アーディワースィー(原住民)と呼ばれる部族が多く住むインドの森林地帯では、ナクサライト(インド共産党毛沢東主義派)と呼ばれる極左武装組織と警察・武装部隊との間の戦いが熾烈化しており、インドの大きな内憂となっている。インド政府はナクサライトを非合法組織に認定し根絶を目指しているが、なかなかナクサライトを鎮圧できずにいる。その大きな理由が、ナクサライトの主張にも一理あるからであろう。部族が住む森林地帯は鉱物資源豊かな土地で、経済の急成長に伴ってインド政府はそれらを開発し、国の発展に役立てようとしている。その前にそこに住む部族民たちを移住させなければならないのだが、先祖代々住んで来て生活と一体化している土地を彼らがやすやすと明け渡すはずがない。移住プランや雇用プランなどを提示するものの、それらの多くは決して守られることのない約束で、だまし討ちに近い形で無力な部族民たちから土地を奪い取っているとされる。そのような方法が長続きするはずがない。次第に部族民たちからも反発が出る。すると、資源確保を急ぐ政府側は力尽くで部族を押さえ付けようとする。民主主義のシステムも部族には開かれていない。そうなると、自分たちの生活を守るには武装蜂起しか道が残されていない。それが部族民の間でナクサライト運動への支持へとつながっている。言わばナクサライトは不公平な発展の反作用として生まれた運動だ。
ナクサライト運動は近年になっていくつかの映画のテーマにもなって来ている。スニール・シェッティー主演の「Red Alert」(2010年)は典型的なナクサライト映画だ。マニ・ラトナム監督の「Raavan」(2010年)も部分的にナクサライト運動から着想を得ていると考えられる。だが、本日(2012年10月24日)公開のプラカーシュ・ジャー監督新作映画「Chakravyuh」ほど大規模にかつストレートにナクサライト運動を扱った映画は今までなかったと言える。
プラカーシュ・ジャー監督は、ソリッドな政治劇を作る映画監督として知られる。「Gangajal」(2003年)、「Apaharan」(2005年)、「Raajneeti」(2010年)、「Aarakshan」(2011年)など、ハードボイルドな作品を作り続けており、映画界では一目置かれた存在である。そのプラカーシュ・ジャー監督がナクサライト問題を取り扱った映画を作ったということで、期待しない方がおかしい。
題名となっている「チャクラヴュー」とは、古代インド兵法の陣形のひとつで、日本語にすると「円陣」になる。「マハーバーラタ」において、戦争13日目、カウラヴァ軍の将軍ドローナーチャーリヤが組んだ最強の陣形がチャクラヴューであった。この陣形の破り方を完全に把握しているのはクリシュナ、その息子プラデュムナ、そしてアルジュンのみであったが、アルジュンの息子アビマンニュは胎児のときに耳にした記憶から部分的にそれを知っていた。そのとき現場にはアビマンニュしかいなかったため、彼がチャクラヴューに立ち向かうことになった。ところが、アビマンニュはこの円陣の中に入る方法は知っていたが、出る方法は知らなかった。アビマンニュは一人で敵の円陣の中に突撃することになり、孤軍奮闘の後に殺されてしまう。ここでは、「解決不可能な難題」ぐらいに捉えてもいいだろう。
ちなみに、本日はダシャハラー祭である関係で、水曜日封切りという変則的なスケジュールとなっている。
監督:プラカーシュ・ジャー
制作:プラカーシュ・ジャー
音楽:サリーム・スライマーン、ヴィジャイ・ヴァルマー、サンデーシュ・シャーンディリヤー、シャンタヌ・モイトラ、アーデーシュ・シュリーワースタヴ
歌詞:トゥラーズ、イルシャード・カーミル、アーシーシュ・サーフー、パンチー・ジャローンヴィー
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ
衣装:プリヤンカー・ムンダーダー
出演:アバイ・デーオール、アルジュン・ラームパール、マノージ・パージペーイー、イーシャー・グプター、アンジャリー・パーティール、オーム・プリー、カビール・ベーディー、ムラリー・シャルマー、チェータン・パンディト、サミーラー・レッディー(特別出演)
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞。
