Dil Vil Pyar Vyar

3.0

 実は来週の月、火とテストで、明日の午後は予定があるので、こんなことはしていられないのだが、来週アジメールに行くかもしれないので、今の内に映画を観ておこうと思って、昨日(2002年10月18日)から封切られた新作映画「Dil Vil Pyar Vyar」を観にチャーナキャー・シネマへ行った。

 「Dil Vil Pyar Vyar」を直訳すると「心心愛愛」みたいな感じか。「いろんな心にいろんな愛」とでも訳せばいいだろう。ヒンディー語特有の言い回しで、言語学的に非常に興味深い。「チャーイ(茶)」と言うところを「チャーイ・ワーイ」、「カーナー(食べ物)」と言うところを「カーナー・ワーナー」と言うと、それぞれ「チャーイか何か」「食べ物か何か」みたいな意味になる。

 この映画の特徴は、まず主役級登場人物の多さにある。「Hum Saath-Saath Hain」(1999年)や「Mohabbatein」(2000年)みたいな感じだ。ずらっと書き連ねてみると、マーダヴァン、ジミー・シェールギル、サンジャイ・スーリー、ラーケーシュ・バーパト、ナムラター・シロードカル、リシター・バット、ソーナーリー・クルカルニー、バーヴナー・パニー。僕が知っているのは、タミル語映画界のスターであるマーダヴァン、「Dil Hai Tumhara」(2002年)に腹話術師役で出ていたジミー・シェールギル、「Agni Varsha」(2002年)で出ていたソーナーリー・クルカルニーぐらいだ。はっきり言って、マーダヴァン以外は新人か、それに近い人たちだ。マーダヴァンでさえ、ヒンディー語映画界では新人の範疇に入っているかもしれない。つまりキャストはほぼ新人で固められた布陣ということになる。

 そして音楽は、インド映画音楽界の巨匠、RDブルマンの過去の名作14曲のリミックスである。これもこの映画のひとつの特徴であり新しい試みだ。インド人にとって、どの曲も馴染みのある曲ばかりみたいだが、僕には「なんとなく聞いたことあるかも」ぐらいの曲だ。最近、過去の映画の翻案や、過去の映画音楽のリミックスが密かにヒンディー語映画界で流行しているが、全曲リミックスというのはこの映画が初めてだろう。「Dil Vil Pyar Vyar」の音楽CDは割と売れてるみたいだ。それにしても挿入歌14曲というのは、インド映画がいかに3時間あろうと、かなり多い。

 ストーリーは3組+1組(+2)のカップルの恋愛を中心に描かれる、非常にややこしく、固有名詞を覚えるのが大変な、それ以上に新人揃いの俳優の顔を覚えるのが大変な、インド映画通かつヒンディー語理解者にとってもストーリーを負うのがちょっとだけ難しい映画だった。監督はアナント・マハーデーヴァンである。

 クリシュ(マーダヴァン)とラクシャー(ナムラター・シロードカル)は幸せな夫婦で、二人でミュージシャンを目指していた。二人で音楽活動を続けるうちに、ラクシャーの歌声が有名プロデューサーの耳に留まり、ラクシャーはCDデビューを果たす。最初の内はクリシュはラクシャーを一生懸命支えるが、ラクシャーが有名人になるにつれて苦悩し始める。妻だけ才能を認められ、たくさんのお金を稼ぎ、そして社会に認知されていく。その一方で自分は・・・。クリシュは次第にラクシャーに冷たくあたるようになり、CD会社へ行って自分を売り込むが、採用されない。しかもラクシャーの夫であることが分かるとCD会社の態度が急変することにも嫌気がさした。やがてラクシャーは家を出てしまい、クリシュは一人苦悩のどん底に落ちる。そんなとき、優勝賞金500万ルピーのボーカル・コンテストが開催される。

 リティク(ジミー・シェールギル)は大金持ちの家の御曹司で、働きもせずにブラブラと過ごしていた。そんなとき偶然、ジョジョ(リシター・バット)という女の子と出会い、一目惚れする。リティクはジョジョに言い寄る。ジョジョは貧しい家の娘だったが、考え方はしっかりしていた。結婚を迫るリティクにジョジョは言う。「あなたが自分でお金を稼げるようになったら結婚するわ」しかしリティクはどうやって働いていいのか分からず、困惑する。そんなとき知ったのが、優勝賞金500万ルピーのボーカル・コンテストだった。

 デーヴ(サンジャイ・スーリー)は1年前に妻パーヤルを亡くし、その悲しみをひきずっている男だった。妹のラチュナー(バーヴナー・パニー)と共に住んでいた。彼らの近くにガウリー(ソーナーリー・クルカルニー)という女性が弟と共に住んでいた。彼女の弟ガウラヴ(ラーケーシュ・バーパト)は、車椅子生活をしており、彼もまた過去の悲しい出来事のために精神を病み、一言もしゃべろうとしなかった。ガウラヴは音楽の才能に溢れた若者だったが、恋人のプリヤーと一緒にバイクで調子に乗って走行中に事故に遭い、プリヤーは即死、ガウラヴは両足を怪我して歩けなくなってしまったのだった。プリヤーの命日にガウラヴは自殺をはかり、病院に運ばれる。手術の間、心配するガウリーをデーヴは勇気付ける。デーヴとガウリーはいつの間にかお互いに惹かれあっていたのだった。また、ラチュナーもガウラヴに対して恋心を抱いており、一命を取り留めたガウラヴの看病をする。ある日デーヴはガウリーにプロポーズをするが、ガウリーはガウラヴの足が治るまでは結婚しないことを打ち明ける。ガウラヴの足の手術のためには大金が必要だった。そして何より必要だったのが、ガウラヴ自身の、再び歩き出そうという強い気持ちだった。デーヴは優勝賞金500万ルピーのボーカルコンテストの看板を見て参加を決意する。

