Red Alert

2.5
Red Alert
「Red Alert」

 インドのナクサライト問題はますます深刻になっている。ナクサライトとは、権力者による搾取によって苦しめられ続けて来た最底辺の人々の救済を大義名分に武力による政府転覆を狙う極左の反政府ゲリラ組織である。その歴史は1967年西ベンガル州ナクサルバーリーで起こった、地主階級に対する小作人の反乱まで遡るが、越境テロに代表される「外憂」に対する「内憂」としてクローズアップされて来たのはここ数年のことである。2010年4月にチャッティースガル州において中央予備警察部隊(CRPF)がナクサライトの奇襲を受け、76人が殺害された事件が記憶に新しいが、それ以降も線路破壊や警察署襲撃など、ナクサライトによる様々な事件が発生しており、政府側は窮地に立たされている。特にナクサライトに浸食されているジャールカンド州、西ベンガル州、チャッティースガル州、オリッサ州の4州が合同でナクサライトに立ち向かう機構の立ち上げが行われたのはつい最近のことである。

 2010年7月9日公開の「Red Alert」は、ナクサライト問題をテーマにした社会派映画である。実話をベースにしており、シュトゥットガルト映画祭やニューヨーク南アジア国際映画祭などで受賞している。娯楽映画俳優のイメージが強いスニール・シェッティーとサミーラー・レッディーが主演しているのも注目である。監督は「Dil Vil Pyar Vyar」(2002年)や「Aksar」(2006年)のアナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン。

監督:アナント・ナーラーヤン・マハーデーヴァン
制作:ラーフル・アガルワール、TPアガルワール
音楽:ラリト・パンディト
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
衣装:シャーヤル・シェート、ナヴィーン・シェッティー
出演:スニール・シェッティー、サミーラー・レッディー、バーギヤシュリー、アーイシャー・ダールカル、スィーマー・ビシュワース、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、マクランド・デーシュパーンデー、スニール・スィナー、エヘサーン・カーン、グルシャン・グローヴァー、ナスィールッディーン・シャー(特別出演)、ヴィノード・カンナー(特別出演)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 アーンドラ・プラデーシュ州の片田舎で、2人の子供と妻を養うために弁当屋をしていた貧しい土地なし農民ナラスィンハ(スニール・シェッティー)は、ヴェールー(アーシーシュ・ヴィディヤールティー)率いるナクサライトの一団に捕まってしまい、そのままナクサライトのために働くことになってしまう。最初は子供の教育費を稼ぐためだったが、徐々にナクサライトが貧しい人々の救済のために戦っていることを理解し、銃を持って訓練に参加し出す。

 あるときナクサライトは、武器強奪のために警察署を襲撃した。そこで、警察官による暴行を受けていたラクシュミー(サミーラー・レッディー)という若い女性を見つける。ナラスィンハと同様にラクシュミーもナクサライトのキャンプに連行され、仲間に入れさせられる。ナラスィンハがラクシュミーの面倒を見たこともあり、二人は何となく心を通い合わせるようになる。

 大臣襲撃が警官の待ち伏せによって失敗に終わったことで、ヴェールーは内部に内通者がいることを疑う。ラクシュミーの活躍により内通者は発見されたが、その処刑の役はナラスィンハに任された。ナラスィンハは処刑を執行し、初めて殺人をするが、同時にナクサライトの戦いに疑問を抱くようにもなる。

 鉄鉱山の開発にやって来た外国人資本家らがナクサライトに誘拐されたことで、州政府もナクサライト撲滅に本腰を入れるようになる。ラートール警視副総監(グルシャン・グローヴァー)の指揮の下、警察は次々にナクサライト地域の村々を襲う。ナクサライト側も黙ってはいなかった。学校に運び込まれた武器を強奪するために部隊が送られる。その中にはナラスィンハも含まれていた。ナラスィンハは必死で子供たちを守るが、1人の子供に銃弾が当たって死んでしまう。2人の子供の父だったナラスィンハは我が子を殺したかのような罪悪感に苛まれるようになり、リーダーのヴェールーに対し、ナクサライト脱退を申し出る。ヴェールーはナラスィンハを殺そうとするが、咄嗟にナラスィンハは反撃し、ヴェールーを殺してしまう。

 キャンプは突然の銃声によって騒然となる。いち早く異変に気付いたラクシュミーは、ナラスィンハを逃がし、自分がヴェールー殺しの罪を着る。ナラスィンハはナクサライトのジープを奪って逃走する。だが、今や警察にもナクサライトにも追われる身となってしまったナラスィンハは行き場がなかった。そのときふとポケットから、ジャーナリストのラーガヴァン(マクランド・デーシュパーンデー)の名刺が出て来る。ヴェールーのテントで咄嗟に逃走資金のために紙幣をポケットにねじ込んだときに一緒に入って来たものだった。ラーガヴァンは以前、ナクサライトのキャンプを取材に訪れており、面識があった。ナラスィンハはラーガヴァンに連絡を取り、とりあえず妻と子供を預かってもらうことにする。

