「Udta Punjab」は、2017年のインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)でオープニング作品に選ばれた映画である。邦題は「フライング・パンジャーブ」となった。原題の「Udta」は「飛ぶ」という意味のヒンディー語の動詞「Udna(ウルナー)」の現在分詞を形容詞的に使って直後の名詞「Punjab(パンジャーブ、州の名前)」を形容したもので、「フライング」はその直訳となる。「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)の主題ともなったインド人陸上競技選手ミルカ・スィンは「フライング・スィク」と呼ばれたが、この題名はそれとも関係があるかもしれない。ミルカはパンジャーブ人である。
実はこの映画の字幕翻訳は僕が行った。邦題について、実は別のものを提案したのだが、却下され、無難なものとなった。
この映画はインド北西部にあるパンジャーブ州の麻薬問題を扱っている。近年、同州では麻薬が蔓延しており、大きな社会問題となっている。BBCの報道によると、同州の麻薬消費量は全国平均の3倍であり、3分の2以上の家庭に少なくとも1人の麻薬中毒者がいる。86万人の若者(15~35歳)が何らかの形で麻薬を摂取しており、その中でもヘロインが最も好まれている。
なぜパンジャーブ州においてここまで麻薬が蔓延してしまったのか。そのヒントとなるが、同州の位置である。パンジャーブ州は隣国パーキスターンと接している。さらにパーキスターンは、世界的な麻薬生産地であるアフガニスタンと国境を共有している。つまり、パンジャーブ州で流通している麻薬はこれらの国から違法に持ち込まれている可能性が高い。その証拠として、パンジャーブ州の中でもパーキスターンと接している県(ディストリクト)では、さらに麻薬消費量が高くなる傾向にあることがある。
2016年6月17日公開の「Udta Punjab」は、このようなセンシティブな問題を娯楽映画として描出した作品である。監督は「Ishqiya」(2010年)などのアビシェーク・チャウベー。ドライなブラックコメディーが得意な監督である。
プロデューサー陣には多くの名前が連なっているが、主なプロダクションは、エークター・カプールのバーラージーとアヌラーグ・カシヤプのファントムだ。麻薬というテーマは、アヌラーグ・カシヤプ監督の出世作「Dev. D」(2009年)と共通しているため、後者の趣味が色濃く出ていると推測される。「Udta Punjab」の音楽監督も「Dev. D」と同じアミト・トリヴェーディーである。
メインキャストは、シャーヒド・カプール、カリーナー・カプール、アーリヤー・バット、ディルジート・ドーサンジュの4人。シャーヒドとカリーナーはかつて付き合っており、2人の共演は「Jab We Met」(2007年)以来となる。しかしながら、劇中のカップリングはこの2人ではない。すなわち、シャーヒドとアーリヤー、ディルジートとカリーナーである。シャーヒドとカリーナーがスクリーンをシェアすることもなかった。
ストーリーの中心となるのは、シャーヒドが演じるポップスター、トミー・スィンである。トミーはパンジャーブ州パグワーラー出身。幼少時に英国バーミンガムに渡り、そこでドラッグに関する歌を歌って人気を博し、一躍アジアを代表するアンダーグランド・ポップシンガーとなってインドに凱旋した。トミーは「ガブルー」という芸名も名乗っているが、どういう使い分けをしているのかはよく分からない。最近はスランプで悩んでいる。ちなみに、彼の人生は、ヒンディー語映画界でも活躍するポップシンガー、ヨー・ヨー・ハニー・スィンと酷似している。
