Nil Battey Sannata

4.5
Nil Battey Sannata
「Nil Battey Sannata」

 ヒンディー語映画の2010年代は女性の10年代だが、それは女性が主人公の映画が増えたことだけを意味しない。女性同士の関係についても多様なアプローチがなされ、典型的な母娘や嫁姑に留まらない、よりリアリスティックな関係がスクリーン上で映し出されるようになった。2015年にアイルランドのシルクロード国際映画祭で上映され、インドでは2016年4月22日に公開された「Nil Battey Sannata」も、シングルマザーと娘の間の、アップダウンを経た関係性を描いた作品である。高校を卒業できなかった母親が、娘の通う学校に入るというプロットで、インドの教育現場を描いた作品としても興味深い。

 監督は新人のアシュヴィニー・アイヤル・ティワーリー。「Dangal」(2011年)のニテーシュ・ティワーリーの妻である。プロデューサーは「Raanjhanaa」(2013年)のアーナンド・L・ラーイなど。主演はスワラー・バースカルとリヤー・シュクラー。他に、ラトナー・パータク・シャーやパンカジ・トリパーティーが出演している。また、サンジャイ・スーリーが特別出演している。

 舞台はアーグラー。タージマハルの対岸にあるメヘターブ・バーグ付近に住むチャンダー(スワラー・バースカル)は、地元の名士ドクター・ディーワーン(ラトナー・パータク・シャー)の家でメイドとして働く貧困層の女性だった。夫は既になく、アペークシャー(リヤー・シュクラー)という一人娘と共に暮らしていた。

 アペークシャーは10年生に上がったところだった。メイドの娘はメイドになるしかないと考え、夢を持たず、勉強にも真剣に取り組んでいなかった。だが、チャンダーは娘を官僚にしたいと考え、あれこれ言って彼女を勉強させようとする。アペークシャーは特に数学が苦手だった。だが、塾に通わせるお金もなかった。せめて模試で5割以上を取れば、塾の料金が半額にしてもらうことができたが、その見込みは薄かった。チャンダー自身も中卒レベルで教えられるだけの学力がなかった。

 チャンダーは娘のことをドクター・ディーワーンに相談する。ドクター・ディーワーンは、チャンダーが学校に入り、勉強し直して娘を教えればいいと、突拍子もない提案をする。当初、チャンダーは真剣に取り合わないが、ドクター・ディーワーンは学校の校長(パンカジ・トリパーティー)と話を付ける。こうして、チャンダーはアペークシャーと同じ学校の同じ学級に通うことになる。もちろん、アペークシャーは嫌がった。もし次の数学のテストで、アペークシャーがチャンダーよりいい点数を取れば、母親は学校を辞めるという条件になった。また、二人が親子であることは友達には内緒だった。

 チャンダーは仕事の合間に、本当に学校に通い出す。生徒たちからは笑い者になるが、チャンダーの真剣に勉強する姿に感化され、一人、また一人と、チャンダーの周りに生徒たちが集まり出す。アペークシャーの親友、スウィーティーとピントゥーもチャンダーとすっかり仲良くなってしまった。アペークシャーはヘソを曲げる。

 アペークシャーは母親を学校から追い出すため、勉強を頑張り出す。それを見てチャンダーはほくそ笑む。数学のテストがあり、アペークシャーは見事チャンダーよりも高い点数を得た。だが、テストが終わるとアペークシャーはまた元の怠け者に戻ってしまった。それを見たチャンダーは約束を破って学校に通い続ける。次のテストではチャンダーが合格点を取った一方、アペークシャーは赤点だった。

 母娘の仲は険悪になるが、アペークシャーは母親が彼女のために夜遅くまで働いている姿を見て考え直す。アペークシャーは夢を持って勉強を始め、10年生の最終試験にも合格する。

 インドでは、10年生と12年生のときに重要な全国共通テスト(Board Exam)が実施される。10年生での試験の成績によりストリーム(理数系、人文系、商業系)が分かれ、12年生の試験の成績により大学が決まる。「Nil Battey Sannata」は、10年生の娘とその母親の物語であった。日本で言えば高校にあたる。

