
2026年5月22日からAmazon Prime Videoで配信開始された「System」は、弁護士の父娘が法廷で激突する女性中心の法廷ドラマである。日本のAmazon Prime Videoでも日本語字幕付きで配信されており、邦題はシンプルに「システム」になっている。
監督は「Nil Battey Sannata」(2016年)、「Bareilly Ki Barfi」(2017年)、「Panga」(2020年)などのアシュウィニー・アイヤル・ティワーリー。
キャストは、ソーナークシー・スィナー、ジョーティカー、アーシュトーシュ・ゴーワーリカル、アーディナート・コーターレー、プリーティ・アガルワール、ヴィジャヤーント・コーリー、サヤンディープ・セーングプター、ニシャーント・スィン、アートマー・プラカーシュ・ミシュラー、プラシャーント・スィン、ディワーンシュ・ガンビール、フレーヤー・コーターリー、ウペーン・チャウハーン、プラナイ・ナーラーヤンなど。
ジョーティカーは南インド映画女優であり、タミル語映画「Chandramukhi」(2005年/邦題:チャンドラムキ 踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター)などに出演していたが、近年はヒンディー語映画にも進出しており、「Shaitaan」(2024年)の演技は高く評価された。アーシュトーシュ・ゴーワーリカルは「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン クリケット風雲録)、「Swades」(2004年)、「Jodhaa Akbar」(2008年)などの監督として有名だが、監督になる前は俳優をしており、時々演技もしている。
舞台はデリー。著名な弁護士ラヴィ・ラージヴァンシュ(アーシュトーシュ・ゴーワーリカル)の娘ネーハー(ソーナークシー・スィナー)は、駆け出しの検察官だった。彼女は、同じく弁護士の兄アーローク(アーディナート・コーターレー)のように、父親の弁護士事務所に入って楽に仕事をしたいと思っていたが、ラージは彼女に10件のケースに連続して勝つことを入所の条件として出した。
ネーハーは、速記官のサーリカー・ラーワト(ジョーティカー)と仲良くなる。サーリカーは速記官として多くの裁判を観察してきており、ネーハーに的確なアドバイスをすることができた。ネーハーは父親から出された条件を満たすため、サーリカーを金で雇う。サーリカーの助言を受けたネーハーは裁判で連戦連勝するようになった。ネーハーはサーリカーの家に招待され、彼女の夫ラクシュマン(ニシャーント・スィン)や娘と会う。
9件のケースで勝利し、残りは1件となった。彼女が引き受けることになったのが、インフルエンサー、イナーヤー・コーターリー(フレーヤー・コーターリー)の自殺事件だった。警察によると、イナーヤーの死は自殺ではなく他殺とのことだった。容疑者として名前が挙がっていたのは、大手実業家ヴィクラム・バジュラール(ヴィジャヤーント・コーリー)であった。バジュラールは父親が懇意にしているクライアントだった。
ラヴィはネーハーに、バジュラールの事件を受けないように命令するが、ネーハーはあえて引き受け、父親と法廷で対峙することになる。イナーヤーが死んだのは自宅のある高級マンション、スーリヤニワース・タワーズだったが、そのとき同じ建物にバジュラールもいたことは監視カメラの映像などから実証できた。だが、彼がイナーヤーを殺したという確証はなかった。ラヴィは、バジュラールとイナーヤーは面識がなかったと主張し、彼女を殺した動機が不明だとして彼の無罪を勝ち取る作戦で来た。ネーハーはバジュラールとイナーヤーの関係を調べ始める。
ネーハーは調べる内に、9年前に「ツイステッド」というフッカー・バーで発生した火災に行き当たる。このバーのオーナーはバジュラールであり、多くの関係者が、彼女が勝利した9件で有罪判決を受けた者だった。この事故で4人の死者が出たが、バジュラールは無罪となっており、代わりに従業員のラームナート(プラシャーント・スィン)が有罪になり、獄中で自殺していた。イナーヤーはこの事故の生存者かつ目撃者だった。事故前後の通話記録が開示されたことでバジュラールがイナーヤーに連絡していたことが分かり、しかもイナーヤーが住んでいたスーリヤニワース・タワーズの一室はバジュラールから贈られたものだということも発覚する。イナーヤーは法廷で証言を翻し、それが決め手となってバジュラールは無罪になったのだった。
ネーハーはさらに、サーリカーがラームナートの妹であること、サーリカーの夫ラクシュマンもこの事故の被害者であることを突き止める。サーリカーはバジュラールに復讐するため、イナーヤーを殺し、その罪を彼になすりつけようとしていたのだった。ネーハーはサーリカーとラクシュマンの前でそれを指摘する。
だが、ネーハーは法廷でイナーヤー殺人の真犯人について言及することはしなかった。彼女は通話記録などの証拠を提出してバジュラールがイナーヤーの知己だったことを立証し、彼の動機を確立する。バジュラールは終身刑を言い渡される。ネーハーは法廷で偉大な父親に勝った。
映画が始まった当初の印象は、「女性監督による女性中心の法廷劇」だった。駆け出しの未熟な女性検察官ネーハーが、経験豊富な女性速記官サーリカーと二人三脚で、男尊女卑渦巻く法廷において次々に勝利を勝ち取っていくシスターフッド映画になるのだろうと、若干の倦怠感と共に成り行きを見守っていた。この種の女性中心映画はそろそろ食傷気味なのである。
