったが、シャールダーとギーターがライフル銃を片手にラカン救出に現れるというのはいくら何でも唐突すぎないだろうか。いつそんな軍事教練を受けたのだろうか。

 21世紀の視点で「Ram Lakhan」を観ると、勢いで映画を作れてしまった時代の残滓として映る。破綻気味の作品であるが、1989年を代表する大ヒット作になった。それはそれで不思議なのだが、全体よりも部分が評価されての大ヒットなのではないかと思われる。たとえば、アニル・カプールの登場シーンで流れる「My Name Is Lakhan」は当時の大ヒット曲であり、アニルの代名詞にもなった。「Tezaab」で一躍スターになったばかりのマードゥリー・ディークシトが得意のダンスを踊るシーンも、「Bada Dukh Dina O Ramji」や「Bekhabar Bewafa」など、豊富に用意されていて派手やかである。マサーラー映画としての体裁は十分すぎるほど整っている。

 「Ram Lakhan」の舞台はどこか山間の町ということになっている。撮影はマハーラーシュトラ州カンダーラーやタミル・ナードゥ州ウーティーで行われたようだ。また麻薬密輸の文脈で「州境」というキーワードが飛び交っていたので、どこかの州の州境近くにある町という設定だと思われる。

 「Ram Lakhan」は、公開当時興行的に成功し、カルト的なステータスを得ているマサーラー映画で、現代の映画やその他の場面でも引用される機会が多いが、今見返してみると大ざっぱな設定や展開が目立ち、スバーシュ・ガイー監督の傑作に含めるべきではないと感じる。それでも、急速に台頭しつつあったアニル・カプールやマードゥリー・ディークシトの勢いは感じられる作品だ。


Ram Lakhan (1989) | Jackie Shroff, Anil Kapoor, Dimple Kapadia, Madhuri Dixit