21世紀のヒンディー語映画に大きな変化が見られた要因はいくつかあるのだが、その内のひとつは、北インド、特にデリー出身の映画監督が増えたことだと考えている。「デリー出身」と言うのは、文字通りデリーで生まれた者に加えて、デリーで教育を受けた者も指す。僕は勝手にこれらの監督を「デリー派」と呼んで一括りにしている。アヌラーグ・カシヤプを筆頭に、ヴィシャール・バールドワージ、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー、ディバーカル・バナルジー、イムティヤーズ・アリーなどがデリー派監督である。正に、現在のヒンディー語映画界において、質と斬新さの面でトップを走る監督ばかりである。従来のムンバイー出身の映画監督と比べて何が違うかと言えば、まず第一にヒンディー語の機微をよく理解していることであり、第二にヒンディー語が実際に話されている北インドの事情・人情・感情をよく把握していることである。結果、彼らの作り出す映画にはリアリティーがあり、「真のヒンディー語映画」となっている。
上記の監督たち――2000年代に監督デビュー――をデリー派監督第1世代だとすると、2010年代に監督デビューを果たした第2世代のデリー派監督が登場し始めており、楽しみな限りである。その中でも先陣を切っているのが、新感覚のロマンス映画「Band Baaja Baaraat」(2010年)で監督デビューしたマニーシュ・シャルマーである。デリーで生まれ、デリーで教育を受けた、正真正銘のデリー派監督だ。彼の第2作「Shuddh Desi Romance」は2013年9月6日に公開された。
「Shuddh Desi Romance」の音楽はサチン・ジガル。「Chak De! India」(2007年)で有名な脚本家ジャイディープ・サーニーが脚本と作詞を担当。キャストはスシャーント・スィン・ラージプート、パリニーティ・チョープラー、ヴァーニー・カプール、リシ・カプールなど。リシ・カプールを除くと、若手俳優ばかりである。この中ではヒロインのパリニーティ・チョープラーが最も名を知られている。プリヤンカー・チョープラーの従姉妹であり、「Ishaqzaade」(2012年)での演技は高い評価を受けた。スシャーント・スィン・ラージプートは「Kai Po Che」(2013年)でデビューした男優。ヴァーニー・カプールは元々テレビ女優で、本作が映画デビュー作となる。題名の「Shuddh Desi Romance」を訳すと「純国産恋愛物語」となる。
ジャイプル在住のラグ(スシャーント・スィン・ラージプート)は天涯孤独の身で、親代わりの結婚式業者ゴーエル・サーブ(リシ・カプール)の下で有料バーラーティー(結婚式パレードで踊る人)や観光ガイドをして生計を立てていた。あるときラグはお見合い結婚でターラー(ヴァーニー・カプール)と結婚することになる。だが、ラグは、自分の結婚式でゴーエル・サーブにレンタル・バーラーティーとして雇われた女の子ガーヤトリー(パリニーティ・チョープラー)と出会い、何かを感じる。ガーヤトリーはヘビースモーカーで、過去の男性関係を包み隠さない、サバサバした女の子であった。ラグは新郎新婦が花輪を掛け合う儀式の最中にトイレへ行くと言ったまま逃げ出してしまう。 その後、ラグは偶然ガーヤトリーと再会する。ラグはガーヤトリーを必死で口説き、彼女の家まで付いて行って、そのまま同棲し始める。ガーヤトリーは過去、彼氏に何度も振られており、トラウマを抱えていたが、ラグはストレートに心をぶつけ、彼女の心を開く。2人はとうとう結婚することになる。 ところがラグとガーヤトリーの結婚式で、今度はガーヤトリーが逃げ出してしまう。そのまま彼女は行方不明となる。傷心のラグは、ゴーエル・サーブに連れられてまたレンタル・バーラーティーの仕事をする。そこで偶然ターラーと再会する。彼女は新婦の親戚であった。ラグはターラーから電話番号を受け取り、ジャイプルで彼女と会う。そこでターラーからの申し出があり、二人は付き合うことになる。 ターラーは話してみるとクールで魅力的な女性だった。ラグはターラーとの結婚を考え始めていた。ところがとある結婚式で彼はガーヤトリーと再会し、ガーヤトリーへの思いが再燃してしまう。ターラーはラグとガーヤトリーが相思相愛であることを見抜き、自ら身を引く。こうして再びラグとガーヤトリーは結婚することになるが、今度は二人とも式場から逃げ出す。そして、かつて同棲していた家で、また同棲を始めた。
ヒンディー語恋愛映画の発展史において非常に重要な位置付けの映画である。21世紀、ヒンディー語恋愛映画は、結婚の神聖性をいかに打破するかを試行錯誤して来たと言っていい。インドの恋愛映画のお決まりのパターンは、男女が出会い、何らかの障害を乗り越え、最後に結婚するというもので、その際は結婚の神聖性はほとんど問題にならない。だが、結婚後のロマンスを描こうとすると、途端に不倫や離婚をストーリーに組み込むか否か、組み込むとしたら肯定的に描くか否定的に描くかが問題となって来る。インドのフィルムメーカーたちが自粛して来たのか、それともインド人観客が保守的なのか、不倫や離婚を肯定的に描いた作品はメインストリーム映画ではかつて稀であった。「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)が結婚、不倫、離婚、そして不倫カップルの再婚でエンディングを迎える大人のロマンスに挑戦したが、インド国内では酷評を浴びた。だが、「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)、「Love Aaj Kal」(2009年)、「Rockstar」(2011年)、「Ek Main Aur Ekk Tu」(2012年)、「Cocktail」(2012年)などを経て、不倫や離婚が容認されるようになって来た。言い換えれば、結婚の神聖性がかなりの程度まで浸食され、恋愛映画に自由が生まれて来た。
