大阪アジアン映画祭でインド映画「Finding Fanny」が公開されると聞き、大阪まで足を延ばした。「Finding Fanny」は2014年9月12日に公開された映画で、英語バージョンとヒンディー語バージョンの2本が作られたようだ。映画祭での公開は英語バージョンの方で、基本的には英語で会話やナレーションが進行するが、台詞の一部や歌詞には、舞台であるゴアの言語、コーンカニー語の他、ヒンディー語やポルトガル語も入る。現地語には英語字幕が入っていた。主人公の名前がポルトガル人っぽかったり、言葉にポルトガル語が入るのは、ゴアが元々ポルトガルの植民地だったからである。なお、本映画祭での邦題は「ファニーを探して」になっていた。扱いは特別招待作品である。
「Finding Fanny」の監督はホーミー・アダジャーニヤー。過去に「Being Cyrus」(2006年)や「Cocktail」(2012年)を成功させている。前者は英語の映画だったが、後者はヒンディー語の映画だった。ただ、「Cocktail」も元々英語映画として企画されていたとされる。アダジャーニヤー監督は基本的に英語映画志向だと言える。
音楽はサチン・ジガル。ミール・ムクティヤール・アリー、ディーヌー、マユール・プリーなどが作詞を担当している。その他、フランス人音楽家のマティアス・ドゥプレッシーが作曲して歌っている「Ding Dong」もある。主演はディーピカー・パードゥコーン、アルジュン・カプール、ナスィールッディーン・シャー、パンカジ・カプール、ディンプル・カパーリヤー、アーナンド・ティワーリー、アンジャリ・パーティール、ランヴィール・スィンなどである。
ゴア州の田舎町ポコリムに住むアンジェリーナ(ディーピカー・パードゥコーン)は若い未亡人だった。6年前、同じ村に住む若者ガボ(ランヴィール・スィン)と結婚式を挙げたが、キスの15分後にガボは喉にケーキの飾りを詰まらせて死んでしまった。アンジェリーナはガボの母親ロザリーナ(ディンプル・カパーリヤー)と共に暮らしていた。ロザリーナの夫は漁師だったが、帰らぬ人となっていた。アンジェリーナにはガボの他にもう一人、サヴィオ・ダ・ガマ(アルジュン・カプール)という幼馴染がいた。サヴィオはアンジェリーナのことを愛していたが、彼女がガボを選んだことで、村を出て行方知らずとなってしまう。ただ、父の死をきっかけに最近になって村に戻って来ていた。 アンジェリーナの家の隣には郵便局員ファーディナンド・ピントー、通称ファーディー(ナスィールッディーン・シャー)が一人で住んでいた。ある日、ファーディーの家に一通の古ぼけた手紙が届く。それは、ファーディーが46年前に愛しの女性ステファニー、通称ファニー(アンジャリ・パーティール)に出したプロポーズの手紙だった。返事がなかったため、ファーディーはてっきり断られたものと考え、今まで悲しみを引きずりながら独身のまま暮らして来たのだった。そもそもプロポーズの手紙が届いていなかったと知って大泣きする。 アンジェリーナは、ファーディーの46年越しの恋を実らせるため、一緒にファニーに会いに行くことを提案する。ちょうどサヴィオが修理していた、父親の古い車があった。ただ、その車は既に、村に住みついた芸術家ドンペドロ(パンカジ・カプール)に売約済みだった。アンジェリーナはドンペドロが作品のインスピレーション源としてアンジェリーナを追い回していることを知っており、彼女を餌にしてドンペドロを引き込むことにする。こうして、ファーディー、アンジェリーナ、ロザリーナ、ドンペドロ、サヴィオの五人がファニーを探して旅に出ることになった。 まずファニーの実家に行ってみたが、そこにはロシア人のウラジミールが住み着いていた。ファニーがティボリに移住したことを聞き出し、五人はそこへ向かうが、途中で道に迷ってしまい、ガソリンも尽きてしまう。五人は野原で野宿することになった。このときに五人の人間関係に変化が訪れる。アンジェリーナは実はサヴィオのことが好きで、彼をこの旅に誘ったのも、サヴィオとの仲直りを狙ってのものだった。二人は野原で交わることになる。一方、ドンペドロはロザリーナをモデルに絵を描き始める。だが、ロザリーナの目に魂が籠っていないと看破し、作品完成後に彼女を捨てる。ロザリーナはまた、ファーディーに、自分の夫が死んだのではなく浮気をしてそのまま帰らなくなってしまったことを知っていながら黙っていてくれたことを感謝する。ただ、ファーディーはそのことをサヴィオに話してしまっていた。また、ファーディーは翌朝ガソリンを買いに行った後、これ以上四人に迷惑を掛けられないと、単身ファニーを探しに出掛ける。 四人はポコリムに帰ろうとするが、途中で車のダッシュボードから銃が出て来る。その銃が暴発してドンペドロの脳天に直撃し、彼は絶命するが、他の三人は気付かなかった。