当然、トミー自身も麻薬にドップリ浸かっていた。トミーの台頭とパンジャーブ州の麻薬問題の深刻化は軌を一にしており、彼の歌が若者たちに麻薬文化を浸透させる一因となっていた。折しも、下院選挙が近づいており、政治家たちは麻薬問題を選挙の争点とし始めた。トミーはソフトターゲットとなり、誕生日に麻薬を使っていた容疑で逮捕される。このとき、警察署の牢屋で、トミーに憧れて麻薬に手を出し中毒となり、母親を殺めてしまった若者たちと出会う。これがトミーのトラウマとなる。
保釈されたトミーは、イメージ回復のために麻薬撲滅コンサートを開催するが、トミーは観客ともめてステージから逃亡する。廃屋の中に身を隠すが、そこで出会ったのがビハール州出身の女性(アーリヤー・バット)であった。劇中で彼女は最後まで名乗らないが、エンディングで冗談で自分の名前を「メリージェーン」と言っていたため、便宜上、メリージェーンと呼ぶことにする。
メリージェーンは元々ビハール州を代表する女子ホッケー選手であったが、父親の死により運命が狂い、今では農業労働者としてパンジャーブ州に流れて来ていた。実際、パンジャーブ州にはビハール州からの出稼ぎ労働者が多く、この設定には現実味がある。また、インドにおいてクリケット以外のスポーツ選手が冷遇されているのは周知の事実で、しかも女子となると、その立場は輪を掛けて弱くなる。このような状況のため、スポーツで食べていける女性というのはインドではほとんどおらず、一家の大黒柱が倒れることで、メリージェーンのように転落するのは全く想像に難くない。ちなみに、インドの女子ホッケーを主題とした映画としては「Chak De! India」(2007年)が有名だ。
また、メリージェーンが働いていたのは、サルホーターという架空の町である。パーキスターンとの国境沿いにある町という設定になっている。
メリージェーンはある晩、畑で用を足していた。インドでは、2014年のモーディー政権樹立以来、トイレの普及が急務とされている。トイレがない、もしくはあっても使用不可の状態であることで、インドでは様々な問題が発生している。特に女性にとっては大きな問題だ。例えば、学校にトイレがないことで、特に女子学生の中退率が高いことが問題視されており、教育に悪影響を及ぼしている。それだけでなく、トイレのない家や地域に住む女性は、他人に見られる確率の低い夜や早朝に用を足さざるを得ず、基本的人権の侵害にまで及んでいる。メリージェーンが夜中に畑にいたのも、こういう理由からであると予想される。
ちょうどメリージェーンが用を足していたそのとき、空から円盤状の包みが落ちてきた。その中には3kgのヘロインが入っていた。メリージェーンはそのヘロインを売り払って大金を手にしようとする。しかし、末端価格は何千万ルピーにもなる大量のヘロインを購入してくれる人など簡単にはいない。そこで、町の廃屋で見つけた麻薬中毒の少年バッリーからヘロインの買い手を教えてもらい、電話を掛ける。待ち合わせ場所を指定され、メリージェーンはそこに出向くが、途中で怖くなって逃げ出し、ヘロインを井戸の中に捨ててしまう。メリージェーンは麻薬マフィアに捕まり、麻薬漬けにされ、性奴隷にされる。ある日、マフィアたちの隙を見て逃げ出し、トミーと出会った廃屋に流れ着いたのだった。
お互い負け犬同士のトミーとメリージェーンは意気投合する。トミーはメリージェーンと出会ったことでスランプを脱し、ひらめきを取り戻す。しかし、メリージェーンは麻薬マフィアに見つかり、連れて行かれてしまう。トミーはメリージェーンを探す旅に出る。
トミーとメリージェーン、この2人の物語とは別に、もうひとつの物語がこの「Udta Punjab」を形作っている。それは、麻薬撲滅のために戦う女医プリート(カリーナー・カプール)と、弟が麻薬中毒者になった警察官サルタージ(ディルジート・ドーサンジュ)である。サルタージの弟の名前はバッリーであり、メリージェーンに麻薬マフィアの連絡先を教えた張本人だ。バッリーはメリージェーンと出会った直後にオーバードーズで入院し、退院後はプリートの診療所で麻薬中毒の治療を受けていた。また、サルタージの従兄ジュジャールも警察官であった。ジュジャールの口利きで彼は警察官になっていた。