「Shuddh Desi Romance」では、遂に結婚そのものに疑問が呈されることとなった。お見合い結婚に対する批判ではない。恋愛結婚を含む、結婚そのものに対する懐疑である。そもそも結婚は必要なのか、ということが何度も問い掛けられるのだ。
まずは男女の同棲が出て来る。ヒンディー語映画において同棲関係が出て来るのは何も新しいことではない。「Salaam Namaste」(2005年)や「Cocktail」などで既に同棲が登場しており、もはや物議を醸さなくなっている。さらに劇中、何度も結婚式当日の逃亡劇が描かれる。ラグはターラーとの結婚式で逃亡し、ガーヤトリーはラグとの結婚式で逃亡し、最後にラグとガーヤトリーは自分たちの2度目の結婚式で同時に逃亡する。そして最後にラグとガーヤトリーは結婚せずに同棲するのが一番楽だと結論付け、元通り同棲生活を始めるのである。お互い気が向いたらそのときに結婚すればいい、という態度だ。これは正にヨーロッパの結婚観である。この物語に「純国産恋愛物語」という題名を付けたのは皮肉であろうか。
婚前交渉についても、もはやわざわざ言及するのが野暮なほど、自然になってしまった。「Shuddh Desi Romance」にはヒロインが2人出て来るが、ヒーローのラグは、2人のヒロインと婚前交渉をする。しかも、かなり熱烈なキスシーンもそれぞれ用意されている。そういえばマニーシュ・シャルマー監督の前作「Band Baaja Baaraat」でも、長いキスシーンとそれに続くベッドシーンがあった。彼はこれまで恋愛映画を2作続けて作っているが、どちらにもキスシーンとベッドシーンを盛り込んでおり、そういうのが好きな監督のように思われる。「インド映画はキスが御法度」などと日本でよく紹介されるが、イメージだけでそういうことを安易に公言する人々には、マニーシュ・シャルマー監督のこの2作を観てもらうべきであろう。
インドの恋愛映画は結婚を中心に展開することが多いが、マニーシュ・シャルマー監督は前作に引き続き、結婚式業者(西洋風に言うならばウェディングプランナー)を取り上げており、注目に値する。「Band Baaja Baaraat」では主人公が結婚式業者であったが、本作では結婚式業者の下でバイトをする男女が主人公となっている。どんな仕事をしているのかと言えば、雇われバーラーティーである。インドの結婚式では、新郎が新婦の家または新婦側会場に馬や自動車などの乗り物に乗ってパレードをしながら向かう過程があり、その行為やその一団をバーラートと呼んでいる。そのバーラートで、新郎の結婚を祝って踊る人々をバーラーティーと言う。結婚式に踊ってくれるバーラーティーがいないのは不名誉と受け止められる。友達がいない、ということもあると思うが、駆け落ち結婚など、訳ありの結婚の場合も、バーラーティーが集まりにくい。そういうときのために、有料でバーラーティーをする人々がいるというのが、「Shuddh Desi Romance」の主張であり、それは全くの出鱈目ではなかろう。インドでは必要なところに必要な人やサービスがあるもので、例えば結婚登記所では、婚姻の登記のために3人の証人が必要なのだが、駆け落ち結婚をするカップルのために、有料で証人になってくれる人がたむろしているというのが「Ahista Ahista」(2006年)で描かれていた。結婚式の過程を延々と追った映画は、「Hum Aapke Hain Koun..!」(1994年)や「Monsoon Wedding」(2001年)などいくつかあるが、結婚産業の周辺部を洗い出す監督または脚本家の視点はユニークで勉強になる。
映画の舞台は多少移動するが、ラージャスターン州内で収められており、主なステージは州都ジャイプルである。これがまた意外に新鮮であった。ジャイプルを舞台にした映画は他にあまり思い付かない。アーメール城、ジャルマハル、ハワーマハル、ネヘルガル城塞など、ジャイプルの観光地をふんだんに使っていただけでなく、何の変哲もない街角の風景もしっかりと映しており、地域性がよく出ていた。台詞にもジャイプルの方言や言い回しが再現されていたと思われ、聴き取りは困難であるが、とてもリアルだった。ジャイプルの他にはジョードプルがロケで使われていたし、地名だけならコーターやアジメールも出て来た。徹底的にラージャスターン州にこだわった映画だ。
パリニーティ・チョープラーの演技は素晴らしかったし、新人のヴァーニー・カプールも良かった。スシャーント・スィン・ラージプートもいい俳優だ。監督や俳優を含めて、この映画に関わる全ての人々の将来が本当に楽しみだ。「Shuddh Desi Romance」は、2013年の必見映画の一本に数えられることだろう。