道中でファーディーを見つけ、彼を乗せようとするが、ブレーキが壊れ、坂道だったのでなかなか停まれなかった。そのときの衝撃でドンペドロの遺体は放り出されるが、他の人々はドンペドロが一人で逃げたと思い込む。また、サヴィオは、ファーディーがファニーに出したプロポーズの手紙をファーディーに届けたのは自分だと明かす。父親の遺品を漁っていたら見つけたのだった。 ファーディーを乗せ、車はティボリに着く。そこでファーディーはファニーにそっくりなファニーの娘(アンジャリ・パーティール)と出会う。ところがちょうどそのときファニーの葬式が行われていた。46年振りに見たファニーは太ってしまっており、ファーディーの記憶にある彼女とは全く別物だった。また、ファニーはこの46年間に何回も結婚を繰り返していた。つまり、彼女はファーディーに何の思い入れも持っていなかった。それを聞いてファーディーは落胆する。 結局、この旅の目的は完全には達成できずに終わってしまった。しかし、この旅を通じて、サヴィオとアンジェリーナ、ファーディーとロザリーナという2つのカップルが生まれた。6ヶ月後、この2カップルは同時に教会で結婚式を挙げた。
「Finding Fanny」はいわゆるヒングリッシュ語映画だ。ヒングリッシュ映画とは、インド製英語映画のことで、2002年前後に大流行した。インド映画がマルチプレックスの普及などに伴って中産階級の娯楽として変化しつつあった時代で、英語を流暢に操る彼らのための映画ならば、最初から英語で作っておけば、海外市場にも持って行きやすいとの打算が働いたのだと思われる。だが、興行的に成功を収めたヒングリッシュ映画もいくつかあったものの、やはり大衆の支持なしには大ヒットが望めないことが明らかになって来て、ヒングリッシュ映画は衰退して行った。ただ、絶滅はしておらず、細々と命脈を保っている。一般のヒンディー語映画に英語の台詞が多く混じるようになり、ヒングリッシュ映画との差別化が難しくなって来たことも、ヒングリッシュ映画がジャンルとして衰退した要因だったと考えられる。現在では、わざわざ「ヒングリッシュ映画」と紹介する必要があまりなくなって来ている。
そんな中での「Finding Fanny」であった。この英語バージョンは、かつて隆盛したヒングリッシュ映画の伝統を受け継いでいる。そもそもホーミー・アダジャーニヤー監督のデビュー作「Being Cyrus」もヒングリッシュ映画の代表作である。ヒンディー語バージョンと英語バージョンの2バージョンを作ったために、英語バージョンの方をヒングリッシュ映画寄りに振ることができたのだと推測される。ヒンディー語映画がヒングリッシュ映画化してしまった現在の「ヒングリッシュ映画」の定義としては、通常のインド人の会話ならば現地語がもっと混じるところを、不自然さを了承しながら意図的に英語の台詞に置き換えている部分が多く見られると感じられる映画、でいいのではないかと思う。「Finding Fanny」も、一応多少の現地語台詞が混じるものの、極力英語でストーリーが進行する。それは時に不自然さを伴うものであった。
ただ、全編舞台をゴアとしたことで、その不自然さはかなり解消されていた。ゴアはインドでも特殊な場所で、地元語はコーンカニー語となるが、歴史的な事情やインド有数の観光地であることなどから、英語、ポルトガル語、マラーティー語、カンナダ語、ヒンディー語など、様々な言語が飛び交う地域である。また、長年ポルトガル領だったこともあって、キリスト教が普及しており、州内には多数の教会がある。そんな「インドの中の異国」を舞台としているため、典型的なヒングリッシュ映画であったとしても、不自然さはかなり抑えられている。
言語以外にもゴアという土地の特殊性が活かされている。例えば、「Finding Fanny」では結婚や再婚がかなりカジュアルに扱われている。もし北インドの典型的な田舎町を舞台としたらこうは行かないが、ゴアならば納得できるところがある。ゴアは、インドを舞台にしながら超インド的映画を作ろうと思った際に利用されることが多く、例えば「インド初のゾンビ・コメディー映画」を銘打っている「Go Goa Gone」(2013年)もゴアが舞台であったし、尊厳死問題を扱ったヨーロッパ映画的ヒンディー語映画「Guzaarish」(2010年)もゴアの物語だった。しかしながら、「Finding Fanny」に関しては、あまりにインドらしさを排除しているところがあって、無国籍映画の域に達しているところが、弱点に感じられた。アジア各国から優れた作品が集まる映画祭という環境の中で、この映画がインドを代表していいのか、という疑問を感じずにはいられない。
