多人数の登場人物が複雑に絡み合いながら、ブラックコメディー風味で進んで行く犯罪映画は、ヒンディー語映画の得意技と言え、過去にそのような作品がいくつも作られている。その先駆けとなったと思われる作品がパンカジ・アードヴァーニー監督の「Urf Professor」(2001年)である。この映画は検閲局から上映許可が下りなかった曰く付きの映画であるが、当時、映画愛好家の間にセンセーションを巻き起こし、後世に大きな影響を与えた。残念ながらパンカジ・アードヴァーニー監督は「Sankat City」(2009年)を送り出した後に早世してしまうが、2010年代以降、ヒンディー語のスリラー映画は百花繚乱となり、「Shor in the City」(2011年)、「Delhi Belly」(2011年)、「Kahaani」(2012年)などが連なり、最近の「Andhadhun」(2018年/邦題:盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲)にまでつながっている。
2020年11月12日からNetflixで配信開始のヒンディー語映画「Ludo」も、多人数ブラックコメディー型犯罪映画である。監督は「Murder」(2004年)や「Barfi!」(2012年)のアヌラーグ・バス。複雑な話を分かりやすくまとめるのがうまい監督だ。
キャストは、アビシェーク・バッチャン、アーディティヤ・ロイ・カプール、ラージクマール・ラーオ、ローヒト・スレーシュ・サラーフ、ファーティマー・サナー・シェーク、サーニヤー・マロートラー、パール・マーニー、アーシャー・ネーギー、パンカジ・トリパーティーなど。アビシェークなど、一部の俳優を除き、超一級のスターが総出演するようなオールスターキャスト映画ではないものの、「Yeh Jawaani Hai Deewani」(2013年)のアーディティヤ、「Kai Po Che」(2013年)のラージクマール、「Dangal」(2016年)の女優ファーティマーとサーニヤーなど、演技力のある俳優を取りそろえた渋い配役であり、期待が持てる。
物語は主に4組のカップルを巡って展開する。1組目のカップルはアーカーシュ(アーディティヤ・ロイ・カプール)とシュルティ(サーニヤー・マロートラー)。シュルティはもうすぐ大富豪の御曹司と結婚する予定だったが、二人は過去に付き合っており、彼らのセックスシーンが何者かに盗撮されインターネットにアップロードされていた。二人は盗撮した犯人を見つけようと奔走する。
2組目のカップルはアールー(ラージクマール・ラーオ)とピンキー(ファーティマー・サナー・シェーク)。アールーは子供の頃からピンキーに恋していたが片思いで、ピンキーは別の男と結婚してしまう。それでもアールーはピンキーのことが好きだった。ある日、ピンキーの夫は殺人事件に巻き込まれ、警察に逮捕される。ピンキーはアールーに夫を助けるように頼む。ピンキーの頼みを断れないアールーは、ドツボにはまっていく。
3組目のカップルはビットゥー(アビシェーク・バッチャン)とアーシャー(アーシャー・ネーギー)。ビットゥーは地元マフィアのボス、サットゥー(パンカジ・トリパーティー)の右腕だったが、アーシャーと恋に落ち、マフィアから足を洗う。だが、ビットゥーは警察に逮捕され、6年間服役する。出所したビットゥーは、アーシャーが彼の親友と結婚したことを知る。ビットゥーとアーシャーの間に生まれた娘ルーヒーも、彼のことを父親とは知らなかった。さらに、ビットゥーが逮捕されたのはサットゥーの垂れ込みがあったからだと知る。傷心のビットゥーは、近所に住む女の子ミニと出会う。ミニは狂言誘拐をして家出をしていた。ビットゥーはミニを助けるために自分が誘拐犯となり、身代金を要求する。
4組目のカップルはラーフル(ローヒト・スレーシュ・サラーフ)とシュレージャー(パール・マーニー)である。平凡な従業員だったラーフルは、殺人事件に巻き込まれてサットゥーのアジトに連れて行かれる。そこでミスから大爆発が起こり、怪我をしたサットゥーと共に救急車で運ばれる。その救急車に看護婦として乗り込んでいたのがシュレージャーだった。サットゥーは大金の入ったカバンを持っていた。それを見た二人はサットゥーを川に落とし、その金を山分けする。だが、サットゥーは生きていた。サットゥーは金を取り戻すために地の果てまでラーフルとシュレージャーを追いかける。
主に以上4つのストーリーが絡み合いながら全体のストーリーが進んで行く。そして、このような映画に往々にしてあることだが、最後はこれらの登場人物が一堂に会し、ドタバタ劇を伴いながらクライマックスを迎える。題名になっている「Ludo」とは4人で遊ぶボードゲームの一種で、この4つのストーリーを暗示していることは明らかである。基本的に「Ludo」は、脚本の妙を楽しむ映画であり、そこに何か社会的なメッセージ性などを読み取ろうとするのは野暮だ。
別の観点から見ると、4つのストーリーに共通しているのは、男性が片思いをしていることである。それぞれの形があるが、それぞれに報われない恋や思いを抱いている。一方の女性はと言えば、皆どこか自分勝手なところがあり、男性をいいように利用している節もある。特にファーティマー・サナー・シェーク演じるピンキーは天然とでも言えるまでに、彼女に思いを寄せるアールーの気持ちをもてあそび、自己都合のために利用する。アールーが可哀想になるくらいだ。アビシェークが演じるビットゥーのストーリーだけはもう少し重層的で、彼は元妻にも思いを寄せているし、娘に会いたがっているし、そしてたまたま出会った狂言誘拐犯女児ミニとも心を通わす。それでも、大まかに言えば、4人の男性がそれぞれ女性に振り回されている様が描かれている。それぞれのストーリーのエンディングはそれぞれだが、決して後味が悪いものではない。
そして、これらのストーリーを神の視点から眺める男性が2人。インドの説話によく登場する「スートラダール(語り手)」であるが、彼らの正体は最後に明かされる。
冒頭に使用されていた白黒映画の音楽は、「Albera」(1951年)の「Qismat Ki Hawa Kabhi Naram」である。登場していたのはバグワーン・ダーダーという俳優だ。アヌラーグ・バス監督はオールディーズ好きで知られており、「Barfi!」でも米クラシック映画のオマージュをたくさん盛り込んでいた。
言語は基本的にヒンディー語だが、ユニークだったのはケーララ州のマラヤーラム語が結構な割合で使われていたことである。看護婦のシュルティを演じたパール・マーニーがケーララ州出身の女優であることもあるのだが、おそらく脚本の段階で南インドの言語を使用することが決まっていたような気がする。マラヤーラム語の台詞の部分では、アルファベット表記のヒンディー語の字幕が付いていた。ヒンディー語映画にパンジャービー語やベンガル語が出てくるときはほとんど字幕が付かないのだが、マラヤーラム語だと字幕が付くところが興味深かった。
「Ludo」は、Netflix配信ながら、映画館公開でもおかしくないほど完成度の高い犯罪映画である。脚本は秀逸であるし、アヌラーグ・バス監督のまとめ方もうまい。そして何より今が旬の俳優たちの共演が楽しめる。日本語字幕もあるので、ヒンディー語が分からない日本人でも観ることができる。時代がだいぶ変わったのを感じる映画であった。