マディヤ・プラデーシュ州の警察官僚アーディル・カーン(アルジュン・ラームパール)は、州都ボーパールでナクサライトのイデオローグ、ゴーヴィンド・スーリヤヴァンシー(オーム・プリー)を逮捕する。ゴーヴィンドは過去30年間地下に潜り、ナクサライト運動を率いて来た。 一方、ナクサライトの影響下にあるナンディーグラームでは、ナクサライトによる奇襲によって84名の警察官が殺されるという事件が発生する。アーディルは妻で同期警察官僚のリヤー(イーシャー・グプター)に相談せず、ナンディーグラームへの配属を志願する。 ナンディーグラームでは特に3名のナクサライトリーダーが武装勢力を率いていた。トップリーダーのラージャン(マノージ・パージペーイー)、資金調達担当のナーガー(ムラリー・シャルマー)、そして女性リーダーのジューヒー(アンジャリー・パーティール)であった。彼らが目の敵にしていたのが実業家マハーンター氏(カビール・ベーディー)が経営するマハーンター社のナンディーグラーム開発計画であった。州政府は何とかナクサライトを一掃し、マハーンター社の投資をナンディーグラームに引き留めようと努力している最中だった。 アーディルはナンディーグラーム配属後、早速村々を巡って村人たちの信頼を回復しようとする。だが、ナクサライトはすぐに反撃に出る。アーディルは誤った情報に踊らされてナクサライトの奇襲を受け、負傷してしまう。 そのとき、ナンディーグラームまでアーディルを訪ねてやって来た男がいた。親友のカビール(アバイ・デーオール)である。カビールはアーディルやリヤーと共に警察学校に入ったが、教官と諍いを起こして中退してしまった。つい最近、同窓会でアーディルはカビールと再会していた。この間、カビールは様々な職を経た後に携帯電話製造のビジネスに手を出したが、事業は失敗し、借金だけが残った。カビールはアーディルが負傷したことを聞き、お見舞いにやって来たのだった。 アーディルの話を聞き、カビールは、ナクサライトに立ち向かうためには正確な情報源が必要であることを痛感する。そこでカビールは、自分がナクサライトに潜入し、情報を送り続けることを提案する。アーディルはカビールを逮捕してから脱走させ、うまくナクサライトに潜り込ませる。カビールが内偵であることを知っているのはアーディルのみだった。 カビールは徐々にナクサライトから信頼を勝ち取る。彼の電波の知識が大いに役立ち、ジューヒーやラージャンに重用される。一方、カビールのタレコミにより、アーディルはナクサライトの手に渡る寸前だった大量の銃器を奪取することに成功する。また、ゴーヴィンドの移送中にナクサライトの襲撃を受けるが、カビールの暗躍によって負傷したラージャンを逮捕する。ただ、このときゴーヴィンドには逃げられてしまう。ゴーヴィンドはカビールに「アーザード」という新しい名前を与える。 ラージャンの逮捕により、ナクサライト運動は一時勢力をそがれる。マハーンター社はそれをいいことに、プロジェクト上邪魔になる村々の取り壊しに着手する。アーディルはそれに反対するが、州政府からのお墨付きを受けているため、この暴力は止まりそうになかった。また、カビールはその様子を見てナクサライトに同情するようになる。 また、カビールはジューヒーに好意を寄せるようになっていた。しかしジューヒーは警察の襲撃を受けて捕まってしまう。村の子供たちを救うために自ら投降したのだった。しかし警察はジューヒーを連行しレイプする。カビールはジューヒーを救い出し、警察を皆殺しにする。そしてアーディルに対し、ナクサライトへの弾圧を止めるように忠告する。アーディルはそれを拒否する。この事件により、ラージャンの後継者として「アーザード」の名前は警察に知れ渡る。 このときまでにナンディーグラームにリヤーも配属されて来ていた。リヤーは衛星を使って森林を監視する中で、ナクサライトの中にカビールがいるのを発見し、アーディルに問い質す。アーディルは、自分がカビールをナクサライトの中に潜入させたが、カビールはいつの間にかナクサライトの仲間になってしまったことを明かす。 今や完全にナクサライトのリーダーとなったカビールは、マハーンター社を襲撃し、社長の息子アーディティヤを誘拐する。交換条件としてラージャンの釈放を要求する。州政府はその要求を呑み、ラージャンを解放する。しかし、警察はラージャンの体内に発信器を仕込む。また、アーディルはわざと自分とカビールが旧知の仲である情報を新聞社に漏らす。とうとうナクサライトの仲間たちに、アーディルの内偵だったことが知れてしまう。カビールは人民裁判に掛けられる。 しかしそのとき警察の急襲がある。カビールは銃を取って警察と戦う。だが、警察が自分たちの動きを手に取るように察知していることに気付く。カビールはラージャンの体内に仕込まれた発信器を見つけ、一人それを持って別方向へ走って警察をおびき寄せる。カビールは一人で警察の集団と戦おうとするが、そこへジューヒーをはじめナクサライトの仲間が救援に駆けつける。銃撃戦の中でカビールは足を負傷し、ジューヒーも胸を撃たれる。カビールはジューヒーを連れて逃げるが、アーディルに追いつかれてしまう。ジューヒーの死を看取ったカビールは反撃しようとするが、アーディルの裏で銃を構えていたリヤーに撃たれて絶命してしまう。
プラカーシュ・ジャー監督らしいハードボイルドなドラマであった。ナクサライト問題に対する視点は、間違いなくナクサライトへの同情が強く、インド政府への批判色が濃かった。ナクサライトの主張やインド政府との戦いの大義など、娯楽映画のフォーマットの中で、とても分かりやすく説明されていたと思う。ただ、ナクサライト問題の解決法を具体的に提示する種類の映画ではなかった。あくまで、彼らがなぜ何のために戦っているのか、それを提示することに重きが置かれていたと言えよう。
