Chandramukhi (Tamil)

3.5
Chandramukhi
「Chandramukhi」

 デリーで上映されるインド映画のほとんどはヒンディー語映画である。シネコンの普及により、時々インドの他言語の優秀な作品も上映されるようになったが、それでもデリーはヒンディー語映画オンリー地帯だと言って過言ではないだろう。一方、チェンナイやバンガロールなどでは、地元の言語の映画に加え、ヒンディー語映画も割と上映されているため、デリーよりもインド全体の映画界を万遍なく体験できるというメリットがある。別にバンガロールなどに移住したいとは思わないが、バラエティーに富んだ映画を観ることができるという点だけはうらやましい。

 ところで、2005年5月6日から珍しくタミル語映画がPVR系列の映画館で上映され始めた。日本で一世を風靡した「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)で主演を務め、日本で一躍有名となったスーパースター、ラジニーカーントが主演する最新作「Chandramukhi」である。今日はこの映画をPVRプリヤーで見た。英語字幕付きだったので助かった。タミル語は一応勉強したのだが、映画を理解できるほどの能力はない。観客はやはりデリー在住のタミル人ばかりだったと思う。

 「Chandramukhi」とは、「月のような顔の女性」という意味。インドでは月は美人の形容詞である。「Devdas」(2002年)にも同名の女性が出てきた。監督はPヴァス、音楽はヴィディヤサーガル。キャストは、ラジニーカーント、プラブ、ジョーティカー、ナヤンターラーなど。

 サラヴァナン(ラジニーカーント)は米国で心理学を修めた上に読心術を持つ、心優しきヒーローだった。孤児だったサラヴァナンは、センディル(プラブ)の父親に育てられた。

 センディルはガンガー(ジョーティカー)と恋愛結婚し、新たな家を購入した。だが、それは地元では幽霊屋敷として有名で、誰も寄り付こうとしなかった。幽霊屋敷のある村の地主の家では、姉が最高権力者であった。姉は、弟の娘のプリヤーをセンディルと結婚させることを決めていたが、センディルが別の女と勝手に結婚してしまったことを知り、怒りを露にする。しかし、センディルが幽霊屋敷を買ったことを知り、不気味な笑みを浮かべてそれを了承する。しかも、センディル夫妻、サラヴァナン、そしてプリヤーの家族全員がその屋敷に住むことを提案する。

 その幽霊屋敷は100~150年前、王様の所有物だった。王様は、チャンドラムキーという名の踊り子に恋をし、強引に誘拐して妾としてしまう。だが、チャンドラムキーは舞踊家の男性と恋をしており、その男性は王の隣に住み始め、チャンドラムキーと密会を重ねていた。二人が密通していることを知った王様は、舞踊家とチャンドラムキーを殺害してしまう。チャンドラムキーの魂は無念のまま屋敷に留まったが、その後すぐに王様も死んでしまったため、復讐の機会を失い、永遠に現世を彷徨い続けることになった。チャンドラムキーの魂は、屋敷のある部屋に封印された。それ以後、誰もその部屋に近付こうとしなかった。

 全ての人が多かれ少なかれ言い伝えを信じていたが、ガンガーだけは信じていなかった。ガンガーは、庭師の娘ドゥルガー(ナヤンターラー)の助けを借りて、禁断の扉を開けてしまう。それ以後、屋敷では異変が起こるようになり、センディルは二度も命を狙われた。夜な夜なチャンドラムキーの部屋からは音楽と踊りの音が聞こえて来ていた。当初はドゥルガーが疑われたが、心理学を学んだサラヴァナンはいち早く原因を究明していた。幼少時代に精神的ショックを受け、多重人格症気味だったガンガーにチャンドラムキーの霊が乗り移ったのだ。

 ガンガーは、自分の夫をチャンドラムキーを殺した王様だと考え、また家の隣に住んでいた舞踊家の男を、チャンドラムキーの恋人の舞踊家と思いこんでいた。だから王様に復讐するため、センディルを何度も殺そうとしていたのだった。サラヴァナンは、チャンドラムキーが乗り移ったガンガーに対し、自分が王様であると信じ込ませ、彼女のセンディルに対する殺意をそらす。そして、自分がわざと死んだように見せかけてチャンドラムキーの霊を満足させ、霊媒師の力を借りて霊をガンガーの身体から追い出し、彼女の命を救った。こうして幽霊屋敷の問題は解決し、サラヴァナンは密かに恋愛を成就させていたドゥルガーと共に颯爽と去っていくのだった。

 久し振りにラジニーカーント主演のタミル語映画を観たが、同じインド映画なのにヒンディー語映画と比べてこうも違うかと改めて痛感させられた。ヒンディー語映画を観る姿勢でタミル語映画を観ることは困難である。タミル語映画には、タミル語映画の文法があり、それを踏まえた上で批評していかなければなるまい。

 まず、「Chandramukhi」は、タミル・ナードゥ州で絶対的な人気を誇るラジニーカーントの久々の主演作であることもあり、ラジニーカーントを絶対的なヒーローとした一神教的映画であることを実感させられた。ヒンディー語映画でもスターシステムが採られており、主役のヒーロー、ヒロインを中心にカメラのアングルや画面の構図など、全ての要素が決定されるが、タミル語映画ではそれを遥かに超越した、スーパースターシステムが採られている。ラジニーカーントは、冒頭の登場シーンから最後の退去シーンまで、最初から最後まで圧倒的な強さとかっこよさを誇るスーパーヒーローであり、彼にたてつく者の末路は、悪役として哀れな最期を遂げるか、コメディアンとして観客の嘲笑を買うか、どちらかしかない。これは洗脳映画と言ってもいい。「ムトゥ 踊るマハラジャ」を初めて見たときもそうだったが、「なぜこんなおっさんが主人公なのだ?」と思って映画を観ている内に、だんだん「このおっさん、もしかしてかっこいいかも」と思い始め、映画館を出るときにはなぜかラジニーカーントの仕草のひとつひとつが極まりなくクールに思え、みんなで物真似をしていたりする。観客をいかに洗脳するか、という基準で見れば、この映画はそれに成功している。