 教科は、ヒンディー語、英語など、いくつかあるはずだが、「Nil Battey Sannata」では特に数学に焦点が当てられていた。インド人は数学が得意なイメージがあるが、「女性は数学が苦手」という通念はインドにもあるようで、娘のアペークシャーも、母親のチャンダーも、そしてチャンダーの雇い主であるドクター・ディーワーンも、数学に苦手意識を持っていた。題名となっている「Nil Battey Sannata」とは、「0割る沈黙」という意味で、つまりは数学はからっきしということを意味している。

 子供に、勉強に打ち込んで将来偉くなって欲しいというのは、多くの親が共通して持っている願望だが、チャンダーは特にアペークシャーに対してその思いを強く持っていた。自身が、教育がないために、メイドなど、賃金の低い仕事に就かざるを得ない現状から、娘には夢を大きく持ってもらって、それに向けて勉強を頑張って欲しいと思っていた。だが、アペークシャーは、「メイドの子供はメイドになるしかない」と最初から人生を諦めており、勉強にも身が入っていなかった。

 そのやる気のなさを解決するためにチャンダーが採った手段は驚くべきものだった。なんと、娘の通う学校の、娘の在籍する学級に入って、一緒に勉強し出したのである。自分が授業内容を理解して娘を教える、という目的もあったが、自分を学校から追い出したいアペークシャーが、テストでいい点数を取るために真面目に勉強し出すという効果も狙っていた。チャンダーは、メイドやその他の仕事をしながら学校に通っていたため、普通に考えたら、時間のやりくりはできないだろう。だが、その点は突っ込むべきところではない。

 インドの教育において数学はもっとも重視されている学問であり、教育現場が映画になると、数学が取り上げられることは多い。「Chalk n Duster」(2016年)で主人公として登場した2人の教師の内、1人は数学教師であった。貧しい子供のための超進学塾をテーマにした「Super 30」(2019年)でも、そこで教えられる中心的な教科は数学だったし、「Shakuntala Devi」(2020年)も天才的数学者の物語だった。これらの映画を観ていると、インド人がどのように数学に接しているのか垣間見ることができる。「Nil Battey Sannata」では、アマルという優等生の子供が出て来て、チャンダーやアペークシャーに数学を教えるが、彼は「数学を日常生活に結びつけて考えろ」と主張していた。また、公式を覚える際に、まるで元素周期表を「水兵リーベ・・・」と覚えるみたいに、韻文にして覚えるシーンもあった。この辺りに、インドの数学教育の秘密がありそうである。

 母親が娘の学校に通い出すというプロットは奇想天外だが、母と娘の関係を描いた映画としては、ごく当然の展開である。二人の関係は中盤で悪化するが、最後には娘が母の気持ちと努力を感じ取り、仲直りするというものだ。また、どんな階層の子供でも、夢を持ち、努力をする大切さも説かれていた。非常に前向きな映画であった。

 「Raanjhanaa」や「Prem Ratan Dhan Payo」(2015年)での助演が印象的なスワラー・バースカルは、今回主演として映画を背負って立ち、完璧な演技で作品をさらなる高みに持ち上げていた。子役のリヤー・シュクラーも反抗期の生意気な女の子をよく演じ切っていた。ラトナー・パータク・シャーやパンカジ・トリパーティーも貫禄の演技である。

 アーグラーが舞台の映画だが、アーグラーと言えばタージマハル。チャンダーとアペークシャーの家はタージマハルの対岸にあるメヘターブ・バーグにあるという設定で、映画の中ではタージマハルが背景として何度も登場した。だが、あくまで背景としての利用で、タージマハルを敢えて際立たせるような加工は施されていなかった。アーグラーのゴミゴミした街中や、チャンダーたちの住む低所得者層の家の様子も赤裸々に映し出されており、そういう地に足の付いた映像が、さらに映画の質を高めていた。

 「Nil Battey Sannata」は、近年ヒンディー語映画界で増えている教育や学校が主題の映画だが、母と娘の関係に焦点が当てられたドラマであり、そこから発せられているメッセージは、どの階層の子供でも夢を持ち、努力をすべきという前向きなものであった。監督は新人女性だが、キャストやクルーはベテラン揃いで、安定感のある仕上がりであった。名作の一本に数えられる。