言語という観点から離れて「Finding Fanny」をジャンル分けしようとすると、おそらく「ロードムービー」という言葉がよく使われることになるだろう。退屈な田舎町ポコリムを飛び出てゴア中をオンボロ車で駆け巡る中盤は正にロードムービーである。アラビア海に面し、ヤシ林が続くゴアの景色は美しい。しかし、皮肉なことに物語が大きく動くのは、ガソリンがなくなって停滞している間の2日間だ。一度動き出した後での停滞だったため、このシーンがとても退屈に感じられた。現在ヒンディー語映画界でロードムービーを撮らせたら一番うまいのはイムティヤーズ・アリー監督だ。彼の「Jab We Met」(2007年)や「Highway」(2014年)などは旅情をよく知る人の映画だと感じる。それに対して「Finding Fanny」からは、旅をしていながら旅を感じなかった。旅が単なる移動に貶められていたとさえ感じる。絶え間ない移動の中で人間関係が刻一刻と変わって行くという構成にすれば、ロードムービーとして評価することが可能だったことだろう。
映画の最後にナレーションで、「命は有限だが愛は無限だ」というような陳腐な言葉があり、それが映画のまとめとされていた節があるが、「Finding Fanny」のメッセージはそうではないと感じた。この旅に参加した五人、もっと正確に言えば(一人は途中で死んでしまうので)四人は、それぞれに悩みを抱えていた。旅の目的は、ファーディーの昔の恋人ファニーを探し出し、彼女に改めてプロポーズするというものだった。他の参加者はファーディーを助けるために車に同乗していた。だが、結局この旅で助けられたのは自分たちだった。アンジェリーナはサヴィオを愛していながらガボと結婚した過去の選択の是非を反芻しており、サヴィオと結婚して新生活を再スタートする夢を心に秘めながら旅に参加していた。サヴィオもアンジェリーナのことが気になっており、村を出奔したのも彼女がガボと結婚してしまったからが、彼はムンバイーで成功していると吹聴しながら実はしがないウェイターであることを隠しており、その劣等感がアンジェリーナとの関係修復に踏み切れない原因となっていた。ロザリーナは村の全てを取り仕切る傑女だったが、夫に捨てられたというトラウマを密かに抱えていた。漁師だった夫は航海中に死んだということにしていたが、ファーディーだけはその嘘を知っていた。ファーディーを助けるはずだったこの旅の中で、三人はそれぞれ自分のトラウマや悩みを自分で克服し、新たな一歩を踏み出すことになる。「情けは人の為ならず」という格言があるが、正に人助けは自分を助けるものなのだ。自分を救えていないのにやたらと他人を救おうとする人が世の中には多くないだろうか。映画の最後、夕焼けが美しい海岸でファニーは葬られるが、そこで葬られたのは、むしろ各人の過去だったと言える。
一般の娯楽映画でなく、スター・システムが働いていなかったためか、「Finding Fanny」はディーピカー・パードゥコーンの生の姿が見られる映画となっている。主に五人の登場人物がいるが、ナレーションも務める彼女が主人公と言っていいだろう。ゴアの解放的な風土を反映しているのか、メイクやファッションもカジュアルで、演技も自然体だ。それ故にか、今までの彼女の出演作では見られなかったような艶めかしさが出ている。アルジュン・カプールとの濡れ場もあり、大胆に背中を晒しているシーンもあった。彼女ももうすぐ30歳を迎える。女優としてはキャリア転換の重要な時期に入るが、「Finding Fanny」のような演技ができると証明したことで、今後10年間のさらなる活躍が布告されたと言っていい。
ナスィールッディーン・シャー、パンカジ・カプール、ディンプル・カパーリヤーは既に確立した演技派俳優であり、今回も巧みにそれぞれの役を演じ切っていた。アルジュン・カプールも悪くなかったし、カメオ出演となるランヴィール・スィンも一瞬だけだがいい味を出していた。
驚くべきことに、「Finding Fanny」はインド本国で興行的にまずまずの成績を収めたらしい。英語とヒンディー語、どちらのバージョンがどれだけの興行成績を上げたかで観客層もある程度計れると思うが、残念ながらそのようなデータはなかった。このようなブラックユーモア溢れる大人の映画がインドで一定の観客層を獲得するというのは、時々あることではあるが、驚かざるを得ない。果たしてディーピカーがいたから受けたのであろうか、もっと言えばディーピカーの濡れ場があったためであろうか、はたまたインド人観客の成熟を示しているのであろうか。しかしながら、この映画が大阪アジアン映画祭の上映作品に選ばれたことが一番の驚きだ。インド本国でもこの映画のヒットの原因が不思議がられてあれこれ分析されている中で、わざわざこれをインドからの作品として選ぶのは、変化球を狙いすぎではなかろうか。多くの娯楽映画がひしめくなかで「Finding Fanny」のような作品もあるというのは意味のあることだと思うが、これだけがインドという国の看板を背負うのにはインド関係者としては躊躇を感じる。そんな微妙な映画だった。