だが、すぐにその予想は外れだったことが分かる。まず、ネーハーとサーリカーはちっとも「バディー」ではなかった。そもそも社会階層が異なる。ネーハーは、駆け出しの検察官ながら、セレブ弁護士を父親に持っているおかげで、運転手付きの高級車で裁判所に乗り付けるような、裕福な生活を送っていた。一方のサーリカーは、オールドデリーの集合住宅で慎ましい生活をしていた。夫が過去の事故で下半身不随になり働けなかったので、生計は彼女の稼ぎに完全に依存していた。サーリカーは速記官の仕事の他にも家庭教師などをして追加収入を得ており、娘の教育費などを捻出する苦労人だった。サーリカーがネーハーの手伝いをするようになったのも、彼女から得られる報酬が目当てのようだった。金で結ばれた関係がシスターフッドに発展する可能性は低い。
この二人の相性の悪さが如実に現れていたのが、喫茶店でのやり取りだった。ネーハーはイナーヤーのSNSをフォローしており、彼女がお勧めしていた喫茶店にサーリカーを誘い、彼女がお勧めしていたチャーイラテを注文する。サーリカーはそれを口にするが、「苦い」と言って残す。インフルエンサーのお勧めするものは何でも無批判に受け入れてしまうネーハーと、自分で価値を定めることのできるサーリカーの違いがよく出ていた。二人は裁判所で働く女性同士だったが、共通点をそれ以外に見出すのは難しかった。全くお金に困っていないネーハーがわざわざ働いていたのは自己満足に近いものであったが、サーリカーが働いていたのは一家の生計を支えるためだった。
とはいっても、ネーハーにはネーハーで悩みがあった。あまりに偉大な弁護士の娘として生まれ、しかも父親と同じ職業を選んだことで、常に「親の七光り」を意識せざるをえなかったのである。彼女がどんなに業績を上げても、「ラージヴァンシュの娘」というレッテルから逃れることはできなかった。確かに当初の彼女には、「ラージヴァンシュの娘」として、父親の弁護士事務所に入所し、「プリンセス」として悠々自適な弁護士生活を送りたいと考えていた節があった。だが、裁判で勝利を重ねるごとに、父親を克服するためには父親と戦って勝たなければならないことに気付き始める。父娘が検察官と弁護士に分かれて法廷で激突することになったのは必然であった。
もちろん、この設定は、コロナ禍以来ヒンディー語映画界内でホットな話題になってきた「ネポティズム(縁故主義)」と無関係ではないだろう。ヒンディー語映画界には、「スターキッド」とか「インサイダー」と呼ばれる二世スター、三世スターが多くひしめいている。コロナ禍を機に、彼らに対する批判が急に噴出し、業界を揺るがしたのだった。ネーハー役のソーナークシー・スィナー自身も二世スターの一員だ。ネーハーの奮闘する姿には「ネポティズム」批判にさらされたソーナークシーの人生も重なる。
そしてネーハー以上に面白い設定だったのがサーリカーだ。車椅子生活の夫を持ち、一家の大黒柱として健気に働く彼女には、高飛車なネーハーよりも強く感情移入してしまう。だが、映画は彼女を聖女として祭り上げることはしていなかった。夫がいながら、彼女は既婚の警察官とW不倫をしていた。夫は下半身不随であり、性的に彼女を満足させられなかったのか。だから外に男を作って肉体的な充足感を得ようとしていたのか。そうだとしたら、ヒンディー語映画としては極めて珍しい、生々しい女性キャラであった。
ただ、ヒンディー語映画の限界であろうか、それともこれが良心なのだろうか、ストーリーが進むと、サーリカーのその行動にきちんと理由付けがなされ、正当化されている。通り一遍の結末に落ち着いてしまったことに多少の残念さも感じたが、きちんとまとまった終わり方にはなっていた。
映画全体からは、司法システムへの警鐘を読み取ることができる。本来、司法は罪を犯した者に罰を与える場であるはずだが、現代インドの司法システムでは、弁護士が顧客を、罪を犯していようといまいと、無罪にし、多額の報酬を得る場になってしまっている。だが、それを逆手にとって、過去に罪を犯しながらも無罪になった者に、現在の濡れ衣で罪を償わせることもできる。その善悪はジャッジしていない。こういう形の因果応報もあっていいのではないかという提案がふんわりとなされているだけだ。
ソーナークシー・スィナーとジョーティカー、それぞれに見せ場があった。中盤まではジョーティカーの方に軍配が上がっていたが、最後でソーナークシーも盛り返し、五分五分にまで持っていた印象だった。どちらもヒロイン女優としては旬が過ぎたといえるが、まだまだ女優として無限の活躍の場があるというアピールをヒシヒシと感じた。
女性監督の映画であるためか、主役の女性2人が非常にパワフルだったのとは対照的に、彼女の周辺にいる男性キャラはどれも押しが弱かった。ネーハーの父親は最後には娘に負けてしまうし、兄も最後には彼女に脱帽する。ネーハーの恋人は単なる泥棒に成り下がった。サーリカーの夫はほとんど動かないまま出番を終えた。
「System」は、父親の七光りを克服しようと奮闘する女性と、死んだ兄や下半身不随になった夫の仇を討つために手段を選ばず突き進む女性に焦点を当てた、女性による女性の物語だ。単純なシスターフッド映画やサクセスストーリーではなく、司法システムの在り方について考えさせられる内容である。観て損はない。