 ラジニーカーントの圧倒的強さにも関係あるが、アクションシーンがヒンディー語映画よりも長くて気合が込められているのも目立った。ラジニーカーントのひとつひとつの仕草に「シャー!」「シュオー!などという派手な効果音が流れ、彼のパンチやキックにより敵は数メートルも数十メートルも吹っ飛ぶ。なぜか吹っ飛んだ先には必ずガラスがあり、これまた派手な効果音と共に敵はガラスを突き破って血まみれとなる。こうしてラジニーカーントは一人で暴徒の軍団を一網打尽にする。こんな非現実的な無敵の強さを誇るキャラクターは、ヒンディー語映画にはなかなか登場しない。ヒンディー語映画では、お互い血まみれになりながら何とか敵をやっつける、というアクションシーンか、銃撃戦が多いが、タミル語映画では、一人の圧倒的な強さを持つヒーローが無傷のまま孤軍奮闘して敵をやっつける、というアクションシーンが好まれるようだ。

 ミュージカルシーンの唐突さもタミル語映画の特徴だ。ヒンディー語映画でも唐突にミュージカルが挿入されることがあるが、タミル語映画は脈絡のないミュージカルが多すぎる。ただ、それだけあってミュージカルの豪華絢爛さと、俳優の踊りのうまさは、タミル語映画の方が一枚も二枚も上手である。いったい観客はミュージカルを見に映画館に来ているのか、ストーリーを楽しみに映画館へ来ているのか、分からないほどだ。

 CGが多用されているのも気になった。ヒンディー語映画でも最近はCGが使われることが増えてきたが、それでも「Chandramukhi」のように露骨にCGが使われている映画はちょっと記憶にない。しかも、ハリウッド映画のように、CGで現実感を出そうとしているのではなく、CGをCGっぽく利用しているところが特徴的だった。つまり、一目でCGと分かる映像が、大袈裟に使われているのだ。例えばチャンドラムキーの部屋に巨大なキングコブラがいたが、CGで全て表現されていた。そういうのがかっこいいと思われているのだろうか。

 さて、ヒンディー語映画とタミル語映画の比較をしてきたが、「Chandramukhi」自体の批評を始めようと思う。どうしても僕は「ムトゥ 踊るマハラジャ」と比較してしまうが、「Chandramukhi」は残念ながら「ムトゥ」を越える作品ではなかった。無駄に登場人物が多いし、ラジニーカーント演じるサラヴァナンの、「心理学者にして読心術を持つ男」というキャラクターも謎すぎるし、サラヴァナンを敵視していた姉の存在もうまく活用されていなかったし、霊媒師に「祈祷が終わるまで家を出てはならない」と言われているのに、みんな余裕で家を出ているし、細かい欠点を挙げていけばキリがない。ラジニーカーントを含む俳優たちの演技も、演技とは言えないレベルである。だが、サラヴァナンとムルゲーシュ(ヴァディヴェル)のやりとりは爆笑ものだし、ラジニーカーントやジョーティカーのダンスは素晴らしかった。ラジニーカーントの映画は、ラジニーカーントの見事なヒーロー振りのみに注目すればいいのであり、あまり細かいことをうだうだ呟くのは野暮というものだろう。チャンドラムキーに乗り移られたガンガーの顔は、必要以上に怖かった・・・。

 あと、ラジニーカーントが黄色いカリズマ(僕の乗っているバイク)に乗っているシーンがいくつかあったのが気になった。ただのカリズマではなく、かっこわるく改造がされていた。タミル人のセンスを疑う・・・。

 おそらく「Chandramukhi」を見終わった観客が、映画館を出るときに口ずさんでいるフレーズは十中八九「ラカラカラカ・・・」であろう。どういう意味か知らないが、あの「ラカラカラカ・・・」は夢に出てきそうなほど強烈である。「ラカラカラカ・・・」が何か知りたい人は、是非「Chandramukhi」を観ていただきたい。文章では決して説明できない。

 そういえば、この映画が2005年4月14日にタミル・ナードゥ州で公開されたとき、インドの新聞やTVは、日本人のラジニーカーント・ファン数人が、「Chandramukhi」を観るためにチェンナイを訪れたというニュースを報じていた。TVでも彼らを見た。なんか音楽に合わせて踊りを踊っていた。「えっ?」と思った・・・。ラジニーカーントの映画を観に来るのは別にいいのだが、わざわざそんなことを報道するなんて、けっこう異常事態である。また、「Chandramukhi」では、ラジニーカーントが2回ほど「日本」の名前を口にしていた。前作「Baba」(2000年)では日本人女性が映画出演しているし、タミル映画界やラジニーカーント自身は、かなり親日的になっているように感じる。

 「Chandramukhi」は、作品としてはそれほど高評価ではないが、ラジニーカーント・ファンには麻薬のような陶酔を与える洗脳映画であろう。ラジニーカーント映画は、常に我々に「映画の本質とは何か」を教えてくれる。