Peddi

3.5
Peddi
「Peddi」

 2026年6月4日公開のテルグ語映画「Peddi」は、クリケット、クシュティー(相撲)、そしてパラ陸上競技という別々のスポーツを魔法のような手法で統合し、ついでにCAA(市民権改正法)への批判らしきメッセージも盛り込んだ、盛りだくさんのスポーツアクション映画である。

 監督は「Uppena」(2021年)のブッチバーブー・サーナー。音楽はARレヘマーン、作詞はアナンタ・シュリーラームとバーラージー。主演は「RRR」(2022年/邦題:RRR)などのラーム・チャラン。ヒロインはジャーンヴィー・カプール。

 他に、シヴァ・ラージクマール、ジャガパティ・バーブー、ラーオ・ラメーシュ、ティーヌー・アーナンド、ボーマン・イーラーニー、ラヴィ・キシャン、ディヴィエーンドゥ、ウペーンドラ・リマエー、ジョン・ヴィジャイ、ラジャタヴァ・ドアッター、ザーキル・フサイン、ラージーヴ・ピッライ、タラク・ポンナッパ、ヴィジ・チャンドラシェーカルなどが出演している。また、シュルティ・ハーサンがアイテムナンバー「Hellallallo」にアイテムガール出演している。

 キャスティングの特徴は、テルグ語映画界を中心にしながらも、タミル語映画界、カンナダ語映画界、マラヤーラム語映画界、マラーティー語映画界、ボージプリー語映画界など、全インドから俳優が集められていることだ。その中でも目立つのがヒンディー語映画界を主な拠点とする俳優たちである。この配役は汎インド映画の特徴そのもので、インド全土でのヒットを狙った布陣だ。

 2016年、リオデジャネイロ五輪でインドは2つしかメダルを取れなかった。青年スポーツ大臣のヴィシュヌカーント・ティワーリー(ティーヌー・アーナンド)は、13億人の人口を誇る国がメダルわずか2つという結果を国辱と捉え、省の役人を怒鳴りつけた。青年スポーツ省の役人キラン・スィン・バイスワール(ボーマン・イーラーニー)はアーンドラ・プラデーシュ州ヴィジャヤナガラム県を通過中、「ペッディー」という見知らぬスポーツ選手の名前を聞く。バイスワールは現地人をガイドにし、ペッディーの住む村を訪ねる中で、彼の武勇伝を聞く。

 時は1990年代初めまでさかのぼる。ペッディーは、山奥にありすぎて地図にも載らず名前もない村に住む虐げられた部族の出だった。彼の村の近くに鉄道は通っているものの駅がなく、村人たちは1日がかりで歩いて町に出なければならなかった。アッパラスーリ(ジャガパティ・バーブー)という村人は通過する列車を止めるために過去30年間活動をしていたが実を結んでいなかった。ペッディーは赤糖工場で働きながら、抜群の運動神経を生かし、県対抗の賭けクリケット試合があると、雇われ選手として出場して報酬を得ていた。人々からは、ペッディーがプレイする側が必ず勝つと絶大な信頼を受けていた。

 ペッディーは地元政治家スバドラ・ラーオ(ラーオ・ラーメーシュ)の娘アチヤンマー(ジャーンヴィー・カプール)に一目惚れする。スバドラ・ラーオの政治的に対立するラーム・ブッジー(ディヴィエーンドゥ)は演説中のアチヤンマーのスカートを脱がして辱めようとするがペッディーがそれを妨害する。このことをきっかけにペッディーはアチヤンマーの心を勝ち取る。

 村に駅を作るための陳情活動に生涯を捧げたアッパラスーリは無念のまま列車にはねられて死んでしまう。怒ったペッディーは村人たちと共に線路を破壊し、警察に逮捕されて拷問を受ける。釈放された後、ペッディーは村には戻らず、地元で有名な力士ゴウルナーイドゥ(シヴァ・ラージクマール)に弟子入りする。クシュティーで名を成し、村のアイデンティティーを勝ち取ろうとしたのだ。ゴウルナーイドゥは元々ペッディーの潜在力を見抜いており、彼を訓練する。やがて、一番弟子のヴィーラバドラ(タラク・ポンナッパ)を凌駕するほどのペヘルワーン(力士)に成長する。

 ペッディーはアーンドラ・プラデーシュ州代表のレスリング選手として全国大会に出場し、準決勝まで勝ち上がる。対戦相手は、ゴウルナーイドゥのライバル、ラージャスターン州のランディール・スィソーディヤー(ラヴィ・キシャン)の息子ラタン(ラージーヴ・ピッライ)だった。ところが対戦前、ペッディーの成功を妬んだヴィーラバドラは彼の右足を傷付けており、その弱点をランディールとラタンに密告していた。ラタンは負けそうになるとペッディーの右足を執拗に攻撃する。ペッディーは何とかラタンを負かすが、無理が祟って右足を痛め、選手生命を失ってしまう。また、勝利後にペッディーは3日間気を失っており、その間に決勝戦は終わってしまっていた。彼は不戦敗で、獲得したのは銀メダルだった。