 ナラスィンハはラーガヴァンと相談した結果、警察にナクサライトの情報を提供することにする。ラートール警視副総監や州政府内相は、ナラスィンハを使ってナクサライトの大本締めであるクリシュナラーオ(ヴィノード・カンナー)を捕まえることを決め、ナラスィンハと協力する。まずはナラスィンハが滞在していたキャンプを襲撃し、ナクサライトを一網打尽にする。その後、ナラスィンハをクリシュナラーオの隠れ家に潜入させる。

 クリシュナラーオは単身潜入して来たナラスィンハに対し、もう一度チャンスをくれればナクサリズムとは別の道から貧者救済を模索することを約束する。ナラスィンハはそれを信じ、クリシュナラーオを逃がす。同時に、現場にあった警官の死体をクリシュナラーオと偽装し、火を付けて身元確認を困難にさせる。ラートール警視副総監もラーガヴァンも、クリシュナラーオの死を疑わなかった。

 数年後、妻子と共に幸せな家庭を築いていたナラスィンハは、テレビにクリシュナラーオが出演しているのを見る。彼は企業家として貧者救済を行っていた。

 ナクサライトを主題にする場合、政府側とナクサライト側のどちらに同情をするかで、全く違ったメッセージの映画になって来る。先日公開された「Raavan」(2010年)は、はっきりとは描写はされていないものの、ナクサライト側への同情からストーリーが構築されていたと言える。だが、「Red Alert」は、ナクサライトの大義名分に一定の理解を示しながらも、ナクサライトの戦いによって殺される人々は、権力側の人もナクサライト側の人も、結局は一般庶民であること、そしてナクサライトによる武力闘争の行く先には何もない、と訴える内容となっており、そういう意味では反ナクサライト映画と分類することが出来るだろう。エンディングで、ナクサライトの思想的リーダーだったクリシュナラーオが、ナクサリズムの道を捨て、企業家として貧者救済を行うところが描かれていたが、これはどこかインドの大手IT企業インフォシスの創始者ナーラーヤン・ムールティの起業物語を想起させる。ナーラーヤン・ムールティはかつて社会主義に傾倒していたが、富の再分配は誰かが富を生産しなければ起こりえないことに気付き、インフォシスを起業したというのは有名な逸話である。

 ただ、主人公ナラスィンハが、ナクサライトのリーダー、ヴェールーを殺してしまったことで、どうしようもなくなって警察のナクサライト撲滅作戦に協力することになり、彼の情報によって、かつてナラスィンハの仲間だったナクサライトたちが皆殺しにされてしまうエンディングは決して後味の良いものではなく、このようにサラリと流してしまってよいものかと疑問に思った。脚本、撮影、編集などを総合した映画としての出来自体も、並か並以下ぐらいのレベルであった。

 しかし、主演のスニール・シェッティーは、今までの豪気なイメージを覆す繊細な演技をしており、南アジア国際映画祭で主演男優賞を受賞したのも頷ける。サミーラー・レッディーも、グラマラスなイメージが付きまとっていたのだが、今回はスッピンの飾らない演技が光っていた。他にもアーシーシュ・ヴィディヤールティー、スィーマー・ビシュワース、アーイシャー・ダールカルなど、演技派俳優揃いで、重厚なドラマとなっていた。ナスィールッディーン・シャーとヴィノード・カンナーの特別出演もいいアクセントとなっていた。特にナスィールッディーン・シャーの役(ナラスィンハの旧友)はストーリーとは直接関係なかったが、そのヨッパライ演技は緊張感溢れるストーリーの中の息抜きとなっていた。

 ダンスシーンは入らないが、一応歌付きのBGMが何曲か挿入される。音楽監督はラリト・パンディトである。しかし特に優れた曲でもなく、映画に必要不可欠という訳でもなかった。

 言語はヒンディー語のデカン高原方言と言えるダッキニー語である。ダッキニー語はアーンドラ・プラデーシュ州の州都ハイダラーバードを中心に今でも話されている。標準ヒンディー語とはかなり違うので、ヒンディー語初学者にとって聴き取りは困難になるだろう。ちなみに先日公開された「Well Done Abba」(2010年)もダッキニー語映画であった。

 そういえば劇中で、鉄鉱山開発にやって来た日本人がナクサライトに殺されるシーンがあった。「Red Alert」は実話に基づいた映画とのことだが、こういう形で日本人がナクサライトに殺されたことは今までないはずである。

 「Red Alert」は、今インドでホットな話題であるナクサライト問題を扱った社会派映画である。ヒンディー語娯楽映画のイメージが強いスニール・シェッティーが、主演男優賞を受賞するほどの真剣な演技を見せているのも見所だ。サミーラー・レッディーも新境地を開いた。実話をベースにしていることもあり、ナクサライト問題に興味のある人にとっては参考になるだろう。しかし、センシティブなナクサライト問題に挑戦したというセンセーショナル性に大きく依存している映画であり、映画としての完成度は必ずしも高くない。