サルタージは弟が麻薬中毒になるまでは、従兄のジュジャールと共に、州内の麻薬取引を黙認し、それで小遣いを得ていた、「ごく普通」の警察官であった。しかし、弟の一件があってからは悔い改め、一転して州の麻薬問題を解決しようと動く。その協力者となったのがプリートだった。サルタージは当初、有権者に麻薬を配って票を集めようとする政治家をやり玉に挙げようとするが、プリートは、麻薬の製造者を突き止めて元から絶たないと問題は解決しないと諭す。そこで2人は麻薬密造工場を調査し出す。
テーマがテーマなだけに、麻薬、猥褻、強姦、暴力、殺人など、際どいシーンが多い。しかし、それらを娯楽映画の具として使っていない。もちろん、娯楽映画ではあるのだが、極度に娯楽方面に振らず、パンジャーブ州の麻薬問題に真っ向から立ち向かっており、好感が持てた。現実のインドが直面する難しい問題を取り上げるのに、ドキュメンタリー映画のようなありきたりのフォーマットでお茶を濁すのではなく、娯楽映画のフォーマットを臆することなく導入できるのは、インド映画が他に誇っていい強みだと言える。キチンとスリルやサルペンスがあり、観客の感情を掴んで離さないのと同時に、見終わった観客に問題意識を植え付けることができている。見事な作品であった。
公開前には、中央映画認証局(CBFC)から様々な注文を付けられ、一時は公開が危ぶまれた。曰く、この映画はパンジャーブ州を貶めているとのことで、映画の中から「パンジャーブ」という言葉を削除するよう指示があった。つまりは題名すらも「Udta Punjab」にならない可能性があった。だが、プロデューサーのアヌラーグ・カシヤプは、「これほど正直な映画はない」と一歩も下がらず、粘り強く交渉を重ね、何とか公開までこぎ着けた。他にもかなりの数のカットを要求されたようだが、少なくともIFFJで鑑賞したヴァージョンではかなり際どい台詞が残っていた。これらが残ったということは、一体他にどんなシーンがあったのか、興味が沸く。
演技の面から言えば、まずはアーリヤー・バットが素晴らしかった。ビハール州出身の田舎娘を演じており、スターのオーラを完全に消し去っていた。しかも、誘拐され、麻薬を打たれ、強姦され、散々な目に遭う。このような役柄に、キャリアの上昇期に敢えて挑戦するアーリヤーの度胸には感嘆した。正直言って、途中までこの登場人物を演じているのがアーリヤーだと気づかなかったぐらいだ。2010年代はアーリヤーの時代だと印象づけられた。
トミーを演じたシャーヒド・カプールは、「Kaminey」(2009年)の頃から狂気の演技に定評がある芸達者であり、今回もその得意技を進化させていた。適役だったと言えるだろう。カリーナー・カプールは女医プリート役を落ち着きのある演技でこなしていて、演技力の深みを感じた。また、麻薬に対する言語的な警告のほとんどは彼女の口から発せられていたと言っていい。「麻薬は、使用者のみならず、家族に影響を及ぼす」、「麻薬との戦いは2つある。ひとつはシステムとの戦い。もうひとつは中毒者が戦う中毒との戦い」などなど。ディルジート・ドーサンジュはパンジャービー語映画界で名を成してきた俳優・歌手であり、この「Udta Punjab」がヒンディー語映画デビューとなった。
「Dev. D」の頃から、サイケデリックな音楽はアミト・トリヴェーディーの管轄となっている。トミー・スィンのテーマソング「Chitta Ve」や「Da Da Dasse」など、麻薬についての曲がいくつかある。
言語は基本的にヒンディー語だが、パンジャーブ州が舞台となっていることもあり、パンジャービー語もよく混じる。
「Udta Punjab」は、パンジャーブ州の麻薬問題を敢えて娯楽映画のフォーマットで取り上げた作品。娯楽映画としても充分に楽しめるし、パンジャーブ州が直面している問題の深さにも触れることができる。アーリヤー・バットの捨て身の演技にも注目。2016年の傑作の一本と言えるだろう。