 ペッディーはデリーで陳情活動を行うが、全国大会準優勝では誰も耳を貸してくれなかった。そこでペッディーは、言うことを聞かない右足を自ら切断し、パラ陸上選手に転向する。そして1996年にデリーで開催されたアジアパラ競技大会にパラ陸上インド代表として出場し、途中転倒しながらも優勝して金メダルを獲得する。優勝スピーチでペッディーは、アイデンティティーを与えられていない故郷の村の窮状を訴え、政治を動かす。

 ペッディーが乗った列車は初めて村で停車した。そこに駅も作られることになり、駅名はアッパラスーリにあやかって「アッパラヴァラサ」に決まった。

 時は2016年に戻る。バイスワールはペッディーの活躍に感銘を受け、デリーに戻り、村々を回ってスポーツ選手として潜在力を持った人材を集める計画を提案する。

 あらかじめ発表されていた「Peddi」の予告編やポスターなどでは、ラーム・チャラン演じる主人公ペッディーがクリケットをしたりクシュティーをしたりしていた。スポーツ映画ということは予想できたのだが、なぜクリケットとクシュティーが一緒になっているのかは分からなかった。クリケットは現代になって人気になった外来のスポーツであるのに対し、クシュティーはインドの伝統スポーツである。新旧のスポーツの対立が主題になっているのかと好奇心を膨らませていた。ひとまずマーケティングは成功していた。

 映画は、2016年のリオデジャネイロ五輪後から始まる。インドが獲得したメダルはわずか2つ。PVスィンドゥがバドミントン女子シングルスで勝ち取った銀メダルと、サークシー・マリクがレスリング・フリースタイル女子58kg級で勝ち取った銅メダルのみだった。2012年のロンドン五輪では6つのメダルを獲得していたため、この数はインドのスポーツ界にとって胸を張れるものではなかった。インドは、スポーツ行政を抜本的に改革するか、それともいっそのことスポーツ振興を止めるかの瀬戸際にあった、というのが導入部だ。インドが人口の割には五輪でメダルを取れないのは事実であり、インド人が心の底では悔しく思っている話題からストーリーを始めるのもうまかった。

 そして主人公ペッディーの登場である。青年スポーツ省の役人がアーンドラ・プラデーシュ州の田舎町で、サチン・テーンドゥルカルやマヘーンドラ・スィン・ドーニーと並んで、聞き慣れない名前のスポーツ選手が地元の若者たちから絶大な人気を得ているのに気付き、スポーツ強化のために何かヒントが得られるかもしれないと思い立って、彼に会いに行くことにする。その道のりで、ガイド役の村人からペッディーの武勇伝を聞かされるのである。時計の針は四半世紀巻き戻され、回想シーンに移行する。

 登場時のペッディーはクリケット選手だった。ただ、公式なチームに所属する選手というわけではなく、賭けクリケットでチームから入札を受けて助っ人に入るフリーランスだった。打撃力がずば抜けており、彼が入るチームは必ず勝つと評判だった。しかしながら、彼は立ち回りが下手だったこともあって、地元の政争に巻き込まれ、クリケットでの食い扶持を失う。

 次に彼が始めたのがクシュティーの修行だった。クリケットの打撃動作を混ぜた独自のスタイルを編み出し、短期間で道場のナンバー1に登り詰め、アーンドラ・プラデーシュ州代表として全国大会にも出場する。銀メダルを獲得したものの、準決勝で右足を痛め、選手生命を失ってしまう。スポーツ選手としてのサクセスストーリーかと思っていたので、中盤であっけなく選手生命を失ってしまうという衝撃展開にはかなり驚かされた。

 では、なぜペッディーはそこまでスポーツで1番になることにこだわっていたのだろうか。クリケット時代の彼にとってスポーツは金稼ぎの手段に過ぎなかった。だが、クシュティーを始めた頃の彼には明確な目標が定まっていた。それは、スポーツで名を成して、故郷の村にアイデンティティーをもたらすことだった。そう、「Peddi」は何よりアイデンティティーを巡る物語だった。

 アイデンティティーというと、「Pushpa」シリーズ(2021年/邦題:プシュパ 覚醒・2024年/邦題:プシュパ 君臨)もそうだった。主人公プシュパーは、妾の子であることから父親の姓を授かれなかったことをコンプレックスとして抱えており、名前に異常なこだわりを持っていた。一方、「Peddi」で主題になっていたアイデンティティーは個人の名前ではなく、村やコミュニティーであった。映画の中では、インドには18,000もの村が名前を与えられていないようなことが語られていたが、ペッディーが生まれ育った村も、公文書では「存在しないことになっている村」であった。その理由はいくつか考えられるが、住民が部族民だったことが一番大きいだろう。近くに線路は通っているので完全な僻地とはいえないと思うのだが、被差別民だったこともあってわざわざそこに駅を作るような配慮をしてもらえず、村まで行く道路もなく、村の名前もなく、地図にも載っていなかった。村の名前くらいは何か自分たちで考えればいいのにとも思うのだが、一番困るのは、村人たちに投票権がないことだ。投票権がないということは、政治家にとってうまみがないため、陳情も聞いてもらえない。ペッディーの村は他の地域から隔絶され、発展から取り残され、教育や医療の面でも文明の恩恵を受けられずにいた。