映画のメッセージは、エンディングに流れるナレーションに集約されている。急速に発展するインドの中で、同じくらい急速に取り残されて行く人々をどうするのか。彼らを犠牲にしてインドはさらなる発展の道を歩んで行っていいのか。そんな疑問が観客に投げ掛けられていた。とても難しい問題だ。正にチャクラヴューである。
大まかなプロットは、敵の中に潜入した主人公がその敵の一味になってしまうと言う、非常にオーソドックスなものだ。「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)や「アバター」(2009年)など、ハリウッドでも散々使われて来た筋書きだ。だが、その「敵」側の主張に焦点を当てるのには完成された方程式であり、ナクサライト運動を題材としたこの「Chakravyuh」でもうまくはまっていた。
ただ、カビールとジューヒーの間に恋愛感情を持ち込んだことで、多少カビールの心変わりに複雑さが生じていた。果たしてカビールはナクサライトのイデオロギーに賛同してアーディルと絶縁したのか、それともジューヒーへの恋慕の情がそれよりも大きな動機となったのか、その辺りは深く追求されることはなかった。しかし、エンディングを見る限り、カビールのジューヒーに対する感情は決して小さくなかったと言える。
この映画の大きな弱点は銃撃戦シーンだ。プラカーシュ・ジャー監督は戦争シーンがあまり得意でないと見えて、警察とナクサライトの銃撃戦は、単に突っ立って撃ち合うだけという、非常に単調なものだった。もっと緊迫感ある戦いを見たかった。
劇中のいくつかの事件は、実際に起こったナクサライト絡みの事件と思わせるものだった。例えば冒頭、84名の警察官が殺される事件は、チャッティースガル州ダンテーワーラー県で2010年4月に中央予備警察部隊(CRPF)がナクサライトの奇襲を受け、76名が殉死した事件がベースとなっていると思われる。マディヤ・プラデーシュ州が舞台となっていたが、多くは西ベンガル州、ジャールカンド州、チャッティースガル州で起こった事件を参考にしている。
アバイ・デーオール、マノージ・バージペーイー、オーム・プリーなど、演技派俳優が揃っており、彼らの演技は素晴らしかった。「演技派」とは呼ばれることの少ないアルジュン・ラームパールも、彼らに負けない熱演をしていた。キャリアベストの演技と言っていいだろう。だが、おそらくもっとも注目を浴びるべきなのは、ジューヒーを演じたアンジャリー・パーティールであろう。「Delhi in a Day」(2012年)でデビューしたばかりの新人女優であるが、国立演劇学校(NSD)出身なだけあって、演技力はずば抜けている。「Delhi in a Day」でもいい演技をしていたが、この「Chakravyuh」で全国的な知名度を獲得することだろう。楽しみな女優が出て来たものだ。それに比べたらイーシャー・グプターは飾りのようなものだった。「Jannat 2」(2012年)、「Raaz 3」(2012年)と、ヒット映画に出演して来ているが、本人の実力はまだ未熟だ。
音楽はサリーム・スライマーンをはじめとした複数の音楽監督による合作。「Mehangai」はヴィジャイ・ヴァルマー、「Kunda Kol」はサンデーシュ・シャーンディリヤー、「Aiyo Piyaji」はシャーンタヌ・モーイトラ、「Paro」はアーデーシュ・シュリーワースタヴなどとなっている。もっとも話題になっているのはカイラーシュ・ケールが歌う「Mehangai」だ。「Peepli Live」(2010年)の「Mehngai Dayain」と似たインフレ風刺曲で、単品で魅力的な歌なのだが、その歌詞が問題となった。ビルラー、ターター、アンバーニー(リライアンス)、バーター(靴メーカー)など、実在の企業名を歌詞に入れてしまっているからだ。結局裁判所の判断でそのまま使用することが可能となったが、映画の冒頭や曲使用時に「実在の企業とは無関係」と言った注意書きが入っていた。
大部分のロケはマディヤ・プラデーシュ州で行われたようだ。プラカーシュ・ジャー監督の映画はマディヤ・プラデーシュ州で撮影されることが多く、「Raajneeti」もボーパールなどでロケが行われていた。
劇中でナクサライトたちがしゃべる言語は、チャッティースガリー方言のテイストを混ぜた、架空のヒンディー語方言と言った感じだ。標準ヒンディー語からは離れているので、聴き取りは困難な部類となる。
「Chakravyuh」はプラカーシュ・ジャー監督渾身のドラマ映画。ナクサライトというインドの内憂をナクサライト寄りの視点から浮き彫りにし、貧しい人々を搾取し犠牲にする「発展」に疑問を呈している。純粋に娯楽映画として観てもよく出来ており、今年必見の映画の一本に数えられる。