 こうしてクリシュ、リティクそしてデーヴの三人は、同じ舞台に競技者として立つことになった。この三人は既にお互い何度か顔を合わせて知り合っており、友達になっていたのだが、お互い譲れない。それぞれ背景は異なるが、三人に共通していたのが、自分のためではなく、誰か愛する者のために歌うという姿勢だった。三人は精一杯心を込めて歌う。リティクが歌っているときにジョジョが会場に駆けつけ、クリシュが歌っているときにラクシャーが駆けつけた。

  結局優勝はクリシュとなった。しかしクリシュはラクシャーを取り戻しており、賞金の必要はなかった。クリシュはその賞金をデーヴに渡す。会場でデーヴが歌うのを見ていたガウラヴは感動し、突然歩き出す。リティクとジョジョも無事ゴールインすることができた。こうして三組のカップルはめでたく結ばれたのだった。

 クリシュとラクシャー、リティクとジョジョ、デーヴとガウリーの三組のカップルの恋愛模様が中心となり、その他ガウラヴとラチュナーの恋愛が少しだけ描かれ、またデーヴの過去の妻パーヤル、ガウラヴの過去の恋人プリヤーも回想シーンでだけ登場し、つまり3組+1組(+2)という、非常にややこしい構成の筋だったが、別に三角関係などはなかったので、全て恋愛は平行線を保って展開しており、俳優の顔を一生懸命記憶しておきさえすれば、話は大体理解できると思われる。これで三角関係が入ったら、3時間映画じゃなくて、テレビドラマになってしまう。

 オムニバス形式の映画だったので、どうしても各小話はこじんまりとしてしまっていた。また、三角関係まで行かないにしても、それぞれのカップルの恋愛に、他のカップルの恋愛が絡んで来ることがあまりなかったため、最後で無理矢理3つの話をひとつにまとめたような印象を受けてしまった。こういうストーリーは難しいよな・・・。しかし見終わった後に満腹感はあった。ちょうどインドの定食料理ターリーを食べた後の気分だ。各料理はまあまあなんだけど、お腹いっぱいになったからいいや、みたいな感じだ。

 果たして映画中に14曲も挿入歌が使われていたかカウントしていなかったが、しかしそれでもミュージカルシーンの多い映画だった。序盤はミュージカルシーンの間にストーリーが入っているような感じだった。それだけに各ミュージカルシーンは短めだった。

 ヒンディー語が分からなかった頃、ヒンディー語映画を観る際のミュージカルシーンの位置づけは、言わば脳みその休憩時間だった。ストーリー部分では何を言っているかよく分からず、表情やジェスチャーからなんとか筋を追おうと必死になっており、非常に疲れるのだが、ミュージカルシーンなら言葉が分からなくても気楽に楽しむことができる。大体ヒンディー語が分かるようになった今でも、僕にとってミュージカルシーンは休憩時間だ。はっきり言って歌で何を言っているのかはあまり聞いていない。脳を聴き取りモードにすれば、聴き取ることは可能なのだが、それよりも視覚に重点を置いて、ダンスをまず楽しみ、音楽は歌詞ではなくメロディーやリズムだけを楽しむようにしている。インド映画を初めて見た人は「なぜ途中で突然歌って踊り出すのか?」という疑問を必ず抱くみたいだが、僕にとって既に映画にミュージカル&ダンスシーンは必要不可欠のもののように思われてきてしまっている。

 だが、この「Dil Vil Pyar Vyar」はミュージカルシーンが多すぎた。僕に言わせれば休憩時間が多すぎた。まるで鈍行列車か鈍行バスに乗っているかのようだった。ちょうど先日旅行したウッタル・プラデーシュ州のバス移動が思い起こされてきた。あまりミュージカルシーンが多すぎるというのもよくないな、と思った。

 出てくる俳優の数も多すぎたので、それぞれの印象が薄い。マーダヴァンはさすがに重みのある演技をしていたが、御曹司役を演じたジミー・シェールギルにしてもあまり好きになれない顔をしているし、サンジャイ・スーリーも典型的なスター顔ではなく、どちらかというと悪役か脇役顔だ。女優陣に至っては全く個性がない。特別美人でもなく、かといってブスでもない、という、いわゆる「モーニング娘。」タイプの女優ばかりが出ていた。しかも最近のインドの流行と趣向を反映してか、みんな細身の女性ばかり。ぽっちゃりタイプの女優が幅を利かせていた時代は、少なくともヒンディー語映画界ではもう終了したのだろう。今になって思うと、少しふくよかな方がスクリーン上で迫力があってよかったな・・・。アイシュワリヤー・ラーイぐらいの美貌があれば、痩せていてもグッと惹き付けるものがあるのだが・・・。

 大物スターが出ているわけでもなく、ストーリーが特別優れていたわけでもないのだが、なぜか映画館の盛り上がりはすごかった。よく分からないシーンでピーピー口笛が鳴ったりしていた。やはり過去の名曲のリミックスが多く使われていたため、観客も乗りやすかった、という理由もあるかもしれない。だが、おそらくはちょうどノリのいい若者連中が集団で観に来ていただけなんだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=4yfw3Yqnbx0