 ペッディーは、自分が有名なスポーツ選手になれば故郷にアイデンティティーを持って帰れると信じていたのである。銀メダルでは力不足だった。金メダルにしか名声は付いて来ない。ペッディーはナンバー1だけを目指してスポーツに打ち込んでいた。

 右足を負傷して選手生命を奪われたペッディーが採った最終手段は意外なものだった。彼は右足を自ら切断し、パラ陸上の選手に転向するのである。確かに2016年のシーンでは、ペッディーは地元の人々からクリケットとクシュティーの他に陸上競技選手としても知られていた。ペッディーはパラ陸上選手としてすぐに頭角を現し、インド代表になって、アジアパラ競技大会で悲願の金メダルを獲得する。

 インドが五輪で多くのメダルを取れない理由のひとつとして、クリケットがあまりに国民的スポーツになっていて、人材がクリケットに行ってしまうという歪な構造が挙げられる。クリケットとクシュティーに加えてパラ陸上が取り上げられる「Peddi」は、インド国民にスポーツの多様性を訴えているといえる。確かにクリケットも面白いが、クシュティーのような伝統スポーツの振興も十分に意義のあることである。さらに、障害者のスポーツがこの世に存在するということも知らしめようとしている。ちなみに、障害者とスポーツというと、過去には、片手の女子クリケット選手を主人公にしたスポーツ映画「Ghoomer」(2023年)や、1972年ハイデルベルク・パラ五輪男子50m自由形で金メダルを獲得したインド人水泳選手ムルリーカーント・ラージャーラーム・ペートカルの伝記映画「Chandu Champion」(2024年)などがあった。

 調べてみると、五輪ではインドはそれほどメダルを獲得していないが、パラ五輪になると金メダルを含めてこれまで意外に多くのメダルを獲得している。「インドは五輪でメダルを取れない」といった場合、「五輪」の中に「パラ五輪」が含まれていないことがほとんどだが、パラ五輪もスポーツのひとつであり、そこでの業績をきちんと誇るべきである。クリケット以外のスポーツに国民の関心を向けるだけでなく、障害者スポーツにまで範囲を広げたことは、「Peddi」の着眼点の素晴らしいところだ。

 しかしながら、蛇足と思われる要素も多かった。一番余分だったのがジャーンヴィー・カプール演じるアチヤンマーだ。まず、アリヤンマーというキャラが破綻していた。政治家の娘として、いかにも生意気なオーラを発散して登場するが、勢いがあるのは序盤だけで、すぐにペッディーの従順な信奉者に成り下がってしまう。後半になると存在感すら失う。むしろ彼女がいることで、泥臭く男臭いストーリーの中で場違いな光沢を発してしまっており、逆効果だった。一体彼女は必要だったのだろうか。彼女に関する際どいシーンがあったのだが、観客から不評だったために、公開後にもかかわらず後からカットされるという異例の対応もあった。

 故郷の村のために片足を切断してまで孤軍奮闘していたペッディーであったが、肝心の村人たちとのつながりも、時間不足のためか、よく描かれていなかったように感じた。その身体能力のおかげか村人たちから一目置かれる存在のようではあったが、割と自分勝手なところもあったし、あっさりと裏切り者扱いもされてしまっていた。母親との関係も脆弱だった。

 村や人が公文書に登記されていないという話題は、インドでは実はタイムリーだ。近年、モーディー政権は、市民権改正法(CAA)や国家市民登録簿(NRC)などによって市民権にメスを入れつつある。国民を登録する作業を通じて、真の国民とそれ以外を選別しようとしている。その中で、インドで生まれ育ちながら書類の不備などによって自分の出生などを証明できず、市民権を失ってしまう人が出て来ている。「Peddi」の村人たちは、市民権を奪われたのではなく、最初から市民権を与えられていなかった人々だが、国家から国民として認められない人々の窮状を描くことで、婉曲的にモーディー政権を批判しているように感じた。

 主演のラーム・チャランは今回、「Rangasthalam」(2018年/邦題:ランガスタラム)を思わせる下層民役を演じていた。クリケット選手としての独特の動きや、ペヘルワーンになった後の隆々とした肉体やレスリング試合での立ち回りなど、彼の魅力が存分に引き出されている。多少オーバーアクティング気味に見える時間帯もあったのだが、さすがのヒーロー振りだった。インターミッションの表示が「Game Changed」になっていたのだが、これは彼の主演作「Game Changer」(2025年)を意識したものであろうか。

 「Peddi」は、スポーツ映画である以上にアイデンティティーの映画だった。主演ラーム・チャランの八面六臂の大活躍はいいのだが、おそらくヒンディー語圏市場を狙って起用されたヒロインのジャーンヴィー・カプールがミスキャスティングであった。むしろヒロインはいなくても成立した映画だ。2026年の期待作の一本で、一定の成功は収めたが、期待ほどではなかった。一般的なスポーツ映画3本分くらいのパワーはあるが、詰め込み過ぎで細かい部分に丁寧さが足りず、完成度は決して高くない。